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「源氏物語」は伝え方が10割

「理系学生が読む古典和歌」
詳細はアマゾンの方をご参照下さい。

(花散里3).水鶏だに驚かさずはいかにして荒れたる宿に月を入れまし

2021-01-12 14:57:21 |  <暗号を解く鍵><紫式部が送ってくれたサイン>

 


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(花散里3).水鶏だに驚かさずはいかにして荒れたる宿に月を入れまし


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この本は「教科書」「参考書」の類ではありません。

皆さんに「教える」のではなく、どちらかと言うと、皆さんと「一緒に考える」ことを企図して書かれた本です。
また、私の主観も随所に入っていますが、私はこの方面の専門家でもありません。


ですから、
<効率よく知識を仕入れる><勉強のトクになるかも>
などとは、間違っても思わないようにして下さい。
いわゆる「学習」「勉強」には、むしろマイナスに働くでしょう。


上記のことを十分ご了解の上で、それでもいい、という人だけ読んでみて下さい。


ただし、
教科書などに採用されている、標準的な解釈の路線に沿った訳例は、参考として必ず示してあり、
その場合、訳文の文頭には、「@」の記号が付けてあります。


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時々「(注)参照」とありますが、それは末尾の(注)をご参照下さい。
ただし、結構長い(注)もあり、また脱線も多いので、最初は読み飛ばして、本文を読み終えたのちに、振り返って読む方がいいかもしれません。

なお、(注)の配列順序はバラバラなので、(注)を見るときは「検索」で飛んで下さい。

 

あちこちページを見返さなくてもいいように、ダブる内容でも、その場その場で、出来る限り繰り返しを厭わずに書きました。
その分、通して読むとクドくなっていますので、読んでいて見覚えのある内容だったら、斜め読みで進んで下さい。
電子ファイルだと、余りページ数を気にしなくて済むのがいいですね。


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(花散里3).水鶏だに驚かさずはいかにして荒れたる宿に月を入れまし5.txt


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要旨:

源氏は、京に幾多の愛人を残し、須磨に下向した。
紫上、花散里はじめ、愛人たちが源氏に生涯を捧げ、懐妊を待ちわびながら、それがかなわぬ一方で、
須磨下向の三年足らずの間に、源氏は現地妻の明石上を孕ませ、「后がね」の姫君と、さらに後見厚い大国播磨の受領の義父、という、栄達の礎石としては申し分ない<実弾>を、一石二鳥で手に入れた。
京に残された愛人たちの胸中は、想像に難くない。

夜離れがちで、子を残す望みが消えかかりつつある、その名も「花散る里」の歌について、
<血筋が途絶える>という観点から、和歌の解釈を試みた。


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目次:


(花散里3).水鶏だに驚かさずはいかにして荒れたる宿に月を入れまし


(源氏130).おしなべて叩く水鶏に驚かばうはの空なる月もこそ入れ

 

メモ:
語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など

 

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では、始めましょう。

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(花散里3).水鶏だに驚かさずはいかにして荒れたる宿に月を入れまし


「水鶏(くひな)」<クイナ><ヒクイナ>の鳴き声は、古来、<戸を叩く音>に例えられます。
「叩く」だけで、<水鶏が鳴く>の意味にもなります。


「おどろかす(驚かす)」サ行四段他動詞<愕かせる><眼を覚まさせる><夢からさます><気を引く><注意を促す><(思いがけないところに)訪問する、便りする>
「おどろく(驚く)」カ行四段自動詞<眼を覚ます><愕く>

「荒れたる宿」<荒廃した宿><人の訪れもなく庭も荒れた邸>


(花散里3)A.
せめて水鶏だけでも戸を叩いて(思いがけなく)訪れてくれなかったら、荒れてしまったこの宿にどうやって月を迎え入れることができるでしょう。

 

 


須磨下向から帰京して、久しぶりに源氏は花散里邸を訪れました。

「月」は、しばしば<貴人>の例えとして用いられます。
ここでは、「月」は<源氏>を指すようです。

@(花散里3)B.
せめて水鶏だけでも戸を叩いて(思いがけなく)訪れてくれなかったら、荒れてしまったこの宿にどうやって「月」<あなた:源氏>を迎え入れることができるでしょう。

 

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「月」は、それだけで<月のもの><月経>という意味を持ちます。
「月水」とは<経血>のことです。

お産で<臨月>を迎えることを「月満つ」<月が満ちる>とも表現します。
「つきみつ(月満つ)」<臨月を迎える>


「みづ(水)」が「みつ(満つ)」を連想させるのも興味深いですね。
濁点を打つ習慣の無かった当時、これらはともに「みつ」と表記されました。
ちなみに、「みづ(水)」は「みつ(見つ)」<契った><共寝した>との掛詞としても常用されます。
日本古語の奥深さを感じさせる言葉ですね。


「月」は<女性の生理>を連想させます。

 

****(注88891):「月」「月経」「潮」<女性の生理>
を参照。

 

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****(注88897):「女」「母」「海」「梅」参照


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「つき(月)」は「つぎ(継ぎ)」「つぎ(次)」をも連想させます。
濁点を打つ習慣の無かった当時、これらはともに「つき」と表記されました。

「つぎ(継ぎ)」<跡継ぎ><世継ぎ><子孫>
「つぎ(次)」<次代>
としてみましょう。

「宿」は<子を宿す><子宮>をも連想させます。


「いか」は「いかいか」「いがいが」<赤子の泣き声の擬音語><おぎゃあおぎゃあ><産声>を連想させます。
「いか」を<おぎゃあ><赤子の泣き声>
としてみましょう。


「月」は、それだけで<月のもの><月経>という意味を持ちます。
「月水」とは<経血>のことです。


「水鶏(くひな)」の「水(みづ)」が「みつ(見つ)」を連想させることも、興味を引きます。
濁点を打つ習慣の無かった当時、これらはともに「みつ」と表記されました。

「みづ(水)」は「みつ(見つ)」<契った><共寝した>との掛詞としても常用されます。

「みづ(水)」が「みつ(満つ)」を連想させるのも興味深いですね。

お産で<臨月>を迎えることを「月満つ」<月が満ちる>とも表現します。
「つきみつ(月満つ)」<臨月を迎える>

 

「みづ(水)」「つきみづ(月水)」<月経>があっても、
「みつ(見つ)」<共寝した>「つきみつ(月満つ)」<臨月を迎える>ということが無ければ、
女性にとっては、何の意味もありません。


「水鶏が戸を叩く」は、<月水が訪れる><月経が来る>をも連想させます。

 

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源氏の胸中の呟きが興味を引きます。

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(地の文).
とりどりに捨てがたき世かな。
かかるこそ、なかなか身も苦しけれ。
********************

「とりどり」<様々>
「世」<人間関係><男女関係>

@(地の文)A.
(どの女性も)様々で、捨て難い仲よ。
こんな風だから、却って私自身も苦しいのだ。


「とりどり」は「とり(鶏)」「とり(取り)」を連想させます。
「とり(鶏)」<鶏><「鶏」の字>
「とり(取り)」連用形転成名詞<取ること>


とり どり に 捨てがたき 世 かな。
鶏  とり
   取り


(地の文)B.
(「水鶏」から)「鶏」の字を取ろうにも、取って捨てにくい関係だな。
(「水(みづ)」だけ残ったら「みつ(見つ)」「みつ(満つ)」になるが、中々そうも行かないよ)
こんな風だから、却って私自身も苦しいのだ。

 


これは、
「水鶏」から「鶏」の字を取り去って、残った「水(みづ)」から、
「みつ(見つ)」「みつ(満つ)」
を連想せよ、という紫式部のサインではないでしょうか。

 

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「花散る里」という名は、興味を引きます。


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「はかなの契りや」<はかない縁だ> (源氏物語「紅葉の賀」)
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****(注737341)b参照:<はかない契り>

 

源氏が須磨に下向した三年足らずの間に、現地妻の明石上は子を身ごもりました。
しかも、産まれた姫君は、天皇に入内させ、源氏が天皇の外戚となるための、かけがえの無い<実弾>としての「后(きさい)がね」であり、
源氏にとって、とても大切な存在となりました。
また、既に親を亡くし、経済的には心許ない紫上や花散里に対して、
明石上の父親は、大国播磨の国司で、「播磨の塩」でたんまり蓄えた財産もあり、手厚い後見も折り紙付きです。
紫上の焦りや花散里の脱力感は、想像に難くありません。

 


「荒れたる宿」<荒廃した宿>は、
<人の訪れもなく荒れた宿><夫の訪れもなく衰えた子宮>
をも連想させます。

 

「今はあながちに近やかなる御ありさまももてなしきこえたまはざりけり。」(源氏、初音)

源氏と花散里は、夜離れた関係になっていました。

「夜離れ(よがれ)」とは、<妻への夫の「夜の訪れ」がなくなること>です。

 

***「あれ」****************
「あれ(彼)」遠称代名詞<あれ><あそこ><あの人><あの時><あの日><そこ><あなた>
「あれ(我、吾)」自称代名詞<我><私>

「ある(生る)」(上代語)ラ行下二段<(神や天皇など)神聖なものが現れる><生まれる>
「あれ(生れ)」連用形転成名詞<(神や天皇など)神聖なものが現れること><生まれること>

「ある(離る)」ラ行下二段<離れる><遠のく>
「ある(散る)」ラ行下二段<散る><散り散りになる>
「ある(荒る)」ラ行下二段<荒れる><激しくなる><荒む><荒廃する><調和が乱れる><興ざめする><しらける>
***********************


「離れ(あれ)」は「夜離れ(よがれ)」をも連想させます。

「あれたる宿(離れたる宿)」<夫の遠のいた宿><夜離れた妻の子宮>


「あれ」は「あれ(我、吾)」をも連想させます。

「あれ(我、吾)」自称代名詞<我><私>

「あれ(吾)たる宿」<私たる子宮><私の本質である子宮><私の存在意義である懐妊>

「つぎ(継ぎ)」<跡継ぎ><世継ぎ><子孫>

 

水鶏     驚かさずは
くひな だに おどろ かさず は いかにして /  荒れたる 宿に  月   を 入れ まし
くびな    荊   科さず            あれたる     つき
首無         かざす            離れたる     つぎ
           挿頭す                     継ぎ
                                   次

 

(花散里3)C.
「みづ(水)」の字を持つ「水鶏」が戸を叩いてくれてすら、私はもう驚かなくなってしまった。
(「みづ(水)」「つきみづ(月水)」<月経>があっても、
「みつ(見つ)」<共寝した>「つきみつ(月満つ)」<臨月を迎える>ということが無ければ、
「かひ(甲斐)」「かひ(卵)」が無いのだから。)
(そんな夜離れた関係なのに)、どうしたら、
「いか」<おぎゃあ><赤子の声>で目覚める(幸せな朝を迎える)ことが出来るのか?
一体どうしたら、
「あれたる宿(離れたる宿)」<夫の遠のいた宿><夜離れた妻のお腹>に、
「つぎ(継ぎ)」<世継ぎ><子孫>を宿し入れることが出来るのか。

 

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直後のセリフの「空なながめそ」は興味を引きます。

***「引き歌」***************
(光源氏183).行きめぐりつゐにすむべき月影のしばし雲らむ空なながめそ
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「空なながめそ」<空を眺めないで下さい>

 


「空」は「空し(むなし)」をも連想させます。

「空し(むなし)」<空しい><実質が無い><空っぽだ><中身が無い><中空だ><肉体だけあって魂が無い><死んでいる><命が無い><事実無根だ><根拠が無い><無益だ><あてどが無い><甲斐が無い><無駄である><無常である><はかない>


「空」「空なり」は、<上の空><気もそぞろ><空ろ>の意味があり、
また接頭辞「空(そら)」には、<虚偽>「そらごと」、<なんとなく感じる>「そら恐ろしい」の含意があります。


「ながめ(眺め)」には<もの思い>の意味もあります。

「空な眺めそ」は、「空な眺めぞ」をも連想させます。


「空な眺めぞ(ある)」<空しいもの思いだ>


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(源氏130).おしなべて叩く水鶏に驚かばうはの空なる月もこそ入れ


「おしなべて(押し並べて)」<あまねく><何から何まで><全て><一様に><総じて><普通><並><ありきたり>

「うは(上)の空」<空の上の方><上空><天空><上の空><ぼんやりしていること><気持ちが定まらないこと><落ち着かないこと><根拠が無いこと><当てにならないこと><不確かなこと><軽率なこと><軽々しいこと>

「うは(上)の空の月」は、<気まぐれな浮気男>の例えのようです。


「もこそ」「もぞ」<懸念><~すると困る><~するといけないから><~しないように>


@(源氏130)A.
どの家の戸も一様に叩くという水鶏に驚いていたのでは、
「上の空の月」<気まぐれな浮気男>も入って来てしまいますよ。

 

 


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ここで、源氏物語の世界から一旦離れて、現実の歴史に目を向けてみましょう。


*** 藤原種継殺害事件(785年) ************************
大伴継人は、奈良麻呂の乱で獄死した大伴古麻呂の息子です。
大伴継人は長岡京の造営工事を仕切る藤原種継(たねつぐ)を殺害しました。
そして、大伴継人は兄弟の大伴竹良とともに処刑されました。

奈良麻呂の乱で獄死した大伴古麻呂や佐伯全成で知られる「大伴氏」「佐伯氏」、特に大伴氏はこの事件で多数処罰を受けました。
のみならず、奈良の東大寺との関係が深かった早良親王も関与が疑われました。

早良親王は淡路島に流罪となりましたが、幽閉された乙訓寺では無実を訴え自ら食を断ったため、島に着く前に亡くなりました。
これは<無実を訴えた>ハンガーストライキというよりは、<毒殺を恐れて>何も食べられなかった、ということなのでしょう。
ちなみに、早良親王の叔父にあたる安積親王は17歳で病死(脚気)とされていますが、あまりに不自然な急死のため、藤原仲麻呂に毒殺されたという説が根強くあります。
また、井上廃太后(叔母)と他戸廃太子(いとこ)の母子は、幽閉先の邸内で、なんと同日に亡くなっているので、こちらは完全に<暗殺>でしょう。


桓武天皇は、安殿(あて)皇子(のちの平城天皇)を天皇とするために早良皇太子を犠牲にしたとも言われています。

その後、内裏では貴人の死や病が相次ぎ、また京では凶作、疫病が蔓延しました。洪水まであったそうです。
当時の人々はこれを早良親王の祟りと考えました。

その意味では、天武系列の持統天皇たちと同じく、当然の報いなのかもしれません。
のちに早良廃太子には崇道天皇の「し号」が追贈され、遺骨も大和に改葬されました。
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ちなみにこの藤原種継殺害事件の直前に、藤原種継は中納言の大伴家持を抜いて正三位となっていました。
そのためもあって、万葉歌人の大伴家持が首謀者だとも言われています。
しかし、偶然か否か、事件の一月前に家持は死亡しています。


