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「源氏物語」は伝え方が10割

「理系学生が読む古典和歌」
詳細はアマゾンの方をご参照下さい。

(注441138):「法」と「理」ふたたび

2021-04-24 23:01:58 | (注) その他

 


(注441138):「法」と「理」ふたたび

 


「墾田永年私財法」など、藤原氏は自らの一族に都合の良い<法律>を作り、荘園による脱税と国司による横領とによって、国富と国民を食い物にして、一族の繁栄を築き上げました。
また、藤原仲麻呂は紫微中台で好き放題に国政を操ろうとしました。

***「鋳銭」<貨幣鋳造権>「出挙」<税徴収権>************
光明皇后のもとで新設された皇后直轄の「紫微中台」の長官として仲麻呂は<兵権(軍隊指揮権)>まで掌握しました。
仲麻呂に「鋳銭」<貨幣鋳造権>「出挙」<税徴収権>の特権を手渡したばかりか、挙句の果ては無謀な新羅追討計画まで認めてしまいます。
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***「墾田永年私財法」<私的荘園>「公げ稲(くげとう)」<公的ピンハネ> ***********
藤原氏は荘園という脱税システムを濫用して国富を掠め取り、天皇家を圧倒する財力を築いていました。
荘園の根拠となる「墾田永年私財法」を所轄する大臣は民部卿ですが、この法律の制定は藤原仲麻呂が民部卿であったときと重なります。
国司・郡司(すなわち役人)による税のピンハネを公然と認めた「公げ稲(くげとう)」制度も仲麻呂民部卿が作りました。
それ以降、私的な荘園経営と受領国司による公的な搾取(ピンハネ)で藤原氏はどんどん肥え太ります。

称徳女帝と道鏡は、その「墾田永年私財法」によるこれ以上の私的な開墾を禁止しました。
しかしそれも束の間、女帝が崩御し左遷された道鏡が下野国に流されるや否や、この禁令は解除されました。
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上記とは別ルートの国司の違法な横領も、当時常態化していましたが、上記は皆、形の上では「合法」です。
別に法律(律令)に違反しているわけではありません。
というより、「荘園」という<実質的脱税行為>を合法にするために、藤原氏はわざわざ「墾田永年私財法」やら「不輸の権」やら、関連法案を法制化したわけです。
また、甥に当る藤原仲麻呂のわがままを通すために、唐の律令にはない「紫微中台」などという役所を、藤原光明子(皇后)はわざわざ作ったわけです。
その行き着く先は、「悪法もまた法なり」「形式的法治主義」「法律万能主義」がはびこる末世、「末法の世」でした。


****(注221170)参照


「ハゲタカファンド」と揶揄されたヘッジファンドが、通貨の容赦ない「売り浴びせ」によって、かつてタイの経済を混乱に陥れたことを、ご記憶の方も多いでしょう。
ごく一握りの投機筋の思惑によって、一国の経済が危機に瀕したわけですが、さりとて、その行為は「違法」ではありませんでした。
2008年のリーマンショックの余波は、世界中に波及し、日本でも就職浪人が街に溢れ、また、国債発行額は五十兆円の大台を突破しました。
しかし、サブプライムローンが「違法」だったわけでもありません。


***「法」「合法」とは何か? *****
かつて私は「貪欲はいいことだ」と言った。
今は「貪欲は合法だ」と言うらしい。
(映画「ウォール・ストリート」)
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***「不文律」<アタリマエのこと>********
確かに「サッカーの試合にカニを出してはいけない」という条項は無い。
だが、それは、当たり前だからだっ!
(映画「かにゴールキーパー」)
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仲麻呂は、「紫微中台」をタテにして、横様(よこざま)に我が意を押し通そうとしました。

「カニの横歩き」だけに。
「恵美押勝」だけに。


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何その上手いこと言ったみたいな顔。腹立つ。
(増田こうすけ「ギャグまんが日和」妖怪ろくろ首)
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これが言いたかったためだけに、「紫微中台」の話題をわざわざ付け足しました。
長い前フリですみません。


とはいえ、乗りかかった船なので、ひと段落するまでためしに書き続けてみましょう。
興味の無い人は、ここで読み終わって頂いてかまいません。
ここまでお付き合いありがとうございました。


