リサイタル練習日記 43

2011-11-29 | 音楽
昨日は午後から海老さんと合わせ。
フォーレの1番をいろいろ分析しながら納得できるまでやったので2時間以上かかってしまった。確かに難解な曲である。特に第2楽章。 自分たちが理解するだけでは足りない。理解した音楽を聴衆に解ってもらわなければ演奏家として失格である。
プーランクは二人で大笑いしながら弾いたりした。エスプリが利いた本当に楽しい曲だ。泣いたり笑ったり、懇願したり、皮肉ったり。それはいいんだが、それにしてもチェロは(も?)難しい。
フォーレの2番のは時間が少なくなって急いで終わらせる。ドビュッシーはこの次。

毎回僕が書いているプログラムノートが結構評判がいい。演奏を褒められるより解説を褒められる方がおおいくらいだ。嬉しくないと言えば嘘になるが、本当は反対だったらもっと嬉しい。(汗)
この次はいったい何を書こうかな。

ところで、次回の12月3日コンサートは、前回と打って変わって売れ行きが凄く良い。助けてくれた方がいるのも確かだけれど、やっぱり僕はフランス帰りという看板が大きいのかな。
前回が少なかったのが本当に惜しまれる。良いコンサートだったんですよ。
丹波明さんからもお褒めをいただいた。

そういう訳で、次回のチケットをまだお求めでない方はお急ぎください。
よくある、宣伝の慣用句じゃなくて本当の話です。

リサイタル練習日記 42

2011-11-27 | 音楽
25日と26日続けての今回の一番ハードな日程が終わった。
本番前の4日間くらいは相当な練習量だったので疲れが非常にたまって、25日のゲネプロはかなりきつかった。弾きながら26日まで弾き終えられるかという疑問が頭をよぎる。弾きながらそんな事を考えるのは集中していない証拠とも考える。それもまた集中していない証拠なのだが。

昨日26日は客席がガラガラで、、、、集客能力のなさをさらしてしまった。日本に地盤がない、プログラムに人気がないとかいろいろ理由はあるにしても渡辺君には申し訳なかった。昨日はそれほどの疲れも感じなかったのはなぜなのか分からない。25日の長大なプログラムが終わって気分的に少し楽になった事が理由かも知れない。もうひとつの理由は楽器の調整をした事だ。リヨンから知り合いの楽器屋がちょうど来ていて、楽器がならないのでみてくれるかきいてみたらすぐやってくれた。会場についてから弾いたら昨日とは大違い。楽々音が鳴る。昨日できたらこんなに楽に弾けたのかと後から思う。いずれにしても昨日は調整する時間もなかったのでしょうがない。曲が技術的に難しい分よけいな事を考えずに済んだのもよかった。どの曲もかなり楽しんで弾けた。

今朝はさすがに疲れが出た。が、休んでばかりもいられない。
まず12月3日に弾くアンコールの為の曲の編曲。曲名はここで明かす訳には行かないけれど。半分も出来ず。その後3日のプーランク、フォーレなどをウオーミングアップ程度に。明日早速ピアノ合わせがあるのだ。

午後一人レッスン。


その後フォーレ。自作曲を30分くらい。
今日は無理をせず休む事にする。

リサイタル練習日記 41

2011-11-24 | 音楽
午前中は10時から指ならし。バルトーク、ストラヴィンスキーの難所、プロコフィエフ、アンコール!の練習。
14時半から芸大で渡辺健二君と合わせ。今日が最後の練習日。フロコフィエフの終楽章の大団円のコーダのテンポ確認と合わせ。ストラヴィンスキー、バルトークの難しい所、危険な所、を二人でおさらい。全く本当に難しい。ピアノもだが。
一通りさらってから、最後にランスルー。後はゲネプロしかないのだから疲れた体にむち打って渡辺氏に(さっきは君と書いたが)頼み込む。
全て終わって時計を見たらもう8時を回っていた。今日はこれでやめておこう。
芸大から今日は根津の坂をまるで十字を背負う受刑者然としてチェロを背負って帰った。

