ゲンダイ音楽って言った? クラシック音楽ってなに? 音楽に境目を付ける事の愚かさ 1

2014-02-10 | 音楽
今回の佐村河内氏の事件、いろんなところからいろんな事がいわれているが、
やっぱりどうしても引っかかる部分が多い。
ネット上のいろんな意見も読んだが、どこか釈然としなくて、
ことあるごとにこの事件について考えていた。
リヨンのかつての僕の指揮者だった大野さんの意見等も紹介された。
なるほどと思わせる部分も多い。
他にも、この記事には同感する部分が多いが、僕の考えは少し違うというか、どちらも少し歯がゆい。
こちらの方は新垣隆氏のお知り合いの方のようで、
「クラシック」専門家の事情を良く説明されているが、問題の本質をそれほど掴んでいるようには僕には思えない。
これでは音楽の専門知識の無い方へのお説教だ。
この記事では、ますます専門家と聴衆の間の谷が深くなるだけではないかとの危惧さえ感じる。

なかなかまとまらない僕の考えを、この場を借りて何とかまとめてみる気になったので、よろしければおつき合いください。

身体障害をプロモーション化すること

今回の事件で社会的に一番大きい問題点は「偽作曲家」佐村河内氏が「全聾と偽った」事で、
スポーツ紙(いわゆるタブロイド系新聞)やテレビのワイドショー等(恐らく)ではこの部分が一番の関心事なのだろう。
僕が一番うんざりしている部分だが、一番問題の本質から遠いと思う部分でもある。一応の考えを書く。
こう云うことが起こる下地はもうかなり前から日本には存在していた。
身体的障害、生い立ちの不幸、等の「逆境」に立ち向かってそれを克服した「天才音楽家」というセールスパターンを作り上げ、
売り出し儲けたプロモーション会社が出現し、それに多くの人達が「共感」するという構図が出来上がった。
そういったプロモーションを展開して莫大な収益をあげた、マスメディアには怒りを感じるが、
それに共感して、CDを購入した人達、コンサートに足を運んだ人達を嗤う権利は、誰にも無いはずだ。
反対に共感者たちが「損害賠償」といってCDの返品を求めるのは、どこかお門違いだと思う。

思えば、日本の教育がそういう下地を一生懸命作って来た事にこそ、問題の原点があると言えるのではないだろうか。
二宮金次郎はあまりに古すぎるだろうが、野口英世やヘレンケラー等の「偉人伝」は
今でも小中学校の図書館に置かれていると聞いた。ベートーヴェンもアルコール依存症で暴力的な父親の教育という
「逆境」、それに加えて耳の障害という神話を言いたがる人は日本では多い。
(父親の暴力も難聴も誤りではないが、誇張され過ぎである)
本来こう言ういわゆる「偉人」の業績はこれらの「逆境」がある無いに関わらず評価されるべきもので、
そういう物語を前面に押し出して、偉人を称える教育は、はっきり言って間違いだ。
ついでに言えば、モーツァルトの神童ぶりを強調しすぎる事も、ある意味同じ事と言える。
僕たち日本人は、そうやって作り上げられた「美談」無くしていつしか、人の業績を評価できなくなってしまったのである。
身体的障害と言う逆境ををプロモーションの一部に取り込む事は、善意を装った「差別」ですらある。
フランスに長く暮していたが、かの地こういうやり方は一度も見聞きした事が無かったし、今後も恐らく無いだろうと思う。
おそらくキリスト教的発想が大きな要因であると思われる。
「同情」ほど卑怯な「差別」は無いのである。


ここまで書いた時点で佐村河内氏の謝罪文が朝日新聞に掲載された。
耳の障害についての氏のいっている事には真摯なものを感じる。
佐村河内氏とベートーヴェンの天才を比較するつもりは無いが、
ベートーヴェンも時に全く何も聞こえなくなったり、一時的に僅かに聴力を回復したりした事は、
真面目な研究論文等では知れ渡っている事柄である。
有名な「第9」初演時のエピソードはそういう研究によって、真実みをおびてくるのである。