「横様(よこさま、よこざま)」<横方向><横向きになること><道理に合わないこと><非道なこと>

ちなみに、藤原仲麻呂は、既に懐柔していた淳仁天皇の即位に合わせて、新たに「恵美押勝(えみのおしかつ)」と名乗りました。

 

かつて自身の政治資金の不明瞭な使途を世に取り沙汰され、記者会見で質問を受けたとき、
小沢一郎氏は、「適法に処理した」という言葉を繰り返すのみでした。
それは、まさに絵に描いたような「押し問答」でしたが、それでも<不起訴処分>という結果に終わりました。
コトの良し悪しはさておき、言葉の裏に隠された小沢氏のホンネを、あの時疑う国民は、誰一人いなかったでしょう。

 


もはや「法の精神」が死に絶え、法(悪法)と藤原氏だけ生き残った、そんな時代にあって、紫式部が求めたのは、「法」ではなく「理」でした。
「法」そのものではなく、<「理」不尽なこの世に「理」を実現しようとする>「法の精神」でした。

 


詳細は下記和歌のファイルをご参照下さい。


***「理(ことわり)」**************
(光源氏65).やしまもる国つ御神もこころあらばあかぬ別れの中をことわれ
(秋好中宮の女別当1).国つ神空にことわる中ならばなほざりごとをまづやたださむ
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(注448837):「コトバの力」について

2021-04-24 15:15:17 | (注) その他

 


(注448837):「コトバの力」について

 


***「コトバの力」************
この物語は、巨大合体ロボ・ダイキギョーに配属されたばかりの、コミュニケーション能力に乏しいサラリーマンパイロット城戸泉司が、伝え方を学び、「コトバの力」で円滑に地球を守っていく、SFコミュニケーションドラマである。
(ドラマ「77部署合体ロボ:ダイキギョーは伝え方が9割」)
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コトバの力は絶大です。
コトバは、それを発した一人の人間の力を、時としてはるかに超越する力を持つこともあります。
イエス語録も、その分かりやすい一例でしょう。

しかし、誰しも「コトバの限界」を感じるように、いくら強力なコトバでも、<万能><全能>ではありません。
「宗教の『方便』なら、何を言っても許されるのか」でも述べたように、
コトバの<もどかしさ><空しさ><無力さ>は、我々も日常生活で、むしろしょっちゅう実感するところです。

・自分の望みを言葉で周囲に上手く伝えられない知的障害者。
・経済援助の言質を引出そうとして、実行するつもりも無い空言を繰り返す北朝鮮の瀬戸際外交。
、、、、

これらは全て、コトバの<もどかしさ><空しさ><無力さ>を、何より雄弁に物語っています。
ユダヤ教とイスラム教の争いにおけるパレスチナ和平交渉の歴史など、コトバの<空しさ><無力さ><もどかしさ>の展覧会のようなものです。


もっとも、コトバの<空しさ><軽さ>は、むしろ年若い皆さんにとっての方が常識で、それこそ「釈迦に説法」かも知れませんね。
「好きって言ったじゃない!」
「奥さんとは別れるって言ったくせに、、、」
なんて、ドラマの台詞やポップスの歌詞に、いかにも出てきそうなフレーズです。
こと男女の仲に関しては、「口約束」という<言質>はもとより、「恋文」という<証文>すら、何の効力も無いわけですから。


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女房とは、ちゃんと話して別れるから。
(映画「八日目の蝉」)
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そう、コトバは、確かに<強力>であるとは言え、<万能><全能>というわけではありません。
それは、ひょっとして、コトバは人間の「鏡」であるからなのかも知れません。

 

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****参照:(注443326):「源氏物語」「日本古語」<宇宙遺産><他の言語では絶対に創作不可能な緊張感>


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(注443326):「源氏物語」「日本古語」<宇宙遺産><他の言語では絶対に創作不可能な緊張感>

2021-04-24 00:39:56 | (注) その他

 

(注443326):「源氏物語」「日本古語」<宇宙遺産><他の言語では絶対に創作不可能な緊張感>

 