まあ、「種継殺害事件」は、色々といわく付きの事件だったようです。


****(553327)参照

 

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「はかな(果無)の契りや」<はかない縁だ>、
とおぼし乱るること、、、(源氏物語「紅葉賀」)
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「あなかしこや、あなかしこや」
<ああ畏れ多い、畏れ多い>

「形容詞・形容動詞の語幹」は、体言相当の働きをすることがあります。

***「形容詞・形容動詞の語幹」<体言相当>***************
成田杢之助編「標準文語文法」(京都書房)p.36
(1)体言止め<詠嘆>
あな、心憂(こころう)。虚言と思しめすか。(堤中納言物語)
あな、めづらか。いかなる御心ならむ。(蜻蛉日記)
(2)「語幹+の」<連体修飾>
あな、おもしろの筝(さう)の音や。(古今著聞集)
愚かの仰せ候ふや。(謡曲、土蜘蛛)
はかな(果無)の契りや、とおぼし乱るること、、、(源氏物語「紅葉賀」)
(3)「形容詞・形容動詞語幹+さ」「形容詞語幹+み」<名詞化>
めでたさ。悲しさ。重み。苦しみ。静かさ。
(4)「(体言+を)+形容詞語幹+み」<AがBなので>
(万葉集06/0919).若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る (雑歌 山部赤人)
山深み春とも知らぬ松の戸に絶え絶えかかる雪の玉水 (親古今集)
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形容詞の語幹には、体言するなど、様々な用法があります。
感動詞「あな」<ああ>をしばしば伴って、<ああ~だ><とても~だ>の強意表現にもなります。
また、「あな」を伴わずに形容詞の語幹が単独で用いられることもあります。


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「をさな」と書い給へれば、、、(落窪物語)
後ろめた 風吹かずとも 埋み火のあたりの花は散りやまさらむ (赤染衛門集)
心細(こころぼそ) 誰か煙となるならむ 遥かに見ゆる野辺のともし火 (赤染衛門集)
(土佐日記35).おぼつかな 今日は子の日か 海人ならば うみまつ(海松)をだに 引かましものを
(紫上1).かこつべき ゆへを知らねば おぼつかな いかなる草の ゆかりなるらん
(薫1).おぼつかな 誰に問はまし いかにして はじめもはても 知らぬ我身ぞ
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「かしこ」「あなかしこ」<ああ畏れ多い>
「くさ」「あなくさ」<ああ臭い>

 


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藤原種継殺害事件の処分として、伴継人を始め、八人もが<斬首>されました。

 

「くひな(水鶏)」は「くびな(首無)」<ク活用形容詞語幹>
を連想させます。
濁点を打つ習慣の無かった当時、これらはともに「くひな」と表記されました。


桓武天皇は、藤原種継殺害事件で腹心の種継は失いましたが、これをきっかけに、平城京からの遷都反対派を一掃することが出来ました。

しかし、長岡京に移るも、早良親王の祟りか、桓武天皇の近親者や側近の死が相次ぎ、巨椋池が近いこともあり、短期間の内に二度の洪水(桂川)に襲われるなど、長岡京の状況は荒れていました。


「月の都」とは、<月にあると言う想像上の宮殿><都が美しいことを例えて言う美称>ですが、
これではとうてい「月の都」とは行かず、十年足らずで今度は平安京に遷都となりました。


****(772265)参照

 

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井上皇后(廃后)と、その息子他戸親王(廃太子)は、百川らの誣告によって幽閉され、その一年半後の776年4月、なんと二人同日に亡くなります。
あまりの不自然さから、それは藤原氏側の暗殺であったと考えられています。

*** 井上廃后と他戸廃太子の祟り *************
怨みを抱いて亡くなった井上廃后は、蛇神(竜)に生まれ変わったと噂されました。(水鏡)
母子の死後から、白い虹が空にかかる天変があり、宮中に妖怪が現れるという事件が続発しました。
動揺した朝廷は、六百人の僧、百人の沙弥(年少の修行僧)を集め、大般若経の転読を行わせます。
疫病封じのための大祓(おおはらえ)も行われました。
それでも怨霊の祟りはおさまらず、井戸は枯れ、川は干上がります。(777年)
ちなみに竜や蛇は、しばしば水の神様として祀られます。

母子を死に追いやった藤原百川、光仁天皇、山部親王(後の桓武天皇)は、
<百余人の鎧武者に追いかけられる>
という同じ悪夢にうなされ続けました。
*******************************

井上皇后(廃后)を陥れて、息子の他戸親王(廃太子)ともども死に追いやった藤原百川は、のちに様々な悪夢にうなされることになります。

百川はある僧に帰依していました。
その僧が779年7月5日の夜、百川が亡き井上皇后を殺したかどで、<首をはねられる>という夢を見ました。
驚いたその僧は、翌朝慌てて百川邸を訪れます。
しかし、あいにくその朝は百川も夢見の悪さのため物忌みで自宅に籠もっていた日でした。
物忌みのため僧は百川に会うことが出来なかったのですが、なんとその日に百川は急死してしまいました。(続日本紀(797年))

百川も同じ夢を見ていたのでしょうか。


「つき(月)」は「つき(憑き)」を連想させます。

「つきもの(憑き物)」とは、<人にとり憑く霊>のことです。


「つく(憑く)」<とり憑く><憑依する>
「つき(憑き)」連用形転成名詞<とり憑くこと><憑依>


「月」は<僧侶の坊主頭>を連想させることも、興味を引きます。

 


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「おどろく(驚く)」の「おどろ」という言葉は、興味を引きます。

 

「おどろ(荊、棘)」<イバラなど、棘のある木><イバラの繁る場所><髪が乱れている様>

「かす(科す)」サ行四段<科す>

「かざす(挿頭す)」

 

水鶏     驚かさずは                       月
くひな だに おどろ かさず は  いかにして   荒れたる 宿に  つき   を 入れ まし
くびな    荊   科さず            あれたる     憑き
首無         かざす            離れたる     つぎ
           挿頭す                     継ぎ
                                   次

 

「おどろかす(驚かす)」サ行四段他動詞<愕かせる><眼を覚まさせる><夢からさます><気を引く><注意を促す><(思いがけないところに)訪問する、便りする>
「おどろく(驚く)」カ行四段自動詞<眼を覚ます><愕く><気がつく><目が覚める><驚く><ハッとする>

「おどろおどろし」<激しい><はなはだしい><恐ろしい>
の語源は、<激しい雷の音>だそうです。(荻野文子「マドンナ古文単語230 パワーアップ版」)


***「とが(咎)」「おどろ」「上より落つる」********************
(夕霧33).いつとかはおどろかすべき明けぬ夜の夢さめてとか言ひしひとこと
(夕霧)「上より落つる」
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「おどろ」<雷の音の擬音語><ゴロゴロ><雷鳴><道真公の天罰>

「かみなり(雷)」は「かみなり(神鳴り)」とも書きました。
雷鳴は<神の怒りの声>と考えられていました。
和歌の直後の「上より落つる」という夕霧のセリフは意味深です。

詳細は、上記和歌のファイルをご参照下さい。


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直後の地の文にある、「うしろめたう」が興味を引きます。

「うしろめたし」は「後ろ目痛し」から来た形容詞です。

人間は、自分の後ろが見えないことから、分からない何かに対する不安を表す言葉です。


「うしろめたし」<心配だ><気がかりだ><不安だ><気が許せない><油断がならない><後ろ暗い><気が咎める><心疚しい>


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井上廃后と他戸廃太子の母子を死に追いやった藤原百川、光仁天皇、山部親王(後の桓武天皇)は、
<百余人の鎧武者に追いかけられる>
という同じ悪夢にうなされ続けたそうです。

 

「つき(月)」は「つき(憑き)」を連想させます。

「つき(憑き)」「つきもの(憑き物)」<憑依霊>

「たたく(叩く)」は「ただ来(く)」をも連想させます。

「ただ来(く)」<ただただやって来る><百余人の鎧武者がどこまでもただただ追いかけてくる>


「うは(上)の空の」<上空を漂う(霊魂)><虚空をさ迷う(霊魂)>
としてみましょう。

 

「おどろかば(驚かば)」は「おどろ」「かは」を連想させます。


「おどろ」<雷鳴><天罰>


「かは」
<疑問><~であろうか>
<反語><~であろうか。いやない。>


「おどろかば(驚かば)」<驚けば><驚くと>
「おどろかは」<天罰か!?>(とおののく)


上記の連想イメージを重ねて、この歌を<鎮魂>の観点から、解釈してみましょう。


                                 月
おしなべて 叩く 水鶏に   驚   かば  /  うはの空なる つきもこそ入れ
         くひな   おどろ かは            憑き
         くびな
         首無

 

(源氏130)B.<鎮魂>
藤原百川、光仁天皇、山部親王(桓武天皇)の、どの家の戸も全て叩くという、
(斬首した)首無し死体の怨霊に、
「おどろかは」<天罰か!?>と驚くと、
「上の空の憑き」<虚空をさ迷う憑依霊>も、
みな入って来てしまいますよ。

 


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「あれたる(荒れたる)」の「あれ」も興味を引きます。

 

***「あれ」****************
「あれ(彼)」遠称代名詞<あれ><あそこ><あの人><あの時><あの日><そこ><あなた>
「あれ(我、吾)」自称代名詞<我><私>

「ある(生る)」(上代語)ラ行下二段<(神や天皇など)神聖なものが現れる><生まれる>
「あれ(生れ)」連用形転成名詞<(神や天皇など)神聖なものが現れること><生まれること>

「ある(離る)」ラ行下二段<離れる><遠のく>
「ある(散る)」ラ行下二段<散る><散り散りになる>
「ある(荒る)」ラ行下二段<荒れる><激しくなる><荒む><荒廃する><調和が乱れる><興ざめする><しらける>
***********************

 

「ある(荒る)」<荒れる>は、<井上廃后の怨霊が暴れる>
「ある(離る)」<離れる>は、<(世から)遠のく><百川が物忌みで自宅にこもる>
をも連想させます。


「月」が<僧侶の坊主頭>を連想させることも、興味を引きます。


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源氏は、京に幾多の愛人を残し、須磨に下向しました。
そして、須磨での三年足らずの間に、源氏は持ち前の強運で、「后がね」の姫君と、さらに後見厚い大国播磨の受領の義父、という、栄達の礎石としては申し分ない<実弾>を、一石二鳥で手に入れました。

親を亡くし、手厚い後見など望むべくも無い紫上、花散里はじめ、その他の愛人たちは、
源氏に生涯を捧げ、懐妊を待ちわびましたが、その願いが叶うことは、ついにありませんでした。

後見の期待できないところに子が出来たって、源氏にとっては何の得にもならないからです。


***「ちぎり」「みのり」***********
(紫上22).絶えぬべきみのりながらぞ頼まるる世々にと結ぶ中の契りを
(花散里5).結びおくちぎりは絶えじおほかたの残りすくなきみのりなりとも
(光源氏175).唐衣又から衣からころもかへすかへすもから衣なる
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詳細は、上記和歌のファイルをご参照下さい。

 

源氏物語は「ちぎり」の物語です。
しかし、それは、<男女の色恋>の物語、<恋バナ>という意味ではありません。


源氏物語では、
「ちぎり(契り)」<絆(血筋、血縁)を結ぶこと>というコトバが、
「ちぎり(血切り)」<絆(血筋、血縁)を断ち切ること>
という、<正反対の意味>を背負わされて、暗号に組み込まれています。


「皇統断絶」とは、<天皇家の血筋が途切れる>ということであり、
「他氏排斥」とは、藤原氏が<他氏と天皇家との血縁を遮断する>ということです。


そして、「皇統断絶」と「他氏排斥」という二つの「血切り」が、源氏物語の<鎮魂>の二大テーマとなっています。


****************************
(光源氏85).別れしに悲しきことは尽きにしを またぞこのよのうさはまされる
(夕霧21).ことならばならしの枝にならさなむ葉守の神のゆるしありきと
(落ち葉の宮1).かしは木に葉守の神はまさずとも人ならすべき宿のこずゑか
****************************
「皇統断絶」については、これらの歌のファイルをご参照下さい。

 

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(紫上22).絶えぬべきみのりながらぞ頼まるる世々にと結ぶ中の契りを
(花散里5).結びおくちぎりは絶えじおほかたの残りすくなきみのりなりとも
(薫57).法の師と尋ぬる道をしるべにて思はぬ山にふみまどふかな
(薫5 大島本).手にかくるものにしあらば藤の花 松よりまさる色を見ましや
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「他氏排斥」については、これらの歌のファイルをご参照下さい。

 

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実子を産めなかった花散里の血脈は、そこで途絶えます。

(花散里3)は、懐妊を待ち望みながら、出産適齢期を逃した女性の悲哀を連想させます。

その「ちぎり(血切り)」の連想のクサビを、紫式部は読者の心にまず打ち込んで、
そして、そのクサビをテコの支点として、
(源氏130)の和歌によって、井上廃后と他戸廃太子の「血切り」を、
グイと地表に持ち上げ、我々の目に曝したかったのだろう、と私は思います。

その<告発>は、母子の怨霊にとって、何よりの<鎮魂>となる、と紫式部は考えたのでしょう。


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映画「インセプション」の夢ではありませんが、「源氏物語」の構造は、<三階建て>です。
しかし、それは「一階、二階、三階」という<地上階>ではありません。
「一階、地下一階、地下二階」という、<地下三階建て>の構造です。
竹が、地上に花を公然と咲き誇らせるのではなく、地下の闇に、人知れず根を張り巡らせ、竹の子を生やすように、
地下深く掘り進む<三階建て>です。

 

紫式部は、<地下一階の暗号>によって、源氏物語の登場人物の心の闇を照らし出し、
ひいては、当時の全ての女性たちの痛みを代弁しました。
でも、紫式部が伝えようとした真意は、それだけではありません。

そのような、表沙汰に出来ない<隠し子>や<石女(うまずめ)>といった、源氏物語の<地下一階のホンネ>の、さらに下には、
<皇統断絶>や、他紙排斥を巡る<藤原氏の悪行>、という、どす黒い「歴史の闇」が、<地下二階のホンネ><ホンネのホンネ>として秘められています。


「皇統断絶」とは、<天皇家の血筋が途絶えること>であり、
「他氏排斥」とは、藤原氏が<天皇家と他氏との血縁を断ち切ること>です。

それはまさしく、「ちぎり(契り)」「ちぎり(血切り)」の世界です。


紫式部が「源氏物語」を書いた真の創作意図も、
その初版製本が、全冊道長に持ち去られた本当の理由も、
全ては、その<地下二階のホンネ><ホンネのさらに裏のホンネ>「ちぎり(血切り)」に関わっています。

 

紫式部は、そうした<地下二階の暗号>によって、菅原道真の汚名を雪ぎ、紀静子の死の真相を告発し、また、皇統断絶された仲哀天皇を鎮魂しました。
そして、道長の直近、宮中の最奥部から、あろうことか「藤原氏の悪行」と「天皇家の万世一系というウソッパチ」を、ともに攻撃し続けました。
要するに、平安貴族社会に対して、片っ端からケンカを売って、全面戦争を仕掛けていたわけです。

