プロデュースユニット「ななめ45°」

白木原一仁による表現ユニット。関西を拠点に、パントマイム/ダンス/音楽を取り込んだ演劇をプロデュース形式で展開中!!

歌舞伎観劇

2008年07月30日 02時33分45秒 | シロキハラの素ン晴らしい日々
大阪松竹座に行ってまいりました。

歌舞伎初体験。

いや正確には3回目。
高校の時の芸術鑑賞とごった煮イベント。


1回目は芸術関係の人間を馬鹿にしていた時期。
ちょっと誤解を招くかも。
親族に音楽やら絵画やらをやっている人が多くて、身近すぎたが故に避けていたという方が正しい。


2回目は芝居始めた頃に進行の手伝いで偶然に。
その時目の前にあるものが自分の中で大きすぎて、何気に見ただけではあまりグッとこなかった。


今回は、
良かった。
タイミングもあるのかな?

所作、衣裳、装置気を引くところだらけ。
演奏についてはまだ追いつけなかったけど。

演目については今日観た昼の部より夜の部の方がなじみやすいかも、という話を聞いていただけにハードル下げ気味(?)に観ていたのが良かったのかもしれない。
全然そんなことはなく、いろいろ楽しめた。

ネタ部分は細かすぎてあんまりだったけど。
「実印を」と言われて本物のハンコ出しても見えまへん。小さすぎ。

だけど「自由なんだな」というのが判った。
これが正直な感想。
能よりも間口は広いね。
観に行きにくかった心の氷が溶けましたわ。


あと、予備知識があれば尚良しというところ。
古典芸能って見方を知らなければ分からないところが多いじゃない?
これって偏見?

形式として残さねばならないところと、門戸を広めることの狭間で闘っているイメージがあったけど考えすぎだった。
和物古典にありがちな「そういうもんだ」的な部分には疑問はあるが、それも楽しみの1つだわね。



さて、芝居やマイムもそうなんだけど、新しいことをすればするほど別物になっていくことがある。
楽しみどころが変わっていくと言うか・・。
そのため仮に古典芸能であったり、形式がしっかりしているのは強みだなと思う。

ある程度の「縛り」は必要だと思うのね。
自分の中では言葉を使わないことだったり。
・・セリフ芝居も出てますけど。
あくまで「セリフは論理」だから、その内側にあるテンションやエネルギーを身体で表現出来ないかと考えてます。

目には見えないものを視えるようにするとか、感じられるようにするとか。

今の自分では1000人キャパの小屋が限度です。
もっと大きいところでやりたいね。


とにかく新しい1日でした。
フジモトさん、また頼みます。

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