日本の古語は、世界に稀に見る言語学的遺産です。
それは、「文学的」遺産というよりも、はるかに重要な意味において、「言語学的」遺産である、と言えるでしょう。

さて、
人類がこの調子で石油を消費し続けるなら、恐らく、あと十世代先(二百年後)には、我々の生活水準は、相当に後退しているでしょう。
そして、様々な文明の利器が、今と同様には使えなくなってしまっていることでしょう。
例えば、公共交通機関網の整備された都市部では、マイカー通勤は原則禁止、とか、地方でも自家用車は一家に二台まで、とか、そのような規制が出来ているかもしれませんし、逆にその程度の規制で済むならむしろオンノジ、と言うべきなのかも知れません。
あるいは、そもそも規制する必要すらないほど、ガソリン価格が高騰し、庶民にとっては「高嶺の花」になっているのかも知れません。
車どころか、それこそトイレットペーパーさえ自由に買えなくなっているのかも知れません。

 

****参照:(注222211):「狼少年」

 

人類が滅亡する時、とまでは行かなくても、そんな状況に陥った二百年後、仮にどこかの異星人へ向けて、ロケットを打ち出すとしましょう。
その時、そこに積み込む人類の遺産を、ちょっと考えてみましょう。

恐らくそこには「言語」も含まれるのでしょうが、スペースの制約上、ふたつの言語に関する資産しか積み込めないとします。
そして、仮に機械語を一つ、自然言語を一つ選ぶとしたら、自然言語には「日本の古語」を選ぶべきだ、と私は思います。
それは、英語やロシア語でないのはもちろん、「日本の現代語」ですらありません。
「古語辞典」(文法解説を含む)と「源氏物語」を積み込むべきだ、と私は思います。

異星人たちは、機械語については、ナルホドと感じ、「想定内」と見なして、それ以上の関心を示さないでしょう。
しかし、日本の古語の「極端なまでの両義性」には、恐らく驚嘆することでしょう。
<こんな言語でなぜ意思疎通が出来たのだろう?>と。
でも、その両義性を認識した暁には、現代の我々よりも、ひょっとして異星人の方が、紫式部の真意を的確に究明してくれるのかも知れません。
そうした意味で、「源氏物語」は、<世界遺産>ならぬ<宇宙遺産>と呼んでもいいかも知れません。

****(注74125)参照


<理性や良心にも従い切れない>けれども、
<動物のような生理的欲求や単なる損得勘定だけで割り切れるわけでもない>、という、
<なんとも中途半端な>、
「人間的な、あまりに人間的な」
我々の<人間性>を、
日本の古語は、鏡のように映しとっている言語のように思われます。

そしてそれは、「日本の古語」が、<世界に冠たる財産として誇るに値する>「歴史遺産」であることの、最大の理由だ、と私は思います。

極端な話、例えば、上記のような異星人は、我々人間の相当割合が必要とするような、「宗教」という<慰め>なんて、必要としないのかも知れませんよね。


「文は人なり」という格言の、通常の意味とは違った、もっと深い、いや、最も深い意味において、
日本の古語は、
「文は人なり」<「コトバ」とは「人間性そのもの」の反映である>
を体現している言語である、と私は思います。


詳しくは以下の和歌のファイルを御覧下さい。
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(藤壺宮3).袖濡るる露のゆかりと思ふにもなほうとまれぬ大和撫子
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****参照:(注445517):<二重の側面を持つ、一人の生身の人間>

「ニュートンはクリスチャンだった。だから科学と宗教は両立する」
「ヒトラーはクリスチャンだった。だからホロコーストとキリスト教は両立する」
という命題は真か偽か?

 

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さて、
我が国には、世界に誇れるものごとが、数多く有ります。
しかし、日本の古典文学、あるいは古語ほど、世界に誇れる遺産もそうそう無い、と私は感じます。

そういえば、「日本食」が「世界遺産」に登録されたそうですね。
他国の料理について、私はよく知りませんが、素材の持ち味を活かす繊細さといい、見た目の美しさといい、確かに日本料理は、もはや芸術の域に達していると言っても過言ではない気がします。