リサイタル練習日記 40    

2011-11-22 | 音楽
今日はかなり肌寒い。またしても寝坊してしまった。
11時から練習開始。今日は一日個人練習の日。25日と26日の二日分の練習をしなければならない。多分最低でも6時間は必要だと起きてから思う。そうすると昼食などの時間を差し引いて夜の8時までは間違いなく終わらない。まあ気楽にやろう。
こういう時、きりきりやって何度も失敗している。
まずは、25日のドイツロマンはプログラムから。プログラム順に。昼食までに終わらせたかったが、ブラームスの1番が終わった所でダウン。コンビニ弁当。
2番はその後。スケルツォでいろいろ試したり、考えたり、修正したり。やっぱりやってしまう。本当はもう固まっていなくてはいけないはずだが、バッハのように一人ではなく共演者(ある意味対戦相手)がいるソナタはそういう訳にも行かない部分が多い。その分適応性、素早さを要求されるという訳だ。

楽器のなりが悪い。調整に大久保のSさんに行こうと電話する。7時前に持っていって今晩は預けと決心した。

6時までに、26日のプログラムを終わらせなくてはならない。少しくたびれていたので休みたかったがすぐ始める。ストラヴィンスキーにそれから2時間近くかかり、その後バルトーク。もう時計は5時を回っている。あと1時間でプロコフィエフとヤナーチェクは到底無理。Sさんにはお断りの電話。
Sさんは明日朝は予定が入っている。24日は定休日。自分もこの両日は午後から合わせ練習がある。という事は調整なしで2回の本番になってしまった。覚悟を決めてかかる。楽器がならない事を考慮して右手に負担がかからないように注意しながらさらう。
こうなったら余裕しゃくしゃくの振りをするしかない。このところ外食続きなので近くのスーパーに夕食の買い物に行く。温野菜をたくさん食べたいので出来合の筑前煮やらヒジキの他にチンゲン采、小松菜などを仕入れてから、プロコフィエフを始める
9時ついにダウン。ヤナーチェクは諦め。

明日がある。ポジティフに考える。

リサイタル練習日記 39

2011-11-21 | 音楽
19日は植田克己氏とのリハーサル。
明け方からの雨で目が覚めて不眠気味。リハーサルのある前日はどうも緊張しているのかよく眠れない。
9時から開始。前回北海道で弾いた2曲はとりあえずスキップして、シューマンから始める。
シューマンの書いたテンポ表示についてしばし話し合う。植田さんによると必ずと言っていいほど驚くほど早めのメトロノーム表示をするのがシューマンだそうだ。よく覚えていないので不確かだがあの「トロイメライ」は4文音符=110だったとか。クララ シューマンがそれではいかにも速いので70くらいまで譲歩したとか。以前ここにも書いたが「5つの小品」もその例外に漏れず特に1、5曲目が凄く速い。こういう時2つの考え方がある。ひとつは、コンサート会場の音響とか、その当時の楽器の特性とかの事情があるので、それは一応ある程度の指標として考慮するがこだわらないという考え。これが今まで普通一般的にとられていた考え方だ。特にシューマンの場合は、メトロノームが壊れていたという説もあるくらいだ。
もうひとつは、これが僕が試してみたい考えなのだが、今までの考え方、耳にした演奏から思いっきり脱却して素直に書いたテンポ感を体の中に受け入れて見るという考え方だ。現実的にはかなり困難だし、この間のベートーヴェンでもそれはひとつのユートピアになってしまったが、、、、。速いといえばシューマンのチェロコンチェルトの第1楽章も、4文音符=130はずっと昔から不可能といわれている。
まあこれくらいにしておこう。
ブラームスの1番は自分で弾いていても植田さんとの間にあるギャップを感じる音楽だ。植田さんという筋金入りのドイツ流音楽感の方とやっていると、自分がいかにフランス風に「なで肩」音楽になっているのがわかる。2番のときよりよけいに感じる。いろいろと論議もし、貴重な意見もいただいた。自分が折れるという訳ではないが、所々多いにご意見を取り入れさせてもらった。それでも多分大筋は変わっていないと思う。決して同調しないという意味ではなく、40年近く澱のように積もった音楽性は根本からは変わる訳はないと思う。そういう演奏も面白いかもしれないし。バックハウス フルニエという例もあるではないか。よし。25日はフルニエになるぞ!

