これは、1年半位前のことです。
急に思い出しました。夏休みで帰省して、遠いと心配してるんだろうな。
と感じたからです。
そして、今週に入ってから、もうどこも直ってると思っていたのに
駐車場の地面が、まだ波打ってるのを見たからです。
これは誘拐図ではありません。
あの時、こんな事をしてました。
このやぎが、えさを口にした瞬間、地面から湧き上がる爆発音。
この日は、戦隊シリーズのマジレンジャーを見に行ってたので
一瞬効果音かと思いました。
でも、本物の爆薬くらい大きな音だったんです。
この音の5~10秒後くらいに、ひどい横揺れ。
え?何何?と立っていられず、しゃがみこみ、小屋から離れました。
でも、周りの人も、あっという間に動き出し、
おかしな様子といえば、
やきそばなどを買おうと思って園内のお店に行っても、
「火が使えませんので、やきおにぎりしかできません」との事。
携帯で電話してる人の話しでは、震度6??
え?もしかして、ここのこと?
いやあ・・ここは震度4くらいじゃないか?小屋も崩壊しなかったし・・。
何より、ショーも30ぷん遅れで始まったので
なんとも思わず、ショーをみてすごしました。
のんきに過ごして、ショーが終わると
(ここではいつも乗り物には乗らずにショーだけで帰ります)
車に乗り込み、いつもどおり帰ろうと思ったら
「都市高速通行止め」やっぱりおかしいよ。って思いラジオをつけました。
しかも、道がうねっています。
事の大きさに気づいたのはこのとき・・。
「凄いんだよー。」って教えようと思って
実家に電話したり、マンションの友達に電話しても、
全くつながりません。
偶然実家につながり、親戚からも電話があったそうなので
全部無事と連絡してもらうようにしました。
この間の2・3時間。きっと親や親戚の方はずっと
電話してすごしたでしょうし、連絡は一切取れないし
心臓がバクバクしていた事でしょう。
テレビで流れる映像は、ひどい所が多かったでしょうし・・。
こんなとき、コンビニで食料を手に入れる人が多いのですね。
寄ったら、お弁当やおにぎりは、ひとつもなくて
カロリーメイトと飲み物しか買えませんでした。
このとき、これからしばらく何も食べれず、お風呂も入れず
避難生活になるのかもしれない。と思い込んでいました。
家に帰ると、
まず最初の部屋もこんな感じでした。
電気をつけたくても、タンスが動いてスイッチに手が届きませんでした。
リビングに行けば、棚が崩壊していました。
ちょっともろい棚でしたけど・・。
冷蔵庫も、タンスも本棚も全て、南にずれていました。
倒れていなかっただけ良かった。
食器棚は、15枚くらい食器が割れていました。
やっぱり震度6って、家にいたらいろんな物が落ちてきて
物が壊れて、見ていたらほんとに怖かったんだろうなと思いました。
1ヶ月後に起きた余震では、家にいたのですが、
この棚が飛び出したのと、寝室のテレビが落ちました。
1年以上経っても
こういう事って鮮明に覚えているものですね。
精神的ショックで、子供の心のケアが必要な場合ここに
連絡してください。という紙を幼稚園でもらいましたが、
もうすっかり忘れているようで、良かった・・。
急に思い出しました。夏休みで帰省して、遠いと心配してるんだろうな。
と感じたからです。
そして、今週に入ってから、もうどこも直ってると思っていたのに
駐車場の地面が、まだ波打ってるのを見たからです。
これは誘拐図ではありません。
あの時、こんな事をしてました。
このやぎが、えさを口にした瞬間、地面から湧き上がる爆発音。
この日は、戦隊シリーズのマジレンジャーを見に行ってたので
一瞬効果音かと思いました。
でも、本物の爆薬くらい大きな音だったんです。
この音の5~10秒後くらいに、ひどい横揺れ。
え?何何?と立っていられず、しゃがみこみ、小屋から離れました。
でも、周りの人も、あっという間に動き出し、
おかしな様子といえば、
やきそばなどを買おうと思って園内のお店に行っても、
「火が使えませんので、やきおにぎりしかできません」との事。
携帯で電話してる人の話しでは、震度6??
え?もしかして、ここのこと?
いやあ・・ここは震度4くらいじゃないか?小屋も崩壊しなかったし・・。
何より、ショーも30ぷん遅れで始まったので
なんとも思わず、ショーをみてすごしました。
のんきに過ごして、ショーが終わると
(ここではいつも乗り物には乗らずにショーだけで帰ります)
車に乗り込み、いつもどおり帰ろうと思ったら
「都市高速通行止め」やっぱりおかしいよ。って思いラジオをつけました。
しかも、道がうねっています。
事の大きさに気づいたのはこのとき・・。
「凄いんだよー。」って教えようと思って
実家に電話したり、マンションの友達に電話しても、
全くつながりません。
偶然実家につながり、親戚からも電話があったそうなので
全部無事と連絡してもらうようにしました。
この間の2・3時間。きっと親や親戚の方はずっと
電話してすごしたでしょうし、連絡は一切取れないし
心臓がバクバクしていた事でしょう。
テレビで流れる映像は、ひどい所が多かったでしょうし・・。
こんなとき、コンビニで食料を手に入れる人が多いのですね。
寄ったら、お弁当やおにぎりは、ひとつもなくて
カロリーメイトと飲み物しか買えませんでした。
このとき、これからしばらく何も食べれず、お風呂も入れず
避難生活になるのかもしれない。と思い込んでいました。
家に帰ると、
まず最初の部屋もこんな感じでした。
電気をつけたくても、タンスが動いてスイッチに手が届きませんでした。
リビングに行けば、棚が崩壊していました。
ちょっともろい棚でしたけど・・。
冷蔵庫も、タンスも本棚も全て、南にずれていました。
倒れていなかっただけ良かった。
食器棚は、15枚くらい食器が割れていました。
やっぱり震度6って、家にいたらいろんな物が落ちてきて
物が壊れて、見ていたらほんとに怖かったんだろうなと思いました。
1ヶ月後に起きた余震では、家にいたのですが、
この棚が飛び出したのと、寝室のテレビが落ちました。
1年以上経っても
こういう事って鮮明に覚えているものですね。
精神的ショックで、子供の心のケアが必要な場合ここに
連絡してください。という紙を幼稚園でもらいましたが、
もうすっかり忘れているようで、良かった・・。