ちなみに、築地市場(豊洲市場)に水揚げ・取引される海産物の種類は、総計六百種超にもなり、それは、世界の魚市場でダントツの一位なのだそうです。
生物学的観点から言っても、確かに、脊椎動物で最も原始的な魚類種数の二万八千種に比べれば、高等動物たる鳥類、哺乳類の種数など、基本的にタカが知れています。世界遺産登録に至った真の理由はさておき、日本の食文化の多様性、奥行きの本質を突き詰めると、やはりそこに行き着くのでしょう。

肉の食べ方の多様性については、日本と比べてヨーロッパには、やはり一日の長があるのでしょうが、それは恐らく、海産物の食文化の多様性における日本のアドバンテージの比ではないでしょう。
ですから、もちろん「日本食」も、世界に冠たる素晴らしい文化資産だと思います。
しかし、私はそれ以上に、「日本の古語」は価値ある文化遺産だと感じます。
法隆寺よりも、平泉よりも。


たとえば、
法隆寺や奈良の大仏が、どれほど素晴らしい建築技術による建造物であろうと、
どれほど多額の経済効果を生み出していようと、
その価値は、「源氏物語」の足元にも及ばない、と私は思います。


それは、法隆寺や奈良の大仏が、所詮は「物財」に過ぎないからかも知れません。

唯物論者である私が、こんなことを言うのは妙な気もしますが。

 

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日本の古典文学の最大の魅力は、「あはれ」や「をかし」ではありません。
その程度のことなら、どんな国の古典文学にも、いや、現代文学にすら、あふれ返っています。

「リア王」にだって「あはれ」はありますし、「ヴェニスの商人」にだって「をかし」はあります。
「全て世はこともなし」で知られるブラウニングの「春の朝」など、枕草子そのまんまです。

 

<日本の古典文学ならでは>の最大の魅力は、古語の言語学的特性が生み出す、極端なまでの「意味の重層性」と、
それを利用して真意を<隠しつつ伝えようとした>「社会性」にある、と私は思います。
いわば、「文学」と「社会」の間を、「言語学的特性」がブリッジした、とでも言えるでしょうか。

その「社会性」「命がけの訴え」の、ギリギリの綱渡りの危うい<緊張感>が、日本古典の最大の魅力です。
そして、それは、日本の古語以外では、絶対に創作不可能な緊張感です。


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異星人に、真に驚嘆してもらえる我々の遺産は、案外少ないのかも知れません。
その意味で、「源氏物語」は、地球からの「黒船」の、大切な手土産の一つ、と言えるでしょう。

 


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(注440067):「自然」<神様の作ったもの>「自然科学」<人間の作ったもの>

2021-04-21 11:50:01 | (注) その他

 


(注440067):「自然」<神様の作ったもの>「自然科学」<人間の作ったもの>

 

 

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もし如何なる小説家もマルクスの唯物史観に立脚した人生を写さなければならぬならば、同様にまた如何なる詩人もコペルニクスの地動説に立脚した日月山川(じつげつさんせん)を歌わなければならぬ。が、「太陽は西に沈み」と言う代わりに、「地球は何度何分廻転し」と言うのは必ずしも常に優美ではあるまい。
(芥川龍之介「しゅじゅの言葉」)
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「神」の存在を信じない私が、「神」という言葉を使うのも変ですが、これはあくまで例えとして、
神様の作ったものの中で、最も素晴らしいものは「自然」だ、と私は思います。
そして、
人間の作ったものの中で、最も素晴らしいものは「自然科学」だ、と私は思います。

もちろん、これは私自身の主観であって、そう思わない人は、科学者も含めて世の中にゴマンといます。
例えば、ニュートリノの検出でノーベル物理学賞を受賞した小柴先生もその一人です。
ですから、皆さんは上記の私の主観に従う必要は毛頭ありません。
ただ、私自身は、他の人文諸科学や宗教はもちろん、芸術やスポーツも含めて、あらゆる人間の営みの中で、「自然科学」が最も素晴らしいものだと思う、というだけの話です。

それは、「自然」は、人間(ヒト)がいなくても存在していることと関係があるのかも知れません。
当然のことながら、「自然」は、ヒトが地上に現れるずっと前から、存在し続けて来ましたし、また、ヒトがいない遠い宇宙の星にも「自然」は存在しています。


