厳しい2週間

2011-01-30 | 音楽

「ウエルテル」のプルミエが先週あって、その後昨日のコンサートの練習が重なって、2週間とても忙しかった。
パリに1月2日に出かけて公演。14日に帰ってきてからすぐに「ウエルテル」。

今月はほんとに忙しかったな。仕事柄とは言え年末年始全く休み無しでちょっと油が切れかかってきた。フランス人の口癖じゃないが「私にはヴァカンスが必要だ」。

日本だったら仕事場で「休みたい!」と公言する人はいないんじゃないかと思うが(いやよく知りませんが)、何事も自分が中心のフランス人は「私は」休みが必要になるんですね。

コンサートはHPに書きかけのバルトークの「オーケストラの為の協奏曲」のほか、「パリのアメリカ人」、バーンスタインの「セレナード」、リゲティ「フルートとオーボエの為の協奏曲」

大野和志さんが振る予定だったが体調を崩されて急遽変更になりJonathan Stockhammerが振る。なかなか厳しいプログラムでおまけに指揮者の変更のせいで練習時間がたりない。バーンスタインには一箇所とんでもなく難しいパッセージがあった。やっぱり弾けなかった!!!


音楽界の巨人 吉田秀和

2011-01-25 | 音楽

朝日新聞に吉田秀和さんの随筆集が完成したとの吉田純子さんの署名記事が出ていた。

まだご健在であられるのが何よりうれしいがこの方の書くことに今まで何度共鳴したことか。口幅ったいようだが、Le MondeやFigaro、はたまたこちらの評論家の文章も結構読んでいるが、これほどあらゆることに精通し、(それは音楽に限らず芸術全般、絵画から古今東西の文学にまで及ぶ博識さだ)鋭い洞察力と厳しい批評精神を持ちながら、しかし平易な文章ではっきりとした意見を書ける音楽評論家は世界にもそう多くないと思う。最近読んだ中では武満徹の対談集「ひとつの音に世界を聴く」の中の対談者であるが、69年か70年頃だから40年も昔のことになるので、まだお若いというか57歳、僕の今の年である。

この中で武満が現代の音楽のあり方、はたまた作曲家としての姿勢のようなものに、大きな疑問を投げかけている部分があるが、(武満はこの本の中で西洋音楽は今、死に絶えかかっている。僕らはそれを乗り越えた新しい領域で音楽を作っていかねばならぬ、といったような悲観論が根底にある)吉田さんはその疑問には直接答えず、なんと言うか、実に見事にさりげなく若い武満徹をそれとなく励ましているのに感服した。引用しようと思ったがいま時間がないので次に譲る。

この記事はこんな文章で終わっている。

音楽の力を、いまいちど素直に信じたい。新著はそんなみずみずしい宣言にも映る。

「音楽の未来は大丈夫なのか、なあんて聞かれることがあるけれど、音楽がなくなることなんてない。だって音楽は、何万年も何千年も人間と一緒に歩いてきたのだもの」

「音楽評論の世界に、若い優秀な人がたくさん育ってきて、うれしい。でも、もっと音楽と自分を連ね、演奏家のいいところをみつ けて、色々な人を音楽に近づけてあげてほしいなあ。クラシックは特別なものじゃない。かつて母親と一緒に歌ったような、日々の暮らしのなかに息づくものな んだ、と」

このあけすけで素直なオプチミスムが吉田さんの
首尾一貫したCredo(信心)なのだと思う。


何もそんなに深刻にならなくったって、今聞こえてくる音楽を楽しもうじゃないの。
すばらしい音楽はそれだけで何も説明も解釈も必要ないのよ。
ただ無心に聴いて喜びを分かち合いましょうよ。

そんな風に言っているように思える。
仏教的な寛容というか、懐の深さ、そういうものが感じられる。

ヨーロッパに住んでいるとこの「寛容」(tolerence)というものの巾の小ささに、
時々息詰まる思いをよくする。知らないうちに自分もそうなっている。たぶん。
オーケストラが危機だ、文化の危機だ、
何々をすぐ改革しないと、××になる。急がねばならぬ!

