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日々くさぐさヨキリサ

毎日のいろいろな出来事、思うこと、思い出されること・・・少しずつ綴ってみます

担任の先生は選べない・・・

2010-07-27 | 思い出すこと
先日、私の骨折の具合やいかに? と
息子家族が 帰ってきてくれました

小学校2年生の孫がいます

「○○子は担任の先生と うまくいってる?」 と
深い意図があったわけでなく お母さんに聞きました

「それが・・・」
どうも 上首尾ではないようす

              

・・・思い出しました
私 小学校最初の授業のことです

前後の経緯は覚えていませんが
「自分の名前を書きましょう」と言われました

それで 私は迷うことなく
漢字で書きました

それを見た担任の先生は
「漢字で書きなさいとはいっていません
   ひらかなで書きなさい!!」

すごく傷つきました

たった それだけの事なのに
執念深く いまだに覚えています

小学校3年生の時

父におんぶされて歩いていると
お月様が同じ方向についてきます
それを詩のように 文章にしました

宿題でもないのに 担任の先生は 
とてもほめてくれて 
みんなの前で 読んでくださいました

それ以来 詩を書くことが好きになりました
勿論 担任の先生も好きになりました

       

担任の先生は選べないんですね
先生の一言が 子供の一生を左右することも・・・

最近は【モンスター・ペアレンツ】の言動で
先生のほうが つぶれてしまうことも多いとか

今も昔も
人と人の出会いは難しいものです




コーヒーのかおり・・・

2010-05-17 | 思い出すこと
友達のブログに、コーヒーの豆を挽く・・・
というお話が 綴られていました。

私の記憶の中で
もう、遠くにいきかけていた
父の思い出を 蘇らせてくれました。

父はコーヒーミルで、ゆっくりゆっくり
豆を挽き コーヒーを飲ませてくれました。

実家に立ち寄った折
狭い家でしたから、玄関を入った途端に
コーヒーの香りに包まれます。

その一瞬に ほっとしたものでした。

父が、私の立ち寄る時間に合わせて
コーヒーを立ててくれていたのです。

コーヒーミルは私が学生の頃
買って使っていたものでした。

父はそのミルを使って
自分でコーヒーを立てて、楽しんでいました。

そして、コーヒーのお好きなお客様には
お話をしながら
ゆ~っくり  ゆ~っくり

話の邪魔にならないように、豆を挽いて
飲んでいただいていました。

その、お客様の中のお一人の方が
父が亡くなった後
「あの、コーヒーミルをいただけませんか?」
   ・・・と

その方には、豆を挽く父の姿が
思い出として、強く残されたようでした。

もとは、私の使っていたものでしたが
父のぬくもりを残す
大事な形見のひとつ、と思っていました。

でも・・・
父を慕って下さっていた方だから・・・

使っていただけるのならばとお譲りしました。

その方も、まだまだお若いのに
一昨年 逝かれました。

あの世とやらで
ゆっ~くり、コーヒーを飲みながら
私たちのこと見守ってくれているのでしょう。

あの、だるまさんの形をした
エンジ色のミルは、今、どうしているのでしょう??

そして、懐かしい思い出の中に浸らせてくださった
コーヒーのブログの
ジョンキーさん ありがとう!!

山羊と雨と私

2010-04-09 | 思い出すこと
家の近くに、放置された空き地がありました
草ぼうぼうの空き地でした         


何の木だったでしょうか、大きな木が一本ありました
いつの頃からか、その木に山羊がつながれるようになりました

もう、随分昔のことです
山羊を飼い、乳をしぼって飲む・・・

そして、望む人があれば、山羊乳を分けてあげる
我が家は、その分けていただく家でした

ある日
夕立が・・・

山羊さんは、雨に濡れています
私は急いで傘をさして駆けつけました

あちこちと動きまわる山羊さんを追いかけて
濡れないように、傘を差しかけてあげたんです

でも、彼女にしてみれば
さぞかし、私は邪魔だったでしょうね
行こうとする先々を邪魔されて・・・

先日、「角を折られた山羊」のニュースがありました
何んということを・・・

そして、子供の頃の自分を思い出したのです
大橋さん家のやぎさん、ありがとう         

角を折られたやぎさん、がんばれ




たくさんのお友達を作る方法

2010-03-07 | 思い出すこと
ずいぶん昔々~~
この顔にシミもシワもなかった頃

今も出版されていますが・・・
昔は真面目な週刊誌でした・・・週刊朝日

可愛いうさぎの写真が、表紙だったことがありました。
私が飼っていたうさぎにそっくり・・・

そのことをチョコチョコと文章にして・・・出しました。
私、16歳の高校生

ラッキーなことに、その文章が掲載されると
(内容は覚えていません・・・)

次々に同じ年頃の方からお手紙が・・・ドサッと
中には写真入のものまで。

たくさんのお友達が、いっきにできました。

長い期間、文通が続いたのは3人
お会いしたのは2人・・・男性、女性一人ずつ

お一人、宇都宮の男子高校生
お一人、岡山市の女子高校生

今は文通なんて言葉は聞きませんが
当時は、メルトモならぬ【ペンフレンド】なんて言葉が新鮮でした。

このペンフレンドが今の主人です~~なんて事にはなりませんでした。
ざ~んねん

手紙が束になって配達されてくるような経験・・・もう、ないですね

それにしても・・・
週刊誌には住所まで掲載されていたのかなぁ~
・・・?

