質問者:ハイル禅師 宗教とハイル禅師語録の違いは
何でしょうか?
私:各宗教は霊的に高次な教えをいくつか含有してはいても
宗教のドグマや教条主義なども全てが神の言葉の規則として
束縛し教義として受容することを信者に求めます
つまり思考の自由も魂に響く事を選ぶ自由も
教団サイドの嘘や的外れを除外する自由も
何を信じ何を信じないかを選択する自由すらない
宗教指導者達は長い間平等や隣人愛などの迎合しやすい
真理を呼び水として大衆を引き付けてきたが その理由は
教団側の魂の成長を阻む手前勝手な付け足しの規則に
関心がない人達が多かったからである
要するに無思慮に信徒となり教会側の叱責を恐れ
神の言葉だとされる内容を教会側に問い質す勇気もなく
導かれると自分の意志を放棄し古書の規則に従うようになる
だがこういうドグマや締め付けは時代遅れであり
霊的には信徒は頭に枷を付けて締め付けられており
悪い指導者の元では神の言葉の代弁者の意のままに
操られて集団自決や狂信に向かう事もある
ハイル禅師語録は現存する全ての宗教・哲学・イデオロギー
に内在する嘘に混じった真実の内 私自身の御魂で真実だと
審神し進化に役立ちそうなモノをこっちからあっちからと
少しづつ選び取って整理統合し一般の読者に敷衍しており
枷が付かないから超宗教の所以と言える訳であります