***「meme」<ミーム>***************************************
「gene」<遺伝子>と対比して、「meme」<ミーム>という造語があります。

遺伝子は、その繁殖の成功度に応じて、自分の複製を拡散し、地球上で分布を増やしていきます。
それと同じように、コトバ(記号)は、その使用頻度に応じて、複製が拡散され、様々な情報媒体、すなわち、書物やテレビ、ラジオ、インターネット、電話、、、や人の口頭での発話の中での分布を増やしていきます。
このコトバ(記号、情報)を、<ミーム>と呼びます。
<ミーム>という言葉は、元々は、<人の脳内から他の人の脳内へと伝播、拡散して複製されてゆく>「(情報の)自己複製子」という意味で、「利己的な遺伝子」の著者、リチャード・ドーキンスによって造られました。
「パントマイム」と同じく、「mime」<真似><模倣>が語源で、そこから<複製>の意味が当てられました。

遺伝子が複製され、伝播、拡散するには、核酸という「物質」の担体が必要です。
しかし、ミームは、その伝播や拡散に、必ずしも「物質」担体を必要としません。
何もない真空中でも、電波によって、情報を伝えることが出来ます。
テレビや電話はもちろん、遠く離れた星にも、情報を送れます。
遺伝子や生物を送るには、宇宙船で輸送しなければなりません。
でも、ミーム(記号、情報)であれば、ロケットが無くても、遠い星に送り届けることが出来ます。
しかも、文字通り、<光の速さ>で。

人類、あるいは地球の生物の未来がどうなるかは分かりません。
地球の中だけで寂しく絶滅する可能性も高いでしょう。
どこかの星に移住するのは大変です。
多少セーブして食いつないだところで、それは、「三時の葬式が五時になる」というだけの話かも知れません。

しかし、仮に地球上の生物が、どこにも移住できず、滅亡の時を迎えたとしても、
我々が電波に乗せて放ったミームは、どこかの星の異星人に受け止められ、生き残ることが出来るかもしれません。

その時、我々の発見した自然法則は、その星でも何ら変更の必要なく、活用されることでしょう。
「ヒト」も含め、生物の生命の本質は、「遺伝子」という<物質>です。
しかし、我々「人間」の、次代に伝わる本質は、もはや、<物質>の呪縛から脱皮した「ミーム」であるのかも知れません。
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****参照:(注443326):「源氏物語」「日本古語」<宇宙遺産><他の言語では絶対に創作不可能な緊張感>

 


まあ、わざわざ遺伝子という「物質」そのものを送らなくても、
塩基配列という「記号」さえ受け取ってもらえれば、
我々の拙い技術より、宇宙人ははるかに完璧に、そのクローンからヒトを再生してくれるかも知れませんよね。

 

それはさておき、
「自然」を最も<真芯でとらえて><率直に><直接>記述するのは、「自然科学」だ、と思います。
他の人に何かを伝える、あるいは自分の思考を着実に作り上げるのに、どうしても不可欠になる、記述のその「正確さ」「直接性」に、私は心惹かれます。

 

ディラックの形式で記述された波動方程式に初めて触れたとき、人は誰しも感動します。

様々な事象から、外被を削ぎ落として法則を抽出し、それを数式として定式化する、その<抽象性>に美しさを感じる人も多いでしょう。
逆に、その数式に、好きな数値を代入することによって、我々は、経験したことの無い個々の事象について、とても<具体的な>イメージを手に入れることができます。

たとえば、
「標高百メートルにつき、気温が0.6度下がる」という数式を利用して、
我々は、登ったことのない山々の、空気の冷たさを、とても具体的に想像することが出来ます。
「水深十メートルにつき、水圧は1気圧上がる」という数式を利用して、
我々は、潜ったこともない深海における、肌への圧迫感を、とても具体的に想像することが出来ます。

このような、
<抽象性>の<美しさ>と、
<具体性>の<地に足の着いたイメージ>の<有用性>との間の、
双方向の往来を、数式以上に明瞭に体験させてくれるものは無い、と私は思います。


****(注801)参照

 

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「黒船」に乗って日本にやって来た、「自然科学」に基づく製造業(物理・化学)、あるいは医療や近代農業(生物学)、資源開発(地学)が大切である理由は、<物質的福利>のみではありません。
科学の勉強を通じて「自然の摂理」に触れた感動は、皆さんにとって、何ものにも替え難い財産となることでしょう。

