されどメトロノーム(絶対テンポ感?)

2015-08-28 | 音楽
前回に続いてメトロノームのお話しをしたい。

メルツェルの自称(又は公的な)発明のメトロノームは現在も世界中あらゆる所で(たぶん)売られているし簡単に手に入る道具になった。スマートフォンでダウンロードすら出来る。絶賛したベートーヴェンやベルリオーズのその後の冷淡な反応にも関わらずである。

考えてみれば、時計制作技術は既にメトロノームの特許取得以前から既に長い歴史がある訳だし、このような道具を作る事自体は技術的にそれほどの困難を要したとは思えない。要はそういう道具を、だれもが使いやすい形で一般化したメルツェルの商才が光っていたという事ではないだろうか。現代でも、技術ベースでは既に存在していて、それを上手く商品化するといった同じような事が数限りなくあるのではないか?

さて、僕とメトロノームの話をしたい。

僕にとってメトロノームは最大とまでは行かなくても、かなり上位における師である。僕にとってメトロノームは体温計、血液検査の実測値のような、感情や気分といった曖昧なものに左右されていない客観的速度を測る装置である。そうして作曲する時には他の多くの作曲家同様楽曲の長さを測る大変重要な道具である。作曲する人と話をすると必ずと言っていいほど音楽の速度と言う概念の話になる。というか作曲する行為そのものが時間の概念そのものである。作曲家はある速度を耳にするとメトロノーム表示でだいたい幾つくらいか分かる者である。絶対音感という言葉があるが、絶対テンポ感とでもいえる感覚のようモノは確かに存在する。

昨日の記事のようにメトロノームは発明当初の絶賛から凋落までの時間は瞬く間だった。そうしてベートーヴェンやベルリオーズその他数限りない名手たちからの冷たい言葉を浴び続けてきたので一般的に評判が著しくよろしくない。やれ、「メトロノームとばかり練習していると非音楽的になる」「メトロノームは最初のテンポを感じるだけで後は止めて自分の感性に従え」「テンポを正確に弾けたからといって音楽は、、、」等など数限りない。

全くその通りである。しかし、そうして、、、多くの人達が陥ってしまった罠はテンポの中で音楽を表現する能力を失って、自分勝手な自己陶酔型の酔っぱらい運転のような訳の分からない演奏が蔓延する時代もあったのであった。 

実は、こういう自己陶酔型の自分勝手リズム系はクラシック特有のものである。雅楽やガムラン、インドの音楽など高度なリズム形態(又は時間形体)の音楽を除けば(西欧クラシック音楽もその部類に入るのかどうか?)世界の音楽は今も昔も一定の速度、一定の尺度で進行している音楽が殆どである。ジャズは言うまでもなくポップも、ロックも、ヒップホップも人は、区切られた一定の時間を想定して聞いていられるから、安心して聞いていられる。だから酔っぱらい運転のような演奏の多いクラシックより圧倒的にファンが多いのである。

で、クラシックはでは違うのか?

そんな事は無い。「アゴギーク」と言う言葉がある。

モーツアルトは「左手は器械のように正確に、右手は詩人のように自由に」といったような事を(確か)父親宛の手紙に書いているがアゴギークとはこの事である。一定の時間枠はこの上なく正確で、尚かつその中で自由に歌ったりする事である。僕にとって優れたジャズマンのこのアゴギーク能力はいつも羨望の的である。彼らは当然の事ながらメトロノームを飲み込んだごとくにいつもテンポは正確でそのなかで、驚くべき複雑なポリリズム(例えば4拍子の中に5拍子や7拍子)をいとも簡単に(?)やっている。もちろん彼らはそこに至るまでには(比喩的に)メトロノームを100個くらい飲み込んでいるのだ。

実は師ジャンドロンがある日のレッスンで「僕の最大の先生はメトロノームだよ」といった事を良く覚えている。そうして僕は今でもメトロノームという先生にしょっちゅうレッスンに通っているのである。レッスン代はその効用に比すと大変安い。

メトロノームに聞くは一時の恥、聞かざるは一生の恥。


200年を迎えたメトロノーム

2015-08-27 | 音楽
ちょっと古い8月3日のフランスミュージック(仏国営放送のFM音楽局)の記事から。

長いので要約ですが以下の通り。

200年も前からメトロノームは音楽家、指揮者、作曲家のリズムを刻んできた。

発明者といわれているヨハン メルツェル (Johan Maëlzel) はベートーヴェンの友達だったが、子供の時からオルガニストだった父から音楽を学んだが同時にメカニックなものに大変興味を抱き、彼の夢だった機会仕掛けの自動演奏機を発明するにまでに至った。