 


光源氏は、藤壺宮と密通し、その不義の子が皇位に就くことによって、桐壺院と冷泉帝の間の皇統を<断絶>しました。
また、娘の明石姫君を中宮として入内させ、ライバルを抑えて朝廷に君臨し、最終的には準太政天皇の称号まで獲得しました。
そこには、<本人の政務能力ではなく、姻戚関係で権力の帰趨が決まる>という「摂関政治の愚」まで含めて、宮中の「闇」が幾つも象徴されています。


ここで試みたような和歌の解釈内容そのものが正しいか否かは別として、
上記のような<地下二階のホンネ>を探索しない限り、「源氏物語」を真に読んだことにはならない、と私は思います。

 

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「源氏物語」の、地上一階で我々が直接目にする表向きのタテマエを、「てこ」の<力点>になぞらえれば、
地下一階のホンネは、<支点>に当るのでしょう。
我々の視線を反転させるために、地中深くに打ち込まれた、その支点のクサビを足掛かりとして、
支点の向こう側の<作用点>、すなわち、さらに奥深く埋められた地下二階の<ホンネのホンネ><歴史の闇>を、グイっと持ち上げ、地上にさらけ出す。
それが、紫式部の真の創作意図だった、と私は思います。


源氏物語の修辞が、そのような二重三重の重層的な構造を持つ理由、それは、もちろん、
<命に関わるので、防弾チョッキを一重にするわけにはいかない>
ということに他なりません。


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メモ:

語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など


あくまでこれは「タタキ台」として、試みに私の主観を提示したものに過ぎません。

連想に幅を持たせてあるので、自分の感覚に合わない、と感じたら、その連鎖は削って下さい。
逆に、足りないと感じたら、好きな言葉を継ぎ足していって下さい。
そして、自分の「連想詞」のネットワークをどんどん構築していって下さい。


詳細は「連想詞について」をご参照下さい。


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「水鶏(くひな)」<クイナ><ヒクイナ><戸を叩く音>
「叩く」<水鶏が鳴く>


「おどろかす(驚かす)」サ行四段他動詞<愕かせる><眼を覚まさせる><夢からさます><気を引く><注意を促す><(思いがけないところに)訪問する、便りする>
「おどろく(驚く)」カ行四段自動詞<眼を覚ます><愕く>

 

「月」<貴人>の例え<源氏>

 


「月」<月のもの><月経>
「月水」<経血>


「つきみつ(月満つ)」<月が満ちる><臨月を迎える>


「みづ(水)」「みつ(満つ)」「みつ(見つ)」「みつ」
「みつ(見つ)」<契った><共寝した>


「月」<女性の生理>


「月」「月経」「潮」<女性の生理>

「大潮」<満月(十五夜)><新月(太陰暦の月初≒月末)>


「潮汐(ちょうせき)」<潮の満ち干き>

「月」「潮」「月経」「初潮」

「月水(つきみづ)」<経血>
「月経」「排卵」
「経血」「卵」
「月」「卵」<丸くて白い>


「つわり」<カキ><大潮に産卵>

「つき(月)」「つぎ(継ぎ)」「つぎ(次)」「つき」

「つぎ(継ぎ)」<跡継ぎ><世継ぎ><子孫>
「つぎ(次)」<次代>

「宿」<子を宿す><子宮>


「いか(如何)」
「いか」「いかいか」「いがいが」<赤子の泣き声の擬音語><おぎゃあおぎゃあ><産声>
「いか」<おぎゃあ><赤子の泣き声>

 


「水鶏(くひな)」
「水(みづ)」「みつ(見つ)」「みつ」

「みづ(水)」「つきみづ(月水)」<月経>があっても、
「みつ(見つ)」<共寝した>「つきみつ(月満つ)」<臨月を迎える>ということが無ければ、
女性にとっては、何の意味もありません。


「水鶏が戸を叩く」<月水が訪れる><月経が来る>

 


「とりどり」<様々>
「世」<人間関係><男女関係>


「とりどり」「とり(鶏)」「とり(取り)」

「とり(鶏)」<鶏><「鶏」の字>
「とり(取り)」連用形転成名詞<取ること>

 

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「はかなの契りや」<はかない縁だ> (源氏物語「紅葉の賀」)
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*** <はかない契り> *******************

<はかない契り>「一夜の契り」「気まぐれな、かりそめの逢瀬」
「はかなし」「果無し」<効果が無い><結果が得られない>
「はか」<果実の「果」>

<はかない契り><何度夜をともにしようが、一生添い遂げようが、子が出来ない>


***「夜離れ(よがれ)」********
今はあながちに近やかなる御ありさまももてなしきこえたまはざりけり。 (源氏物語「初音」)
********************


「夜離れ(よがれ)」<夫から妻への「夜の訪れ」がなくなること>


「里子(さとこ)」<養子>
「里親(さとおや)」<養父母>

「花散里」<花が散る里><花が散っても種が無く、里子しかいない><花が散った里親>


「はかなくなる」「いふかひ(言ふ甲斐)なくなる」<死ぬ>の隠語

「はかなし」「墓無し」

「かひ(甲斐)」「かひ(卵)」

「かひ(卵)」<卵><受精卵>


「荒れたる宿」<荒廃した宿><人の訪れもなく荒れた宿><夫の訪れもなく衰えた子宮>

 

「離れ(あれ)」「夜離れ(よがれ)」

「あれたる宿(離れたる宿)」<夫の遠のいた宿><夜離れた妻の子宮>


「あれ」
「あれ(我、吾)」自称代名詞<我><私>

「あれ(吾)たる宿」<私たる子宮><私の本質である子宮><私の存在意義である懐妊>

「つぎ(継ぎ)」<跡継ぎ><世継ぎ><子孫>


***「引き歌」***************
(光源氏183).行きめぐりつゐにすむべき月影のしばし雲らむ空なながめそ
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「空なながめそ」<空を眺めないで下さい>

「空」
「空し(むなし)」<空しい><実質が無い><空っぽだ><中身が無い><中空だ><肉体だけあって魂が無い><死んでいる><命が無い><事実無根だ><根拠が無い><無益だ><あてどが無い><甲斐が無い><無駄である><無常である><はかない>


「空」「空なり」<上の空><気もそぞろ><空ろ>
「空(そら)」接頭辞<虚偽>「そらごと」、<なんとなく感じる>「そら恐ろしい」

「ながめ(眺め)」<もの思い>


「空な眺めそ」「空な眺めぞ」
「空な眺めぞ(ある)」<空しいもの思いだ>


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「つくづくし」<土筆(ツクシ)>


「つくづくし」「つぐつぐし」「つくつくし」

「つぐ(継ぐ)」<藤原種継(たねつぐ)>
「つぐ(継ぐ)」<大伴継人(つぐひと)>
「し(死)」

「つぐつぐし(継ぐ継ぐ死)」<相次ぐ死><藤原種継に引き続く大伴継人の死><藤原種継殺害事件>

「つみ(摘み)」「つみ(罪)」<罪><罰>


「春」「春宮(とうぐう)」<皇太子><次期天皇筆頭皇子>


「しかば」「しかばね(屍)」「かばね(姓)」

 

「おどろ(荊、棘)」<イバラなど、棘のある木><イバラの繁る場所><髪が乱れている様>

「かす(科す)」サ行四段<科す>

「かざす(挿頭す)」

「おどろかす(驚かす)」サ行四段他動詞<愕かせる><眼を覚まさせる><夢からさます><気を引く><注意を促す><(思いがけないところに)訪問する、便りする>
「おどろく(驚く)」カ行四段自動詞<眼を覚ます><愕く>


「月の都」<月にあると言う想像上の宮殿><都が美しいことを例えて言う美称>


「かしこ」「あなかしこ」<ああ畏れ多い>
「くさ」「あなくさ」<ああ臭い>

「くひな(水鶏)」
「くびな(首無)」<ク活用形容詞語幹>
「くひな」


「荒れたる宿」<荒れた宿><長岡京>

「つぎ(継)」<藤原種継(たねつぐ)>
「つぎ(継)」<大伴継人(つぐひと)>

「ゆふづくよ(夕月夜)」
「月」「つく」


*******************
ゆふづくよ(夕月夜)のをかしきほどに出だし立てさせたまひて、やがて眺めおはします。(源氏物語「桐壺」帖)
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「つく(月)」(上代東国方言)<月>

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(万葉集14/3565).かの子ろと寝ずやなりなむはだすすき宇良野の山に月(つく)片寄るも (東歌 相聞)
********************

 

「おどろかす(驚かす)」サ行四段他動詞<愕かせる><眼を覚まさせる><夢からさます><気を引く><注意を促す><(思いがけないところに)訪問する、便りする>

「おどろく(驚く)」カ行四段自動詞<眼を覚ます><愕く><気がつく><目が覚める><驚く><ハッとする>


「おどろおどろし」<激しい><はなはだしい><恐ろしい>
の語源は、<激しい雷の音>だそうです。(荻野文子「マドンナ古文単語230 パワーアップ版」)


***「とが(咎)」「おどろ」「上より落つる」********************
(夕霧33).いつとかはおどろかすべき明けぬ夜の夢さめてとか言ひしひとこと
(夕霧)「上より落つる」
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「おどろ」<雷の音の擬音語><ゴロゴロ><道真公の天罰>

 

「かみなり(雷)」「かみなり(神鳴り)」<雷鳴><神の怒りの声>

「上より落つる」<上から落ちる(雷)><天罰>

 

「つき(月)」「つき(憑き)」

「つきもの(憑き物)」<人にとり憑く霊><憑依霊>


「つく(憑く)」<とり憑く><憑依する>
「つき(憑き)」連用形転成名詞<とり憑くこと><憑依>


「月」<僧侶の坊主頭>


***「あれ」****************
「あれ(彼)」遠称代名詞<あれ><あそこ><あの人><あの時><あの日><そこ><あなた>
「あれ(我、吾)」自称代名詞<我><私>

「ある(生る)」(上代語)ラ行下二段<(神や天皇など)神聖なものが現れる><生まれる>
「あれ(生れ)」連用形転成名詞<(神や天皇など)神聖なものが現れること><生まれること>

「ある(離る)」ラ行下二段<離れる><遠のく>
「ある(散る)」ラ行下二段<散る><散り散りになる>
「ある(荒る)」ラ行下二段<荒れる><激しくなる><荒む><荒廃する><調和が乱れる><興ざめする><しらける>
***********************

「ある(荒る)」<荒れる><井上廃后の怨霊が暴れる>
「ある(離る)」<離れる><(世から)遠のく><百川が物忌みで自宅にこもる>


「おしなべて(押し並べて)」<あまねく><何から何まで><全て><一様に><総じて><普通><並><ありきたり>

「うは(上)の空」<空の上の方><上空><天空><上の空><ぼんやりしていること><気持ちが定まらないこと><落ち着かないこと><根拠が無いこと><当てにならないこと><不確かなこと><軽率なこと><軽々しいこと>

「うは(上)の空の月」<気まぐれな浮気男>


「もこそ」「もぞ」<懸念><~すると困る><~するといけないから><~しないように>

「うしろめたし」「後ろ目痛し」

「うしろめたし」<心配だ><気がかりだ><不安だ><気が許せない><油断がならない><後ろ暗い><気が咎める><心疚しい>


「つき(月)」「つき(憑き)」「つきもの(憑き物)」<憑依霊>

「たたく(叩く)」「ただ来(く)」

「ただ来(く)」<ただただやって来る><百余人の鎧武者がどこまでもただただ追いかけてくる>


「うは(上)の空の」<上空を漂う(霊魂)><虚空をさ迷う(霊魂)>


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ここまで。
以下、(注)


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(553327)

家持の遺体の埋葬は許されませんでした。
それは、遺体を放置したり水に流したりする、ということです。(井沢元彦「逆説の日本史3」)


***「中納言」「大伴家持」「骸」*******************
(中の君10).この春はたれにか見せむ なき人のかたみにつめる峠の早蕨
「さわらび(早蕨)」は<さわら(早良)親王>を連想させます。
(直前の地の文).
「中納言殿の、骸をだにとどめて見たてまつるものならましかばと、朝夕に恋ひきこえたまふめるに、同じくは、見えたてまつりたまふ御宿世ならざりけむよ」
と、見たてまつる人びとは口惜しがる。
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詳細は、上記和歌のファイルをご参照下さい。

 

淡路島に着く前に亡くなった早良親王も、遺体を京に戻すことは許されませんでした。

「さわらび(早蕨)」の帖の直前の地の文を見てみましょう。

***「わらび(蕨)」「つくづくし」*********************************
(直前の地の文).
蕨、つくづくし、をかしき籠に入れて、
(宇治のアジャリ1).君にとてあまたの春をつみしかば常を忘れぬ初蕨なり

「つくづくし」<土筆(ツクシ)>

この事件では、被害者の藤原種継も、加害者とされる大伴継人も、ともに死を迎えました。

「つくづくし」を「つぐつぐし」
としてみましょう。
濁点を打つ習慣の無かった当時、これらはともに「つくつくし」と表記されました。

「つぐ(継ぐ)」<藤原種継(たねつぐ)>
「つぐ(継ぐ)」<大伴継人(つぐひと)>
「し(死)」

「つぐつぐし(継ぐ継ぐ死)」<相次ぐ死><藤原種継に引き続く大伴継人の死><藤原種継殺害事件>

「つみ(摘み)」は「つみ(罪)」
を連想させます。

ちなみに、古語では、「つみ(罪)」には<罪>の他、<罰>の意味もあります。


「春」は「春宮(とうぐう)」<皇太子><次期天皇筆頭皇子>
を連想させます。

大伴家持は早良親王の春宮大夫も兼任していました。

「しかば」は「しかばね(屍)」
をも連想させます。

「かばね(姓)」
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(772265)


「荒れたる宿」<荒れた宿><長岡京>

「つぎ(継)」<藤原種継(たねつぐ)>
「つぎ(継)」<大伴継人(つぐひと)>


「ゆふづくよ(夕月夜)」などのように、「月」の字は「つく」と読む場合もあることは、興味を引きます。


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ゆふづくよ(夕月夜)のをかしきほどに出だし立てさせたまひて、やがて眺めおはします。(源氏物語「桐壺」帖)
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「つく(月)」(上代東国方言)<月>

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(万葉集14/3565).かの子ろと寝ずやなりなむはだすすき宇良野の山に月(つく)片寄るも (東歌 相聞)
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(夕霧39).君がため折れるかざしは紫の雲にをとらぬ花のけしきか

2021-01-12 14:02:05 |  <暗号を解く鍵><紫式部が送ってくれたサイン>

 


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(夕霧39).君がため折れるかざしは紫の雲にをとらぬ花のけしきか


