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海に帰りたい~@″
 

リハビリの夜

2010年06月30日 | 読書
「リハビリの夜」

新生児仮死の後遺症で
ご自身が脳性まひの小児科医「熊谷晋一郎」さんの著作。

前半は地球にとてもよく似た
不思議の国にやってきたような感覚。

日本語なのに、意味はわかるのに
もどかしい。
けれど、魅力的。

少し慣れてくると
2足歩行でなく、車輪で移動する人間が多数派として支配する社会に
放り込まれたような気持ちになって

それから、
手足の指先がヤモリのように吸盤になっていて
垂直移動が簡単にできる人間が大多数の中で
高く立ちはだかる壁の前で
途方にくれる自分が浮かびあがった。

「弱者に優しい社会は、多数者にも生きやすい」という言葉が浮かぶ。

でも、そんな標語化してしまった言葉を
軽々と飛び越えて、
身体と対話していた幼児期を、思い出させてくれて甘美。

注釈★2の
「自分をくすぐってもくすぐったくないのはなぜか?」
脳の後部頭頂葉の内部モデルによる
{どのようなくすぐられる感覚が、どのようなタイミングでやってくるか}という予測と、
実際のフィードバック情報との間に差異ががないため
前部頭頂はにある体性感覚野の活動がキャンセルになるから・・・

長年の謎がとけた。

東京大学先端科学技術センター特任講師で、
現在、障がいを持つ仲間と当事者研究を~というのが希望。

「医学書院」の本。



ロマンチックのお話

2010年06月29日 | 音楽
ロマン派ときたら「CHOPIN・ショパン(1810~1849)」

では、「ロマン」って何?

アニーに尋ねると「ローマ風?

あ、デモ、ロマンス語からかも?」

えぇ~ロマンス語・・・初めて聞きます。知らなかった。

はい、ここからは、「池辺晋一郎先生」のエッセイ

「音楽のある暮らし」から。

ロマンス語とは、ラテン語から派生した

フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語などの総称。

そっかぁ。

そして

「ロマン」とは、物語や長編小説を示す言葉。

「ロマンス」は、中世の騎士の冒険譚、波瀾万丈の物語、恋物語。

ここから発展して、ヨーロッパでフランス革命のあと生まれた芸術上の思潮が

「ロマン主義」

なのだそうです。

知らないで使ってたなぁ・・・「ロマンティック」






ミカリンの眼鏡ケース

2010年06月26日 | work room
夏のSALEが始まって

街がにぎやかになってきた土曜の午後

ミカリンから、お茶のお誘い

バーゲンで、さっそくTシャツ買ったんだって

話してたら、キラリン!

  

おぉー眼鏡ケースが素敵な眼鏡ケースですか?

木の実の所にビーズがぁ

葉っぱに刺繍がぁ

女の子にぃ~

○○○○○○○○は、

プリント生地の端についてる色見本

色合いが気に入ったからと

わざわざ、縫いつけてありました

ミカリン、素敵すぎです。




なまくらと天秤棒

2010年06月26日 | 読書
吉橋通夫作「なまくら」(講談社文庫)

「吉」の字が名前につく少年達が主人公の短編集を読んで、

15年程前に
中国は黄山に遊んだときのことを
思い出した。

山水画の名勝の地である。

その当時、ロープウェイが新しく開通し
わりあい簡単に登れるようになったということで
日本から写真や水墨画の愛好家が
たくさん訪れるようになりツアーが組まれた。

行きはロープウェイで15分ほど。
小雨が降っていたけれど、そう天候は悪くなく、快適に到着。

1週間、霧雨や霞みの中を歩きまわって
仙人の気分を
味わい過ごした。

さて
明日は下山という昼ご飯時に
ロープウェイが故障して
途中で止まってしまい、お客を乗せたまま
ちょうど真ん中辺りで
宙づりになっているという。
復旧作業の見通しはたたず
とりあえずは手動に切り替えて、車輌?を下に降ろすという。

明日の下山までに
ロープウェイは動いてくれるのだろうか?
次の朝は早く起きて
とりあえず、ロープウェイの降り口に行く。

素晴らしくたくさんの人間が
小雨と霧雨の中で、怒鳴りあっている中で
ツアーの一行18名を
下山させるべく
(留学した奈良の女子大にて、
源氏物語で卒論を仕上げたという)
通訳の才色兼美も負けずに、叫んでいる。

なかなかの奮闘ぶりで
早々に荷物を運び降ろす現地の労働者を確保してくれた。

85歳と82歳のご夫婦の為に輿
(木の椅子に天秤棒を2本くくりつけたもの)も用意された。

天候がまだ、マシなうちに復旧を待たず、自力下山を選んだわけだが
約2時間から3時間。
ことによると4時間は歩き通さなければ
降りられない。

荷物は網でまとめられて
やはり、天秤棒にくくり付けられた。

近所の山村地域からの出稼ぎだという若者達が
担いで、おろしてくれる。

皆、小柄だけれど、筋肉質の引き締まった身体で
天秤棒をかかげる肩の部分が
特別に盛り上がっていて「POPEYE」みたいだった。

彼らは、一日何往復もして、山頂のホテルに燃料や食料を運んで
現金収入を得て
故郷に仕送りをしているのだという。

道はすれ違うのが、やっとの石の階段。
山奥の神社仏閣の石段が曲がりくねり延々続くといった趣き。

まだ、中学生か高校生くらいの若者もいる。

皆、草履か、よくて人民靴とでもいうのか
粗末なズック靴で
でこぼこの、急な石段を素早く移動する。

ツァー客は、邪魔だから
天秤棒がやってくると道の端によけて
追い抜いてもらうまで、休憩を取りつつ
なんとか、下山した。

荷物を下ろした若者達は、
もう、次の荷物を天秤棒にくくりつけている。

大汗をかいて、座り込んで動けない私たちが
大げさに驚いてみせると
ちょっと、誇らしげに今来た道を、登っていった。


さうださうだ、人間は
ずっと、こうして生きてきたんだった。

忘れていた。

中国旅行のツアー客は、割合、お年寄りが多くて
彼らは、天秤棒で生きてきた日本人で
天秤棒を、思い出したくて
中国に行ってるのかぁ。