クレモナのフリードマン作のチェロ 続き

2016-11-19 | 音楽
ベネディクト・フリードマン( Bénedicte Friedmann)はフランスのアルザス地方の出身。
年齢は当然ながら聞けないのでわかりませんが、大変美しい方です。

写真は、コンサートのあと、大変美しいパラツッオ トレッキで行われたレセプションでの撮影。
真ん中がベネディクト。左はヴィヴァルディのコンチェルトを弾く時に使ったチェロの製作者の、マッシモ・アルドリ(Massimo Ardoli)さん。アルドリさんの楽器もなかなか手応えのよい楽器だったが、バッハをひくための音を鳴りきらせるのに3日間ではちょっと自信がなかった。

フリードマンはドイツ系の名前だが、アルザス地方にはこういう名前の人がもともと多い。
シュライバー、シュミット、ベッケンバウアー、シューマッハー、ミュンツィンガー、こんな名前も珍しくない。
脱線を知りつつ言うと、知り合いのお肉屋さんもアルザス人でエールシュラーガー(油を叩く人)。
ところが、フランス語化しているのでこういう名前も、シュレベール、(シュミットは同じかな、)ベッケンボーエール、シューマシェール。ミュンツシンガーにいたっては大変面倒で、マンザンジェーみたいな発音になる。

話を戻すと、彼女といろいろお話をしているうちに、彼女はパリ郊外のコンセルヴァトワールでヴァイオリンとヴィオラを勉強したあと、ソルボンヌで音楽学(Musicologie)を専攻。ソルボンヌの音楽学科はフランスで唯一の音楽学が出来る場所で、かなりハードルの高いエリート校。

しかし、どうしたわけかは聞かなかったけれど、楽器作りになりたくてフランスのミルクールの国立楽器製作学校に入ろう決心。ところが、18歳の年齢制限があって諦めた所、クレモナの学校がまだ大丈夫とわかりクレモナの制作学校に入ったそうです。

この世界もちょっと音楽の世界と似ていて、早期教育が主流の場のようだ。クレモナでは中学をでた生徒達が、高校教育を受けながら楽器製作の勉強をしていて、16歳くらいから始める人が多い。

フランスでも、いわゆるアルティザンとよばれる、料理人、パティシエ、パン職人、家具などの工芸関係の職人の世界は、中学出から修行する事が多いようだ。昔はコンセールヴァトワールもそういう感じだったと思う。

またまた脱線。

フリードマンの楽器はクレモナで初めて弾いたときけっこう良いじゃん、とは思ったものの、これで3日後にバッハを弾くのはちょっと面倒だな、もう少し良い楽器がでて来て欲しいなと言うくらいの感触だった。
それをワークショップで調整し直してから、3日間弾いている間にどんどん変わってきた。
もちろん、楽器も弾いているうちに変化して行くし、弾いている方も、知らないうちに楽器に対応して行くものだ。
しかし相手はバッハなので3日間、結構必死でさらったのは言うまでもない。弾いているうちに、本番前の日にはいい感じになって来た。こうして、質の良い録音、録画で客観的に聞いて見るとこの楽器の持っているポテンシャルの高さがよく解る。

現在、この楽器は東京の某楽器店で販売されている。



クレモナのフリードマン作のチェロ

2016-11-18 | 音楽
9月にストラディヴァリの街、クレモナを訪れた。

ヴァイオリニストの柏木真樹氏からの依頼で、クレモナの楽器製作者の新作楽器のセットアップ(調整)のワークショップで出展された楽器を弾いてコメントして欲しいと言う事だった。
調整は島村楽器の茂木顕さんと柏木さん。

詳しくはこちらから。

このワークショップの最終日には出展楽器の中から楽器を選んでコンサートも依頼された。
会場はフレスコ画が大変美しい市内最古のサンタ・リタ教会である。

このとき弾いた映像が、こちら。
前半
後半

これは茂木さんが当日撮影してくれた映像。

このコンサートは、柏木氏の生徒さんなどで編成された9人による弦楽アンサンブルも参加し、
そのひとりひとりもクレモナの新作楽器を使用して演奏した。

さて、ワークショップでは初日に1台用意されていた楽器が結構いいなとの感触を得た。
翌日から他4台も加わって、あれこれ調整をして見ると、驚くほど良く鳴るようになる。
柏木さんと茂木さんの調整能力の高さに脱帽した。

そして、最終的に選んで演奏したのは初日に弾いた楽器。
その製作者はフランス人のベネディクト・フリードマン。
大変チャーミングな、毎日木を削っている労働者には見えない方であった。
フランス語で意思疎通が出来るので、楽器についてもいろいろ詳しく話が出来た。

僕にとっては、知らない楽器をわずか3日弾いてバッハの本番と言う、大変スリリングなコンサートだったので、
選び方はまず「弾き易さ」を最優先したが。
弾き易さを重視するのは決して悪い事ではなく、むしろ最重要事項である。

こう書いていて、ある事を思い出した。
それは、フルニエ、トルトリエが高齢になってから気温や湿度の影響を受け易いオールドイタリアンをあまり使わず、フランスの比較的新しい楽器を併用し始めたことだ。
フルニエはあの有名なMiremont(ミルモン)ーこの楽器はさる所で弾かせてもらった事があるー、トルトリエはMocotel(モコテル)を使っていた。

現在ではこの二つの楽器はかなりハイクラスの楽器に数えられるようになったが、フルニエがミルモンを使い始めた頃は(おそらく60〜70年代)、まだまだ知られていなかっただけではなく、値段も現在では考えられないくらい安価で学生用の楽器くらいに考えられていた。

以下続く