モンタンヴェールの氷河

2010-08-31 | フランス リヨン 
写真はLe Signalから見た氷河。

この地点はどこかの頂上というわけではないのだけれど、
氷河が丁度よい具合に見える。
土砂に覆われている部分が多いのでどこが氷河かな?
と思うが、土砂の下は分厚い氷だ。
写真では見えないが、よく見るとところどころクレバスがあり、
真っ白で深い氷が見える。
温暖化のせいかどうか、この数十年気温が上がって氷は
だいぶ減ったと聞いた。

ここからモンタンヴェールの駅までは下りになる。
1908年に開通したクレマイエール式の小さい電車が、
シャモニーの街から登ってくる。
開通当時は蒸気機関車。
駅の近くには氷河まで降りて行けるケーブルカーもある。

スィニャルを通ってモンタンヴェールへ

2010-08-28 | フランス リヨン 
前にも書いたようにここからは深い谷の等高線上を歩く道のりなので、
らくな道である。
小さい子供をつれた家族連れやお年寄りもかなり多い。

とはいえ、かなり急斜面の崖の中腹に幅2mくらいに作った道なので、
うっかりつまづいて転倒したりして谷側に落ちればかなりの確率で
大事故になりかねない場所もたくさんある。

時々すれ違う若い娘さんたちがとてもきれいに見える。
さながら高原に咲いた満開の華。
目の保養になる。(おっと。 高山植物もきれいです)

少し歩き出したら困ったことが起きた!
登山靴の靴底がはがれてきたのだ。
そういえばもう相当古い。
こういうことは時々気をつけておかねばならないと知るがもう遅い。
初めのうちぺたぺた言うくらいだったのがもうごまかしようがなくなって、
はがしてみたらどうなるか見てみると、スポンジで出来た底があり、
触ってみるとさらにおくに硬い材質のもので出来ていることが分かった。
さいわい、中敷きも入れてあるので後残り2時間くらいは何とかなるだろうと、
思い切って剥がしてしまう。
もう片方も、じきに同じことが起きたが、取ってしまった。
岩の上とかで滑りやすくなるのではと心配だったが、
さほどでもない。

1時間半ほど平坦な道のりを歩いた後、いよいよスィニャル(Signal2198m)
に向けて登りになる。標高差100メートルちょっと。
ここに着くといよいよモンタンヴェールの氷河が見えるはずだ。

写真の道を登りきったところがSignal。真向かいに見える峰は多分
Les Drus(レ・ドゥリュー)だと思う。


エギュイ デュ ミディ

2010-08-28 | フランス リヨン 
ケーブルカーでエギュイ デュ ミディに登るのをあきらめたので、
少し時間に余裕が出来た。
エギュイ デュ ミディは目の前に手を伸ばせば届きそうに聳えている。
確かに登山マニアでなくても、登ってみたくなる。
命が三つくらいあったら試してみたいが、今のところどうやら
ひとつしかないようなので、とりあえずは見るだけで通り過ぎる事にした。
初登頂した人たちがどうやって登ったかを絵入りで解説してある
看板があったが、朝の2時に山小屋を出て到着は確か16時たった。


エギュイ デュ ミディとは直訳すれば、正午の針。
12時の時計の針?みたいだが、針とは針のようにとがった山頂の事。
この他にも「エギュイ ヴェールト」(緑の針)というのがある。
実際にはちっとも緑じゃなく、三角形のとがった峰で、北側は万年雪。
時間帯や光の加減で緑に見えるのだろうか。

ミディ(Midi)には正午の意味もあるが、真南の意味もあるので、
「真南の針」なのかもしれない。
どこから見て真南なのか今度は問題になるが、シャモニーの街から見ると
そうなりそうな気もするけれど、どちらかといえば南東方向になる。

こういう山岳地帯の地名や山の名前は独特のものがある。

持参のサンドイッチを食べながら景色をしばらく堪能したあと、
「青い湖」まで行ってみる。
そこまで往復30分。
その後いよいよモンタンヴェールの氷河に向けて歩き出す。
抜けるような青空で、日差しが強い。
クリームを忘れたのが悔やまれる。
8月下旬なので標高2000Mではもう涼しいかと思っていたが、
かなりな暑さ。
日陰で休む人も多かった。

モンタンヴェールまでは約5Km。
大半が等高線上を歩く楽な道のりだ。

写真を入れ替えました。
手前にとがって見えるのがエギュイ(3842m)
右側のひときわ白い峰が欧州最高峰のモンブラン(4810m)
モンブランは連峰の奥のほうにあるのでたいてい低く見える。

モンブラン

2010-08-27 | フランス リヨン 
昨日久しぶりにシャモニーに行って一日歩いてきた。

前回行ったときちょっとしくじって遊歩道を外れて、
一時は救助を頼もうかと思ったくらいの思いをしたので、
今回は地図をしっかり見て簡単なトレッキング道を外れないように歩いた。

まず、シャモニーの街に着いたらものすごい人出。
八月最後の週だからもう少しは静まっているだろうと思ったら予想が外れた。

エギュイ デュ ミディ行きのケーブルカーのキップ売り場は長蛇の列。
買うまでに30分。買ってから乗るまでに2時間待ちだと知る。
こんなに国際的に有名な観光地シャモニーでも、
フランスはいつもこういう情報はその辺にいる人から聞くひと伝が頼り。
せめて掲示板に出すくらいのことをして欲しい、というか相変わらず
こういうところは不親切。