その後大雨の中横浜まで丹波明氏のコンサートを聴きに行く。1時間遅れて着いてしまって一番聞いてみたかった「エレメンタル」を入り口のモニターで見る事になってしまって残念。長明さんは素晴らしい演奏をされていた。最後の曲ピアノカルテットはホールで聴けた。野平君がピアノ、Vn 中澤沙央里、Va 中山良夫 Vc 長明靖朗。大変興味深く聞いた。

疲れ果てて帰ったが、2時間ばかり練習。それにしてもひどい雨だった。

昨日は一日猛特訓。

今日は、朝から渡辺君とリハーサル。彼とは今日を入れて後2回。予定を大幅に延ばして4時半までみっちり。ストラヴィンスキーとバルトークに大半の時間を費やしてしまった。どちらも時間的には短いが緻密なアンサンブルを要求される。体力的にもかなりな曲だ。もう少し詳しくか書きたいが今日はもうバテバテ。

出かける前自作曲を45分くらい。帰ってからEnigmeなど。

リサイタル練習日記 38

2011-11-18 | 音楽
17日。8時起床!起きてしまった。レッスンがひとつ入っていた事は覚えていたが何時だったか自信がない。寝ている所にこられたらまずいのでまあ良いかと起きてしまった次第。いずれにしても8時の太陽は明るすぎてもう眠れない。ゴミ回収日だった事もついでに忘れていいた。また月曜までゴミが出せないが、一人のゴミでこのところほとんど外食が多いので、たいした事はない。

ここはゴミの話をする所ではなかった。そして起きてみたら結構体がすきっとしていた。不思議だな。それほど疲れていない。
ぐっすり1時間も昼寝をして、午後から練習再開する。
昼寝でかえって疲れがぶり返したが、もう時間的に待ったなしだ。
25日のプログラムから始める。シューマンとブラームスの1番はずっとさらっていなかったので譜読みのつもりで、右手はほとんど音を出さないぐらいの小音でさらうがそれでも30分と持たない。脂汗まで出てきた。
でも、続けなければならない。バルトークとストラヴィンスキー。このとっても危険な2曲は万全に用意しておかないと、キャタ(catastropheの事。フランスのミュジッシャン隠語でめちゃめちゃひどい事をそういう)はいつでも起きる曲だ。
昨日はるばる遠くから聞きにきてくれた友人と築地のお寿司屋さんで夕食。
帰りの春日の駅をおりたらお風呂屋さんというか入浴ランドみたいのがあったのでふらっと入る。1000円のVIPというのに入って、マッサージ湯、サウナなど。疲れが取れた。

リサイタル練習日記 37 ゲネプロ 本番 

2011-11-17 | 音楽
昨日は朝から体に疲れがおりのようにたまっている感じだった。7時半に起きて昼寝をする時間がないのはわかっていたのでちょっと不安だった。
午前中は音階を少しやり昨日の反省点のチェックのみ。14時少し前に文化会館入り。客席に野平君がいて目をつむって座っている。多分まだパリの時差が残っているのだろう。

14時半からゲネプロ。
ナミレコードが録音に来ている。巧く行けばCDも考えているのでゲネプロも全曲本気で弾く。いずれにしてもゲネプロは手を抜いて弾くのは本番がよけい怖くなるので自分はやらない事にしている。弾くなら弾く、弾かないならバランスチェックくらいの簡単なものどちらか。弾いてしまった方が気分は楽になる。ただしベートーヴェンのソナタを全曲一日に2回本気で弾いた事はないのでどんな事になるか確かに不安はあった。

5番のアダージョで感激してしまって涙が出てきて止まらなくなった。感情移入し過ぎだ。中間部のD-durの所だ。最近時々こういうことが起こる。昔はなかったな。年のせいだろうか。単純な「アリベルティ バス」にのってあらわれるあのメロディーは本当に美しい。深い「慰め」のようなものがそこにある。本番はだから出来るだけそうならないように弾いた。
いろいろ反省点は多い。悔しい所もたくさんあるが、まあ、あまり考えないようにしよう。次もあるし。

