モーツァルト、シラー、ベートーヴェン、フリーメイソン、鳩山由紀夫の「友愛」

2010-04-14 | 音楽
クリスチャン・ジャックの「モーツァルト」を読んでいるとフリーメイソンがいかに西欧の思想に大きな影響を残したか良くわかる。
本は現在4巻の中ごろで年代は1790年。バスティーユ監獄事件があって1年もたたない頃である。政治的にはヨーロッパは嵐の真っ只中。オーストリア ハンガリー帝国はオスマントルコを何とか撃退したものの、戦争の疲れでヨーゼフ2世は他界し、弟のレオポルド2世がその跡を継ぐが、オーストリア領ニーダーランド(オランダ)は独立を求めて動き始めるし、プロシア帝国はますますその力を誇示するようになり、帝国の弱体化は隠し切れなくなって来た。そんな中、フリーメーソン活動は危険思想としてますます活動を狭められ厳しい監視下に置かれることになる。

ところで、鳩山首相が「友愛」なるスローガンを掲げて就任して半年くらいたつが、このスローガンがどうも甘い絵空事のように言われたり書かれたりするのをよくネット上で見かける。確かにはっきりしない物言いだと僕も思う。もともとはお祖父さんの鳩山一郎のスローガンだったはずである。

この「友愛」なる言葉はおそらく「Fraternity」フランス語では「fraternité」から来ているのではないかと思う。そうだとすれば普通は「博愛」と訳される。フランス共和国建国の3つの格言「自由、平等、博愛」の中のひとつであるが、この訳もちょっと変だ。「frater」は語源的には「兄弟」の意味であるので、まともに訳せば「兄弟愛」である。よく知られているようにフリーメイソンの同士はお互い「兄弟」と呼びあう。この言葉はもともとはフリーメイソンのものである。

ベートーヴェンの「歓喜の合唱」。あの歌詞は良く知られているようにシラーの詩だが、これもシラーがフリーメイソンの儀式のために書いた詩であるとこの本を読んで知った。いや正確に言うとそうであろうと推察する。この本は一応フィクションなので、どこまでが史実でどこまでがフィクションなのかを区別するのは難しい。しかし、モーツァルトに関する記述に限ってはかなり正確に書かれており、フリーメイソンに関しても脚注と後注で参考文献をあげているのでかなりな部分は正確だろうと思う。

この「歓喜の合唱」、中学生の頃知ったときははっきりいえば理想的過ぎて、甘い言葉に感じられたのをよく覚えている。人類みな兄弟?そりゃね。そうあれば戦争もなくなるしね、いいじゃん。そんな風に思っていた。考えてみるとずいぶんひねくれた中学生だな。おまけに「ベートーヴェンは人類は愛せても、隣人とはいつもいざこざを起こしていた」なんていう人もいた、、、しかし、この詩はフリーメイソンのコンテクストに入れるとはっきりとした物になる。

シラーが活躍していたプロシア帝国のフリードリッヒ ウイルヘルムは、自身もフリーメイソンでその活動を支持していて、同じく「兄弟」のゲーテを大臣に任命したくらいである。この頃のヨーロッパはいすれにしても「思想の自由」という新しい思想の熱に燃えていたのだ。ヨーゼフ2世も初めは帝国を脅かすような思想でない限り、新しい考え方を抑える政策はとらないと言う考えで、ウイーンのフリーメイソンは一時相当な数に上ったのだ。思想の自由、人類みな平等、みな「兄弟」であるにもかかわらずである。

しかしそこに「バスチーユ」事件が勃発した。ルイ16世の奥さんはほかならぬヨーゼフ2世の娘、マリー・アントワネットではないか。フランスは要するに内戦状態。血で血を洗うまさに地獄絵図である。各国の王侯はさすがにおびえた。甘いことは言っていられない。フリーメイソンは取り締まれ。モーツァルトとか言う三流作曲家はなんだか怪しいから気を付けろと「秘密警察」は指令を発する。この辺はフィクションっぽいが、いずれにしてもモーツァルトの凋落はこの辺から凄まじいばかりだ。

さて、そうして約200年の時が経ち「自由、平等、博愛」は少なくとも民主主義国家では当たり前のことになった。僕らは子供の頃学校で人は自由にものを考え自由に発言でき、それに罪を問うことは出来ないと教わった。当たり前だろうと思った。憲法にも書いてある。「平等」はもうちょっと厄介だが一応当たり前になっている。(機会の平等か、結果の平等かの論議)

そこで「博愛」である。鳩山さんの「友愛」でも良い。この理念は少なくともフランスでは(おそらく欧米のほとんどの国も)ただの絵空事ではなく具体的、現実的政策としてあるのだが日本の憲法には前文にそんなような記述があったかどうか? 欧米の場合、もともとは「奴隷解放」である。この辺は日本人もピンとくる言うかそもそも奴隷制度がなかったから当たり前だ。次は人種差別の撤廃。この辺は日本は世界的に見るとどうだろう。理念としてはおそらく大半の日本人は受け入れていると思う。が、この前、国連の人権擁護委員会だかから日本の状態についてクレームが来たことを読んだ。たしか、日本で生まれたフィリピン人中学生の両親が日本に居住権がなく、強制送還され親子別々になった話だったと思う。これはこちらではあり得ない。
さらには難民、政治亡命者の無条件の受け入れ。移民労働者の受け入れ。これが「友愛」なる甘い言葉の裏にある厳しい現実なのである。

いや、何を言いたかったのだろう。別に日本の政策を非難するつもりもないのだが、、、ヨーロッパの思想の流れからこんな話になってしまった。