質問者:ハイル禅師 源頼朝と義経はなぜ決定的に
決裂したのでしょうか?
私:頼朝と義経は父は同じでも腹違いで年齢も離れており
平治の乱で父の義朝が敗死した時は義経は乳飲み子で
すぐ鞍馬山に預けられ頼朝は伊豆に流されました
互いが別々の環境で育ち顔を合わせる事もなく
母親違いの兄弟でもあり普通の兄弟のような情や絆は
ありません
頼朝は地方武士の社会で揉まれ乍ら政治家として成長したが
身寄りのない義経は心は純粋でも天狗が憑依した影響もあり
自我と自己承認要求が強い傾向があった
また義経に天才軍略化の資質はあっても政治に無頓着であり
特に無断任官問題は鎌倉政権の根幹を揺るがす事案にも
関わらず勝利の功績の大きさにより特別扱いされると勝手に
解釈したのです
だが頼朝(鎌倉殿)の権力基盤は御家人との主従関係にあり
敵を打ち取った恩賞を頼朝から与えられる仕組みです
頼朝の許しもなく朝廷から勝手に御家人が褒美を貰うと
主従関係が破綻する訳である
後白河法皇の姦策と義経の政治的感覚の鈍さが相まって
徐々に義経自身を追い込みましたが頼朝は義経のカリスマ性を
非常に恐れたのも討伐を下した理由でしょう
要するに有能過ぎる狩りを終えた危険な猟犬を始末した方が
政権運営に後顧の憂いがないのも自然な考え方なのであります