ねこさわの備忘録

電車、車、カメラ、旅行、ねこetcといった趣味の「穀潰し男」の日々を綴った備忘録です。果たしていつまで続くか…

悲しい…北海道3大夜行の終焉

2008-04-25 13:06:54 | でんしゃ


3月の行った「ブルトレ大幅削減」も記憶に新しいところに、
今度もまた悲しいリリースが…

「道内夜行特急運転終了のお知らせ」

愛してやまなく、且つ北海道への旅では「宿代わり」に活用していた、
道内3大夜行「まりも」「利尻」「オホーツク9,10号」がついに完全廃止に…

利尻、オホーツクが一昨年季節列車化され、去年はまりもまでもが季節化…
思い立ったらすぐ乗れなくなり寂しいなぁ…と思っていたところにこのリリース…

しかし「利用者の減少のため」とあるようにワタクシめが乗ったときもいつもガラガラ、、、だいだい「座席」を利用していたのですが最近は自分の齢も考え「寝台」利用していました。
寝台券も車内でいつも買っていたほどガラガラ…
もちろんいつも下段で下車時に使われてない浴衣、リネン類が沢山寝台に残っているのも目につきました。
そして使用されている14系寝台車の老朽化も…


閑散期の稚内に到着。
下車してすぐなのにもうお客さんが総て降りてしまって無人のホーム。

宗谷本線最北端、抜海~南稚内間で見られた「朝日を浴びた赤く染まる利尻富士」、
浴衣姿で寝ぼけ眼なワタクシをぱっちり眼を覚まさせるような光景はもう記憶でしか振り返ることしか出来ないのですね…

ワタクシにとって初渡道以来20年以上愛用していた列車が全滅してしまうのは3月の改正以上に「寂しい」…


やっぱり日本最強の気動車キハ261

2008-04-08 14:26:12 | でんしゃ



最北端稚内に行った帰り、
当然のように「スーパー宗谷」キハ261に乗りました。
去年キハ187に乗ってやや物足らないなぁ、キハ261もこんな物だったっけなぁなんて思っていましたが、
やっぱり違う!

その性能をフルに発揮するのは行程の半分程度ですが、
特に高速事業化された宗谷本線の旭川~名寄間は関東で言うところの「京急」のよう…
軌道が強化されたとはいえ「一級幹線」の函館本線に比べ格落ちなのは明白にもかかわらず、
130㎞/hで飛ばしまくる!!!それと「中速域からのトルクの太さ」。
カーブからの立ち上がりの蹴飛ばされるような胸をすく加速感。
 N-DMF13HZJのスペックは13000ccインタークーラーターボ、460ps/2100rpm、
ちなみに鉄道車両は最大出力は表示されず「定格出力」すなわち「連続して安定して出せる出力」の表示なので車とは一概に比較できませんので…
これが4両中3両は2つエンジンがついて総計3,220psを誇ります。
液体変速機すなわちオートマも5速AT。
トルク…いったい何㎏mなんだろう?
一昔前GrCのザウバーメルセデスのC9、「トルクモンスター」と言いたいです。

ディーゼルカー大好きのワタクシとしてはディーゼルターボの金属音とトルク感を十分味わい「至福」の時を送ってきました。

JR北海道はレクサスLS600hのようなモーターハイブリットターボ車の開発を発表しています。
キハ261が日本一の座を明け渡すのは近いのですがそれでもこの蹴飛ばされるような加速の記憶は忘れられないものになるでしょう。。。

自分のクルマもやっぱりディーゼルにしたいなぁ…(買ったばかりだけれど、、、)


おまけ稚内駅2番線の冬の朝はこんな状態、、、
いくら何でも除雪し杉…


寝台列車廃止の発表についての雑感など…(写真等加筆しました)

2007-12-22 20:43:07 | でんしゃ

いよいよ噂がされていた、「銀河」「あかつき」「なは」の列車自体と、
日本海」、「北斗星」の一往復削減が正式発表になりました…

嫌みの聞こえると思いますがワタクシ自身「予感し」ていたので、
「その騒ぎになる前にすでに総て乗った」ので後悔していません。
というか「やっぱり」という感が強いのです。。。