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この本は「教科書」「参考書」の類ではありません。

皆さんに「教える」のではなく、どちらかと言うと、皆さんと「一緒に考える」ことを企図して書かれた本です。
また、私の主観も随所に入っていますが、私はこの方面の専門家でもありません。


ですから、
<効率よく知識を仕入れる><勉強のトクになるかも>
などとは、間違っても思わないようにして下さい。
いわゆる「学習」「勉強」には、むしろマイナスに働くでしょう。


上記のことを十分ご了解の上で、それでもいい、という人だけ読んでみて下さい。


ただし、
教科書などに採用されている、標準的な解釈の路線に沿った訳例は、参考として必ず示してあり、
その場合、訳文の文頭には、「@」の記号が付けてあります。


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時々「(注)参照」とありますが、それは末尾の(注)をご参照下さい。
ただし、結構長い(注)もあり、また脱線も多いので、最初は読み飛ばして、本文を読み終えたのちに、振り返って読む方がいいかもしれません。

なお、(注)の配列順序はバラバラなので、(注)を見るときは「検索」で飛んで下さい。

 

あちこちページを見返さなくてもいいように、ダブる内容でも、その場その場で、出来る限り繰り返しを厭わずに書きました。
その分、通して読むとクドくなっていますので、読んでいて見覚えのある内容だったら、斜め読みで進んで下さい。
電子ファイルだと、余りページ数を気にしなくて済むのがいいですね。


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(夕霧39).君がため折れるかざしは紫の雲にをとらぬ花のけしきか10.txt


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要旨:

光源氏は桐壺院の子であり、臣籍降下したとは言え、元は天皇の血を引く親王であった。
仮に、薫の実父が光源氏であれば、薫は源氏であり、かつ天皇の血を引く孫(王)、ということになる。
しかし、薫の実父は柏木であり、その血は男系としては頭中将、すなわち藤原氏に連なる。

そして、薫の実母は朱雀院の三宮であり、源氏に降嫁したが、元々は内親王である。

<不義の子>たる薫は、皇族(実母)と藤原氏(実父)と源氏(名目上の父:実質的な養父)という、歪んだ三角関係の重心に位置している。


<不義の子>薫らの、帝の御前での唱和について、<血縁>の観点から和歌の解釈を試みた。

 

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目次:


(夕霧39).君がため折れるかざしは紫の雲にをとらぬ花のけしきか


(紅梅5).世のつねの色ともみえず 雲居までたちのぼりたる藤波の花


(薫39).すべらきのかざしにをると藤の花およばぬ枝に袖かけてけり

 


メモ:
語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など

 

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では、始めましょう。

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(夕霧39).君がため折れるかざしは紫の雲にをとらぬ花のけしきか

 

「かざし(挿頭)」<髪飾り>


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帝王世記に云はく、堯帝の生まれし時、紫雲殿上を覆ふと。
(河海抄)
******************


「紫の雲」は、<成徳の君が在位の時にたなびく><瑞雲>とされ、
転じて、<帝、天皇、上皇(の尊称)>としても用いられます。


「けしき(気色)」<心の内が外面に表れること><様子><そぶり><態度><顔色><機嫌><意向><意中><寵愛><景色><兆し><兆候><気配><趣><情趣><風情><ほんの少し><ごくわずか><いささか>


@(夕霧39)A.
主上の為に折った挿頭の花は、瑞祥の紫雲にも劣らぬ藤の花の美しい紫色です。

 

「香」は「かざ」とも読みます。
「香」は「薫」を連想させます。
「かざ(香)」を「薫」
としてみましょう。


@(夕霧39)B.
主上の二宮の婿となる薫君は、瑞祥の紫雲にも劣らぬ美しさです。

 

 

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ところで、
「紫の雲」と言えば、「枕草子」の冒頭も思い出されますね。


***「春は曙」「紫だちたる雲」****************
「枕草子」第一段
春は曙、やうく白くなりゆく山際すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
********************************

「春」が<春宮(とうぐう)>を、
「曙」<朝日>が「日」「日嗣」を連想させることも興味を引きます。

「日」<太陽神><天照大神><天皇><皇子><皇女>
「日嗣(ひつぎ)」<天皇の継嗣><皇位継承者>


それにしても、
「ひつぎ(日嗣)」が「ひつぎ(棺)」を連想させることは、興味を引きますね。


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***「ためし(例)」***********
(光源氏151).身をかへて後も待ちみよこの世にて親を忘るる「ためし」ありやと
@(光源氏151)A.
来世に生まれ変わった後までも待って見ていて下さい。
この世に親を忘れる子の例があるかどうかを。
*********************


ところで、
光孝天皇と班子(なかこ、はんし)女王の皇女の為子内親王は、第60代醍醐天皇に嫁ぎました。
やがて懐妊しましたが、勧子(ゆきこ)内親王を出産した時に亡くなりました。
これは為子の母である班子女王に醍醐天皇への入内を妨害された藤原穏子(やすこ)の母(人康親王むすめ)の霊が祟りだと噂されました。(参考:世界文化社「ビジュアル日本史ヒロイン1000人」)


そして、穏子は醍醐天皇との間に4人の子をもうけ、その内保明親王は早世したものの、最終的に第61代朱雀天皇、第62代村上天皇の母となり、太皇太后の地位にまで上り詰めました。
したがって、為子内親王と藤原穏子の戦いは、穏子の圧勝といえるでしょう。


ちなみに、平安当時の人名は、ごくわずかの例外を除いて、どう発音されていたか不明です。

例えば、
班子女王は(なかこ)と呼ばれていたのか、(はんし)と呼ばれていたのかは分かりません。
藤原忠平の妹で、第60代醍醐天皇に嫁いだ藤原「穏子」は、(やすこ)と呼ばれていたのか、(おんし)と呼ばれていたのかは分かりません。また、
藤原忠平の娘で、醍醐天皇と「穏子」との間の皇子、保明親王に嫁いだ藤原「貴子」の名が、(たかこ)と呼ばれていたか(きし)と呼ばれていたかも分かりません。
しかし、混乱を避けるため、学術方面では<音読み>が用いられることが多いようです。


「為子」は(ためこ)と呼ばれていたのかも知れませんが、
いずれにせよ、(光源氏151)の「ためし(例)」は「為子(ためこ)」をも連想させます。

 

(夕霧39)の歌も、為子内親王の<鎮魂>の観点から、試しに解釈してみましょう。

「ためし」だけに。


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何その上手いこと言ったみたいな顔。腹立つ。
(増田こうすけ「ギャグまんが日和」妖怪ろくろ首)
************************


これが言いたかったためだけに、この和歌を解釈しました。
長い前フリですみません。


とはいえ、乗りかかった船なので、ひと段落するまでためしに書き続けてみましょう。
興味の無い人は、ここで読み終わって頂いてかまいません。
ここまでお付き合いありがとうございました。

 

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「君」<主君><君主><天皇><醍醐天皇><光孝天皇>
「君」<貴人の尊称>

「ため(為)」は「為子」内親王を連想させます。
「君が為」<光孝天皇の皇女「為子」内親王><醍醐天皇の妃「為子」内親王><為子内親王>
としてみましょう。


ちなみに、「たむ」という動詞には、以下のようなものがあります。

***********************
「たむ(矯む)(撓む)」マ行下二段<撓める><曲げる><弓を引き絞る><偽る><こじつける>
「たむ(溜む)」マ行下二段<留める><停止させる><せき止める><集める><溜める>
「たむ(彩む)」「だむ(彩む)」マ行四段<彩る><彩色する>
***********************

 


「かざし(挿頭)」<髪飾り>は、同じく<髪飾り>の「かづら(鬘)」をも連想させます。

「かづら(鬘)」は「かづら(葛)」「かづら(蔓)」をも連想させます。

これは、上代に、草木のつるや枝、花を<髪飾り>として用いたことからきているそうです。
ちなみに、現代語のいわゆる「かつら(鬘)」<ヅラ>も、この「かづら(鬘)」から来ています。

ちなみに、「かつら(桂)」という樹木もありますが、これは<つる性植物>ではありません。普通の落葉高木です。
「桂を折る」とは、<官吏の登用試験に合格する>という意味の慣用句ですが、
これは、<優れた人材>を「桂」の枝に例えた中国の「晋書」の故事から来ているそうです。


「かづら(鬘)」<髪飾り>
「かづら(葛)」「かづら(蔓)」<草木の「つる」><ツタ><つる植物の総称>

「葛」の字は「ふぢ(葛)」とも読みます。

「葛」という字には、「かづら」「かつ」「かど」「つら」「くず」「ふぢ」など、数多くの読み方があります。
例えば、第51代平城天皇の皇子、阿保親王を産んだのは、葛井藤子(ふぢゐのふぢこ)です。

それにしても、「ふぢゐのふぢこ」って、<どんだけ藤が好きなんだよ!>とツッコミたくなりますが、
まあ藤好きもここまで来ると、さすがにビョーキですね。

「不治の病」だけに。


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何その上手いこと言ったみたいな顔。腹立つ。
(増田こうすけ「ギャグまんが日和」妖怪ろくろ首)
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これが言いたかったためだけに、この和歌の解釈をわざわざ付け足しました。
長い前フリですみません。


とはいえ、乗りかかった船なので、ひと段落するまでためしに書き続けてみましょう。
興味の無い人は、ここで読み終わって頂いてかまいません。
ここまでお付き合いありがとうございました。

 


まあ、親父ギャグの出来栄えはさておき、
多年生木本の藤のつるは、年々肥大し、時に絡みついた木を締め上げて枯らしてしまうこともあります。
樹齢五百年を越えるような巨木も多く、しばしば観光スポットにもなりますが、なかでも春日部市牛島の藤は樹齢千年なのだそうです。(大貫茂「花の源氏物語」)
ちなみに、
「うち(宇治)」と「うし(憂し)」が掛詞として常用されるように、
「ふぢ(藤)」の音は、古来「ふし(不死)」と結び付けられたのだそうです。

 

***「藤かかりぬる木は枯れぬるものなり。いまぞ紀氏はうせなむずる」**************
「大鏡」「道長(藤原氏物語)」
(大鏡).
内大臣鎌足の大臣、藤氏の姓賜りたまひての年の十月十六日に亡せさせたまひぬ。御年五十六。大臣の位にて二十五年。
この姓の出でくるを聞きて、紀氏(きのうぢ)の人の言ひける、
「藤かかりぬる木は枯れぬるものなり。いまぞ紀氏はうせなむずる」
とぞのたまひけるに、まことにこそしかはべれ。

「き(木)」は「き(紀)」<紀氏>を連想させます。

      木
藤かかりぬるきは枯れぬるものなり。いまぞ紀氏はうせなむずる。
      紀

(大鏡)B.<鎮魂>
藤(のツル)が掛かった「き(木)」「き(紀)」<紀氏>は枯れてしまうものだ。
そのうちきっと紀氏は滅んでしまうよ。

************************************************

 

 

上述のように、つる(蔓)性植物の「藤」は、「かづら(蔓)」「かづら(葛)」を伸ばします。


「かざし(挿頭)」は、
「かづら(鬘)」<髪飾り>を通じて、
「かづら(葛)」を連想させます。

「葛(かづら)」は「葛(ふぢ)」「藤(ふぢ)」をも連想させます。

「葛(ふぢ)」「藤(ふぢ)」<藤原氏>


(夕霧39)の和歌に、
<天皇家>を連想させる「君」と、
「葛」「藤」<藤原氏>を連想させる「かざし(挿頭)」<髪飾り>
がともに含まれていることは、興味を引きます。


「かざし(挿頭)」<髪飾り>を、
「葛(かづら)」「葛(ふぢ)」「藤(ふぢ)」<藤原氏>
としてみましょう。

 

「けしき(気色)」は「けしき(怪しき)」<怪しい><奇怪だ><不審だ>
を連想させます。


「藤かかりぬるきは枯れぬるものなり」
<藤の絡まった木は枯れてしまうものだ>
という言葉は不気味です。

 

穏子は醍醐天皇との間に4人の子をもうけ、最終的に第61代朱雀天皇、第62代村上天皇の母となり、太皇太后の地位にまで上り詰めました。
したがって、為子内親王と藤原穏子の戦いは、穏子の圧勝といえるでしょう。

 

                             気色
君がため 折れる かざし は 紫の 雲に 劣らぬ 花の  けしき か
  為                          怪しき


(夕霧39)C.<鎮魂>
「君が為」<為子内親王>を折った、
「かざし(挿頭)」<髪飾り>「葛(かづら)」「葛(ふぢ)」「藤(ふぢ)」<藤原氏>は、
「紫の雲」<瑞雲><天皇家>をも凌駕する栄華の、
「藤の花」<藤の花>の「けしき(怪しき)」<怪しい><不審な>「けしき(気色)」<気配>であることよ。

 

 

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(紅梅5).世のつねの色ともみえず 雲居までたちのぼりたる藤波の花


「雲居」<雲の居るところ><空>


@(紅梅5)A.
ありふれた世の常の花の色とも見えません。空まで立ち上った藤波の花の美しさは。

 

 

「藤波」は、<帝の二ノ宮を嫁とする薫の晴姿>の例えのようです。


@(紅梅5)B.
ありふれた世の常の花の色とも見えません。九重(宮中)に立ち上られた「藤波」<帝の二ノ宮を嫁とする薫の晴姿>は。

 

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直前に語り部の女房が顔を出します。

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(語り部).
文台のもとに寄りつつ置くほどのけしきは、おのおのしたり顔なりけれど、例の、いかにあやしげに古めきたりけむ、と思ひやれば、あながちに皆もたづね書かず。。。。
かやうに、ことなるをかしきふしもなくのみぞあなりし。
かたへはひが言にもやありけん。
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「かたへ(片方)」<片方><片側><半分><一部分><傍ら><側(そば)><側にある物><側にいる人><仲間><同僚>

「ひが(僻)」は、<誤った><間違った><道理に合わない><ひねくれた>という意味を表す<接頭辞>です。

「ひがこと(僻事)」「ひがこと(僻言)」<道理に外れた事><悪事><間違い><過ち>


(語り部)@A.
文台の下に歩み寄っては懐紙を置く時の面持ちは、皆それぞれ得意げな面持ちではあるが、例によって、さぞ奇妙な古めかしい出来であったろう、と察せられるので、無理にでも皆調べてまでここに書き記すことはしない。。。。
このように、普通と異なる面白い節もない歌ばかりであったとか。
(もっとも)、一部には聞き間違いもあったかも知れない。

 

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<例によって、さぞ奇妙な古めかしい出来であったろう、と察せられるので、無理にでも皆調べてまでここに書き記すことはしない。>
<このように、普通と異なる面白い節もない歌ばかりであったとか。>
<(もっとも)、一部には聞き間違いもあったかも知れない。>


<型にはまった古めかしい発想の歌は、わざわざここに書き記さなかった>
そう語り部は言っているわけです。

この語り部の評を、語り部自身の言葉に自己遡及させてみましょう。
<それならば、ここに記されている語り部自身の言葉は、型にはまった修辞ではなく、何か普通にはない特異な表現が含まれているはずだ>と。