時代は変わりました

宇都宮の高橋さん、岡山の石井さん・・・
お元気ですか~~

このブログで再開できたらすっごい事ですね





父と図書館と私

2010-01-29 | 思い出すこと
図書館の、書庫の中に入った時の独特の匂いが、昔から好きでした。
その匂いが、今は父の思い出につながります。

父は、図書館に70歳まで勤め、生涯図書館人でした。
私は、その父にくっついて幼い頃から図書館通い。

今のように、警備会社があるわけではなく、毎晩男性職員が宿直と称して交代で図書館に泊まっていました。

私は、父の宿直の日が楽しみでした。
図書館と我が家は、子供の足でも五分程度・・・

私は夕ご飯を済ませると、父のお弁当を持って図書館へ。
そして、父がお弁当を食べ終わるまで、図書館内の探検。

今考えると、女の子が一人で暗くなった誰もいない図書館のあちこちを探検・・・私って、度胸があったんですね。

一番に行くところが書庫でした。
私がお弁当を持っていった時、父はいつも書庫で調べ物をしていました。

「おとうちゃん!! おとうちゃん!!」
「は~~い、ここですよ}

声を見当に、私は書庫の中に・・・そして、書庫独特の本の匂いが私の身体をすっぽりと包んでくれて・・・。

父に聞いたことはありませんでしたが、きっと父も、この書庫の匂いが好きだったのだろうと思います。

そんな父の姿をみて育った私もまた、司書の仕事を選びました。

ふかし芋

2010-01-19 | 思い出すこと
昭和30年代の切ない思い出です。

幼友達のTちゃんのお家に遊びに行ったときのことでした。
彼女の家は農家でした。

お台所のちゃぶ台・・・(円形の食事机)の上に
たくさんのふかし芋が、竹ザルにいれて置いてありました。

友達は「芋かぁ~~」といって、せっかくのおやつに手もつけません。
その時の恨めしかったこと

我が家は農家ではなかったので
ふかし芋が山のように・・・ということはありえないことでした。

昭和30年代の小学生・・・
今のようにおやつがあることが当然という時代ではありません。
一円で大きな飴玉が2個買える・・・それが嬉しいおやつでした。

友達の家では、朝、ふかし芋をたくさんこしらえて置いて
お腹が空いた家族が、いつでも自由に食べられるようにしていたのです。

だから、Tちゃんの口から「芋かぁ~~」という言葉がでたのです。
でも、私にしてみれば、「K子ちゃん、食べよう」って言ってくれたら・・・
と恨めしく思ったものでした。

彼女の家の縁側の下には鶏がいて、時に白い卵が転がっていることがあったり
広い台の上に、ふかし芋を薄く切って干し芋を作っていたり・・・
この干している、まだ柔らかいお芋が、またまた素朴で美味しかったですね。

食べ物の恨みはいつまでも・・・のお話でした

後日談
この思い出話に、Tちゃんは逆に
「K子ちゃんの家に遊びに行ったら、紅茶やバターがあって羨ましかった・・・」

無いものねだりは、いつの世もあるものなんですね。
でも、やっぱりあの時、ふかし芋をお腹一杯食べてみたかったなぁ~~
そのせいでしょうか?? 私が、畑のある家に嫁いできたのは




いわさん

2010-01-15 | 思い出すこと
もう、随分前のできごとです。

実家のある地域に、お魚を売りにくる「いわさん」と言う方がいらっしゃいました。
ただ、「いわさん」ということで、フルネームは存じ上げません。

病気がちであった母が、危篤状態になりました。
それを聞いた「いわさん」が病院にお見舞いに来てくださいました。

でも、もう面会は出来ないことを伝えられた「いわさん」は
病棟の入り口で
「○○のおくさ~~ん!! 良くなってくださ~~い!! 待ってますよ~~!!」

とても心に沁みるお見舞いでした。
母に「いわさん」の気持ちはじゅうぶんに通じたことと思いました。

それから、まもなく母は亡くなりました。

今から50数年前、私が中学2年生の夏のことでした。