ナナカゴ日記 ただいま幸せ60代

60代。突発性難聴。備忘録。呟き。まだまだスーパーパートw

“ 俳優・石井正則、「差別の記憶」を撮る ”に惹かれて

2019年12月07日 | 日々 雑感

2020年2月29日から5月6日まで、国立ハンセン病資料館(東京都東村山市青葉町4-1-13)2階企画展示室にて、石井正則写真展


この記事を読んで、写真展に行きたくなりました。
記事中に出てくる 宮城県登米市にある国立ハンセン病療養所・東北新生園、わたしが子供の頃に育った土地の近くに有ります。でも、行ったことはありません。
父も母もこの登米市の出身ですし親類縁者が沢山居ます。

その場所でこの療養所で故郷函館から隔離されて、70年も人生を過ごされた方の生きざまに涙が流れました。


観てみたいです!石井正則さんが撮った写真!


ハンセン病は感染症の一種で、病名は1873(明治6)年、らい菌を発見したアルマウェル・ハンセンに由来する。感染した者の顔や手足に後遺症が残ることから偏見や差別の対象となり、世界で隔離政策がとられてきた。日本で最初に隔離を定めた法律は1907(明治40)年に「癩(らい)予防ニ関スル件」で、家族と縁を切って放浪する患者を隔離するのが目的だった。これにともない、国内に5か所の公立療養所が設立された。その後、1931(昭和6)年に「癩予防法」に改正され、全ての患者を対象とする強制隔離が始まり、感染が確認された者は否応なく施設に収容された。既存の公立療養所は国に移管され、新たに国立療養所は8か所増えて13園となり現在に至っている。施設を脱出しようとすると懲罰が与えられ、強制断種・強制中絶のような人権侵害が行われた。

らい菌の感染力は非常に弱く、その後に特効薬が開発されたこともあって、世界で隔離政策は廃止されていく。だが日本では1953(昭和28)年に「らい予防法」が新たに制定され、1996(平成8)年に廃止されるまで隔離政策は続いた。
入所者たちは長年の隔離政策は違憲だとして、98年、熊本地方裁判所に提訴。2001年に原告全面勝訴の判決が確定した。現在、ハンセン病は完全治癒が可能で、療養所の入所者たちも治癒し「回復者」とも呼ばれている。