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今年3月、愛媛大学の臨海実験所が閉鎖取り壊しになるという。
中島臨海実験所
年賀状でその知らせを貰った。
いろいろと、思い出のある実験所なのだが、ボクはこの実験所ではじめてSCUBAで潜った。
学部学生の1年の秋、学科の飲み会でお会いしたN先生がダイビングをするというので、ボクも潜ってみたいと言ったのがきっかけだった。
それならと,、とんとんと話は進み、1月の後半に潜水訓練をすることになった。
冬の瀬戸内海は寒い。水温は10度を切ることもある。そんななか、生態学講座にぶら下がっていた身体が入るウエットスーツ、多少孔があった!を着て、この海で潜った。
今考えたら、恐ろしい潜水訓練で、先輩について水深5m位のところをひたすら泳いでうろうろするという訓練だった。
その水中彷徨を続けてタンク2本。合わせて1時間くらいの水中だったと思うけど、身体は完全に冷え切って、岸に上がって、ウエットスーツを脱ごうとすると、指先が動かずファスナーが摘めなかった。風呂場に逃げ込んで、お湯の中でがたがたしばらくの間、震えていたのを覚えている。
沈黙の世界あこがれていたクストーの世界とはおよそかけ離れた経験だが、使ったレギュレーターはダブルホース。確か東亜潜水具とか言う国産品。先輩が使っていた新しいシングルホースのものもあったけど、その新しい!レギュレータには、なんと、クストー・ガニアン(ガス器具の技師)の名前があった。
(このあたりの話は、最近のダイバーが聞いてもわからないかもしれない。)
それから1ヶ月後、ボクは愛媛県の佐多岬半島。いま伊方原子力発電所があるあたりの海に潜らされていた。
1mの枠の中にある海藻を刈り取ってくる。寒くて厳しい調査だった。
ボクにダイビングをおしえた先生は言ったものだ。
いやー。ちょうど調査する学生に逃げられて困っていた。
なんか、はめられたみたい。そんなことから、ボクの潜りの人生は始まった。
31年前のことだ。
生え茂ったら,どんな顕彰碑より,永遠に残るな(笑い〕,
でも凄い迷惑だな.少々の除草剤では駆除は不可能だな.
同窓会は2月25日に行われるようです.楽しみ.
昨日まで高知県の沿岸でサンゴ調査で潜ってました.
見事なサンゴ群落でした.
”ロバの耳”と唄う草ぐらいは生えるのではないかと思います。
飲んでいたね,いつも.でも,あの人も
十年以上前に亡くなられた,殿島にも
潜ったよ.いっきに水深20mまで落ち込んでいた.
たくさんトゴットメバルとメバルが群れていた.
冬には,臨海前の浜にサヨリが夜中に群れて接近し,
投網でたくさん採ったよ.翌日,一日干しでたべたし,
それを肴で飲んだ.良き大学の頃だね.
気分としては臨海に宿泊して,
鍋や干物を焼き,中島港前の
酒屋で酒をかいたね.そのほか
知り合いに声をかけます.
僕は2月末なら動けると思います。
施設内の水槽を使い,貝類の48時間行動観察を行ったり,近くの島へ潜水調査行ったり,殿島潜ったりしました.調査船もセリオラ,
トビウオと2代にわたり世話になりました.瀬戸内海の海を知るには良い場所だったのに.残念.やな世の中だね!