親友に捧げるDuo

2018-10-05 | 音楽
今年の4月に芸大時代からの知り合いのヴァイオリニスト、硲美穂子さんと芸大では1年下で名前は覚えていた程度の付き合いだったN響のヴィオラ奏者中竹君とトリオやデュオのコンサートがあった。その折に編曲したモンティのご存知チャルダッシュやシューベルトの「魔王」、ドヴォルザークの「スラブ舞曲」「ユーモレスク」が2人にとっても気に入ってもらえた。
中竹氏とは初めての共演だったが、さすが1流オケで練られた技術と経験が感じられる素晴らしいヴィオラ奏者だ。

その折に中竹氏から、来年N響の同僚ヴァイオリニストと久々にデュオリサイタルを開くので何か編曲してもらえないかと頼まれていた。何がいいかな?「魔王」をDuoに書き直すのはさらに難易度が上がって面白そうだなと考えながら机に向かったが、最近とんと作曲していないことに気づいた。

何か書くにはヴァイオリン、ヴィオラのDuoはチャレンジングだと気が変わった。数年前に弾いたフランス人作曲家マントヴァーニのヴァイオリンとチェロの超難曲も思い出したし、もちろんラヴェルの名作ヴァイオリンとチェロのソナタもある。この分野はまだまだ書ける可能性が残っている気がする。

そこで思い浮かんだのが、先月60代半ばの若さでなくなった親友のことだった。この曲は彼に捧げるために書こうと決めた。
題名は親友の死を悼んで、

Andante Mestoに決めた。

少し葬送行進曲めいた楽想を使った2分の2の音楽を書き始める。途中から2個の楽器の重音の積み重ねによる進行の音楽、もう一つ新たに素早い6連符の2声の単音による音楽ができて来たのだが、この3つの楽想をどうやって融合してゆくか、まだ考えがまとまっていない。6連符の方は以前「リチェルカーレ」で使った、音程関係が長短2度、3度を超えない小さい音程関係で上下する音列の作り方を使った。重音の方もこの方法を縦に使ってこちらは大きい音程である6、7度の重音の積み重ねである。

書いているうちに気づいたのだが、6連符の方はこういう音程の連続の速い音形は大変難しいということだ。「リチェルカーレ」でもいくらさらっても弾けなくて、書いた自分が嫌になったがそれと同じなわけだ。それに気づいて筆が止まった。中竹君にこれ無理ですよ、と言われる情景がまざまざと浮かんだ。

例によって3日間くらい続けざまに書いたが、出来上がらないうちにほったらかしになったままもう数週間が経ってしまった。もともと作曲は頼まれていないので自分も弾けるように後でヴァイオリンとチェロ用にも書き直そうと思っている。
ヴァイオリン、ヴィオラのデュオの編曲は「魔王」のほか冬の旅の中から「菩提樹」とかがいいかなと思っている。ついでに好評だったチャルダッシュ(自分も結構気に入った出来だった)も結構楽しそうだ。

友人の死

2018-10-05 | 東京日記
ひとりごと

もう、ひと月以上前の話になるが僕が心から尊敬していた友人が亡くなった。僕の人生の中でも最大級に貴重な親友だったが、付き合いはそう古く無い。彼は洗礼を受けたキリスト教徒だったが、のちに浄土真宗の僧侶になった。初めてあった時から仏教の話からキリスト教、親鸞、サン=テグジュペリ、宮沢賢治、グリム兄弟と話題が尽きなかった。

知らせがあったのがフランスの家に帰る前の日だった。飛行機をキャンセルして葬儀に行こうかとも思ったが、飛行機代もバカにはならないし、少し考えてみると彼は自分と同じで、そういう形式的な事を重んじるタイプでは無いのであえて葬儀に参列するより、心から彼の死を悔やむことの方を選んだ。ご家族には知らせを受けた時すぐに電話で話した。

彼とは家族ぐるみの付き合いで、先日四国の彼の家にお線香をあげに行って来た。奥様と息子さん、2人の娘さんにお悔やみを述べられてやはり心が少し落ち着いた。

もう一人、リヨンのオーケストラで長年一緒だった日本人の女性ヴァイオリニストもつい先日亡くなったと知らせがあった。彼女は60年代の東京で、女性だけで構成されたヴァイオリン主体のアンサンブルを結成して、クラシックからポップスまで幅広い演奏がヒットして、テレビや週刊誌などでかなり取り上げられた経緯がある。

その忙しさとストレスに疲れ果て、リヨンのオーケストラにやって来てそこが安住の地となった。カトリックの洗礼を受けた彼女の葬儀はフランスで今日執り行われるが、たまたま日本滞在中の家内も、僕も参列できない。葬儀で読み上げられる短い文を昨夜家内と必死で書いてメールでフランスに送る。今回も遠くから祈ることになった。


年とともに知人の死の知らせを受ける事が頻繁になってくるとはよく聞くが、実感として感じる今日この頃。