世の中インターネットもマスメディアも皆狼少年化している。

そういう現代人を、97歳の長老はそっとやさしく諭してくれているんじゃないだろうか。

 

 


レオポルド ハーガー

2011-01-21 | 音楽

一昔前、ザルツブルグ モーツァルテウム合奏団の指揮者で名をはせていた
レオポルド ハーガーが今マスネの「ヴェルテール」の指揮できている。

10年位前にも一度「フィデリオ」を振ってよかった記憶があったが、
今回は予定されていた指揮者の代役で急遽きてもらった。
「ヴェルテール」ははじめて振るそうでオーケストラは去年、
一昨年とレコーディング、日本ツアーで曲は知り尽くしているが、
指揮者たっての願い?で3回のオケだけの練習がパリであった。

初めのうちはなんだかモタモタしたワーグナー風な響きだった。
それはそれでちょっと面白いかなとも思っていたが、今週から舞台稽古で
音楽になれてきたら次第にというか見る見る変わってきた。
フランス語は全くといって出来なくて、歌のパートもほとんど
歌詞をつけて云えない。どこからとか歌手に言うときは楽譜を見ていない
歌手にはセリフで云うのが一番手っ取り早いが、それもおぼつかない。
棒もへたくそな部類。

だが、いいのである。

音楽が。

余計な事を付け加えない。譜面に書いてあることを
忠実に(まあそれだけで残りは何もない指揮者もいますが)、
しかし鋭く音楽の本質を見抜き自分の音楽の世界をはっきりと作ってしまった。

いまどき本当に珍しくなったが、ハーガーさんは歌手に
適切な注文をつける。
知らない方は驚くかもしれないが、コンチェルトやオペラで
ソリストに注文、場合によっては苦言、ああせい、こうせい、
そういうことを言う指揮者は今どきほとんどいなくなった。
みな、及び腰でソリストの機嫌を損ねないように、猫なで声だ。


たぶん、ちょっと重たくてフランス的ではないだろう。
オーケストラもいまいち正確さにかけているだろうと思う。

が、CDにすっかり毒されてしまった正確なだけで、
他に何もない音楽ばかりの昨今、救われる気がする。

 


バルトーク「オーケストラの為の協奏曲」  

2011-01-16 | 音楽


今回はバルトーク最晩年1943年作の、「オーケストラの為の協奏曲」。1940年バルトークはナチスドイツの圧制から逃れアメリカに亡命したが、アメ リカの生活にはなじめなかった。しかも白血病を発病し経済的にもかなり逼迫していて不遇な晩年をおくっていた。そんな中ボストン交響楽団の音楽監督セルゲ イ・クーセヴィツキが手を差し伸べて、作曲依頼をして書かれたのがこの曲である。アメリカの聴衆をある程度意識してかハンガリー風の主題をふんだんに使い つつも、インテルメツォでは当時ブロードウエイで人気を博していた同国人、レハールの「メリーウイードウ」のテーマを、ニューヨークの車のクラクションを 交えて出したりしている。 この曲の題名はもちろん、ボストンシンフォニーの各セクションの秀逸さの聞かせるための配慮であろう。しかし弦楽器に関しては ソロは一切ない。代わりにかなり技術的な各セクションのソロが随所に出てくる。

今回はその中でももっとも難しい終楽章のコーダ部である。 チェロ以上の弦楽器セクションのポンティチェリの上下する動きが非常に興味深いパッセージで ある。僕は第3四重奏曲のコーダで使ったテクニックに非常に似ていると思う。 真空管ラジオをチューニングしているときに入るいろんなノイズ、時おり遠く から聞いたことのあるような音楽の片鱗が聞こえてくる。そして同調。一挙にビッグバンドの高らかなファンファーレ。ここの音楽はそんな感じに聞こえる。楽 譜はそのファンファーレの部分だが、明らかにジャズのハーモニーだと思う。

