ホリコは今…

見たり、聞いたり、感じたり、そんなものを何かに綴って残したい、そう思うこの頃です。

宮古~釜石~陸前高田~南三陸 (津波から4年半)

2015-09-29 23:24:56 | 日記
   2015年9月
   夏の終わり
   旅の締めくくりは
   やはり 東北

《宮古・三陸鉄道》
  田老へ行きたいんですけど? 
    次の列車は 50分後です
  海岸までタクシーでいけますか?
    タクシーなんて無いですよ
  観光できますか?
    観光地なんて無いですよ 何も無いです

  愚かな質問に
    呆れ顔の若い女性の駅員さんの回答は明快

《田老の海岸》
  (釣りをしている男性二人)
    会社はあっちにあったけど 流されてしまった
    半年間はボーッとしてしまってたね~
    悲しい?
    悲しいなんてなかったよ
    そんな気持ちなかったね 全部流されてしまったんだから
    何も無くなってしまったからね~

《釜石の旅館》
    松林を抜けて浜に出る
    今宵は満月・中秋の名月
    ザブ~ン ザブ~ン
    波の音が 闇をつく

  翌朝
  宿の女将さんが語る「津波体験」
  従業員が撮った映像が映し出される
   “早く 早く 早く ワア~ キャ~ お母さ~ん 早く 早く ‥‥”
  テレビなどで放映されない“生の悲鳴”に息をのむ
  娘さんを亡くした女性は
  「あと何年生きられるか分からないけど 娘がやり残したことをやりたい」
  「資格を取らないと…60歳だけど 負けたくない」

  女将さんは
  「次の世代に受け渡すことは“心”だと思う」
  「美しい故郷を残す役割をしたい」

  そして最後は
  『 Still we live with the sea 』

《陸前高田》
 目標はもちろん“奇跡の一本松”
 奇跡的に残った一本の松
 しかし それも枯れ…
 残そうという運動が始まり 寄付金も集まり
 同じ場所にモニュメントが作られている

 駐車場内には観光物産施設が建てられ飲食店もできているが…

 土砂を運ぶベルトコンベアが
 まるで何かの要塞を造るかのように 張りめぐらされ
 建物はまだまだ…
 復興の見通しは???

《南三陸町防災対策庁舎》
 「大津波警報が発令されました。高台に避難してください」
 マイクを握り 呼びかけ続けた遠藤未希さん
 「ただいま 津波が襲来しています 高台に避難してください」
 ‥‥‥‥‥
 鉄骨部分が残る防災庁舎
 遠藤未希さんの声が聞こえてくるよう

 この鉄骨の建物の 屋上を2mも超える津波だったとは!


被災地を巡る旅が終りました。
今回も、深く重く考えさせられる旅でした。

友人のM・Tさん
 企画、手配、運転、等々
 全てお世話になってしまいました。
 ありがとうございました。
 そして お疲れさまでした。