それで、ついでに行こうと思っていた、3800Mの 
エギュイ行きはあきらめ、
予定通り、その下にある2300m のプラン デギュイで降りて
モンタンヴェールの駅まで歩くことにする。
これだと2時間待たずにすぐ乗れる。それでも1時間近く待ったけれど。

やれやれ。
昔来た時とは大違いだ。

それでも、プランに着いたらやっぱり絶景。目の前にエギュイや
モンブランの頂上が目白押し。
その昔アルピニストたちはここを拠点にしてエギュイに登たのだと、
すぐそばにある、山小屋に書いてあった。

今はこうやって下から5分でたどり着けるので、かつての避難所は
ホテルになっている。

写真はシャモニーに車で着く直前のパーキングから撮ったもの。
モンブランがよく見える。



8月のリヨン

2010-08-11 | フランス リヨン 
話が少し飛ぶようだが、プロ野球選手のコメントを読むと
いつも気になることがある。
大体こんな感じの文章をよく見かける。

阿部選手「今日は絶対勝ちたかったので、あの場面で打てて、
本当によかったです」

ラミレス選手 「今日は絶対勝ちたかったので、
あの場面で打ててホントによかったよ。とってもいい気分だよ。」

阿部はきちんとした社会人でそれなりの人、
ラミレスはどことなくアウトサイダーな感じがしないだろうか

ラミレスは助っ人外人(これはもう差別用語?)で
精神年齢が中学生くらいな発言能力しかないような扱いにされている
、、、様な気がする。

外国で暮らすということはこういうことなのだと思う。
ラミレスがどのくらい日本語を操れるのか知らないが、
彼は彼なりによく分からない「ジャパニーズハビット」も含めて、
日本語や日本に一生懸命同化しようと涙ぐましい努力を
しているような気がする。

やっぱりどこの国のどこの言葉もきっと同じなんだなと思う。

我々フランスに長く住んでいる日本人も考えてみると同じだなと思う。

自分で言うのもなんだが、始めの10年くらいは別にして、
僕は出来るだけ間違いを避けた、きっちりとしたフランス語で
話すように心がけている。
話し方によって、人はその人格をすら評価してしまうのは洋の東西を問わぬ。

そのために新聞、雑誌、本を出来るだけたくさん読むようにしているし、
フランス語で書く手紙もそれなりに書けるようになった。
精神年齢12歳におもわれたくないからだ。
フランス人に侮られたくないからだ。

侮る?

多分彼らの多くも侮っているとは思っていないだろう。
でも、彼らの耳に
「今日はトテモダイジなコンサートなので、シカリレンシュシマシタァ~」
みたいには聞こえてほしくないのだ。

補足ながら、だから国際会議や国連で日本人の政治家や経済人が、
「流暢」な「英語」で話す必要はないのだ。
それは、ある意味、相手国(英語圏の)の立場にへりくだっている、
もっといえば、相手国におもねっている様にしかとられないからだ。

日本語を和式便所にしてはいけない。








8月のリヨン

2010-08-10 | フランス リヨン 
3週間の日本滞在から帰ってきた。
8月のこの時期に自分の家にいるのは珍しい。
気温も程よく、早朝トマトやインゲンに水をやるのは心が落ち着く。
庭の野菜作りが年々上手になってきた。
すこし年寄りじみてきたなとも思うが、実際そうなのだろう。

8月のフランスの街は静かでいい。
みんなどっかに出かけてしまって街はがらがら。
車ですいすい走れる。
混雑しているのはスーパーの大型店くらいだ。
それにしてもフランス人はどうしてこんなにきっぱりと
みんなどこかに出かけてしまうのだろう。
いや、フランス人だけじゃなくてオランダ人も、ドイツ人もそうだ。
多分これは彼らの遺伝子の中にある騎馬民族性というか、
新天地開拓願望というかそういうもので、
農耕民族たるわれら日本人のようにじっと同じところにいるのが
きっと耐えられないのだ。

今朝、こんな記事を読んだ。
この小田島さんという方、なかなかいつも面白くてつい読んでしまう。

記事はyahoo Japan が Googleに全面的に検索機能を譲渡?した事に関してだ。
そんなことは知らなかったが、この記事にも書いてあるようにこれは
たいへんなことなのだろうとは思う。英語の覇権?いやほんとに。

日本語も「和式便所や和文タイプが歩んだ道をたどるのだろうか」
とはちょっとギョッとなる文章ではないですか。

今日はこのことを書きたかったわけではなくて、この文章の中に出てくる
東南アジアのさる熱帯国で英語が公用語のある国(シンガポール?)
から来た「ロナ」さんの話が面白くて少し書いてみたくなった。
さらにはここで書かれてい日本人のご主人の浮気疑惑でもなく、
この小田島さん曰く「自分が英語で話すときは精神年齢が12歳」
という指摘に膝を打った。

外国語を話す暮らしを35年続けているが、考えてみれば毎日がこの
「精神年齢」を向上させる為の戦いだったといってもいい。
大げさとおっしゃりたい方もいるかもしれないが、
よーく考えてみるとそうである。

日本とフランスをこうして行き来した直後は特によく分かる。

とここまで書いて、時間がなくなったので続きは後日。