ha det sa bra!~よい一日を~

弓道の備忘録と ときどきお出かけ日記

転院先

2018-04-06 22:43:58 | じぶんのこと
母の転院先の病院との面談のため
仙台に帰省しました。

最寄り駅の愛子駅は
枝垂れ桜が満開で、なんだか
迎えてくれてるような気持ちになりました。







お世話になる西仙台病院は
職員さん皆さんが明るくて
病院全体は古いけど清潔感があり
好感がもてました。

しかも、叔母も入院中。
従兄弟にいろいろ聞き込み中です。



脳梗塞で国立病院に搬送されて
もうすぐ1ヶ月になります。

あ、国立病院は医療センターと
名称変更してるらしいけど馴染まないから
国立病院といいつづけますw


国立病院は急性期病院のため、
いつまでもお世話になることは出来ません。
国の方針です。

母の病状から慢性期病院に転院すると
方針を決め、この度お世話になることになりました。



方針を決めるにあたり
私たちには選択肢はないものの、葛藤はあり、
心が揺れ動いています。
いや、いました。
いや、揺れ動いてはいけないのかもしれない。
受け入れなければならない。
受け入れる覚悟を持たなければならない。



父が亡くなり、老老介護から、
弟が母を看ることとなりました。

一人暮らしをしていた弟が
実家に合流してくれました。


弟は独身で、夜勤の仕事をしています。
長男だからか、甘えられて育てられたのか
自由奔放な、空気を読めないヤツです。

それでも頑張って暮らしていました。
大人になっても
我儘に母に甘えながら
大切に思っていたようです。




今回の脳梗塞で、母は
二人が住んでいるところに
帰ることは出来ません。


環境も整っていないし、
介護を出来る体制にないからです。

弟は、母の世話をしたいけど
そうすると収入がなくなる。


現実問題、
入院も毎月15万くらいはかかる。

実家は自営業だったから、
厚生年金の年金は
国民年金の支給よりも少ないし、
財産もないし、貯金もないし、
不足分は兄弟二人でおぎなう。


西仙台病院は良い病院だけど
遠くて、、、
会いに行くことが難しくなりそう。

近くにいて欲しいけど
介護が出来ない環境です。

だから
母は
帰れないのです。




わたしは、仙台にいないから
なんにもできない。

仙台にいないことに、罪悪感すら感じる。

東日本大震災のときと
気持ちが似てる。

近くにいたいのに、いられない。
自分なりにしか、寄り添えない。




今日のお見舞い中、
リハビリの看護士さんがいらして、
母をほぐしてくれました。

色々お話していくなかで
現実をしりました。


手を握ると握り返してくれていると、
思っていたのは
脳の、侵されてしまった、脳梗塞特有の反応だと。

左側は動いていると思っていたけど
脳梗塞特有の反応だと。



でも、、、
諦めたくありませんけどね。

現実を知ったうえで
何ができるのかを探してやっていきたい。
希望と望みを捨てず、信じたい。



母の脳梗塞は重く
意識が戻るか、わかりません。


もう、目を合わせることも
気持ちを、感謝を伝えることも
出来ないかもしれません。


西仙台病院は、
終の住処になるかもしれません。

希望は捨てていませんが
覚悟も必要かと思っています。


今出来ることを
していくしかないと思っています。






















コメント (2)
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