まだ、僕の書きたい本題には入っていないが、とりあえず以下は次の機会に譲るとする。





何も解っていないメディアにうんざりの件

2014-02-08 | 音楽
こういうメチャクチャな記事が氾濫し出した。
笑い飛ばせばすむかとも思うけど、かといって放っておいていいんだろうかとイライラするのも事実。

『別の音大を出た20代の女性も「実際の作曲者が無名の場合、世に知れた音楽家の名前で曲が売られることはよくある」といい、
著名な先生に時間がないときなどにこうした“裏技”が使われると説明、今回の問題に驚く様子はない。』

誰のどういう曲のことを言っているのか知らないが、現代のいわゆる商業ベースにのらない作品は
「売り買い」されるような商品ではない。
例えばS氏とかY氏、H氏とかの曲だったらそういう事もあるだろうかとも思うが、、、
本当はこう言う伏せ字は嫌いだが、差し障りがあるといけないのでそうする。
3氏いずれも週刊誌記者でも知っている名前だとだけ書いておく。

『ある音楽関係者によると、バッハやモーツァルトでさえ本人が作曲したものと確証が取れていない“偽作疑惑”の曲が多くあり、
グレーゾーンにある名曲を大作曲家の作品として世界中のクラシックファンに聴き継がれてきた事実も否めない。』

『偽作疑惑』! 
これは穏やかではない。あたかもバッハやモーツァルトが人を騙したみたいだ。
これもまた週刊誌、ワイドショー用語の見苦しさ、聞き苦しさ。
「グレーゾーン」等というはなはだ誤解を招くような言葉を使う事がすでに何も解っていない証拠だ。


こう言う大作曲家は特に時代が古くなると、真作者が解らなくなっている曲が出て来る。
しかし、現在のミュージコロジー分野の研究は驚くほど進んでいて、バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンといった
超大家の研究はかなりな精度まで上がってる。
かつては解らなかったたくさんの事が日夜、科学的な方法で発見されている。
例えば、自筆譜の鑑定の為には、譜面のインクの痕がある一部を僅かに採取して、
炭素原子の半減期(って言うんでしょうか?)を測定して作曲年代を割り出すとか、そういう作業のほかに、
同時代の新聞や様々な書簡(本人のみならず、周りの多くの書簡も含めて)、場合によっては警察や教会、役所の記録
等をつぶさにあたるという、実に地味で根気のいる仕事だ。

以下は、バッハについて面倒でなければ読んで下さい。

バッハの場合はライプツィッヒのカントールに就任してから、毎週日曜日の礼拝の為のカンタータを150曲以上書いた。
毎週ですよ。その中には以前書いた曲を他の歌詞に当てはめて使い回した曲(これが本当のパロディの意味)がかなりの数がある。
例えば、有名なチェンバロコンチェルトのラルゴ
は、カンタータ(番号をおもいだせませんが)にも使われている。

他に、バッハの作曲と思われていた曲が、息子のカール・フィリップの曲と判明した曲とかもある。
さらにはバッハはヴィヴァルディ、マルチェロ、ヘンデル、テレマン等同時代の他の作曲科の曲を膨大にコピーして、
一部は編曲し直しもしている。(4台のチェンバロコンチェルトの原作はヴィヴァルディ、マルチェロのオーボエコンチェルトをオルガン曲に編曲など)
現在はこれらはバッハの自作曲に数えられてる。
勿論盗作ではない。現在のような著作権と言う概念が無かった当時は普通に行われていた事で、
バッハ自身も自ら足を運んだ事の無いイタリアの作風を学ぶ為の一環だったと考えられる。
記者氏は恐らくこう云うことをてきとうに誤解(不理解)して「偽作疑惑』等という馬鹿げた言葉を使ったんだろう。

カンタータの中には、もしかすると写譜や、和声充填作業(この言葉を理解するにはすでにある一定の音楽の知識が必要で、
恐らく記者には理解できないと思う)などのルーティンワークを、一部を生徒か弟子に仕事を手伝ってもらった事が
あったとしても驚くに値しないし、バッハの天才がそれによって僅かでも損なわれる事もあり得ない。
この部分をこの記事を書いた人は言っているのかもしれないが、
こう言う作業はコピー作業に近いものでそれこそ音大生でも出来る。