ちなみにアインシュタインは、とても簡素なアパートに住んでいたそうです。
もっとも、それは単に、離婚の慰謝料を捻出するためだった、という説もありますがww


まあ、神の存在を信じない私が、「神様の作ったもの」などと言うのが変なように、
<古典和歌の魅力を知って欲しい><それを他の人にも伝えて欲しい>と思って、わざわざこれら一連のファイルを書いた私が、「自然科学がイチバン!」などと言うのも、やはりおかしな話なのかも知れませんが。

 

まあ、ことの良し悪しはあくまで別にして、
「表面的な目的合理性」「目先の経済的利益」よりも、
「自然の摂理」「神の作ったルール」を究めたいと感じるのが、恐らく「理」系の発想に近いのでしょう。


その発想によって、マックスウエルは純粋に理論から電磁波の存在を予言し、
その二十年後に、ヘルツはその予言を実験で立証しました。
もちろんあなたのスマホもその恩恵の一つです。

 

***「本人すら予想しなかった実用性」************
マックスウエルが1864年に予言した電磁波の存在を、それから二十年あまり後の1888年に、ヘルツは実験で立証しました。
(砂川重信「電磁気学の考え方」)
それがこれほどまでに人間生活の役に立つとは、当時誰も、いやマックスルウエルやヘルツ本人すら予想しなかったでしょう。
もちろん、あなたのスマホもその恩恵のひとつです。
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少女:アーマコスト先生。
先生:何?
少女:宇宙にいるとき、旦那さん(宇宙飛行士)は神様を見たことがあるの?
先生:。。。
少年:宇宙人はどう?
(映画「ノイズ」)
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(注441186):「防人」「東国」

2021-04-21 01:31:15 | (注) その他

 


(注441186):「防人」「東国」

 

防人として徴集されると、筑紫(九州)、対馬、壱岐で三年間国防の任に当たりました。
防人は、663年の白村江の敗戦の緊張の中で始まり、9世紀初頭まで、一期二千~三千人、のべ十万人以上が徴兵されました。

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東男は 出で向ひ 顧みせずて 勇みたる 猛き軍士と、、、 (万葉集 巻20、4331、大伴家持)
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勇猛であるとの理由で、防人には主に東国の人々が徴兵されたそうです。(阪下圭八「万葉集 東歌・防人歌の心」)
よりによって九州から遠距離にある東国の人達が。
冬は厳しい雪に見舞われる東国の農業や漁業は、温暖な瀬戸内などより苦労が多かったであろうことは想像に難くありません。
農家は、働き盛りの男手を取られるばかりか、旅費と武器は自腹でした。
徒歩や水路で、常陸の国(茨城県)から筑紫(九州)までは数ヶ月かかります。
防人の多くは、故郷に戻ってこれなかったそうです。
また、防人が一人出ると、その家は滅びる、とも言われたそうです。
(参考:学研「まんが 中学日本史202」)


母親もいない幼子だけ残して筑紫に向けて旅立つ防人の歌が万葉集に残っています。
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からころもすそにとりつきなく子らを おきてぞ来ぬや母なしにして (万葉集、20-4401、他田舎人大島)
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詠み人は、信濃国小県(ちいさがた)郡の国造の丁(使用人)で、755年二月、雪深い信濃の地から防人として筑紫に徴集されました。

 

受領の父親為時に同行して移り住んだ越前の雪深い地で、
農民が、過酷な自然との戦いばかりでなく、重税にも苦しめられていることは、
紫式部の耳に嫌でも入ってきたことでしょう。

 

他田舎人大島(おさだのとねりおおしま)の名は「田舎人(ゐなかびと、ゐなかうど)」の文字を含んでいます。


「東国」には<田舎><野卑><地の果て>のイメージがつきまといます。


詳細は下記和歌のファイルをご参照下さい。


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(近江の君1).草若み「ひたち」の浦のいかが崎いかであひ見んたごの浦浪
(弘徽殿女御の侍女1).「ひたち」なるするがの海のすまの浦に浪立ち出でよ箱崎の松
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