ヨハンはこの時代の音楽のテンポの表示の曖昧さに不満を抱いていた。当時はエチエンヌ・ルーイエ(Etienn Loulié)が使っていたクロノメートル(ストップウォッチのようなものだと思うが詳しくは書かれていない)しか音楽の速度を測るものが無かった。メルツェルはオランダにいるディートリッヒ=ニコラウス・ヴィンケル(Dietrich Nikolaus Winkel) がもっと正確に時間を計る道具を作っていると知りオランダに出かけ、ヴィンケルからその機械の構造をすっかり学びウィーンに持ち帰って自らの発明として1812年に特許申請をし、その3年後1815年に発売された。現在MM=120などと表示されるのはMaëlzel Metornomeの略である。

さて、それではメトロノームの真の発明者はだれか?
メルツェルは商才にも長けていたようで、当時の200人の自ら選んだ作曲家たちに発売と同時に直ちにメトロノームを贈呈し、その成果は瞬く間だった。選ばれた作曲家の中には古くからの友達のベートーヴェンももちろんいたが、(ご存知のように)ベートーヴェンはこの発明に大変喜び自作の8曲の交響曲の全ての楽章にメトロノーム表示をつけた。フランスでも「航海に羅針盤があるように音楽にはメトロノームがある」とまで絶賛された。
哀れなのはヴィンケルである。ヴィンケルはその後この道具の真の発明者は自分だと訴訟まで起こしたが全く効果がなかった。メルツェルもしたたかにヴィンケルとはあった事は認めるものの発明は全く自分のものであると主張した。メルツェルには他の発明もあって、その最たるものは器械仕掛けのチェスプレイヤーというものでかなり強いものだったが、その実は器械の後ろにチェスの名手を隠して動かしていたの過ぎなかった。

フランスではその他ベルリオーズにも当時絶賛されたが、その成功はそう長続きしなかった。
折から、19世紀のロマンティスムとヴィルティオーソの時代に突入した時代で音楽家たちはもっぱら自らの感性や「やり方」( manière) に腐心する時代へと変遷して行きメトロノームはもっぱらアマチュア音楽家たちの道具となってしまった。

あれほど熱狂したベートーヴェンですら「メトロノームを使うな!正しい感性を持っている音楽家には不要だ。それを持っていない者にはなおの事だ」と言っているし、ベルリオーズも「メトロノームの機械的な正確さを真似するなという訳ではないが、それを使って演奏された音楽は凍り付くような冷たさがある」といっている。

最後にちょっとした逸話として紹介されているのが以下。
ベートーヴェンはメルツェルと杯を酌み交わした晩餐で「たたたたたたた~愛するメルツェル」というちょっと皮肉っぽい歌を作曲している。(動画にあります)
ギョルギー・リゲッティは1962年に100台のメトロノームの為の「交響詩」を作曲している。 20分間にわたってそれぞれ違うテンポに設定されたメトロノームを打ち続けるこの作品は不評だったがその気持ちはよく解る。(動画)

以上筆者意訳。





「川内原発1号機再稼働を見合わせ」とルモンド紙

2015-08-25 | 東北関東沖大震災
フランスのルモンド紙が、川内原発が不具合で再稼働停止になったと報じています。

日本でこの報道を見ていない。またしても情報操作?それともルモンドの勇み足?

以下は僕の訳です。

九州電力のスポークスマンが、11年の福島原発の事故以来停止されていた川内原発は、第2次的冷却水系統の(この技術的意味は僕には分かりません)問題により1号機の再稼働を見合わせると8月21日金曜日に発表した。

専門家と設計士(régulateurというフランス語がどういう意味で使っているか不明な文章。とりあえず設計士としておく)は4年間停止の後、再稼働は多数の問題に直面すると報告した。九州電力の技師の考えでは2次的冷却系統に海水が浸入しているか、タービンを回転させて発電する蒸気が冷めているとのこと。

政治的に重大な賭け(小見出し)
当初の計画では、1号機は今週火曜日には最大出力をだし、9月の発電に間に合う予定だった。
この際稼働は、過半数の世論が原発再稼働に懸念を表明している中で、原発再稼働に意欲的な安倍晋三首相にとっては政治的な重大な賭けとなる。2013年9月から日本の他の全ての原子力発電機は停止している。


以下は原文


Le redémarrage du réacteur numéro 1 de la centrale nucléaire de Sendai, une première au Japon depuis la catastrophe de Fukushima en mars 2011, a été interrompu vendredi 21 août en raison d’un problème de pompe au niveau du système secondaire de refroidissement, a annoncé un porte-parole de la compagnie Kyushu Electric Power.