「ひが(僻)」接頭辞<道理に合わない><誤った><間違った>

「ひがこ(僻子)」<誤って出来た子><道理に合わない子><ワケアリの子>
としてみましょう。


<一部に聞き間違いもあったかも知れない。>
という仄めかしは重要です。

それは、ここに表記されている文字列を、そのまま正しいものとして、通常の語法に当てはめて考えると、
むしろ逆に、真意とは異なった解釈になってしまうのかも知れない、ということを意味するからです。


「をかしき」<風情がある><滑稽な><オカシイ><奇妙な>


     異なる            無く
かやうに、ことなる をかしき ふし も なく のみ ぞ あなりし
     子と成る      節    泣く
       生る
       鳴る


片方    僻 言
かたへ は ひがこと に も や ありけん
      日 子


不義の子薫はしばしば「竹」「竹の子」<無性生殖><処女懐胎>に例えられます。
「ふし(節)」<竹の節>

「子と成る」<子と成る>

「ふし(節)」は「ふし(父子)」をも連想させます。


「子と成るをかしき父子」<子と成る奇妙な父子><(陽成天皇が清和天皇の)子と成る奇妙な父子関係>
「子と生るをかしき節」<子として生えてくる奇妙な竹の節><かぐや姫><隠し子>
「"子"と鳴るをかしき節」<「あなたの子ですよ」と鳴り響く奇妙な竹の節><かぐや姫><隠し子><ワケアリの子>

 


(語り部)B.
このように、子となる妙な竹の節も、泣くばかりであったとか。
一方では(ひょっとして)<誤って出来た子>という人もあったのかも知れない。

 

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「藤原高子(たかいこ)」別名「二条后(にでう(ニジョウ)のきさき)高子」は、藤原長良の娘、基経の妹で、清和天皇の女御となり、貞明親王(のちの陽成天皇)を産みます。

藤原高子は、自分より八歳も年下の、まだ幼い惟仁親王(後の清和天皇)を結婚相手として無理矢理当てがわれました。
しかし、高子の真の想い人は、17歳年上の、平安イケメンの代名詞、在原業平でした。
業平は源氏物語の光源氏のモデルの一人とも言われています。


ふたりの禁断の恋は、「伊勢物語」きってのラブロマンスとして知られています。

歌の詞書き:
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むかし、おとこ、みこたちのせうえう(逍遥)し給ふ所にまうでて、たつたがはのほとりにて、、、、
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この歌は、高子が貞明親王(のちの陽成天皇)を授かった時のお祝いの宴席で、在原業平が詠んだ屏風歌として知られています。
在原業平は、平城天皇の第一皇子の阿保親王を父にもちますが、臣籍降下して在原姓を賜りました。
宮中の出世コースは藤原氏の上級貴族たちで占められており、栄達の見込みは殆どありませんでした。

高子は、皇后としてどんどん貫禄を付けて行き、そんな業平を何かと引き立て、そこそこ出世させたようです。
つまり、清和天皇の皇后でありながら、ずっと業平のことを思い続けていたのでしょう。
(辛酸なめ子、堀江宏樹「天皇愛」)

 

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さて、
上記によれば、高子は、皇后としての力を利用して、業平を引き立てたそうですから、
皇后になってからも、交流が全く無いわけでは無かったのでしょう。


貞明親王(のちの陽成天皇)は、本当に清和天皇の子だったのでしょうか。


***「業平の義理の父」<紀静子の兄>***************************
日本一の美男子として名高い彼は、清和天皇が幼帝だったころに、その婚約者でもあった藤原高子と恋愛し、問題を起こしたと伝えられている。これを単なる伝説だと考える学者もいるが、彼の義理の父が、藤原氏の血を引く清和天皇と皇位を争った惟喬親王の生母であった紀静子の兄であることを考えれば、決して有り得ない話ではない。
業平は、当時、唯一天皇と釣り合う年齢にあった藤原氏の娘、高子を誘惑することで、藤原氏の勢力拡大を妨害するという使命を担っていたのかもしれない。
(井沢元彦「井沢式日本史入門講座4 怨霊鎮魂の日本史」)
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***「伊勢物語」「在原業平」「藤原高子」<駆け落ち><皇族・紀氏の反藤原連合の陰謀?>***************
在原業平自身は、父親は平城天皇の第一皇子である阿保親王、母親は桓武天皇の皇女である伊都内親王という、由緒正しき皇族でしたが、「在原」姓を賜り臣籍降下しました。
日本一の美男子といわれた彼には、昔から清和天皇のお妃である藤原高子を口説いて駆け落ちしてしまった、という有名な伝説があります。
一般的にそれは単なる伝説だと言われているのですが、私はこの話はあながち伝説ではないのではないかと思っています。というのは、この時代、清和天皇とつり合う藤原氏の女性は、高子さんしかいなかったからです。もし、業平が高子さんを誘惑して奪ってしまえば、藤原氏は、自分の娘を天皇の嫁にして、生まれた子供を天皇にするということができなくなってしまいます。
ですからひょっとしたら、皇族・紀氏の反藤原連合の陰謀として、そうしたことが実際にあったのではないか、という考え方も出来るわけです。
(参考:井沢元彦「井沢式 日本史入門講座4」)
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「ひがこと」は「ひがこと(日が子と)」をも連想させます。

「ひ(日)」<太陽><太陽神><天照大神><天皇>
「こ(子)」<皇子>

「ひがこと(日が子と)」<天皇の皇子と><天皇の皇子ということ>

「日」は「日嗣(ひつぎ)」<天皇の継嗣>をも連想させます。

それにしても、
「ひつぎ(日嗣)」が「ひつぎ(棺)」を連想させることは、興味を引きますね。


「ひ(日)」は「ひ(陽)」をも連想させます。
「なる(成る)」は「成」の字をも連想させます。

「子と成るをかしき父子」<子と成る奇妙な父子><(陽成天皇が清和天皇の)子と成る奇妙な父子関係>


「片方は"日が子"とにもやありけん」

穏子は基経の実の娘、
高子は基経の実の妹、
であることは興味を引きます。


<ひょっとすると(娘の穏子の子でなく)片方(妹)の高子の子(陽成天皇)は(本当に)皇子ということにもなったのだろうか?>

 


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(中の君4).雪ふかき汀の小芹誰がために摘みかはやさん親なしにして
(中の君4)D.<鎮魂>
「ゆき」<ゆきこ(勧子)内親王>という絆深い「みき(幹)」<若木の幹><子><勧子>は残した。
誰が為子に摘み生やしたのだろう。
親なしの子なんかにして。
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***「ためし」「親の親」**************
(光源氏151).身をかへて後も待ちみよこの世にて親を忘るるためしありやと
(源典侍6).年ふれどこの契こそわすられね親の親とかいひし一言
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詳細は上記の和歌のファイルをご参照下さい。

 


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ちなみに、高子と同じく清和天皇に嫁いだ棟貞王女は貞純(さだずみ)親王を産みました。
その息子「源経基(つねもと)」が臣籍に下され、そこから清和源氏がスタートします。

貞純親王-<臣籍降下><清和源氏>-源経基(つねもと)-源満仲-源頼信-頼義-義家-(養子)-為義(ためよし)-義朝-頼朝-頼家
                                                          -実朝(鎌倉幕府右大臣)
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よ の つね の 色とも みえず 雲居まで たち のぼり たる 藤波の 花

ふし
父子

「節(よ)」「節(ふし)」は「父子(ふし)」をも連想させます。


<このように、普通と異なる面白い節もない歌ばかりであったとか。>
<一部に聞き間違いもあったかも知れない。>
この語り部の評を、この歌に当てはめて、<普通にはないユニークな修辞><定型的でない修辞>を探してみましょう。

「よ(世)」<世の中><人間関係>
「よ(節)」<竹の節><地下茎><無性生殖><処女懐胎><ワケアリの子>
「節(よ)」に「節(ふし)」「父子(ふし)」を重ねて見ましょう。


柏木の実の子である薫は源氏の孫ではなく、頭中将の孫です。
頭中将は「源氏」ではなく「藤原氏」です。
ちなみに頭中将と夕顔の子である玉鬘は、源氏物語の主要登場人物の中で、唯一本名の「藤原瑠璃君」が明示されています。

「藤波の花」<本当は藤原家の血を引く薫>
としてみましょう。



よ の つね の 色とも みえず 雲居まで たち のぼり たる 藤波の 花

ふし
父子


@(紅梅5)C.
普通の「節」「父子」関係とも見えません。
九重(宮中)に立ち上られた「藤波」<帝の二ノ宮を嫁とする薫の晴姿>は。

 

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***「業平の義理の父」<紀静子の兄>*************
業平は、当時、唯一天皇と釣り合う年齢にあった藤原氏の娘、高子を誘惑することで、藤原氏の勢力拡大を妨害するという使命を担っていたのかもしれない。
(井沢元彦「井沢式日本史入門講座4 怨霊鎮魂の日本史」)
********************************


***「皇族・紀氏の反藤原連合の陰謀」*********
ですからひょっとしたら、皇族・紀氏の反藤原連合の陰謀として、そうしたことが実際にあったのではないか、という考え方も出来るわけです。
(参考:井沢元彦「井沢式 日本史入門講座4」)
****************************

 

藤原基経は陽成天皇を暴虐であるとして廃し、また阿衡の紛議を起こして橘広相を政界から追いやるなど、絶大な権力を振るっていました。

 

高子の後見を務めたのは、「承和の変」に始まる<他氏排斥>の、裏で糸を引いていた藤原良房でした。
基経と高子は、ともに藤原長良の実子ですが、
基経は長良の弟である良房家へ養子に出されました。

 

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「つね(常)」は「もとつね(基経)」<藤原基経><穏子の父親>
を連想させます。

「雲居」<宮中><内裏><天皇>
「藤波」<藤原家><摂関家>

 


よ の つね の 色とも みえず 雲居まで たち のぼり たる 藤波の 花

ふし
父子

 

(紅梅5)D.<鎮魂>
尋常なものとも思えない。
「雲居」<天皇>にまで立ち上って(朝廷の実権者に)上り詰めた「藤波」<藤原家><摂関家>の花<栄華>は。
(何か裏があるはずだ!)

 

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清和天皇の<ワケアリの子>、陽成天皇には在原業平の血、すなわち、紀氏をはじめとする<反藤原勢力>の血が入っている、と仮にしてみましょう。


***「経」<基経>************
(末摘花4).年を経てまつしるしなきわが宿を花のたよりにすぎぬばかりか

(末摘花4)D.<鎮魂>
(産まれてきた陽成天皇の顔立ちには)、年を経て待っても、「松」<清和天皇>の特徴が見えるという甲斐がない、
そんな「我が宿」<基経の生家>(の高子)を、
「かりのつがひ(仮の番)」<仮の夫婦><仮初の男女><束の間の逢瀬>
として、立ち寄っていったのは、
「かりのつかひ(狩りの遣ひ)」<狩りの遣い><伊達男在原業平>か。
(これは紀氏の<陰謀>か?)
(陽成天皇を引きずり下ろしてやる!)
**********************

詳細は上記の和歌のファイルをご参照下さい。

 

「もとつね(基経)」の実の妹高子は、在原業平と禁断の恋に落ちました。


「つね(常)」は「もとつね(基経)」をも連想させます。
「もとつね(基経)」<藤原基経><藤原穏子の父><藤原高子の兄>


「藤波の花」<藤原家の女性><藤原高子>

 

この歌の詠み手の「紅梅」大納言が、「梅」の字を名に持つことは興味を引きます。
「うめ(梅)」は「うめ(産め)」をも連想させます。
そして、「紅梅」の色は、「紅」であり、「紅葉」をも連想させます。


***「唐紅」「紅葉」「水」************
(古今集294).ちはやぶる神代も聞かず竜田川 唐紅に水くくるとは (秋下、在原業平) (伊勢物語)
(古今集293).もみぢ葉のながれてとまるみなとには紅深き波やたつらん (秋下、素性法師)
**************************


「唐紅」<紅葉の色><鮮血の色><天皇家の純血>
「水」「真清水」(ましみづ)<増し水><割り水>


***「真清水」(ましみづ)<増し水>*************
(夕霧17).なれこそは岩もるあるじ見し人のゆくゑは知るや宿の「真清水」
(雲居雁4).なき人のかげだに見えずつれなくて心をやれるいさらゐの「水」
*******************************

詳細は上記の和歌のファイルをご参照下さい。


「よ(世)」には<男女関係><交際関係>の意味もあります。

高子は、後年に僧侶と恋に落ち、廃后の憂き目にも合った「恋多き女性」として知られています。


世   常
よ の つね の 色とも みえず 雲居まで たち のぼり たる 藤波の 花
節   経
ふし
父子

 

(紅梅5)E.<鎮魂>
高子の男女関係が普通のものとも思えない。
(と「もとつね(基経)」は「つね(常)」ならぬ顔色になった。)
せっかく「雲居」<天皇>に入内した、「藤波の花」<藤原家の女性><藤原高子>なのに。
(業平許すまじ。陽成天皇も引きずり下ろしてやる!)

 

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(薫39).すべらきのかざしにをると藤の花およばぬ枝に袖かけてけり


「すべらき(皇)」<天皇><皇室>

 

@(薫39)A.
主上の髪飾りに手折ろうと、とても手の届かない藤の花に、我が袖を掛けたのでした。

 


これは、薫が主上の二宮を嫁に頂く感謝の気持ちを詠ったものとされています。

「藤の花」の<紫色>は「紫の雲」<瑞雲>をも連想させます。

「紫の雲」<瑞雲><天皇の尊称>

「藤の花」<紫の花><天皇の愛娘><二宮>

 

@(薫39)B.
主上の御意に叶うようにと、とても手の届かない「藤の花」<天皇の二宮>に、我が袖を掛けたのでした。


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薫が<不義の子>であることは、興味を引きます。


         折る
すべらきのかざしにをると 藤の花およばぬ枝に袖かけてけり
         居る


「をる(折る)」は「をる(居る)」を連想させることも興味を引きます。


「藤の花」<藤原家の女性><藤原高子>


「すべらきのかざしに折る」<主上の髪飾りに手折る>を、
<清和天皇に(高子を)入内させる>
としてみましょう。

「枝」<在原業平>


良房や基経の苦り切った渋面が目に浮かぶようです。


(薫39)C.<鎮魂>
清和天皇に入内させようとしたが、
その、「藤波の花」<藤原家の女性><藤原高子>は、
思いもつかぬ「枝」<在原業平>に、袖を掛けたのでした。
(業平許すまじ。陽成天皇も引きずり下ろしてやる!)