リサイタル練習日記 36 いよいよ本番

2011-11-16 | 東北関東沖大震災
これから文化会館へ。今朝は昨日の反省点を疲れない程度にチェック。気になる所がまだあるが、気にしない。
気にすると、そこばかり集中して他でポカをやったりするものだ。音楽に身を任せて弾けば良い。
疲れていない訳はない。いや疲れている。
まあ本番はこのくらい疲れているときの方がリラックスできてよい。ゲネプロ、本番両方録音するので今日は2回弾く。

たくさんの方のご来場をお待ちしています。

リサイタル練習日記 35

2011-11-15 | 音楽
9時半に野平君との最後の合わせ練習終了。
万全、絶対、完璧、、、、そういったものはこの世界にはない。というある種の達観がこんな冒険的コンサートシリーズを企てたのだから、明日もそのつもりで行こう。今日はまず5曲通す。問題点をチェック。面白く、楽しく、出来たら時々深刻に明日は弾こう。アンコールもあります。

帰りは芸大から歩いて帰った。途中で何か食べて帰ろうと思ったから、重たいチェロを担いでとことこ歩いた。
根津の交差点近くで、文字通りふっと入った小さい洋風レストラン。電話中だったので看板もろくに見なかったがイタリアだった。入ってから値段を見てちょっとと思ったが既に遅し。しまった!が、デカンタのワインもなかなか、パスタの湯で具合は抜群。自家製黒豚のソーセージが素晴らしい。若いマスターが一人でやっているが最後の一人客なのでマスターにいろいろ話しかけてみる。この本格派の味が、飛行機に乗れないマスターは日本で学んだのだと!値段がせめてこの20パー引きだと良いのにと言っておいたが、なかなかがんばっている。

明日のコンサートの解説を昼間、練習の合間に書き上げる。前回書いた日記を少し脚色したものだが、おかしなもので自分が書いた解説に自分が納得して演奏にまで影響してくる。

それにしても、ベートーヴェンのチェロソナタはおもしろい!

リサイタル練習日記 33

2011-11-13 | 音楽
昨日からベートーヴェンばかり最後の追い込みをかけて練習をしている。
今朝起きたら腕から背中からかなり疲れていた。どのくらい昨日やったのかわからないが、
トリスタン並みのオペラを弾いた翌日くらいの疲れかただったので、6時間くらい弾いたのかなと思う。

そういう訳で今日は少しセーブして通し練習はやめにして、一通りさらうのみにした。
どうしても最後の追い込みに入ると、のめり込みすぎて弾き過ぎ、考え過ぎであげくはやり過ぎになってしまいがちなので、
程々にして白ワインをかってきて早めにきりあげて、ゆっくりとワインを楽しんだ。

それにしても、ベートーヴェンのソナタは面白い。
作品5はプロシア王の前で弾く為に書いたかなりプロトコルな面を持ち、同時にかなりシンフォニックな発想を持った音楽だ。
重厚ともいえる遅い序奏部を持持つ第一楽章の楽想はある意味、バッハの昔から綿々と続いてきた、パブリックな音楽だ。
この時代ごろまでの音楽とはある意味パブリックなものだったのだ。
もちろん、自らのピアニストの腕前を披露する凄いパッセージが目白押しなのだが、
この発想が1番2番の交響曲に直結している面がかなりあるような気がする。形式的にも非常に斬新である。
こういう形式ではモーツァルトも、ハイドンも書いていないし、ベートーヴェン自身もこの後使っていないユニークな発想である。

それとは対照的なのが作品102の二曲である。
こちらはおそらく意図的に努めて個人的な音楽で、そこにはもうロマンティスムの扉が開かれているといっていい。
音楽がパブリックなことをもうやめてしまって、個人の内面を物語るメディアになりつつある。

作品102-1はエルデーディ伯爵夫人に捧げられているが、この夫人はベートーヴェンとはただの関係ではなかった事は知られている。
僕はこの曲の中にあるドラマとでもいえる何かを感じずにはいられない。
この曲の発想は後に作品109のピアノソナタでさらに完成度を高めて使われている。
作品109を献呈されたのはマクシミリアン ブレンターノ、「不滅の恋人」の第一候補者である。