3月にいよいよ消えるあかつき&なは、長崎駅にて。

もう5年近く前になりますか?
「なは」に平日に熊本から京都まで個室である「ソロ」に乗ったときに殆ど他のお客が乗っていなかったこと、、、
「ソロ」は所謂「個室寝台」で誰にもじゃまされず安眠できるのに、(少なくともワタクシは…)
「あぁもうそろそろやばい」と思うようになりました。


大分駅にて、富士。赤いカマが本当によく似合う。

無念、、、残念ながら「もうそういう需要がない」ということを…

今月初めだったか「朝日新聞」にトップ一面スクープとして載っていましたが、
正式発表まではコメントを控えていました…


5年くらい前の「やばい、このままじゃ無くなる」…
その「やばい」と思った間にほぼ総てに乗ることを目標として、
日本海、あかつき、北斗星、はやぶさetc…

ついにそのラスト、この9月に「富士」に乗り今のところの「現行列車」は達成できました

もう「後悔はない」です…

心情的には再来年になくなると言われている「はやぶさ、富士」の所謂「九州特急」には後釜を据えたいのですが、、、、、、

70年代後半の「ブルトレブーム」から30年、
花形であった「70センチ幅寝台」14系、24系も「寿命」です。
また「国鉄制式機関車」EF66、EF81、ED76etcも…


博多駅入線のはやぶさ。本当に「赤いカマ、ED76」が似合う。


下関にて、EF66へ付け替え。この「当たり前な」風景が見られなくなるのは正直「寂しい」の一言…

 

「後悔していない」とは言いましたが「九州特急」の一本は残したいのは、
マニアの偽らない心、、、、、、

前にもコメントで書きましたがJR貨物様、
子会社に日本版「ワゴンリー」を創れないでしょうかね?????


超マニアックかも…もしかして誰も知らない?大好きな近鉄680系

2007-07-24 15:27:27 | でんしゃ


「自己満足」なのは百も承知です。(まぁブログという個人の世界だから勝手ですね)
廃車になってからもう20年以上、
でもこの車両が大好きだから今回はあえて紹介します。
近鉄「680系」

急いで撮らなきゃ!!というヲタと680系、現像当初はむかついたけど今となっては懐かしい…

まずこの680系の生い立ちを忘れつつある記憶やらネットやらを参考にしつつ…
生まれは昭和29年、時はカルダン駆動黎明の時期の時期でした。
その時旧奈良電気鉄道(現近鉄京都線)が京奈を結ぶ優等列車用として、
初のカルダン駆動車デハボ1200(デハボ=デは電動車、ハは三等車、ボはボギー車)が元になっています。
この増備車として同じボディを持ちながら旧来のつりかけ駆動車として昭和32年にデハボ1350が増備されました。
旧奈良電気鉄道は元々今で言うところの関西の「神鉄」「山電」クラス「中私鉄」上場企業でもあったのですが、
経営難と当時の親会社であった京阪と京都進出を狙う近鉄との駆け引きもあった結果、
結局昭和38年に近鉄に合併されました。
そして迎える翌年、昭和39年は「東海道新幹線開通」の年、
すでに「ビスタカー」「エースカー」等で名を馳せていた近鉄特急網も、
「ドル箱」名阪ノンストップ特急は壊滅的な大打撃(一時は単行での運転も考えられていたほど)、
近鉄の特急陣は「新幹線のフィーダー列車」として大転換を余儀なくされました。
そんな中東海道新幹線随一の「大観光地」京都とそこからこれまた京都以上の「古都」である奈良を結ぶ近鉄特急網に、
奈良電デハボ1200と1350を、
デハボ1350の電装解除、
従来の固定クロスからデ2250流用の転換クロス化、
冷房固定窓化、
洗面所の整備などの「大改造」の上、
今でもお馴染みの「近鉄特急色」に塗り替えられ新たに「680系」として投入されました。
当時の旧奈良電区間は所謂「大軌規格」、
他の近鉄の電圧が1500Vなのに対し600V、
近鉄標準の21メートル車の投入は車両限界の関係から「無理だった」ので、
旧奈良電の「最新鋭車」が大改造の上、名高き「近鉄特急陣」に名を連ねました。