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(今上帝2).よろづ世をかけてにほはん花なればけふをもあかぬ色とこそみれ


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メモ:

語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など


あくまでこれは「タタキ台」として、試みに私の主観を提示したものに過ぎません。

連想に幅を持たせてあるので、自分の感覚に合わない、と感じたら、その連鎖は削って下さい。
逆に、足りないと感じたら、好きな言葉を継ぎ足していって下さい。
そして、自分の「連想詞」のネットワークをどんどん構築していって下さい。


詳細は「連想詞について」をご参照下さい。

 

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ここまで。
以下、(注)


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(大君8).君がをる峰の蕨と見ましかば知られやせまし春のしるしも

2021-01-11 01:33:26 |  <暗号を解く鍵><紫式部が送ってくれたサイン>

 


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(大君8).君がをる峰の蕨と見ましかば知られやせまし春のしるしも


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この本は「教科書」「参考書」の類ではありません。

皆さんに「教える」のではなく、どちらかと言うと、皆さんと「一緒に考える」ことを企図して書かれた本です。
また、私の主観も随所に入っていますが、私はこの方面の専門家でもありません。


ですから、
<効率よく知識を仕入れる><勉強のトクになるかも>
などとは、間違っても思わないようにして下さい。
いわゆる「学習」「勉強」には、むしろマイナスに働くでしょう。


上記のことを十分ご了解の上で、それでもいい、という人だけ読んでみて下さい。


ただし、
教科書などに採用されている、標準的な解釈の路線に沿った訳例は、参考として必ず示してあり、
その場合、訳文の文頭には、「@」の記号が付けてあります。


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時々「(注)参照」とありますが、それは末尾の(注)をご参照下さい。
ただし、結構長い(注)もあり、また脱線も多いので、最初は読み飛ばして、本文を読み終えたのちに、振り返って読む方がいいかもしれません。

なお、(注)の配列順序はバラバラなので、(注)を見るときは「検索」で飛んで下さい。

 

あちこちページを見返さなくてもいいように、ダブる内容でも、その場その場で、出来る限り繰り返しを厭わずに書きました。
その分、通して読むとクドくなっていますので、読んでいて見覚えのある内容だったら、斜め読みで進んで下さい。
電子ファイルだと、余りページ数を気にしなくて済むのがいいですね。


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(大君8).君がをる峰の蕨と見ましかば知られやせまし春のしるしも12.txt


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要旨:

早春の山菜を贈られた宇治の姉妹は、亡父八宮を偲んで、互いに贈答歌を交わした。


<皇子の娘(女王)にふさわしい身分の相手でなければ、安易な結婚に走ってはならない>
という八宮の方針、遺言に呪縛されて結婚適齢期を逃した姉妹の<焦りと諦め>の観点から、和歌を解釈した。

 

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目次:


(大君8).君がをる峰の蕨と見ましかば知られやせまし春のしるしも


(中の君4).雪ふかき汀の小芹誰がために摘みかはやさん親なしにして

 

メモ:
語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など

 

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では、始めましょう。

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早春に、宇治の僧坊から、大君と中の君の姉妹に、
「沢の芹、蕨など奉りたり。」
と山菜が届きました。

 


(大君8).君がをる峰の蕨と見ましかば知られやせまし春のしるしも


「君」<貴人の尊称><亡き八宮>
「をる(折る)」<折る><手折る>
「をる(居る)」<居る><座っている>

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極端に字数制限の厳しい和歌では、敬語表現は省略されるのが普通です。
時制を示す助動詞もしばしば省略されます。
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八宮は皇族でもあり、姉妹の父親でもあるので、通常は尊敬語が用いられ、「をりたまふ(折り給ふ)」となるところですが、それでは字数オーバーになってしまいます。
「君」を<八宮>とするのは違和感がありますが、和歌の場合は致し方ありません。


例えば、下記の(古今集84)では、<疑問>を表す言葉が省略されているものとして解釈されています。

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ちなみに、「らむ」<助動詞>には、<現在推量>の他に、<原因推量>があります。
<原因推量>とは、
<目の前の現実は疑いようが無いけれど、その理由は何だろう?>
という風に、<原因>を推量する用法です。

(古今集84)の「らん」は<原因推量>の例として有名です。


***「らむ」<原因推量>***************
(古今集84).
(詞書):さくらの花のちるをよめる。
久方のひかりのどけき春の日にしず心なく花のちるらむ (紀友則)

@(古今集84)A.
陽光のどかなこの春の日に、<どうして>落ち着いた心も無く、桜の花は散っているのだろうか。
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上記では、<疑問>を表す「いか」「など」や「や」「か」が省略されているものとして解釈されます。


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@(大君8)A.<君=父君=八宮>
亡き父君が手折った峰のワラビと見ることが出来たなら、春を告げるしるしと分かったものを。
(父以外のどなたから頂いても、今までと同じ春のしるしとして喜ぶことは出来ません。)


「所につけては、かかる草木のけしきに従ひて、行きかふ月日のしるしも見ゆるこそをかしけれ」など人々の言ふを、、、、

と、旬の山菜に喜び騒ぐ女房たちを尻目に、ふたりの姉妹(大君と中の君)は、
「何のをかしきならむ」<何の面白いことがあろうか>
と歌を詠み合います。

女房たちのはやし立てる旬の山菜も、ふたりの愛娘にとっては、父の死という辛い過去を思い出させるものでしかないのかもしれません。

 

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ここで、ちょっと地の文を見てみましょう。


直後の地の文:
***「うるさく何となきこと多かるやう」*****************
(地の文1).
中納言殿(薫)よりも宮(匂宮)よりも、をり過ぐさずとぶらひきこえたまふ。
「うるさく何となきこと多かるやう」なれば、例の、書き漏らしたるなめり。
@(地の文1)A.
<わずらわしく、またそう格別なこともないよう>なので、例によって、書き漏らしたのであろう。
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地の文にはそんな言葉が見えます。
何人かで和歌を唱和した後、語り部が顔を出す似たような場面があります。


***「総角」の帖の語り部「見苦しくなむ」****************************
(地の文2).
作りける「文」の、おもしろき所どころうち誦じ、「やまと歌」もことにつけて多かれど、かやうの酔ひの紛れに、ましてはかばかしきことあらむやは。片はし書きとどめてだに「見苦しくなむ」。
@(地の文2)A.
一同の作った数々の「漢詩」の面白い詩句を所どころ吟誦したり、「和歌」も何かにつけて多かったりしたけれど、こうした酔い泣きの最中ではなおさらのこと、たいしたものができようはずもなかろう。ほんの少し書き留めるだけでも<見苦しい>ので。
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***「若菜下」の帖の語り部「うるさくてなむ」*****************
(紫上19).住の江の松に夜ふかくおく霜は、神のかけたる木綿鬘かも

(地の文3).
次々、数知らず多かりけるを、何せむにかは聞きおかむ。
かかるをりふしの歌は、例の上手めきたまふ男たちもなかなか出で消えして、松の千歳より離れていまめかしきことなければ、「うるさくてなむ」。
@(地の文3)A.
次々、歌が詠まれて、数え切れぬくらいたくさんあったのだが、何もそう聞きおくことはあるまい。こうした折の歌は、例の巧者と任じておられる男たちも、かえって詠みばえしないもので、「松の千歳」のような決まり文句以上の今風の趣向があるわけでもないのだから、<わざわざ取り上げるのもわずらわしい>というものだ。
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語り部のこれらの評は、誰よりも古今の和歌や漢詩をそらんじ、またおびただしい数の歌を日常的にやり取りしていた紫式部の偽らざる本音でしょう。
定型的な表現やステレオタイプな解釈には、うんざりだったであろうことは、想像に難くありません。


しかし、ここには、さらに重要な仄めかしが含まれているように思えます。
「見苦しくなむ」「うるさくてなむ」「うるさく何となきこと多かるやう」だから、ここには書いてありません、と語り部は言っているわけです。
ということは、あえてここに書いてあるこれらの和歌には、<通り一遍でない何か>が含まれているのではないか。
少なくともそう考えて、その意味を探索してみるのが謙虚な解釈姿勢である、と私は思います。
相手は、我々の発想をはるかに超越した天才なのですから。
昔の人だからって、皆さんは無意識のうちに相手を上から目線で眺めてはいませんか。
ましてや、紫式部の<超絶脳内言語空間>ならなおさらです。


そして、<通り一遍でない何か>にたどり着くには、<通り一遍の>定型的な修辞に対する探索方法に頼っていてはいけないはずです。
型になずんだ解釈手法に留まらない、<さらに一歩踏み込んだ>読みがここでは必要だ。そう紫式部は仄めかしているのではないでしょうか。


とは言うものの、どうアプローチしていいやら、甚だ見当が付かないので、
何はともあれ、普通はしないような分解の仕方を、試しにしてみましょう。

もっとも、あくまでこれはタタキ台としての試みなので、皆さんが私の主観に従う必要は毛頭ありません。
自分にとってしっくり来るような方法を、ご自身で探してみて下さい。


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  折る
君かをる 峰の蕨と 見ましかば 知られやせまし 春のしるしも
 薫る


「君がをる」を「君かをる」としてみましょう。
濁点を打つ習慣の無かった当時、これらはともに「君かをる」と表記されました。

「かをる(香る、薫る)」は、大君を恋い慕う「薫」を連想させます。

「君」<中の君><あなた>

「見る」は<見る>のほか、<男女の仲になる><結婚する>という意味があります。

「見ましかば」<見ることが出来たら>との対比において、
「峰(みね)の」の音韻は、「見ねど」<見ないけれど><恋仲にならないけれど>を連想させます。

 


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ちなみに、
上代では、已然形は単独で、順接、逆接の条件として用いられました。

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(順接) 家離りいます吾妹を停めかね 山隠しつれ心どもなし (万葉集、3-471)
(逆接) 大舟を荒海にこぎ出弥舟たけ わが見し子らがまみは著しも (万葉集、7-1266)
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また、
係り結びの係助詞「こそ」がなくても、文を已然形で終止させることがあります。
これを「已然形終止」と言います。

***「已然形終止」********************
(小田勝「古典文法総覧」p.92)
(男女の仲は崩れ始めると)なごりなきやうなることなどもみなうちまじるめれ。(源氏物語「椎本」)
これ(この歌)やこの腹立つ大納言のなりけんと見ゆれ。(源氏物語「宿木」)
つれなくのみもてなして御覧ぜられ奉り給ふめりしか」と(右近は源氏に)語り出づるに。(源氏物語「夕顔」)
わが方ざまに(自分の婿にしようと)思ふべかめれ。(源氏物語「紅梅」)
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大君は、物おじしやすい生来の性格もあって、薫が想えども一向に靡きません。
薫はそれを中の君という「形代」<代用品>で埋め合わせようとするも叶わず、やがてその代用の役割は浮舟へと移ります。
そんな薫の恋の行く末を、紫式部は暗示しているのでしょうか。


「春」は季節のほか、<色恋><最盛期><盛りのとき>の意味があります。


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「春」は<開花>の季節です。
花が開き、風や虫によって、オシベとメシベの間で受粉が起こる、<愛>の季節です。
動物でいえば<性交><懐妊>の季節です。

「秋」は<結実>の季節です。
春に交わされた<愛>の結果、<種子><子種>が実り、散布されます。
動物でいえば<出産>の季節です。


六条院で華やかな「春秋論争」を戦わせた紫上と秋好中宮(梅壺女御)でしたが、
春を好む紫上が<懐妊>することも、
秋を好む梅壺女御が<出産>することもありませんでした。


梅壺女御の「うめ(梅)」が「うめ(産め)」を連想させるとすれば、
これほど鮮やかな皮肉はありません。
「天皇の妃」という、<この世で最も懐妊が待ち望まれる>立場の女性が、「うめ(産め)」と言われて産めなかったわけですから。


当時の価値観からすれば、二人とも完全な<負け組>です。
たとえ、社会的地位が、どうあろうとも、女性としては間違いなく<負け組>でした。


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「春」は<恋>の季節です。

「しるし」<目印><証拠><前兆><験(しるし)><効験><霊験><効き目><甲斐>


ちなみに、「笑ふ(わらふ)」には、<蕾が開く>という意味があります。
「咲ふ」には「わらふ」という読み方があります。「咲(えみ)」という人名もありますね。「笑み」と同じです。

「わらひ(笑ひ)」連用形転成名詞<笑い>

「見ねど」<結婚しなくても><夫婦にならなくても><恋仲にならなくても>

「見ね」(已然形単独用法)<結婚しなくても><夫婦にならなくても><恋仲にならなくても>


「『見ね』の笑ひ」<恋仲にならなくても一緒に笑い合うこと><恋人でなくても一緒に笑い合える関係>

「君かをる峰の蕨」を、
「君薫『見ね』の笑ひ」<中の君と薫が恋仲にならなくても一緒に笑い合うこと>
「君薫見ねど笑ひ」<中の君と薫が恋仲にならなくても一緒に笑い合う関係になること>

などとしてみましょう。

 

 が折る 峰   蕨                   印
君かをる みねの わらびと見ましかば 知られやせまし 春のしるしも
 薫   見ねど 童                   験
         笑ひ


君 薫 「見ね」の 笑ひ と 見ましかば 知られやせまし 春の験も


(大君8)B.
あなたと薫が、たとえ恋仲にならなくても、(一緒に)笑っているのを、もし見ることがあるなら、(恋の季節である)春の前兆と知られようものを。

 

 


<皇女たるもの、格下相手に気安くなびいて、安易な結婚をしてはならない>
という八宮の方針は、宇治の姉妹を何時までも呪縛し、二人は結婚適齢期を逃しました。

しかし、薫は、そんな厳しい八宮のお眼鏡にかなった、数少ない、いや、実質ほぼ唯一と言ってもいい程の、稀有な花婿候補だったのです。


大君は、中の君に、<もっと気を楽にして、薫と付き合ってみれば?>と水向けしているように見えなくもありません。

 

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「蕨(ワラビ)」<ワラビ><シダの若芽>の名は、その芽が赤子<童(わらべ)>の拳のように見え、また芽が開いていく様子が、拳から段々に指を開いていく様から来ているという説があります。

アジャリがせっかく贈ってくれた蕨なのに、姉妹は素直に喜べませんでした。
ちなみに、蕨のアクは<流産>を引き起こす恐れがあるそうです。(有岡利幸「資料 日本植物文化誌」)

「わらび(蕨)」を「わらべ(童)」<子ども>としてみましょう。


「見ね」(已然形単独用法)<結婚しなくても><夫婦にならなくても>

「『見ね』の童」<(正式に)結婚しなくても出来る子供>

 

「君かをる峰の蕨」を、
「君薫『見ね』の童」<中の君と薫が結婚しなくても出来る子供>
「君薫見ねど童」<中の君と薫が結婚しなくても出来る子供>

としてみましょう。

「春」は<恋の季節>です。
中の君と薫をめあわせようとする大君の気持ちが垣間見えるような気がします。

ちなみに、「はる(春)」の語源は「はる(張る)」なのだそうです。
春になって、種や芽が水を目一杯吸って<膨らむ><張る>ところから来ているのだそうです。


「しるし(験)」<効果><霊験><ご利益><甲斐>

 

 

