新潟久紀ブログ版retrospective

新潟独り暮らし時代6「思っていたのと違う下宿に戸惑う」

●思っていたのと違う下宿に戸惑う

 父が決めた宿舎の事前確認の怠りを失敗と思い知ったのは、家族を上げてトラックで引越に来た正にその時だった。二次試験受験の宿として来た以来に大家に挨拶すると、以前泊まった建物ではなく、敷地内の別棟で木造二階建ての一階車庫の上が私の部屋だという。敷地角に合わせた不整形な建物でいかにも安普請だ。
 当時は写メで現地を事前確認することなどできない時代。頻繁に行けない場所での物事は電話での話を聞いて決めることも多い。約束通り6畳和室なのだが、受験で借りた部屋には備え付けだった風呂とトイレは共用となり、風呂はさらに敷地内別棟の離れ小屋だという。一旦建物から出て歩く風呂場とは想定外で愕然とした。
 裕福とは言えないまでも中流くらいの意識で実家暮らしをしてきた自分は、昭和エレジーのような安普請の宿に直面して面くらったが、段取ってくれた父のメンツを潰す訳にもいかず努めて穏やかに引っ越し作業を進めた。個人大工が建てたような不定形な間取りのため、学習机を外窓から引き揚げて入れざるを得なくなった時にはため息も出たが。
 柏崎を早朝出発して半日かけて引越作業をする中で宿の全容がつぶさに判ると、さすがの父も物件の程度に私を気の毒がったが、時は既に遅し。家族皆で近くの中華料理店で昼飯を取って両親を見送ると、いよいよ独り住まいの始まりだ。子供の頃の冬に隙間風が入るような旧実家での暮らしを思えば大丈夫と自らを励ました。
 外付けの鉄製のらせん階段からアルミサッシのドアを開けると、靴脱ぎ場があるも半畳ほどで、直線の板張り廊下に沿って奥へと並ぶ4部屋4人の住人用としては、冬靴などを考えると狭い。下が車庫になっていて歩く都度ゆがみ感もある廊下の行き止まりに共用のトイレが見える。男性4人のみの利用なので昔ながらの和式が一つのみだ。
 入り口から二つ目の木製ドアに表札代わりに名前を書いた付箋を貼り、両隣と一番奥のトイレ脇の3人に順次、小さな菓子折を携えて転入の挨拶にまわる。宿からキュンパス内の校舎としては近めにある工学部又は理学部の学生だ。よって高校時代のクラスが文系であった私とは何となく雰囲気が違うと思うのは偏見だろうか。
 同宿の3人は理系の3年又は4年だが、穏やかかつ控えめな感じで、新入りの私に、歓迎会をやろうとか、ちょっかいを出そうとか、そんな雰囲気は無かったので、干渉されるのが面倒な私には好都合だった。共通する話題もなさそうで、その先1年間の対面や会話はほんの数回程度で、殆ど記憶に残らぬ思えば特殊な隣人だった。

(「新潟独り暮らし時代6「思っていたのと違う下宿に戸惑う」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代7「原チャリ頼みの五十嵐砂漠生活圏」」に続きます。)
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