「京都」始発の近鉄特急は予想以上の大好評となりその後、
デハボ1350等を若干改修したものの非冷房、つりかけ駆動のままの683系、
ワタクシ自身の中では680系以上に乗りたかった18000系「エースカーの身を纏いつつ性能はつりかけ駆動、しかも当初はHL制御(後に改)」超異端児や、
京都伊勢(京伊)特急という新たな「ドル箱」を生み出した18200系「ミニエース」、

はっきり言って「下手くそ」なミニエースこと18200系、この頃も未だ「京伊特急」のエース。
「あおぞらⅡ」としてこの後も近年まで活躍していた。

買収後未だ車両限界拡大に追いつかず結局10年を要してしまったため、
それでも旺盛な需要に応えるべく作ってしまった18400系「ミニスナック」…

嗚呼旧奈良電区間は楽し…

その後昭和48年にやっと車両限界拡大完成、
近鉄京都線は「ビスタカー」「伊勢志摩ライナー」はもちろん、
一般車は京都市営地下鉄まで乗り入れてしまう標準的な「近鉄の一幹線」となりました。

閑話休題、元に戻りましょう。

車両限界拡大後、当然のことながら680系は所謂「継子」扱い。
平坦用に作られ勾配用の抑速制動などは付いているはずはなく、
しかも「18メートル」と特化された車両、
「青山越え」なんかには当然使えないので、
青山を超えた「伊勢志摩地域」のローカル用に、
トイレ等撤去の上マルーンの当時の一般色に「格下げ」使用されることとなりました。

昭和40~50年代は「冷房車」は貴重な存在、
21世紀の今となっては考えられませんが毎年国鉄を含む各社の「冷房化率」が一般新聞紙上に記載されていたほどですから…

更に「オール転換クロスシート」の680系は地元の伊勢志摩でも好評を博していたのは言うまでもありません。
その時期「無料で」転換クロスを提供していたのは大手私鉄では名鉄は当然としても、
京阪3000、阪急2800、6300、南海1000と21000、西鉄2000…
関東私鉄なんかには一矢も報えない(今でも京急くらい)、
国鉄がキハ66,67が初投入されたころ、
新幹線0系が「例の」転換クロスだった時代で「新快速」は153系の時代、
近鉄だって「宇治急」は4ドアクロス時代の2610系、同じく格下げされた旧特急車2250系や6421系も転換クロスだったはずですが冷房は外されていたので、
680系はまさに「別格」な、21世紀の現代にも通用する「スペシャルサービス」だったはずです。

オール転換クロスシート、クーラー付の車内。ファッションが「60年代」ですね(^^;

白窓部分がかつてトイレや洗面所があった場所。封鎖されただけでデットスペースに…これも廃車を早めた一員に。

しかし昭和20年代後半~30年代一連の「超軽量設計」による老朽化とともに、
2編成4両という「少数派」なのでメンテナンス面でのマイナス面が年々目立つようになり、
ついに昭和61年5月のゴールデンウィークに廃車が決定、
さよなら運転をすることになりました。

スポッティングしていなくて済みません…680系のマスコン、ブレーキ機器。このA動作弁のメンテナンスが難点で廃車の対象に。

ここまで長々書いておいて実は乗ったのはこの「さよなら運転」の時だけだったのです、、、
時は中学3年生、在京のワタクシが「通える」はずがありません…

680系同志の交換、見ての通り最晩年は一編成は新塗装となっていた。…この写真ももっとアオれないかなぁ、、、

でも何故ここまで680系にワタクシが引きつけられるかというのは、
やはり当時の「ローカル用」としてはスペシャルな仕様だったのを鮮明に覚えていると共に、
その2年位前に記載されていた「鉄道模型趣味」のデハボ1200のHO製作の記事が忘れられないのです。(何年何月号かは忘れました)

両運、カルダン駆動、バス窓、それと「デハボ」という形式etc私鉄電車好きにはある意味「理想」、
嬉しいことに近鉄のhpに載っていました。

誰も読んでくれないかも、、、
まぁ良いのです。
ワタクシにとってきちんと「文章」に残せたこと自体、
無くなって20年、
へたくそ(今でも)ながらも写真と同時に残せる現代文明に感謝!!

