ha det sa bra!~よい一日を~

弓道の備忘録と ときどきお出かけ日記

現実的にやらなくてはならないこと

2015-08-19 00:42:13 | じぶんのこと
その後、自分の感情は一時無くなった
かと思う。



父が遺体となってしまい、
病室にいつまでもいれないことに気づく。



看護師さんからも優しくさとされた。

「お迎えのお車はお手配ずみですか」


正直、父の短い闘病生活の中で
支えとなってくれた看護師さんに、それを
言われたら、もう、それは、ものすごく
ショックだったと思う。

けれど、その人は支えとなった方ではなくて
普通の看護師さん。
なんだか事務的というか、
仕事も雑な感じの看護師さんだったので
ムカッときながらも、そうですよね、と
受け入れた。



別に今思えば、お気遣い頂きながらの
言葉だったんだと思うんだけど、、、
ごめんなさい。

小さいことにもいちいち気になって
しまったのかもしれない。


そんなこんなで
遺体安置の場所を決めなければならない。

皆がそうなのかもしれないけれど
事前にどうするか決めてなかった。

こういう時って、親族は誰かが
しっかりしなくてはいけないなと
本当に思った。


夏だし暑いし、実家にエアコン無いし、で、
葬祭会館にお願いすることに決めた。


そして、申し訳ないけれど安いところに
決めた。


現実的で嫌だけど、仕方ない。
父は自由に生きてきた人間だ。



葬儀屋さんを決めただけでは
まだまだ、終わらない。

通夜、火葬、葬儀、法要、
誰を何人呼んで、お返しはどうする、
振る舞いはどうする、そもそも
お寺さんの都合はどうか、などなど、、

闘病中に、父が幼馴染に会いたいと
言っていたから、なんとか連絡を
繋げたい。
でも、会ったことないし確証ないし。

そして病院の支払いも。
超現実的。
悲しんでる暇なんてない。


親戚のおばちゃんが近くにいてくれた事は
精神的にも闘病のときもずっと支えになった。

状況が状況だけに
決めなくちゃいけない色々なことが
苦痛だった。


ちなみに仙台は、
通夜から、火葬を終え葬儀をする。

関東なんかだと、葬儀の後に火葬するらしい。


今回、お盆前に亡くなったので
お寺さんは忙しくて、火葬の際には
お坊さんに来てもらえなかった。
だから、通夜の際にまとめてもらった。


亡くなったばかりのときに
お寺に電話したが、早い時間で出なかった。
こういうことは、誠意が大切だから
直接伺うべきだと叔母が弟をつれて
お寺に向かってくれた。

おかげで、葬儀屋さんからは
しばらく遺体安置しなくてはならないかも
と言われていたのに、
翌日に通夜、翌々日に葬儀、法要となり
予測より早く供養することができた。

我が家は、親戚付き合いは濃くなくて
たぶん、最後に会ったのは私が中学生の頃
なんてのがザラ。

でも、叔父ちゃん、叔母ちゃん達は、
優しく話しを聞いてくれて
通夜にも葬儀にも法要にも来てくれて
本当にありがたかった。


そして、通夜には私の勤務先の本社から
供花、電報を頂いた。
今の事業所と前の事業所からも電報を頂いた。

通夜には友達も仙台の事業所のみんなも
心配して来てくれて。。。

その後も、会社の仲の良い方達から
気にかけてもらっていて、
申し訳ない気持ちと、
ちょっと挫けそうになっていたから、
がんばらなくてはと思うことが出来たし
ありがたかった。

そうそう、通夜に受付をお願いするのを忘れ
友達に急きょお願いしてしまった。

本当に助かった、、、
こんな時まで、みんなに支えられている。

通夜には父の幼馴染にも連絡がつき、
来て頂くことが出来た。



通夜の時にお坊さんが
ありがたい法話をしてくれた。

最近、戒名を自分で付けたがる人が
いるらしい。

戒名は仏様のところにいったときの
名前で、現世での生き方を表したものが
戒名となるそうで、自ら名乗るなんて
おこがましいことだと。

なるほどねー!

それから、正しいおりんの鳴らし方も
教えていただいた。

側面や断面部分を叩くと良い音が出ない。
綺麗な音色を出せるやり方は
断面部分の外側を下の方から叩くらしい。

あと、叩く回数は
後ろに並んでいる人の人数によって、
つまり周りの空気を読んで叩けば
良いらしい。

本当の回数は、
あれ、何回だっけかな、、、
忘れた、、、

まあ、とにかくありがたいお話で
皆んな、良かったと言っていたから、
これもありがたいと感じた。


火葬、葬儀が終わり、
法要では、久しぶりに親戚に会った母が
ごはんもしっかり食べていたし、
笑っていたので少し安心した。

葬儀社にお願いして何から何まで
やってもらって本当に良かった。

遺骨を、自宅に持ち帰り
曹洞宗だから?仙台だから?
初七日まで、毎日、団子を7個作って
お供えした。

こういう、やらなくてはならないこと、
全く分からなくて、叔母に沢山教えてもらい
感じたこと。

これまで、こういうことを面倒と思っていた
けれど、その、やらなくてはならないことを
やるだけで、心の支えとなっていたことに
気付くことが出来た。


































コメント
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