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なぜオペラコミックなのか という話

2011-01-10 | 音楽

他のサイトでオペラコミックという名はどうしてという質問があって、
それを書いたらこんなに長くなってしまった。

せっかくだからこちらにも転載しました。いつもと違って「ですます」です。
興味のある方はどうぞ。

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どうしてコミックかというと、sérieux(セリア)の対語としてなんだと思います。
Opera comique と Opera seria ということです。
それでここからがちょっとウンチクをたれることになりますが、
オペラセリアとは19世紀前半まであった厳格なオペラの形式で、
通常ソプラノ リリコ(Lirique)、テノール、カウンターテノールなど、
厳格な教育を受けたプロの歌手が歌うものだったのです。
特にバロック期のイタリアではカウンターテナーはカストラといって
少年のうちに去勢して特別訓練した歌手たちが大流行だったようです。
オペラセリアの特徴はカウンターテナーが入っている事といっても、
まず間違えありません。
モーツァルトのオペラも、「イドメネオ」や最後に書いた「チトの慈悲」以外は
ほとんどコミックオペラです。
イタリアではOpera Buffaといいますが、必ずしも「コミック」なオペラとは限りません。
「ドンジョヴァンニ」も内容はシリアスにもかかわらず書き方はブッファです。
フランスでもイタリア語のBuffaを使って Opera Buffeという人もいます。

またレチタティーヴォがイタリアのブッファではレチタティーヴォセッコ(secco)
といってチェンバロで伴奏されますされますが、
セリアは通常accompagnato(アコンパニャート)といってオーケストラが弾くように
書かれています。
HPで以前書いたロッシーニの「オテロ」もセリアですが、
セリアでは通常題材の多くはギリシャ、ローマの神話からとったものです。

それがフランスのブッファでは、ドイツのジングシュピールのように、
レチタティーヴォは台詞になりました。だからカルメンもコミックな訳です。
カルメンは後から弟子のギローがレチタティーヴォを
書き加えてセリア風にしていますが元は会話です。

フランスでは19世紀に入ってからはオペラセリアは Grand Opera
と言われるようになってきて、ベルリオーズの「トロイ人」
などその例です。
こっちもいろいろ決まりがあって例えばバレーが必ず入らなければいけなかった。
これは当時のフランス上流社会の押し付けとでもいえるもので、
オペラは娯楽、社交場で歌がある間は話もあまりよくできないけれど、
バレーをやっている間にたっぷりとお話ができるというわけだったようです。


ワーグナーがパリでタンホイザーを上演するのに、バレーをわざわざ
書き加えなければならなかった話は有名です。
バッキャナル(バッカスの踊り)はだからパリ版にしかありません。

大分脱線しちゃった。

そういうわけで、パリでは(フランスでは)そういうグランオペラ以外の
型にはまっていないオペラは全てオペラコミックだったわけです。
あの「ペレアス」でさえも。
このグランオペラというのはその後ロシアでだいぶん繁栄しました。
例えば「オネーギン」なんかに大ワルツやポロネーズがありますが
これはフランスの流行を取り入れたものなわけです。

現在ではこういったフランスのグランオペラでは、
ストリーやドラマ進行上ほとんど意味を持たないのでバレーを省略する
ことが多くなってきましたね。

あっ、反対の例がありました。
「フィガロの結婚」がやっとウイーンで上演できるようにこぎつけたモーツァルトですが、
この時ヨーゼフ2世が出した条件は中に必ずバレーを入れるようにだったのですね。
おそらくフランスの流行の影響でしょうが、
貴族社会を茶化す芝居にわざと貴族社会の慣例を入れさせて、
骨抜きにしようという検閲当局の嫌がらせの意図もあったのだと思います。

モーツァルトは色々考えた挙句書いたのがあの2幕のフィナーレのファンダンゴで、
おまけに確かダンサーなしで音楽だけで上演したんだったと思います。
まあそこまで思いっきり反抗的だったモーツァルトも凄いですがね。


ビゼー「子供の遊び」

2011-01-08 | 音楽

パリのオペラコミック座で 今日僕の編曲した「子供の遊び」の演奏があった。

原曲はピアノの4手連弾曲。
それをリヨンオペラ座のミュジシャン6人のアンサンブル・アゴラの演奏。
編成は木管五重奏とハープ。
編曲を頼まれて書いたのはもう6年前だけれど、 やっと演奏してくれた!
14時半の本番は聞けないので今朝のゲネプロを聞きに行った。

ビゼーはカルメンやアルルの女ばかりが有名で、
この曲はピアノの連弾曲で地味なせいかあまり知られていないが、
あちこちに天才の片鱗が見え隠れする名品が12曲。
編曲していてあちこちに現れる大胆な和声法にびっくりした思い出がある。
ワーグナーもびっくりの様な。
36歳で夭逝したのが惜しまれる。