リリックなアンダンテの序奏部はまるでオペラの愛の二重奏のように官能的ですらある。
作品5の序奏はいわば、この時代の慣例である、ある種の威風堂々を装うプロトコルな音楽であるが、この第4番ソナタの序奏はそういった形式的なものから全く対局にある。
そこにあるのは自らの内面の告白といったような極めて個人的なものですらある。
それに続くアレグロは怒り狂ったようなa-mollがあり、コンソラシオン(慰め)のような第2主題が続く非常に簡潔なソナタ形式である。
アダージョは深い内面の静けさのような音楽だが、そこにまた第1楽章のアンダンテの楽想がまるで過去の何かを回想するように現れてくる。
まるで夢見るごとくその楽想に浸り始めたかと思うと間もなく、音楽半ばで気まぐれにまるで夢から覚めたかのように中断され、終楽章の素っ頓狂なモチーフが現れるのだ。
ここの部分は、まるで突飛かもしれないがドビュッィーのソナタを思い起こすくらいだ。

そして終楽章。夢から覚めたら今度はコメディーだ。
闊達に、軽快にまるで笑い転げている。馬鹿げた事だった、なんてこった、、、見たいに。
おしまいはベートーヴェンが死の床で最後にいったといわれている、(実際はどうだったかわからないが)「喜劇は終わった」
という言葉がまるで当てはまるような、どんでん返し尽くめの音楽だ。
これがドラマでなくしてなんだろう。

第5番は次回。


リサイタル練習日記 32

2011-11-12 | 音楽
昨日は111111だった事も知らなかった。東京は一日中雨でこの秋一番の寒さ。夜は暖房を入れてしまったくらい。
丹波明さんがいらっしゃってElemental IVを聞いてもらった。まだ出来ていない所もあるのでかなり緊張したが、仕方がない。正直に申し上げて了解を得た。
いろいろなご指摘があって、やはりというか当然というか非常に参考になったばかりか、なんとかこの曲、良い演奏が出来そうな希望すらわいてきた。
ついでにちゃっかり自分の書いた今度演奏する「リチェルカーレ」もお見せした。熱心に見てくれた。その後お昼を近くのお寿司屋さんで。作曲談義をこちらからいろいろ仕掛けたら、ちゃんと答えてくださるので調子に乗っていろんな事をお聞きした。氏曰く、戦争の後というのは必ず素人作曲家が現れるのだそうだ。確かにそうだろう。学校というものが機能しなくなった時期だから。同年代の武満も黛も。もちろん御自分自身もという事だろう。ここで言う素人作曲家とはアンチ アカデミスムの事で、結局そういう人たちが音楽を変えていったとおっしゃる。
こういう事には確かに自分も気づいていた。ムソルグスキーは良い例だろう。僕も独学素人作曲家なので嬉しい。
しかし、氏には「君は、臭い臭い」「まだまだアカデミック」とたしなめられた。68年の争乱をパリで生きたいわゆるフランスで言う「soixant-huiteur」(68年世代)の面目躍如たる一言でした。

今日からベートーヴェンモード。朝から通し練習と思っていたら、マネージからプログラムノートの原稿の確認やら、何にやらで大忙し。練習を始めたのは10時過ぎになってしまった。その後もいろんな電話やメールで中断。ちょっとかなり焦る。これも全てコンサートシリーズがうまく行く為の用件なので仕方ない。
しかし滞りなく午後に通し練習終了。その後反省練習。この通し、直しという反復練習が最後にものを言うのである。もう音楽的なリサーチはしない!してはいけない。と思いつつもいろいろ出てくるのが厄介だ。しかし心を鬼にしてもう変えない!今変えたものは本番に反映できる訳がないのだ。