 が折る峰   蕨                   印
君かをるみねの わらびと見ましかば 知られやせまし 春のしるしも
 薫  見ねど 童                   験


君 薫 「見ね」の 童 と 見ましかば 知られやせまし 春の験も

 


(大君8)C.<君=中の君>
中の君と薫が<結婚しなくても出来る子供>を見ることが出来るなら、恋する甲斐もあろうと知られようものを。

 

 

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(中の君4).雪ふかき汀の小芹誰がために摘みかはやさん親なしにして


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複合動詞における「か」は、しばしば複合動詞の中に割り込みます。
(中の君4).雪ふかき汀の小芹誰がために摘み(か)はやさん親なしにして
「摘み囃す」<摘んでもてはやす>
(薫34).よそへてぞ見るべかりける白露のちぎり(か)おきし朝顔の花
「契り置く」<約束しておく>
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@(中の君4)A.
雪深い沢の水際の小芹を、誰のために摘んで騒ぎ楽しむことが出来るでしょう。父親を亡くした今となっては。

 


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芹(セリ)が被子植物で、花でオシベとメシベが受粉し種子を作るのに対して、ワラビ(シダ植物)は、花も種子(2n)も作らず胞子(n)で増えます。
花もつけない植物から種のような胞子が出て増えるのは、当時の人にとって不思議に見えたことでしょう。
ここで姉と妹が唱和する<芹でなく蕨>は、<両親でなく片親>を暗示しているように見えます。
母なきあと、片親で育てられた二人の愛娘は、人一倍父君を慕う気持ちが強いのでしょう。


「芹を摘む」とは、<甲斐の無い、空しい期待をする><努力しても報われない>ことを表す慣用表現です。

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(更級日記、菅原孝標女).幾千たび水の田芹を摘みしかは 思ひしことのつゆもかなはぬ 
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(中の君4)B.
雪深い沢の水際の小芹を、摘んで騒ぐのも空しいことです。父親を亡くした今となっては。

 


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ツクシは土筆と書きます。また「筆の花」は<ツクシ>の異名です。
筆は竹で作られます。またスギナもタケも地中に根を広げて繁殖します。
そして「次々」に「よ(節)」を「継いで」伸長します。
それは、<世(よ)継ぎ><代(よ)継ぎ>を連想させます。
「植物名の由来」(中村浩)によると、ツクシの方言は、全国になんと500以上もあるそうです。(ちなみにスギナは80ほど)
そこに「継ぐ」にちなむ「ツギツギ」などの名前が多く含まれるのは示唆的です。


夏の暑さ、冬の寒さとも厳しい盆地の京都。
冬越え直後の作物の乏しい山野で、早蕨や土筆など早春の山菜は大変貴重な食料でした。
シダやツクシが、身近にある被子植物のような花をつけないことは当時の人々には当然の常識だったでしょう。
花には必ず子房があり、その中に種子を宿します。というより、そのためにこそ花という器官は進化してきたのです。
花びらも子房も無く、ただ目に見えないほど小さい粉(胞子)を撒き散らす胞子茎。
当時の人々にとっても、たしかにそれは花粉を受け取る雌しべ(母)よりは花粉を撒く雄しべ(父)を思わせるものであったでしょう。
そして、片親で子育てする八宮のイメージと重なるのでしょう。

ゴギョウ、ハコベラ、ナズナ、スズナ、フキノトウ、早蕨、、、
数ある早春の山菜の中、なぜ数少ない、胞子で増える早蕨(シダ)と土筆(スギナ)が選ばれたのでしょうか。
姉は、<蕨であったなら>と願い、妹は<芹ではだめだ>と嘆く。
なぜ、ふたりの姉妹は、<芹ではなく蕨>と詠み合ったのでしょうか。
花を咲かせる植物が、細心に避けられているように見えるのは、単なる偶然でしょうか。


「はやす(囃す)」<囃したてる><持てはやす>
「はやす(生やす)」<生やす><成長させる><(子や芽を)生やす>
「摘み生す(つみおほす)」には、<実を摘み取り、それを蒔いて、生長させる>の意味があります。


父君八宮は、娘二人の行く末、結婚相手、後見を案じつつ亡くなりました。
母親ばかりか、第八皇子であった自分が死んだら、結婚相手から見れば、両親もないこの娘たちには厚い後見も見込めません。
当然ますます良縁からは遠くなります。
さりとて、格下身分相手の安易な結婚になびいてはならない、と娘や娘つきの女房たちを八宮は戒めます。

「かかる際(きは)になりぬれば」<このような(皇族という)身分ともなると>
「生まれたる家のほど、おきてのままにもてなしたらむなむ、聞き耳にも、わが心地にも、過ちなくおぼゆべき」
<生まれた家の位や格式にしたがって身を処していくのが、世間の聞こえにも、自分自身の気持ちにも、間違いがないと思いなさい。>

「際(きは)」には<境界><辺><限界>のほか、<身分><身の程><分際>の意味があります。
「身は際(きは)」とは、<結婚するなら、お互いふさわしい身分の男女同士が良い><身分格差の大きい結婚は避ける方がよい>と言う意味の慣用句です。

「汀(みぎは)」<水際>は、「身は際(きは)」の慣用句を連想させます。


「ものさびしく心細き世を経るは例のことなり」<物寂しく不如意な人生を送ることは珍しいことではない>
良縁に恵まれない皇族が零落していく様を、八宮は身近に数多く見知っていたのでしょう。
その戒めには、高貴な血を濃く引く身の上というメンツだけでなく、不自由な生活をさせたくないという純粋な親心もあるのでしょう。

しかし、このときすでに大君26歳、中の君24歳になっていました。
貴族の娘であれば裳着<成人式>と同時に十代なかばで結婚するのが普通の当時、姉妹がすでに婚期を逃しているのは明らかです。
適当なところで妥協しないと、年とともにますます婿候補の数も減ればランクも下がるとしたもの。それは今も昔も変わりません。
下からどんどん年若い娘達が、婿取り戦線に参入してくるからです。

「春の七草」でおなじみのセリは、日本書紀や延喜式にも出てくる、貴重な食べ物でした。
セリは、田の畔や狭い水路などでも、「競り(せり)」合うように旺盛に繁殖するため、「せり」の名が付きました。
「せり(競り)」<競い合うこと><競い合うように旺盛に生えること>が「せり(芹)」の語源であることも興味を引きます。
紫式部がセリという植物名を和歌に織り込んだ理由は「競り」<婿取り競争>を読者に連想させたかったからのようにも思えます。

 

「汀(みぎは)」を「身は際(きは)」<結婚するなら、お互いふさわしい身分の男女同士が良い><八宮の遺言>
としてみましょう。もちろん普通は、こんな読み方はされませんが、あくまで試しです。

 

直前の地の文に、
「汀の氷とけたるを、ありがたくもとながめたまふ。」とあります。
<(八宮亡き後、時も経ち)、氷のような厳しい遺言もとけるように緩めてもよいと、ありがたくも思われる。>
としてみましょう。


「小芹」の「こ(小)」は<子(こ)><娘(こ)>の掛詞でもあります。
「小芹」<二人の娘:大君と中の君>としてみましょう。
「雪ふかき」<雪深い(京から離れた田舎の)>
「摘みはやす(囃す)」を「摘み生す(つみはやす、つみおほす)」<実を摘み取り、それを蒔いて、生長させる><結婚させて子供を産ませる>としてみましょう。


(中の君4)C.
雪深い(山奥の田舎の)娘を誰の嫁として結婚させ子供を産ませようか。皇子の親が亡くな(り、相ふさわしい身分の相手との結婚が望めなくな)った今となっては。

 

 

蕨の思い出だけではなく、八宮の遺言も、姉妹を呪縛しているように見えます。

そして、
「汀(みぎは)」「身は際(きは)」<結婚するなら、お互いふさわしい身分の男女同士が良い>
という<八宮の遺言>の<呪縛>に対する、焦りと諦めがないまぜられた姉妹の戸惑いが、
亡き八宮を偲ぶ姉妹の贈答歌そのものに垣間見えるとしたら、これほど鮮やかな皮肉はありません。

 


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ここでちょっと実際の歴史に目を向けて見ましょう。


光孝天皇の皇女の為子内親王は、醍醐天皇に嫁ぎました。
やがて懐妊しましたが、「ゆきこ(勧子)」内親王を出産してすぐに亡くなりました。

これは為子の母である斑子(なかこ)女王に醍醐天皇への入内を妨害された藤原穏子(やすこ)の母(人康親王むすめ)の霊が祟りだと噂されました。(世界文化社「ビジュアル日本史ヒロイン1000人」)

そして、穏子は醍醐天皇との間に4人の子をもうけ、その内保明親王は早世したものの、最終的に第61代朱雀天皇、第62代村上天皇の母となり、太皇太后の地位にまで上り詰めました。
したがって、為子内親王と藤原穏子の戦いは、穏子の圧勝といえるでしょう。


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ちなみに、公衆衛生事情や医療技術の水準が低かった当時、<出産>絡みで亡くなる女性は、現在とは比べ物にならないほど多かったようです。
中宮定子も第三子「躾子(びし)」出産の折に、後産が下りずに亡くなりました。
要するに、皇后という国のトップの女性、すなわち、当時としては最高レベルの医療技術のもとで出産する女性ですら、出産で亡くなってしまうわけですから、いかに<出産>が女性にとって一世一代の出来事だったかが想像できます。
現代であれば、皇后が出産の時に亡くなるなど、まず考えられない話でしょう?

医療の問題、生物学的な問題だけではなく、社会的な問題としても、当時の女性にとって、<結婚><出産>は一大事でした。
宮仕えでもしない限り、当時の貴族女性が外で働いて収入を得る道など、まずありませんから、経済的には夫に頼らざるを得ないわけです。

しかも、中流上流貴族でも、任官のアテが外れれば、たちまち生活は困窮、零落してしまう時代です。
基本的には家格で官職レベルが決まる身分制度の時代ですから、良い家柄の家に嫁ぐ熾烈な競争があります。

仮に運良く高い家格の夫と結婚できても、当時は一夫多妻(一夫一妻多妾)制ですから、子供のいない第二第三夫人など、夫から手厚く遇されるなどということは、
女性側の親からの後見が期待できない限り、まずありません。

中流上流貴族はもちろん、それは後宮でも同じこと。なぜなら、「後宮」とは、天皇の「世継ぎ」を産むための<国家機関>だからです。
為子と穏子の戦いは、穏子の圧勝に終わりました。
ちなみに穏子の父親は日本史上初の関白、藤原基経です。


藤原基経は陽成天皇を暴虐であるとして廃し、また阿衡の紛議を起こし、橘広相を政界から追いやるなど、絶大な権力を振るっていました。
良房の死後、清和、陽成、孝光、宇多の4代に渡り天皇に仕えたところは、武内宿禰を彷彿とさせます。

 


参考までに下記のファイルをご覧下さい。

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(古今集294).ちはやぶる神代も聞かず竜田川 唐紅に水くくるとは (伊勢物語、在原業平)
(兵部卿宮1).かげ広み頼みしまつや枯れにけん下葉散りゆく年の暮れかな
*****************

 

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まあ、いずれにせよ、当時の貴族の女性たちの細い肩には、<結婚><出産>が、ずっしり重くのしかかっていたわけです。
皇族とは言え、母を早くに亡くし、世に疎い八宮も零落し、その父さえ亡くなってしまって、宇治の姉妹の行く末は、心もとない限りです。
ましてや、結婚適齢期をとうに過ぎていますから、彼女たちの将来に対する不安は想像に難くありません。
彼女たち自身ばかりでなく、姉妹に仕えている侍女、従者たちの生活もかかっているわけです。

 

光孝天皇の皇女の為子内親王は、醍醐天皇に嫁ぎました。
やがて懐妊しましたが、「ゆきこ(勧子)」内親王を出産してすぐに亡くなりました。

「ため(為)」は「為子」を連想させます。
「ゆき(雪)」は「ゆきこ(勧子)」内親王を連想させます。

 

ちなみに、平安当時の人名は、ごくわずかの例外を除いて、どう発音されていたか不明です。

***「子(こ)」?「子(し)」? *******************
藤原忠平の妹で、第60代醍醐天皇に嫁いだ藤原「穏子」は、(やすこ)と呼ばれていたのか、(おんし)と呼ばれていたのかは分かりません。また、
藤原忠平の娘で、醍醐天皇と「穏子」との間の皇子、保明親王に嫁いだ藤原「貴子」の名が、(たかこ)と呼ばれていたか(きし)と呼ばれていたかも分かりません。
しかし、混乱を避けるため、学術方面では<音読み>が用いられることが多いようです。
***********************************


(中の君4)の歌を、為子内親王の<鎮魂>の観点から、試しに解釈してみましょう。

「ためし」だけに。


************************
何その上手いこと言ったみたいな顔。腹立つ。
(増田こうすけ「ギャグまんが日和」妖怪ろくろ首)
************************


これが言いたかったためだけに、この和歌を解釈しました。
長い前フリですみません。


とはいえ、乗りかかった船なので、ひと段落するまでためしに書き続けてみましょう。
興味の無い人は、ここで読み終わって頂いてかまいません。
ここまでお付き合いありがとうございました。

 

 

「せり(競り)」<競い合うように旺盛に生える>が「せり(芹)」の語源です。

「こ(小)」は「こ(子)」をも連想させます。

「こぜり(小芹)」は、「こ(子)」「せり(競り)」を連想させることは興味を引きます。

 

雪        汀       小芹           摘み   囃さん
ゆき   ふかき みぎは  の  こ ぜり 誰が ため に つみ か はやさん 親なしにして
ゆきこ      身際      こ せり    為    罪    生やさん
勧子       みきは     子 競り
         幹は        残せり


「みぎは(汀)」は「みきは(幹は)」を連想させます。
「みき(幹)」<若木の幹><子><勧子>

「のこせり(残せり)」<残した>


為子内親王は、「ゆきこ(勧子)」内親王を出産してすぐに亡くなりました。

出産で亡くなった為子と、生まれると同時に母親を奪われた勧子の悲哀の<鎮魂>の観点から、この歌を解釈してみましょう。

 

ゆき(子)  深き  幹は  残せり / 誰が 為(子) に 摘み か 生やさん /  親無し にして
勧子


(中の君4)D.<鎮魂>
「ゆき」<ゆきこ(勧子)内親王>という絆深い「みき(幹)」<若木の幹><子><勧子>は残した。
誰が為子に摘み生やしたのだろう。
親なしの子なんかにして。

 


詳細は下記の和歌のファイルをご参照下さい。


***「ためし」「親の親」**************
(光源氏151).身をかへて後も待ちみよこの世にて親を忘るるためしありやと
(源典侍6).年ふれどこの契こそわすられね親の親とかいひし一言
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メモ:

語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など


あくまでこれは「タタキ台」として、試みに私の主観を提示したものに過ぎません。

連想に幅を持たせてあるので、自分の感覚に合わない、と感じたら、その連鎖は削って下さい。
逆に、足りないと感じたら、好きな言葉を継ぎ足していって下さい。
そして、自分の「連想詞」のネットワークをどんどん構築していって下さい。