Experts et régulateurs avaient prévenu que le redémarrage, lancé après quatre ans d’arrêt, pourrait se heurter à des difficultés. Les ingénieurs de Kyushu Electric pensent que le problème a été provoqué par une infiltration d’eau de mer dans l’une des pompes du circuit de refroidissement secondaire, où la vapeur qui entraîne les turbines et produit de l’électricité est refroidie.

UN ENJEU POLITIQUE MAJEUR
Selon les plans initiaux, le réacteur numéro 1 de Sendai devait atteindre sa pleine puissance mardi avant d’entrer en production au début de septembre.

Ce redémarrage est un enjeu politique majeur pour le premier ministre Shinzo Abe, fervent partisan d’une relance du nucléaire dans un Japon où l’opinion publique reste majoritairement hostile à ce mode de production électrique en raison des risques qu’il implique pour la population. Tous les autres réacteurs du pays sont à l’arrêt depuis septembre 2013.


国会議事堂

2015-08-24 | 東京日記
休日の午後、涼しい風にあたりながら竹橋、九段、千鳥ヶ淵、を通って国会議事堂まで散歩。

初めて議事堂の周りをぐるりと一周してみたが、随分イカツいなというのが感想。

高い鉄の柵で切れ目無く囲まれているし、議事堂敷地内も広大で周りの道路からかなり隔てられた、贅沢な敷地だなと思う。

議員会館や憲政記念館のそばに首相官邸もあるが地図で見るとかなり大きな敷地を有しているのが分かる。

それと、周辺には商店、小売店はおろか商業関係の建物が無い。喉が渇いてきたがコンビニは一件もなかった。

立憲君主制国家として、国会をこれほど大切にしているという事なのだろう。

入り口前に時勢がらなのか、警備強化中とカンバンを出して警官が何人も立っていた。

議員会館の前では、仏教関係の団体が安保法案反対の集会を開いていた。


そのまま桜田門(この名前っていつも思うがスペイン語の「サグラダ」(聖なる)門と全く関係ないのかな?)を通ってお堀端を一周。
時計反対周りだったのでランニングの人にしょっちゅう追い越されるのはいいが、時々耳元で大きな声で話しながら走り去って行く人がいてビックリする。

竹橋から神保町。ちょうど頃よい時間で気をそそられる赤提灯を横目にそろそろ疲れたので電車に乗る。

12キロの散歩になった。

生産効率?

2015-08-24 | 東京日記
堀江何某の発言が話題になっている。

でも、どうして生産効率がそんなに大事な事なの。 違うと思う。

世の中を全て生産効率で支配されるなら、まず我々音楽家や舞台関係は全てなくなる。

いや、そういうことを言いたいんじゃないんだろうが、どう好意的にとっても、この発言は限りなく「差別」に近い。

その昔、「優生保護法」と言うのがあった。
障害のある胎児は積極的に堕胎しろというあれである。

ナチスは優れた「ドイツ民族」だけのドイツ帝国を築こうとした。

このような発想が世の中に広がる事が無いことを祈りたい。

ジャンドロンのバッハ

2015-08-19 | 音楽
久しぶりにYouTubeでジャンドロンのバッハに再会した。
自宅にはCDも持っているのだが長い間聞いていなかった。
そもそも、チェロのCDというものをあまり聞かない。

実はこのCDはずっと長い間それほど好きではなかった。
理由はいろいろ考えられるが、まず録音があまり良くないのが残念だ。
良くいえば会場の音の雰囲気を良く拾っているが、音が少しナマっぽいのが気になる。

もうひとつはたぶん、パリで習っていた時期、知らず知らずのあいだに同じようにに弾いていたからだと思う。
ジャンドロンの生徒はみんなジャンドロンそっくりな弾き方をしていた。自分もそうだとは人からいわれるまで分からなかった。そして、そういわれるのが嫌いだった。

今こうやって久しぶりに聞くと、ジャンドロンにもはっきりとカザルスの影響が聞き取れる。当たり前といえば当たり前だ。あの世代のチェリストでカザルスを意識せずバッハを弾けるチェリストがいた訳が無い。

