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海に帰りたい~@″
 

「アンサンブル」サラ・パレツキー

2012年10月14日 | 読書
V・I・ウォーショースキー
(このシリーズを何年も追いかけていて、1982年に『サマータイム・ブルース』がアメリカで出版されて、今年で30年!)と、
その周辺の短編集『アンサンブル』山本やよい・訳

さて、『アンサンブル』に言及剃る前に、
昨日、アイスランドのミステリー刑事小説『湿地』を読んだ。

『湿地』の翻訳者・柳沢由実子さんによる、「翻訳者あとがき」が、なかなかに充実していて楽しかった。
アイスランドのことは、東西冷戦終結のレーガン・ゴルバチョフ会談が1986年に開かれた国で、冷戦だけにアイスランドか?くらいの知識しかなかったので、『湿地』を読んで気候風土、歴史的背景を知る。


作者のアーナルデュル・インドリダソンと出会い尋ねる場面も「翻訳者あとがき」に、書かれている。

少し抜き書きしてみよう。


《性暴力の描写がリアルで、激しい。女性に対する暴力をなぜこれほど克明に書くのですか?


「性暴力は魂の殺人です。性暴力を受けた女性は、体を凌辱され、魂を殺されるのです。―略―
アイスランドでも長い間性暴力は公にされないできた。だが、隠してはいけないのです。これくらいでいいかと表現を妥協してはいけない。表現をはしょったり、軽い暴力のように書くことも許されない。全部書き切るのです」


―苦しい作業ではありませんか?


「きつい苦しい作業です。―略―
しかし、DVや性暴力の犠牲になった女性たちの苦しみを思えば、作家はどうしても書かなければなりません」


―会ってよかった。聞いてよかったと思った。

―こんなに克明に描いたら犯罪の模倣者が出て来るのではないかという恐れもあった。

―だが、女性に対する暴力への怒り、こんなに酷いことなのだと男性たちにわからせるために言葉をはしょってはならない。徹底して書き切るのだという決意。それこそが彼が執拗に、かつ克明に暴力シーンを描く理由であると聞いて、わたしは安心した。》


翻訳者あとがきは、アイスランド豆知識も満載でなかなか充実しているのだが、
この場面だけは疑問が残った。


それはきっと、
サラ・パレツキーの『V・I・ウォーショースキーシリーズ』を読んでいるからだろう。

レイプ、DV、セクハラ等々の性暴力はミステリー小説には、お約束のように付き物で、工夫に工夫を重ねてそこを、どのように描くかで作者の力量とスタンスが現れるのだが、サラ・パレツキーを超えるミステリー作家は、なかなか出て来ないだろう。
また、V・I・ウォーショースキーを超えるキャラクターも、これもなかなか出て来てはくれないのではないかしら。


丸谷才一さんの訃報を知り、きょうは1日、寂しく暮らした。

まだ、読めてない丸谷才一本を、これから死ぬまでずっと追いかけていくんだろうな。

丸谷さんが、
「日本で本当の意味での評論文化を興したい。
日本の新聞に、本物の書評を載せたい」と、毎日新聞日曜版に3面全面書評という贅沢な企画を始められ、それは無学無才のわたしを、おおいに啓蒙してくれた。



しかし、まあ書評ってのは難しいもんだ。

読んだ本や、出会った文章から連想ゲームのようにあれこれ書き散らす偽物の書評しか、わたしには無理ポッ。

きょうは、めっちゃ頑張ったけど、ま、こんなもんやねぇ。
さようなら。じゃないや、「左様なら」「然うならば」「しかやうならば」「さやうなら」「さよなら」

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