
母のホームグランド、別所沼公園の別所沼会館で25回忌が行われた。30年前以上からこの別所沼を走っていた母。当時は走る人は少なかった。別所沼は今では、ランナーのメッカになっていてランナーチームの練習会が行われ集団が多い。華やかな若い女性ランナーたち。
久しぶりに会う親戚たち。子どもを連れていて賑やかだったり、一緒に大島トライアスロン、佐渡トライアスロンに出たYちゃんにも会えた。彼は今ランしかやっていないといいつつい、ベストは3:09
母のボーイフレンドたちも多かった。娘として母がなぜ人気があったのかとても不思議だ。とりたてて美人ではないし、中心で騒ぐタイプでもない。穏やかだ。あえていうならチャーミング、というんだろうか。あの頃母のことは、へんな人だと思ってたし今でもへんな人だと思う。
母のボーイフレンドは姉の高校でのPTA仲間だ。PTAの委員長と母が副委員長。4人のボーイフレンドたちに囲まれて、お酒も飲まないのにニコニコしていた母。母が入院してお花を持って一番に駆け付けたのは、このボーイフレンドのA氏。
母のラン友のK池さんのお話しが良かった。彼女は今でも私とは年賀状のやりとりがある。一番下の弟の友だちのおかあさん。弟が小学校のときに知り合った。母は8歳下の彼女をかわいがり、ランニングに誘った。母は洋裁をしていてなんでも作っていたので、K池さんのジョギパン(あの頃はジョッキングとかいっていた。ランパンじゃない。ジョギパン)を母が作り、「これで走りなさい」と言われ、「えっ?こんな短いの?足だすの?」と思ってしまったらしい。母はもちろん私たちに洋服を作ってくれ、K池さんもデパートに母に連れていかれ「Hちゃん(姉)にはこういうの。KANAちゃんは、これ」と洋服の研究に行っていたと話していた。
彼女が言う。「走るって、おもしろいのよね。走ってお話しすると、横に並んでいたり後ろにいたり、前にいたりで、ふたりで同じ方向を見ている。面と向かって、顔と顔を合わせて話すわけじゃない。だから言いにくいことも言えたりする、走り終わったら じゃあね、と別れる」
なるほどなと思う。今走っているからこそわかる。
彼女は、母のことを大好きで「大人になってこんなに信頼できる人、友だちに会えるんだ。祖母、母に次いで、私に影響を与えた人」と言い、母が亡くなってから、走ることをやめてしまった。
三島の叔母は、相変わらずおしゃれで「KANA、まつ毛エクステしてるでしょ。私も」だって。彼女は確かノブリンと同じ年のはず。さすがだ。叔母のイタリアンレストランのお店でうちの幼稚園の卒園生がバイトしていた。おもしろい縁だ
集まってくださった方々、ありがとうございました。