聞いているとやはり美しい。

奨学金の話

2015-08-17 | 東京日記
突然ですが、奨学金の話を書きたくなった。
どうしてかというと、日本には貸与の奨学金がどうやら無いようだと知ったから。

僕は大学時代育英会の特別奨学金月1万2千円を受け取っていた。(特別奨学金は半分の6000円は貸与だった)そうしてそのまま休学してフランス政府の給費留学生になってフランスに行った。芸大をその後退学したのだが、育英会から奨学金を返せと督促状が頻繁に来るようになり、留学中だったので結局親が返してくれた。その後オケで働くようになってから親に返したのだったかどうだったか良く覚えていない。奨学金を返さなければいけないことなど、パリの新しい生活の中ですっかり忘れていた。

それには理由がある。
フランス政府の給費のせいだ。
これを貰えることになったとき、実は大変驚いた。
月700フラン(当時のお金で約5万円くらいだったと思う)が無償でもらえて、それ以外に学費(楽譜代、楽器にかかるものも含めて)はかかった分を請求するとその分返してくれた。それに目を付けて楽譜を沢山買ったものだった。
そのせいで、日本の奨学金もすっかり貰ったもののような錯覚をしていたのだった。

考えてみると日本のような「金貸し」奨学金というのは聞いた事が無い。
アメリカやイギリスの高等教育は莫大な費用がかかるので、その為の積立貯金やローンがあると聞いたがこれは別の話になるかな。西欧諸国は自分の知っている限りでは全て賞与だ。

僕の娘はいまスイスのローザンヌに留学中だがこの9月から9ヶ月の奨学金をもらえることになった。スイスの大手スーパーの会社からで、試験を受けて合格すると1学年分の奨学金が貰える。いわば、賞金みたいなものだ。ただし、翌年も欲しければまた受けなければならない。
スイスの場合は大抵が銀行や民間企業が行っているようで国や州の奨学金ではない所がフランスなどとちょっと違うが、もちろん賞与だ。貰った後も例えばその企業に何年間無償で働くとかそういう規制は無いようだ。

日本の奨学金は今は有利子のものまであるようだが、国が学生相手に金貸し業をやっている訳か?
それで、返せない人が随分増えてきているようだが、そういう人達に自衛隊がそっと「救いの手」を差し伸べるという構図がなんとなく見えて来るところはどう考えてもグロテスクだ。

2017年8月後記 賞与と書くべきところを貸与と書いていたのに気づき訂正しました。

朝のバッハ

2015-08-04 | 音楽
今日は基礎体力(?)と基礎音学力(?)を鍛える為に久しぶりにバッハを朝8時半から。
2番と5番は僕はどういう訳か積極的に弾きたくならないクセがあるので敢えて2番から。
そのあとは第3番。音階と分散和音のみで構成された(即興された)プレリュードは見事としか言いようのない曲。
3音のアウフタクトで始まる風変わりなアルマンド、、、
ほぼ全て8分音符で書かれたクーラント(コレンテ)
華麗なサラバンド
愛らしいブーレ
解放弦の効果を巧みに使った、民衆音楽風ジーグ。
「3番」のこのバラエティー感はやはり素晴らしい。

第2番組曲は、6曲の中でいちばん和声的な示唆が多く書かれている組曲かもしれない。
というか、バッハが和声的にどういう風に考えていたかの解答が6曲の中でいちばん多く書かれていると思う。
どうせここまで書くのならもっと書いて欲しかったと時に思うが、常に節度をもって器楽的に不必要な技術的挑戦をさせない範囲で書く(書ける)のがバッハでもある。

この組曲6曲や平均率、その他が、バッハではなくアンナ・マグダレーナ作だという研究結果を発表したオーストラリアの音楽者が居る事を思い出しながら弾いていた。個人的にはどちらでもかまわないが、もしこの学者の言う通りだったら歴史上にもう一人バッハ並にすごい作曲家が存在したことになる。それは凄い。

今日はそのあと13日のプログラムのルーティンワーク。
これで今日の午後は、晴れて好きな事が出来る。


怠けの一日

2015-08-02 | 音楽
午前中3人レッスン。日曜には珍しくこれで今日はレッスンはおしまい。
暑いせいなのか又はもともと怠け者なのかチェロを午後になっても弾く気になれず。
1時間くらい、今度弾くベートーヴェンのクラリネットトリオのピアノパートと奮闘。
場所によっては4倍くらいのテンポでしか弾けないがそれでも右手がゴワゴワするくらい手強い。
でもベートーヴェンのピアノは弾けなくても弾くとなんとなく達成感がみなぎるので好きだ。
さて、チェロをさらおうと手に取ったが、とたんに今日は一度も外に出ていない事に気付いて歩きに出る事にした。
東大構内を通って上野公園、芸大前、谷中、根津、、、約1時間半7キロ。
良く歩くパターンのひとつ。
途中根津の近くで地図を片手のお父さんが思案げに辺りを見回し、手持ち無沙汰そうな奥さんと息子が決断を待っている外国人を見かける。
'C'est encore trop tôt 'とフランス語が聞こえてきた。たぶんそうだろうと見た目で分かる。
こう言う下町の地元の人が多い地域に入り込んで「穴場」観光している外国人にフランス人は結構多い気がする。

