<仕事観の形成と就職するまで編8>-----------------
●工事現場誘導員
愛車を事故で失って、とりあえず金だ、なんでもアリだ、の気持ちだったころ、カラオケスナックに加えて単発もののバイトにも次々と貪欲に臨んでいた。数ある中でも「仕事というのは、"やれること"と"やり続けられること"は違う」と教えてくれた代表格が道路工事現場の誘導員だった。
道路工事現場への送迎付きで、9:00から17:00の昼食休憩除き7時間で手取り8,000円。時給1000円以上は当時としては高く、誘導員は車の運転中の通りすがりに横目に見ていて「楽そうだなあ…」とのイメージでもあり、これは美味しそうだと思い、学友から一緒にやらないかとの誘いを受けてエントリーした。
学友の助手席に乗せてもらい、大学から15キロほど離れた東新潟と呼ばれる地区へ。バイト経験のある大学周辺や繁華街とは異なり、中小の製造業工場や工務店等が林立する新潟駅近郊の産業団地的エリアだ。平屋建てプレハブの社屋の前の砂利轢き駐車場にびっしり安手の国産車が停まる中に、友人の中古車も乗り入れた。
道路工事等を請け負う土建屋からの依頼を受けて道路交通誘導員を派遣する事業を行うこの会社の社長は、いかりや長介のような風体の浅黒く痩せた中年で、使い古した作業着もマッチした見るからに土建業界関係者風。正規職員1人と学生1人のペアで各工事現場に派遣するという。
初勤務の私とのペアは、筋肉付きのよい小柄な相撲取りのように顔も腹まわりも丸いながら締まった感じと、七三分けに細目の一重瞼が、なんとなく"若頭"と声掛けしたくなるようなベテラン職員で、自家用車と思しき紺のレガシィの助手席に私を乗せて出発。1時間ほどかけて県境も近い山間の国道にある工事現場に着いた。
片道一車線を通行止めする工事区域を挟んだ両脇に、1人ずつ誘導員として60センチ四方ほどの布で出来た赤と白の二本の旗を持って立ち、互いに車の通行量や溜まり具合など目配せしてジェスチャーで意思疎通しながら、旗の色を振り分けて通行車両を誘導する。初心者への配慮なのか、適度な交通量と長い一本道の区間だったので車の往来を裁くのもさほど面倒でなく、初めてにしては無難に終えたとの思いを得たのだった。
しかし、初日の「良く出来た」感が徒になった。一日潰せば確実に日銭が稼げる魅力と、コツの飲み込みが早くて旗振を上手いとおだてられたことも相まって、直ぐさま誘導員バイトに結構な日数をエントリーしてしまった。考えてみれば凍てつきと雪あられが常態化する新潟の冬場を迎える厳しさ深まる時期だったのだ。
少なくとも続けて3時間以上はアスファルトの路上に立ち続ける。天気予報を踏まえて場合により雨合羽など着込むが、旗振りをする以上、傘はさせずに雨もあられも雪も降り始めれば全身が終始打たれ続けになる。今日は小春日和だ…などと喜んでも、アスファルトの日光の照り返しというのは秋冬でも非常に厳しい。季節外れにしかも顔の顎下からという異常な日焼けで苦労するのだ。
さらに、慣れてくると困難な現場へ派遣され始める。三叉路や五叉路といった交差点付近の誘導難易度の高い工事箇所では、連なる車列の中で「どうして俺の車のところで停車させるのか」などと因縁を付けられたり、用事で急いでいるのか制止した途端に運転席から降りてきて掴み掛かられたりもした。緩く長い坂道などで大型トラックを制止しようとすると無理矢理の通り抜けに轢かれそうになったり、制止できても無表情のまま半クラッチでジリジリと車体を寄せてきたり…と生きた心地のしないことも少なくないのだ。
様々なアルバイト経験を通じて痛感したことは、どんな仕事もやってみればやれないことはないし、面白みや楽しさも見い出せるる自信があるが、本当に続けてやっていきたいと思えるものかどうかは別問題だなということだった。
やりたいことは色々目移りするが、生涯を通じた"なりわい"として自分に適うのは、少なくとも道路交通員など「現場業務」といわれる分野とは違うなとの思いを体感的に得ることができたのだ。執務室に座する「事務仕事」は、計数処理や論述、企画立案など、学業に通じるように想定できて中身次第だと整理できていたので、バイトを通じて体感すべきものとして残るは「営業・渉外」分野と思われた。
(「仕事観の形成と就職するまで編8」終わり。「仕事観の形成と就職するまで編9「広告代理店営業」」に続きます。)
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