オペラコミックはカルメンやペレアスが初演された由緒ある劇場で、
19世紀の金のデコレーションが美しいこじんまりしたホールである。


今ここでプーランクの「チレジアズの乳房」という
おもしろい(コミックな)オペラを弾きにリヨンから来ている。


新連載 Mon Repertoire

2011-01-07 | 音楽


この連載では私が演奏してきた、又はこれから演奏するソナタあるいは室内楽曲を自分なりの感想も含めて解説して行こうと思う。
前半は作曲の背景、年代、だけではなくその他チェリストでなくても読んでおもしろい話をできるだけ盛り込んで工夫するつもりである。
コンサート会場のプログラムのように字数を気にしなくても良いのがインターネットの良いところだが、
思いつくままに書いていると脱線したり、間違えがあったりもするかもしれないので、その時はなにとぞご指摘のほどをお願いしたい

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パリの中華惣菜屋さん

2011-01-06 | フランス リヨン 

旅行中一番困るのが食事。

普段温野菜をたくさん食べているのでこれを調達するのが旅行中の最大の課題。

最近パリには中国人がすごく増えたが、むかしは惣菜屋さんが下町のどこにでもあったものだが、
その惣菜屋さんの多くが中華になっている。
ガラスケースに肉、魚、餃子、チャーハンなんでもそろっているが
野菜を茹でただけの物があってこれは嬉しい。
しかも、一時は安い中華レストランは化学調味料の味が凄かったが、
何故か惣菜屋さんのはまったく入っていないのか
少量なのか、あの独特のいやな味がしないので二重に嬉しい。

とはいっても、昔ながらのフランス料理の惣菜屋さんが中華に取って
代わられるのも少し複雑な気分だ。

中国人進出のもうひとつの特徴は街角のカフェ。
繁華街にある大きいところではなくて、カルチェの小さいカフェが
どんどん中国人経営に変わっている。
その昔は何故かオーヴェルニュから身ひとつで上京して来た
貧しい人たちの経営が多かったと聞いたが、時代は変わって
今は中国から来るのだ。

その他Sushiはもう眼を覆いたくなるくらいどこにでもある。
いまや押すに押されぬファーストフードと化したが、プラスチックケース
入りワンセットが10ユーロ前後、ひどい味、栄養的バランスは最悪。
高くてまずくて、健康に悪くて。。。
アレはほんとに詐欺に近い。

わはは、、、、
それをなぜだかフランス人は日本食=健康といいたがる人が多いのが不思議だ。

因みにホテルのそばの中華惣菜屋さんでは8ユーロくらいで、チャーハン、煮た野菜、
肉か魚の炒め物が店で座って食べられる。

 


新年の雑感

2011-01-02 | フランス リヨン 

2011年になった。今年も皆様にとって良い一年でありますようお祈りいたします。

友人からの年賀メールが届いた。
新しく入ったオケのメンバーの父親は自分より若いと知って
ちょっとショック?だったようだ。
うん、よく分かる。オケという所はそういうところだ。

僕のいるリヨンオペラ座は83年に創設された。
J,Eガーディナーは当時確か42歳。もともとの性格も闘争的挑戦的な人だが、
今考えれば42歳という若さでその性格も今よりもっと強かった。
僕は当時29歳。
全て新規に採用された若いミュージシャンばかりで、一番若かったバシストはまだ
16歳なので、給料を振り込む口座を開設できず、両親の講座が振込先だった。

そして月日は流れ21世紀に突入してからもう11年目になった。

若かったあの頃のミュージシャンたちも一昨年オケ始まって以来の定年退職者が一人でて、
今後次から次になだれ現象的に定年退職者が出てくることになる。

去年はヴァイオリンで二人新しく入団した。一人は24、5歳かな。
もう一人も同じかちょっと上。自分の子供の年より若い!
どちらもまじめな好青年である。いや、今の若者皆まじめだ。
一年間の研修期間中は特に。

家内に言わせるといいじゃないの。当たり前じゃない。ということになる。
そう。そのとおりだが、、、なんとなく上に書いた友人の気分なのだ。
どういう気分といって、どういう気分だろう。
なぜだろう。自己分析すると、多分兵隊はきついなという考えなのだろうと思う。
今年は出来れば兵隊家業から少しずつ足を洗って行きたい。

HPで別の雑感もあります。 こちらから お読みください。