戻ったら練習しようと思って出たが汗だくでついピールに手が出てしまったので今日はこれでお終い。
ピアノを弾いたのでいい事にしようと自己弁護。

フォーレ チェロソナタ第2番 続き

2015-08-01 | 音楽
フォーレのことを書いていたらチャイコフスキーに脱線してしまったので、また話を少し戻す。

といいつつ、チャイコフスキーのことを少し話すと僕はこう言う風なチャイコフスキーとフォーレとか、
ブラームスとラヴェルとか普通の感覚ではあまり考えない関連性を想像してみるのが好きだ。
ドビュッシーとチャイコフスキーは関係性があったことは確かなことだ。
まだ若かった頃のドビュッシーはチャイコフスキーのパトロンでもあったフォン・メック夫人から手間仕事としてチャイコフスキーのバレー曲(何だったかは忘れました)のピアノ版を書く仕事を頼まれている。ドビュッシーはその仕事と曲が嫌いでさんざん悪口を言っている。フランス人らしい我がままさもあるが、生来の悪口好きドビュッシー。他にもいろんな悪口を言っているからね。そんなこんなでフランスではチャイコフスキーを低く見るというかあまり上等ではない音楽と見る習慣が出来たのかもしれない。

しかし、ロシア人にいわせればベートーヴェンは!チャイコフスキー匹敵する大作曲家。
イギリス人にはドヴォコンはエルガーのチェロ協奏曲と並び称されるチェロの名曲なわけで好きずきということになるのか?

フォーレに話を戻します。
終楽章の冒頭の主題は悲壮感と決然さが混在する素晴らしい音楽だと思う。確かアンリ・ゲオン(Henri Guéonと書くのかな)といったと思うが「モーツァルト」と言う本があって学生の頃日本語で読んだ覚えがある。この中で40番の交響曲の主題を「Tristesse allante」(疾走する悲しみ)と表現していたが、この言葉はフォーレのこの主題にもぴったりな感じだ。調性も同じト短調だ。このTristesse allanteと言う表現は70年代ちょっとした流行的表現だったような気がする。たぶんフランソワーズ・サガンの「悲しみよこんにちわ」の影響もあったんではないかと思う。
また脱線した。

ピアノの左手はこの曲の多くの箇所と同様に拍の頭が休符(ここでは16分休符)になっていて弾くのはちょっと厄介な箇所。第1楽章の冒頭のピアノの左手もひたすら「後打ち」でピアニスト泣かせだが、こっちはもっと厄介かもしれない。とは言っても音の数はこの前も書いたように極めて少ない。本当にこんなに少なくて良いのというくらい。ところが素晴らしく響く。こう言う書き方は鍵盤音楽の歴史をたどって行くとやはり前例はバッハ以外にない。バッハのパルティータなどに良く見かける書き方だ。


終楽章に出て来るこの写真の部分がちょっと面白い。チェロパートはこの曲の中では技術的にちょっと厄介な部分だが、ピアノも結構嫌な所だろう。
チェロがピアノを1拍遅れで追いかけるカノン風になっているが、同じ音ではない。音が微妙に違うのだ。
耳にすると調性感がかなりあやふやなヘンテコリンな音に聞こえなくもない。晩年のフォーレ独特の和声感というか対位法感だなと思う。
シャルル ケクランの和声法(ケクランは確かフォーレの弟子だった)の中で、しつこいほどに注意しているのが「調的安定」である。20世紀初頭の和声法は伝統的和声法の中で調的にどのくらい冒険が出来るかというある意味二律背反のチャレンジの時期でもあったと思う。方やドイツでは完全に調性のない音楽が台頭してきた時代だったせいもあるのだろう。「調的安定」を保ちながら調性からの逸脱がどのくらいできるかという事だ。(余談。この「調」を「法」に代えると今の日本の政治の話になるな。「法」のほうは「調」よりよほど危険だが)
フォーレのこのパッセージは(他にも沢山あるがほんの一例として)そういう事へのフォーレの回答みたいな所がある。