(注445517):<二重の側面を持つ、一人の生身の人間>
「ニュートンはクリスチャンだった。だから科学と宗教は両立する」
「ヒトラーはクリスチャンだった。だからホロコーストとキリスト教は両立する」
という命題は真か偽か?
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「地に足のついた話の進め方」で述べたように、
仮にガリレオやダーウィンが、彼らの生活、あるいは人生において、キリスト教を、あるいはイエスの奇跡を信じる瞬間があったとしても、それは単に、その瞬間は彼らは「科学的」ではない、「科学者」ではない、というだけの話です。
ひとりの人間に様々な側面があることは、皆さんも自分自身のこととして実感するでしょう。
それは、ことさら「多重人格者」でなくても、ごく普通に経験することです。
普段はとても穏やかな人が、それこそ「人が変わったように」感情的になる時がある、なんてことも珍しい話ではありません。
それと同様に、
いわゆる「科学者」「研究者」という<職業><肩書き>を冠している人でも、日常生活、あるいは人生において、「非科学的」「宗教的」になる瞬間は山ほどあります。
従って、
「ニュートン、いやガリレオすら神を信じていた」
「ダーウィンは敬虔なクリスチャンだった」
<だから科学と宗教は両立する>
という詭弁(論点のすりかえ)に、皆さんもひっかかってはいけません。
****参照:「地に足のついた話の進め方」
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そもそも、
(A)「ニュートンはクリスチャンだった。だから科学と宗教は両立する」
と言う単純な論法が成立するなら、
(B)「ヒトラーはクリスチャンだった。だからホロコーストとキリスト教は両立する」
という命題も「真」になるでしょう。
まあ、実際、大航海時代に、南米の未開部族の人々を一掃したのも、オーストラリア大陸の数多くの動物を絶滅させたのも、
他ならぬ「キリスト教徒」だったわけですから、(B)の命題は、必ずしも「偽」とは言い切れないのかもしれませんが。。。。
太宰治が「駆け込み訴え」で、<ユダの報われぬ愛と苦悩>を描いたのは1940年、大戦(1941年12月開戦)の直前です。
その同じ年、ドイツでナチスの宣伝を担っていたゲッペルスは、全く反対に、「さまよえるユダヤ人」という<反ユダヤ>のプロパガンダ映画を作りました。
***「ホロコースト」の「正当化」****************
ナチスの宣伝相ヨーゼフ・ゲッペルスは「さまよえるユダヤ人」(1940年)という反ユダヤ主義のプロパガンダ映画を製作した。
ドキュメンタリー形式によって、さすらう文化的寄生虫であることが、ユダヤ人の永遠の人種的特質である、と強調している。
「イエスを売り渡したユダ」と「さまよえるユダヤ人」の二人が、「神殺しのユダヤ民族」と一体となって、ホロコーストの「正当化」が完成したのである。
(竹内節子「ユダ 烙印された負の符号の心性史」p.112)
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仮に、太宰治の「駆け込み訴え」が、ヨーロッパですぐさま翻訳・出版・広告されていれば、あのような悲劇は、多少なりとも緩和されていたことでしょう。
そして、新約聖書の平板的、というより、強烈な意図的バイアスを経て築かれたユダ解釈がなければ、
やはりあれ程の悲劇は、そもそも起こらなかったでしょう。
何はともあれ、ネット時代に生きる我々は、情報統制が支配的だった時代と比べて、ラッキーであることは間違いないのでしょう。
ちなみに、コトの良し悪しはあくまで抜きにして、
いわゆる「外典」に当たる、「ユダの福音書」が日の目を見たのは、1970年代になってようやくのことでした。
****(注4437)参照
ちなみに、大航海時代には、現地での収奪を正当化するために、
「教化」「キリスト教」は、むしろ前面に押し出されて、未開の地が蹂躙され続けたという史実を、知っておいて損は無いでしょう。
興味のある方は、「ミッション」という映画を見てみて下さい。
***「政治家に利用される<全能>の神」?? *****************
このような史実に対して、
「政治が宗教を利用しただけだ」
「教会が神を利用しただけだ」
というような反論がしばしば聞かれます。
しかし、
「政治家に利用される神」って、そもそも<全能>と言えるのでしょうか?
