秋の彼岸の中日に、法要の後の法話をたまたま聞く。
・・・・昔々、あるところに
昔話ををさせていただきます・・・と始まったお話は
・・・あるところに、元気な若者がおって
どんどこどんどこ、山道を歩いて行きをりましたのじゃ。
すると日が暮れてきて、こんな山の中で日が暮れた
どうしたものか、と一件の家があった。
これ幸い、泊めてもらおうと声を掛けるが人気はない。
空き家じゃ。
薄気味悪いが、外で寝るよりは良かろうと
こっそり、入って部屋の隅で寝ておりました。
しばらくして、騒がしい物音とともに赤鬼が一匹、
死人(しびと)を担いでやってきた。
びっくりしていると、慌ただしく
死人を部屋に放り出して、また出て行った。
どうしたもんじゃあ怖い怖い、と震えておりますと
今度は、青鬼が入ってきて
「お、うまそうな死人じゃ」と食べはじめよった。
そこへ、出て行った赤鬼が戻ってきて
「わしの死人になにをする」と怒りだして大騒ぎ。
大きな鬼どもが、二匹で大暴れするものじゃから
大変、たいへん。
そうしてとうとう若者は、鬼どもに見つかってしもうた。
「こらっ、おまえ、そこにいて一部始終を見ておったんじゃな。
あの、死人がわしの死人じゃと、青鬼にいうてやれ」
「何ぬかしよる。あれは、わしのじゃ。赤鬼にゆうてやれ」
二匹の鬼に怒鳴られて、覚悟を決めた若者は
見たとおり、聞いた通りに話しますと
怒った青鬼「何をぬかす、こうしてやるわ」と若者の腕をちぎって
ムシャムシャと食べてしもうた。
見ていた赤鬼、「正直者に何をする」
すまんことじゃと若者に、死人の腕をもぎとって
ちょんと、付け替えてくれた。
すると、またまた青鬼が、今度は左手をちぎって投げた。
赤鬼、怒って死人の腕を、またまた若者に付けてくれた。
すると、またまた今度は足をちぎられ付け替えられて
今度は腹を、次は胸を、とうとう頭もと
ちぎられては、付け替えての大惨事のうち
ようやく東の空が明けてきて、一番鶏が鳴き出して
鬼はびっくり逃げてゆき
元気な若者は、やれ助かったと、
ずんずん、ずんずん山道を歩き出したとさ・・・
さてさて、お集まりの皆さま方。
この若者は、いったい誰じゃと思われますか?・・・・・
だいたい、このような、御法話でその後
答えはないまま、お茶会へと彼岸の中日23日は、くれてゆきました。
そうして、たまたま目にした
行きたいけど、たぶん行かない展覧会の解説
21_21 DESIGN SIGHTで開かれている佐藤雅彦さんの
「これも自分とみとめざるをえない展」の特集を美術手帳10月号で読む。
福岡伸一×佐藤雅彦〈私たちの”本性”はどこにあるのか?〉
「本性」と「属性」
福岡先生の「動的平衡」
(生命とは、絶え間なく入れ替わり、流れていく水流のようなもので、その動的な平衡状態を保とうとするシステムであるという概念)に通じる展覧会。
HOU「いかに存在しているか?」と、
WHY「なぜ、存在しているか?」。
「自己」と「非自己」
免疫システムが、抗体をつくる仕組み。
(多田富雄)
刺激的な特集でありました。
・・・観に行く展覧会ではなくて
自分を見つめに行く展覧会。
なんだか、吸い取られそうじゃないか?
もしくは、死人に取って代わられた自分とか。
刺激的です。