リサイタル練習日記 31

2011-11-08 | 音楽
昨日は渡辺健二君と17時半から合わせ。先日の海老さんに続いてこっちも学生時代以来。
彼とのプログラムは技術的に一番難しく、しかも体力的にもしんどいプログラムなので無理を言って前倒しで合わせてもらった。
プログラムとしてはどちらかというと短いのでアンコールを用意している。
始めはそれから、ふたりとも初見であれこれ。
その後は、ヤナーチェク。この曲を選んで本当によかったと思う。
全部で3曲の第1曲はいかにも「物語」がこれから始まる予感をさせる遠くを眺めるような音楽から始まる。
「昔々ある所に、、、、」とナレーションを入れたくなるような。
チェロのピツィカート(非常に弾きにくい音だ!)がホルンのシグナルのように何度も繰り返される。
途中から音楽は非常にリリックな情感あふれる美しさが印象的だ。
第2曲はちょっとスケルツァンド風。ヤナーチェクのオペラの中のどこかで使われていた曲にそっくりかまたはそのままの音楽なのだが何だったか思い出せない。
「賢い雌ギツネ」だったらついこの前弾いたんだけれど、、、、
第3曲はこちらも愛嬌たっぷりの楽しい音楽だ。
本当にこの音楽はあったかい。

バルトークとストラヴィンスキーは合わせが難しい。
最後にプロコフィエフ。くたくたになってやめたときはもう10時だった。

リサイタル練習日記 30 海老さん

2011-11-06 | 東京日記
今朝書いた練習日記は海老さんと題した割には彼女の事を書いていない。実はそれを書きたかったんだけれど。

いや、凄いピアニストです。今回はじめて彼女の真価がわかった気がする。
実は彼女はリヨンにもアルゲリッチと共演とかで何度か来ているけれど、いつも都合が悪くて学校を出てから一度も聞いた事がない。
アルゲリッチと共演するなんて凄いんだけれど、それを書きたい訳でもない。

この間チッコリーニもこれまた何十年ぶりかで聞いた話を書いたけれど、ちょっとその音のイメージが彷彿とさせられる素晴らしいタッチ。
ピアニッシモから、フォルティッシモまで音がものすごくきれいで旋律的。ぞくぞくするような美しさです。

練習中にもいろんな事を試しては、音やフレーズにあくまでも探究心を絶やさない。
しかも僕が曲がりなりにも作曲をするので、作曲家の見地からどう思うかとかいろいろ質問するとても謙虚な方だ。
そういえば学生時代もそうだったなと思い出す。
こういう繊細さは、やはり僕のような即物的な発想で音楽をやる事が好きな人間には刺激である。

明日は、いよいよ最後の一人渡辺健二と合わせ。

今回こうして4人の個性豊かなピアニストと共演できる幸運を思わずにはいられない。

リサイタル練習日記 29 海老さん

2011-11-06 | 音楽
昨日は海老彰子さんと初合わせ。パリ時代からなんと30何年ぶりでちょっと緊張した。
前の日は準備をできるだけ怠りなくと思って練習していたらずいぶん弾いたようで、朝起きたらこれはヤバいかなと思うほど疲れがものすごく残っていたが、こういう状態でもいったんモードを切り替えると弾ける物だという事は経験上知っているのは馬齢を重ねた者の、数少ない強みだ、、、と自分に言い聞かせて練習に臨む。

フォーレの1番のソナタを入念に練習してもらった。
弾き始めたらふっとコンセルヴァトワール時代のモーリス クリュットのあの古い教室にいるような錯覚が起きた。が、そんな詰まらぬ事を考えている場合じゃない。この難解なソナタをまず演奏する自分が飲み込み消化しなければならない。それなくして聞いている方の共感などあり得ないのだから。
それにしても、いくつかのパッセージは時々理解しがたい音楽が出てくるのが晩年のフォーレだ。耳がほとんど聞こえなくなった時代の彼の音楽にはよくあると、海老さんもおっしゃる。が、僕もピアノ譜をよくみながらいろいろ考えて弾いているうちにそういう所も少しづつわかってくる。縦の和声ばかり見ないで横のポリフォニックな動きに注目するとわかる所が多い。特に第2楽章の中間部はそうだ。
それは第1楽章の冒頭もある意味同じで、あのごつごつしたチック コリアばりの和声は実は全て縦に読んではいけない。和声進行はいわゆる「繋留音」が頻繁に出てきて、その結果縦に聞くと驚くほど非調整的なモダンな響きがするのだ。

今朝はもう時間がないのでこれくらいにしておこう。