もし全能であれば、「オレ様の名を勝手にかたるな」と、時の政府に対して、直ちに厳罰を与えたのではないでしょうか。
なぜ、ユダヤ人が六百万人(?)も殺される前に、神はヒトラーを罰しなかったのでしょうか。
「自然科学との両立」云々はこの際抜きにして、
その神を<全能>と形容することに、皆さんは違和感を感じませんか?
そんな神を<全能>と形容して崇める人たちが、米国中南部の保守的な州やイスラム諸国で、「進化論」よりも「創造神話」が正しいと、子供たちに教えているのです。親がそうした傾向を持つ場合、子供が<自力で>それに抵抗するのは実際問題として非常に困難である、という事実を肝に銘じておくことは、とても大切です。
ちなみに、「反ユダヤ」という点で、キリスト教原理主義とイスラム教原理主義が通底することは、覚えておいて損は無いでしょう。
それにしても、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教がともに「旧約聖書」を聖典としている、というのは皮肉な話です。
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ベトナムに立てたアメリカの傀儡政権のゴ・ジン・ジェム大統領は、敬虔なクリスチャンで通っていました。
彼は汚職にまみれ、アメリカからの援助物資を大量に横領し、また仏教徒を弾圧しました。
(C)「ゴ・ジン・ジェムは敬虔なクリスチャンだった。だから汚職とキリスト教は両立する」
そもそも、十字軍のような異教徒殺戮や魔女裁判などの異端迫害は、むしろキリスト教会の十八番です。
(D)「キリスト教と異教徒殺戮は両立する」
「よきサマリア人のたとえ」からすると、異端迫害はむしろイエスの本意とは逆であるようにも思えます。
(E)「イエスの教えとキリスト教とは両立しない」
、、、、
例を挙げ始めるとキリが無いので、とりあえずここで一旦おきましょう。
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さて、「神」という言葉を、通常の一神教でみられるような、<自然の摂理に反する奇跡すら起こせる全能者>という意味で用いるとして、
ガリレオは無神論者なのでしょうか。それとも有神論者なのでしょうか。
答えは、
「意図的に変えた実験条件以外の条件の影響は無視できるものとみなして自然科学の研究や実験科学の教育を行う時は無神論者、
奇跡を望んでつい神頼みしてしまうような瞬間においては有神論者、
という二重の側面をもつ、一人の生身の人間である」
です。
ふりかえって、
あなたは無神論者なのでしょうか。それとも有神論者なのでしょうか。
答えは、
「意図的に変えた実験条件以外の条件の影響は無視できるものとみなして自然科学の研究や実験科学の教育を行う時は無神論者、
奇跡を望んでつい神頼みしてしまうような瞬間においては有神論者、
という二重の側面をもつ、一人の生身の人間である」
です。
「利己的な遺伝子」の著者、リチャード・ドーキンスは、その過激なまでの徹底的な宗教批判で知られています。
では、
ドーキンスは無神論者なのでしょうか。それとも有神論者なのでしょうか。
答えは、
「意図的に変えた実験条件以外の条件の影響は無視できるものとみなして自然科学の研究や実験科学の教育を行う時は無神論者、
奇跡を望んでつい神頼みしてしまうような瞬間においては有神論者、
という二重の側面をもつ、一人の生身の人間である」
です。
では、アインシュタインは、、、以下ry
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***注(868)参照
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****(注17)参照
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ところで、
「科学と全能の神の存在は両立するか」ということを考えるに当って、
上記の例では、「科学」と言うと、やや抽象的でイメージしづらいので、「実験」という、より具体的な別の言葉を援用して、議論の筋道を出来るだけ分かりやすくすることを試みました。
このように、問いの立て方を少し変えると、急に問題の本質がクリアーに見えてくることがあります。
詳細は「地に足のついた話の進め方」のファイルをご参照下さい。
****参照:「地に足のついた話の進め方」