「自己満足」なのは百も承知です。(まぁブログという個人の世界だから勝手ですね)
廃車になってからもう20年以上、
でもこの車両が大好きだから今回はあえて紹介します。
近鉄「680系」
急いで撮らなきゃ!!というヲタと680系、現像当初はむかついたけど今となっては懐かしい…
まずこの680系の生い立ちを忘れつつある記憶やらネットやらを参考にしつつ…
生まれは昭和29年、時はカルダン駆動黎明の時期の時期でした。
その時旧奈良電気鉄道(現近鉄京都線)が京奈を結ぶ優等列車用として、
初のカルダン駆動車デハボ1200(デハボ=デは電動車、ハは三等車、ボはボギー車)が元になっています。
この増備車として同じボディを持ちながら旧来のつりかけ駆動車として昭和32年にデハボ1350が増備されました。
旧奈良電気鉄道は元々今で言うところの関西の「神鉄」「山電」クラス「中私鉄」上場企業でもあったのですが、
経営難と当時の親会社であった京阪と京都進出を狙う近鉄との駆け引きもあった結果、
結局昭和38年に近鉄に合併されました。
そして迎える翌年、昭和39年は「東海道新幹線開通」の年、
すでに「ビスタカー」「エースカー」等で名を馳せていた近鉄特急網も、
「ドル箱」名阪ノンストップ特急は壊滅的な大打撃(一時は単行での運転も考えられていたほど)、
近鉄の特急陣は「新幹線のフィーダー列車」として大転換を余儀なくされました。
そんな中東海道新幹線随一の「大観光地」京都とそこからこれまた京都以上の「古都」である奈良を結ぶ近鉄特急網に、
奈良電デハボ1200と1350を、
デハボ1350の電装解除、
従来の固定クロスからデ2250流用の転換クロス化、
冷房固定窓化、
洗面所の整備などの「大改造」の上、
今でもお馴染みの「近鉄特急色」に塗り替えられ新たに「680系」として投入されました。
当時の旧奈良電区間は所謂「大軌規格」、
他の近鉄の電圧が1500Vなのに対し600V、
近鉄標準の21メートル車の投入は車両限界の関係から「無理だった」ので、
旧奈良電の「最新鋭車」が大改造の上、名高き「近鉄特急陣」に名を連ねました。
「京都」始発の近鉄特急は予想以上の大好評となりその後、
デハボ1350等を若干改修したものの非冷房、つりかけ駆動のままの683系、
ワタクシ自身の中では680系以上に乗りたかった18000系「エースカーの身を纏いつつ性能はつりかけ駆動、しかも当初はHL制御(後に改)」超異端児や、
京都伊勢(京伊)特急という新たな「ドル箱」を生み出した18200系「ミニエース」、
はっきり言って「下手くそ」なミニエースこと18200系、この頃も未だ「京伊特急」のエース。
「あおぞらⅡ」としてこの後も近年まで活躍していた。
買収後未だ車両限界拡大に追いつかず結局10年を要してしまったため、
それでも旺盛な需要に応えるべく作ってしまった18400系「ミニスナック」…
嗚呼旧奈良電区間は楽し…
その後昭和48年にやっと車両限界拡大完成、
近鉄京都線は「ビスタカー」「伊勢志摩ライナー」はもちろん、
一般車は京都市営地下鉄まで乗り入れてしまう標準的な「近鉄の一幹線」となりました。
閑話休題、元に戻りましょう。
車両限界拡大後、当然のことながら680系は所謂「継子」扱い。
平坦用に作られ勾配用の抑速制動などは付いているはずはなく、
しかも「18メートル」と特化された車両、
「青山越え」なんかには当然使えないので、
青山を超えた「伊勢志摩地域」のローカル用に、
トイレ等撤去の上マルーンの当時の一般色に「格下げ」使用されることとなりました。
昭和40~50年代は「冷房車」は貴重な存在、
21世紀の今となっては考えられませんが毎年国鉄を含む各社の「冷房化率」が一般新聞紙上に記載されていたほどですから…
更に「オール転換クロスシート」の680系は地元の伊勢志摩でも好評を博していたのは言うまでもありません。
その時期「無料で」転換クロスを提供していたのは大手私鉄では名鉄は当然としても、
京阪3000、阪急2800、6300、南海1000と21000、西鉄2000…
関東私鉄なんかには一矢も報えない(今でも京急くらい)、
国鉄がキハ66,67が初投入されたころ、
新幹線0系が「例の」転換クロスだった時代で「新快速」は153系の時代、
近鉄だって「宇治急」は4ドアクロス時代の2610系、同じく格下げされた旧特急車2250系や6421系も転換クロスだったはずですが冷房は外されていたので、
680系はまさに「別格」な、21世紀の現代にも通用する「スペシャルサービス」だったはずです。
オール転換クロスシート、クーラー付の車内。ファッションが「60年代」ですね(^^;
白窓部分がかつてトイレや洗面所があった場所。封鎖されただけでデットスペースに…これも廃車を早めた一員に。
しかし昭和20年代後半~30年代一連の「超軽量設計」による老朽化とともに、
2編成4両という「少数派」なのでメンテナンス面でのマイナス面が年々目立つようになり、
ついに昭和61年5月のゴールデンウィークに廃車が決定、
さよなら運転をすることになりました。
スポッティングしていなくて済みません…680系のマスコン、ブレーキ機器。このA動作弁のメンテナンスが難点で廃車の対象に。
ここまで長々書いておいて実は乗ったのはこの「さよなら運転」の時だけだったのです、、、
時は中学3年生、在京のワタクシが「通える」はずがありません…
680系同志の交換、見ての通り最晩年は一編成は新塗装となっていた。…この写真ももっとアオれないかなぁ、、、
でも何故ここまで680系にワタクシが引きつけられるかというのは、
やはり当時の「ローカル用」としてはスペシャルな仕様だったのを鮮明に覚えていると共に、
その2年位前に記載されていた「鉄道模型趣味」のデハボ1200のHO製作の記事が忘れられないのです。(何年何月号かは忘れました)
両運、カルダン駆動、バス窓、それと「デハボ」という形式etc私鉄電車好きにはある意味「理想」、
嬉しいことに近鉄のhpに載っていました。
誰も読んでくれないかも、、、
まぁ良いのです。
ワタクシにとってきちんと「文章」に残せたこと自体、
無くなって20年、
へたくそ(今でも)ながらも写真と同時に残せる現代文明に感謝!!
ビバ!680系!!一度でも出会えて良かった!!!
あ、「シート」だけなら今でも大井川鉄道のモ421(旧近鉄モ6421)で体験可能。
つりかけ駆動の上クーラー付いてないから今の時期は走っているのだろうか??
(分かる範囲のデータ、カメラーオリンパスOM20withワインダーⅡ、レンズーシグマ28~85㎜f3.5~4.5、フィルムーTX)