ビバ!680系!!一度でも出会えて良かった!!!

あ、「シート」だけなら今でも大井川鉄道のモ421(旧近鉄モ6421)で体験可能。
つりかけ駆動の上クーラー付いてないから今の時期は走っているのだろうか??

(分かる範囲のデータ、カメラーオリンパスOM20withワインダーⅡ、レンズーシグマ28~85㎜f3.5~4.5、フィルムーTX)


ド迫力の非電化私鉄、関東鉄道常総線

2007-07-13 14:45:59 | でんしゃ

関東鉄道常総線は茨城県の取手と下館を結ぶ延長51,1㎞の非電化私鉄です。
かつて関東鉄道はこのほかに竜ヶ崎線と、
ついこの3月末廃止となってしまった鹿島鉄道、(鉾田線)
昭和62年3月まであった筑波鉄道と本来は4路線から成り立っていました。(筑波線)

歴史のことはさておき、
この常総線、ベットタウン地ということもあって「非電化=ローカル線」という図式に当てはまらない「すごい」施設を所有しています。
それがこれ…




「非電化なのに複線!」

あまり関東私鉄、誇れるものがないのですが取手と水海道間17.5㎞の複線区間は私鉄では日本最長を誇ります。

車両も新旧取り混ぜて楽しい!これだから気動車好きは止められない、、、


駅もベットタウン仕様、架線柱がないだけでこんなにスッキリ!

そりゃ「北海道の大幹線」である室蘭本線には遠く及びませんが、
歴史的経緯(主に石炭輸送)から存在している平成筑豊鉄道や同じ室蘭本線でも苫小牧~岩見沢間とは違い、
純粋に「通勤輸送のために」複線化されたものなのです。
このケースでは北海道の札沼線(学園都市線)しか見受けられません。
しかもラッシュ時は最大4分ヘッド!!!
かつて取手駅において駅ビルへの衝突事故を起こした教訓から(ショックでした…)保安面でもATS-Pまで導入されています。

ここまでしながら「何で電化しない?」。
これも有名な話で石岡市の柿岡にある「気象庁地磁気観測所」の存在が大きくのしかかっていて、
だから常磐線の取手、つくばエクスプレス(TX)の守谷以北は交流電化されているのはご存じの通り。
「一私鉄」である関東鉄道の規模では交流電化は無理なので現在に至っているのです。

「ヲタ」にとっては楽しいことこの上ない!

ワタクシにとって実は「関東鉄道」には判官贔屓したいもう一つの理由…
それは路線内の水海道に次ぐ町である「下妻市」、(一昨年某映画化されましたね、未だ見ていません、、、)
ワタクシの母親の実家がある所謂「お祖母ちゃんの家」なのです。、
子供の頃夏休みには必ず一週間位泊まりに行き田舎暮らしをした場所。
短大の時にも車で10分のところに「筑波サーキット」があり良く泊めて貰いました。

祖母も15年前に92歳(確か)で大往生しそれからは余り行かなくなりましたが、
「下妻」は東京育ちのワタクシにとっての「故郷」に思われるのです。

話が逸れましたがこの関東鉄道、
TX開業後、「一番の収入源であった」つくば研究学園都市への高速バスが大打撃を受けたのは言うまでもなく、
それが原因で鹿島鉄道に資金援助が出来なくなり3月でついに廃線、
常総線も乗客が落ち込んでいるという話も聞きます。
しかし快速運転などで「TXの培養路線」としての使命も発揮しつつあります。
今後も頑張って欲しいものです。

「旧キハ30」がきちんと通勤用として使われているのもここだけ。しかし流石に数は減りつつあるようです。


「ド迫力」の4両編成は最近の改正でなくなってしまった模様、かつてはなんと「5連」も存在しました。

培養路線化でわが「下妻市」も完全通勤圏、
葬式の話ばかりで申し訳ありませんが去年母の長姉が亡くなったとき、
久しぶりに下妻の土地を踏んだらこんな田舎にも「都市化」が、、、
下妻、終の棲家にしようか??