新潟久紀ブログ版retrospective

新潟暮らし推進課15「にいがた若者座談会(その4)」編

●にいがた若者座談会(その4)

 それにしても、若者座談会の企画会議に新潟出身で東京在住の若者が参加して協力してくれるのだろうか。令和元年11月2日の土曜日に有楽町駅前の交通会館にある"ふるさと回帰支援センター"の小会議室を予約したものの、プライベートで忙しい休日を潰してまで、しかも謝金を支払う予算もないので無償で、20代の若者が集まってくれるだろうか。私は大いに危惧したが、新潟出身者による東京の同窓会的イベント「潟コン」の過去の参加者で、UIターン関係の取組に協力したいと登録してくれていた若者達にオファーすると、男女10人ほどが集まってくれた。そして、私からのお願いを真摯に受け止めてくれて、"アイデア叩き台35本"をじっくりと吟味して熱心に意見交換してくれた。その結果、若者座談会に諮るネタは15本に絞り込まれた。この本数なら2時間程度の座談会の中で足らないとか多すぎるとはならず、ランキングにするにも丁度良いだろう。
 このとき集まってくれた意識の高い彼らの殆どは、若者座談会の本番において、班分けをしてアイデアの優劣を意見交換していく際にファシリテーターとして協力してくれるという。何という有り難いことだろう。この日はささやかな私のポケットマネーによるペットボトルのお茶と新潟ならではのお茶請け菓子しか振る舞えなかったのにも関わらず、彼らのこの前向きな協力の気持ちに胸が熱くなる。東京に暮らしてはいるが、やはり"ふるさと新潟"への熱い想いが皆の中に息づいているのだ。そんな"ふるさと思い"の彼らを新潟暮らしへと呼び込めないだろうか。自らの業務への注力に思いを新たにした。

※令和元年12月1日に「にいがた若者座談会」の本番を開催。概要や「”こんな新潟なら帰りたい”15のアイデア」とその評価ランキング結果はこちらでごらんください→https://www.furusato-web.jp/topics/194842/

 公務員の宿命なのであるが、私は令和2年度に新潟暮らし推進課長から異動して、全く別の、本当に全くといって良いほど無関係の、別分野の業務に携わることになったので、「15のアイデア」のその後の展開は知る由もなくなってしまった。一般県民と同様に県のホームページなどでUIターンの取組に関して時折見聞きする程度になったのであるが、あれだけ知恵を絞りUIターン予備軍たる若者自身から評価をいただいたアイデア達が、その後に施策化しているようには見受けられない。確かに荒削りで遊び心的なものも多く、公費を投じて事業として展開するにはどうかということもあるのだろう。ただ、新型コロナ禍もあり社会経済情勢や若者意識も大きく変化してきている折柄であり、改めてアイデア達を見返して活かしてみて欲しいものだ。"あの日あの時"の若者達の熱意が込められているのだから。
 次回は、"15のアイデア"と若者座談会の評価によるランキング結果を掲載しますよ。

(「新潟暮らし推進課15「にいがた若者座談会(その4)」編」終わり。県職員として11箇所目の職場となる新潟暮らし推進課の回顧録「新潟暮らし推進課16「にいがた若者座談会(その5)」編」に続きます。)
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