モーツァルトに付いても書こうと思ったが面倒になった。
所詮こう言う週刊誌ネタ、ワイドショーネタには向かない話題だ。
高度な専門知識が無ければどう説明しても解ってもらえない部分があるからだ。
どうしてもというなら、まずそれを5~6回のレクチャーで説明してから(多分みんな帰ってしまうでしょう)、
事実関係を説明しなければならなくなって来る。(笑)

専門知識と言うものは全てそうだ。

例えば去年話題になったIPS細胞とか、この前のナントカ細胞の話も、僕らは解っているつもりになっているだけで、
学者の方は一生懸命説明して下さるが恐らく同じ徒労感をお感じになっているだろう。

パソコンを使うのに、パソコンの仕組みからコンピュータランゲージまですべてを理解する必要がないように、
音楽も黙って、自らの心と感性に向けて聞いて下さるのが我々真面目にやっているプロの音楽家にとっては一番嬉しい。

と言う訳で結論めいたことを言わせてもらうと、ワイドショー、週刊誌はお願いだからもうこの話をするのをやめて欲しい。
こうやって、間違った情報、知識を布流されて一番困るのは我々職業音楽家だ。特に新垣氏は大変気の毒だ。



反原発で結束しませんか

2014-02-05 | 東京日記

僕は多分、政治心情的には中道左派の左側くらいだと思います。
その僕が今回は細川候補に投票しようと決めた唯一の理由は、これが安倍政権の暴走を止める最後のチャンスだと思うから。
それだけです。

都知事選挙と国政は別と言う方、すでにマスコミの情報操作に汚染されていませんか。

地方選挙が国政選挙の直後にある場合、メディアはこぞって「何々政権にとって初の試金石」とかいつも書く事を思い出して下さい。
それが今回に限っていえば、世論調査では「原発問題は『都知事選挙の争点になりうるか』」
式の設問が異常にに多いとお思いませんか?そう聞かれると、
確かに都知事選の問題じゃないかとつい思いたくなる心理を巧みに利用しているように思えてなりません。

しかし、国のエネルギー消費量の20%を消費し、東電の筆頭株主でもある東京都の政策が、
原発政策と関わり無いはずが無いのは子供でも解るはずです。

安倍政権は細川、小泉のタンデムに異様に慌てています。
先延ばしにしたい、そしてそのままうやむやにしたい原発政策を、
二人の元首相が脱原発をかかげて最も嫌なタイミングで出て来たからです。

すでに、昨年の特別秘密法案審議の真っ最中に猪瀬知事のスキャンダルが自民党にとっては予想外の事態だったでしょう。
この法案を通してしまえば、この先、重要な選挙はとりあえず無い、と踏んでいたふしがあります。
もし、あの時期特別秘密法案の審議が無かったら、自民党は猪瀬スキャンダルを必死になって揉み潰していたでしょう。

そんな事を考えると、今回の都知事選は、秘密保護法、原発政策等の国政への批判の千載一遇の、
そしてもしかしたら最後のチャンスです。
このチャンスを逃したら、自民党の暴走はもう止められないでしょう。

その先に待っているのは96条改正。
緊急事態の宣言(改正案98条)、基本的人権条項の一部削除、日の丸(改正案3条)など、
危険な条項が盛りだくさんです。
こちらから

緊急事態宣言は憲法に書く事ではなく、一般法で対処できます。

日の丸を尊重させる?
そもそも、一般法が国民を縛る法律なら、憲法は政治権力を暴走させない為の権力側にベクトルが向いた法律です。
こんな事を憲法に書く必要は全くない。

ある人が、日本の民主主義は順番が逆だと特別秘密法の時に書いていたのを読みました。

そう思う。
あの法案が騒がれ出したのは自民党が国会審議日程にのせてからです。
だけど、過半数をラクラク有している政府与党の出した法案が審議日程にのって、
その法案が通らないと思う方が民主主義の理論からしておかしいと思う人は少ないんだろうか。
騒ぐ時期は去年の11月ではなく、少なくとも半年前だったはず。

今回も、そうならない事を祈ります。

方法は簡単な事です。自民党推薦候補以外に投票する事です。
それと、若い人が投票する事。
願わくば、反原発を明確に掲げている2候補のどちらかにお願いしたい。