詳細は「連想詞について」をご参照下さい。


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「君」<貴人の尊称><亡き八宮>
「をる(折る)」<折る><手折る>
「をる(居る)」<居る><座っている>


「君がをる」「君かをる」

「かをる(香る、薫る)」「薫」

「君」<中の君><あなた>

「見る」<見る><男女の仲になる><結婚する>

「峰(みね)の」「見ねど」<見ないけれど><恋仲にならないけれど>

「春」<色恋><最盛期><盛りのとき>


「春」<開花><愛><性交><懐妊>の季節

「秋」<結実><種子><子種><出産>の季節

 

「梅壺女御」「うめ(梅)」「うめ(産め)」

「天皇の妃」<この世で最も懐妊が待ち望まれる立場の女性>

 

「しるし」<目印><証拠><前兆><験(しるし)><効験><霊験><効き目><甲斐>


「笑ふ(わらふ)」<蕾が開く>
「咲ふ」「わらふ」
「咲(えみ)」「笑み」


「わらひ(笑ひ)」連用形転成名詞<笑うこと><笑い>

「見ねど」<結婚しなくても><夫婦にならなくても>


「蕨(ワラビ)」<ワラビ><シダの若芽><童(わらべ)>


「蕨」<アク><流産>


「君かをる峰の」「君薫見ねど」<あなたと薫は、恋仲にならないけれど>

「わらび(蕨)」「わらべ(童)」<子ども>

「はる(春)」「はる(張る)」<春になって、種や芽が水を目一杯吸って膨らむ><張る>ところから来ているのだそうです。


「しるし(験)」<効果><霊験><ご利益><甲斐>

「摘み囃す」<摘んでもてはやす>
「契り置く」<約束しておく>


「芹を摘む」(慣用表現)<甲斐の無い、空しい期待をする><努力しても報われない>


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(更級日記、菅原孝標女).幾千たび水の田芹を摘みしかは 思ひしことのつゆもかなはぬ 
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「ツクシ」「土筆」「筆の花」<ツクシ>

「次々」に「よ(節)」を「継いで」伸長する<世(よ)継ぎ><代(よ)継ぎ>


「継ぐ」「ツギツギ」


「はやす(囃す)」<囃したてる><持てはやす>
「はやす(生やす)」<生やす><成長させる><(子や芽を)生やす>
「摘み生す(つみおほす)」<実を摘み取り、それを蒔いて、生長させる>


「際(きは)」<境界><辺><限界><身分><身の程><分際>

「身は際(きは)」<結婚するなら、お互いふさわしい身分の男女同士が良い><身分格差の大きい結婚は避ける方がよい>

「汀(みぎは)」<水際>「身は際(きは)」


「汀(みぎは)」「身は際(きは)」<結婚するなら、お互いふさわしい身分の男女同士が良い><八宮の遺言>


「小芹」:「こ(小)」は<子(こ)><娘(こ)>の掛詞

「小芹」<二人の娘:大君と中の君>

「雪ふかき」<雪深い(京から離れた田舎の)>


「摘みはやす(囃す)」「摘み生す(つみはやす、つみおほす)」<実を摘み取り、それを蒔いて、生長させる><結婚させて子供を産ませる>

 

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「ため(為)」「為子」<光孝天皇の皇女><為子内親王><醍醐天皇妃>
<「ゆきこ(勧子)」内親王を出産してすぐに亡くなる>

「ゆき(雪)」「ゆきこ(勧子)」内親王

 


「せり(競り)」<競い合うように旺盛に生える>

「こぜり(小芹)」「こせり(子競り)」<子を産むことを競り合う><後宮での醍醐天皇の皇子産み競争>

「みぎは(汀)」「みきは(幹は)」
「みき(幹)」<若木の幹><子><勧子>

「のこせり(残せり)」

 

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ここまで。
以下、(注)


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(宣旨の娘1).うちつけの別れを惜しむかごとにて思はむ方に慕ひやはせぬ

2021-01-10 16:36:23 |  <暗号を解く鍵><紫式部が送ってくれたサイン>

 


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(宣旨の娘1).うちつけの別れを惜しむかごとにて思はむ方に慕ひやはせぬ


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この本は「教科書」「参考書」の類ではありません。

皆さんに「教える」のではなく、どちらかと言うと、皆さんと「一緒に考える」ことを企図して書かれた本です。
また、私の主観も随所に入っていますが、私はこの方面の専門家でもありません。


ですから、
<効率よく知識を仕入れる><勉強のトクになるかも>
などとは、間違っても思わないようにして下さい。
いわゆる「学習」「勉強」には、むしろマイナスに働くでしょう。


上記のことを十分ご了解の上で、それでもいい、という人だけ読んでみて下さい。


ただし、
教科書などに採用されている、標準的な解釈の路線に沿った訳例は、参考として必ず示してあり、
その場合、訳文の文頭には、「@」の記号が付けてあります。


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時々「(注)参照」とありますが、それは末尾の(注)をご参照下さい。
ただし、結構長い(注)もあり、また脱線も多いので、最初は読み飛ばして、本文を読み終えたのちに、振り返って読む方がいいかもしれません。

なお、(注)の配列順序はバラバラなので、(注)を見るときは「検索」で飛んで下さい。

 

あちこちページを見返さなくてもいいように、ダブる内容でも、その場その場で、出来る限り繰り返しを厭わずに書きました。
その分、通して読むとクドくなっていますので、読んでいて見覚えのある内容だったら、斜め読みで進んで下さい。
電子ファイルだと、余りページ数を気にしなくて済むのがいいですね。


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(宣旨の娘1).うちつけの別れを惜しむかごとにて思はむ方に慕ひやはせぬ2.txt


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要旨:

明石姫君出産の報を受けて、源氏は宣旨の娘を乳母に選び、明石に送った。
その宣旨の娘と源氏の贈答について、
愛娘を手放す実母明石上の悲哀、および、姫君は将来天皇家への入内のための「后がね」であるという観点から、
和歌の解釈を試みた。

 

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目次:


(宣旨の娘1).うちつけの別れを惜しむかごとにて思はむ方に慕ひやはせぬ


メモ:
語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など

 

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では、始めましょう。

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(宣旨の娘1).うちつけの別れを惜しむかごとにて思はむ方に慕ひやはせぬ

 

 


当時の上級貴族社会では、子が生まれると、その実母ではなく、同様に乳幼児を抱える、母乳の出る近親の女性に、授乳が託されました。
この授乳役に任じられた女性を、「実母」に対して「乳母」(めのと)と呼びます。
「乳母」として白羽の矢が立った女性は、自分の子だけでなく、その貴族女性の子にまで、自分の乳を分け与えなければならなくなるわけですから、それは一見、損な役回りのように感じられます。
しかし、乳母は、実質的に、その上級貴族の子を自分の手元に置いて育てることになるため、乳母の実子は、その上級貴族の子と、言わば兄弟同然に育ちます。
その乳母の実子は、「乳母子(めのとご)」と呼ばれますが、
「乳母子」は、母乳を分かち合った上級貴族の子と、幼少期から兄弟同然の「乳兄弟」の絆で結ばれるために、
終生変わらぬ忠誠を示す者として、その貴族にとって、<最も信頼のおける臣下>として、生涯の地位を実質保証されます。
したがって、乳母に任じられることは、損どころか、むしろ大変な僥倖として、受け容れられました。


ところで、
一部の霊長類では、メスは、授乳する間は発情しない、という習性が見られます。
これは、子が乳首を口に含む(噛む)ことが、母親の身体にとって刺激となり、
授乳期間中は、新たな子をもうけないような生理的メカニズム(ホルモン分泌のコントロール)が、母親の体内で作動することによっています。
授乳している間は、母親としては、その子の育児に全力を注ぎたいわけですから、それは母親にとって、生物学的には確かに合理的な話です。
そして、一部の霊長類では、母が子を一年半以上も抱きかかえて生活し、子は乳首をくわえる動作を日常的に繰り返すため、
発情期が二年も訪れない、ということが見られます。


ところで、例えばハヌマンラングールでは、ハーレムの新たなボスは、雌たちの前夫(つまり旧ボス)の子を殺す、という、いわゆる「子殺し」の習性が見られますし、
何もそれは、霊長類に限った話ではなく、ライオンの群などでも同様の「子殺し」が見られます。


まあ、父親の立場からすれば、<自分の遺伝子を残す>という目的にとって、前夫の子など、単なる邪魔者、リソースのムダ遣いでしかないわけですから、そのような冷徹な習性の方が、むしろ淘汰され残ってきた、ということなのでしょう。


後宮、すなわち、天皇のキサキたちの、最も重要な役割は、<天皇の子>を産むことです。
野生動物と違って、人間の行動には、様々な文化的・社会的要素が影響しますから、動物生態からの単純な外挿・類推はもちろん禁物ですが、
子を産んだら、それはさっさと乳母に預けて、つまり、「乳首を噛む」子を遠ざけて、
出来るだけ早く次の「発情期」を迎え、子作りに専念する方がいい、というとらえ方もあり得るのでしょう。
それによって、天皇は、より多くの実子をもうける公算が大きくなり、またそれは、キサキにとっても、自らの一門の繁栄につながるわけです。
「実母」の母乳でなく、あえて別に「乳母」を立てることには、恐らく、そのような「生理学的」事情が、陰で絡んでいるように、私には思えなくもありません。
そう考えると、それは、いわば極めて「サイエンティフィック」な背景を持つ慣行のように思えてきますね。

それにしても、我が腹痛めて産んだ子に飲ませる乳を、むざむざ捨てる他ない実母のやるせなさたるや、察するに余りあります。

 

 

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源氏は明石姫君の「乳母」に充分値する女性を吟味し、この宣旨の娘に白羽の矢が立ちました。


「うちつけ(なり)」形動ナリ活用<突然だ><だしぬけだ><軽率だ><ぶしつけだ><露骨だ><あてつけがましい>

「かごと(託言)」「かこと」<言い訳><口実><恨み言><愚痴><不平不満><非難><言いがかり>

「をし(惜し、愛し)」<愛しい><可愛い><惜しい><もったいない><棄て難い><名残惜しい><心残りだ>

「したふ(慕ふ)」ハ行四段<心ひかれて後を追う><恋しく思う><懐かしく思う><(理想的な状態に)なりたいと願う>


@(宣旨の娘1)A.
(今回の突然の乳母の件でお会いしたばかりの)私との突然の別れが惜しいとおっしゃるのは口実で、別のお目当て(明石上)の方を思い慕っていらっしゃるのではありませんか。

 

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ところで、
一句内で文が切れる場合、これを「句割れ」と言います。

 

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(小田勝「古典文法総覧」p.679 21.10節「句割れ」)

をしや。割れも「あはれ」「かなし」のいくふしを、ひとつうらみのうちになしぬる。(光厳院御集)
思ふ人ありもこそすれ。忘れ草生ひけり。ゆかし猪名(ゐな)の中道 (能因集)
比べても知らじな。富士の夕煙なほ立ち上る思ひありとは (続拾遺集832)
きりぎりす夜寒に秋のなるままに弱るか。声の遠ざかりゆく (新古今集472)
むせぶとも知らじな。心かはら屋に 我のみ消たぬ下のけぶりは (新古今集1324)
山里を訪へかし。人に哀れ見せむ。露敷く庭に澄める月影 (西行法師家集)
時鳥待つとばかりの短夜に寝なまし。月の影ぞ明けゆく (続拾遺集 152)
訪はるやと待たまし。いかにさびしからん。人目をいとふ奥山の庵 (風雅1764)
逢ふことを(七夕の)今日と頼めて待つだにも(その喜びは)いかばかりかはあるな。七夕 (いぬほし)
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語句がその句に収まり切らず、次の句にまで跨ぐことを「句跨ぎ」と呼びます。

 

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(小田勝「古典文法総覧」p.679 21.11節「句跨ぎ」)

末の松山も霞の絶え間より花の波こす春は来にけり (続拾遺集101)
深く思ひ初めつと言ひしことの葉はいつか秋風吹きて散りぬる (後撰集953)
うしと思ふものから人の恋しきはいづこを偲ぶ心なるらん (拾遺集731)
音立てぬものから人に知らせばや絵にかく滝のわきかへるとも (新後撰集813)
あひみしは夢かとつねに嘆かれて人に語らまほしきころかな (続千載集1539)
白河の滝のいと見まほしけれど みだりに人は寄せじものをや (後撰集1086)
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詳細は、下記和歌のファイルをご参照下さい。

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(光源氏128).誰により世をうみやまに行きめぐり絶えぬ涙にうきしづむ身ぞ
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「うちつけ」は「ちつけ(乳付け)」を連想させます。
「ちつけ(乳付け)」<赤子に初めて乳を飲ませること><乳母>

「やは」<反語>

「にて(似て)」<似て>
「を」<詠嘆>
「を」<主格><~が>

格助詞「を」は、自動詞・形容詞の主語を指すのにも用いられます。(旺文社「古語辞典」、大修館書店「古語林」)

***格助詞「を」<自動詞・形容詞の主語>**********
(小田勝「古典文法総覧」p.47)
自動詞・形容詞の主語を指すのに、格助詞「を」がしばしば用いられる。

暁の鴫の羽がきに目をさめて かくらん数に思ひこそやれ (赤染衛門集)
かぐや姫のやもめなるを嘆かしければ、、、 (竹取物語)
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ヤマノイモは、種子でも増えますが、主として「むかご」「ぬかご」という、小さい豆形の、いわばイモの分身をつくることによって繁殖します。
花のめしべが花粉を受粉する有性生殖で種子をつくるのに対して、これは栄養生殖と呼ばれます。
生物選択者なら、ジャガイモの塊茎やオランダイチゴの走出枝などでおなじみですよね。


オニユリもむかごによる無性生殖で増えます。
ふつうのユリは鱗茎(ユリネ:食用でおなじみ)で増えますが、これも交接なしの無性生殖です。
キリスト教の祭壇に飾るユリの花は、永遠に純潔であるようにと、雌しべと雄しべが摘み取られたそうです。(「聖書の植物事典」)

このような無性生殖は、有性生殖のような雄と雌の交合を伴いません。
いわば、<処女懐胎>に当たります。

花でオシベとメシベが受粉する本来の有性生殖に対して、男女の交わりを介さない<無性生殖>は、
<夫婦の交わりの無い子><ワケアリの子><隠し子><落し種>を連想させます。


***「むかご」「ぬかご」=<落し種> **********************
平清盛の(名目上の)父親は平忠盛ですが、
「平家物語」巻六 祇園女御には、平清盛が白河院の落胤<落し種>であることが語られています。
この和歌は、<物名歌>としても有名です。

やぶに<ぬか子>のいくらもありけるを、忠盛袖にもりいれて、御前へ参り、
「いもが子ははふほどにこそなりにけれ」
と申たりければ、院やがて御心得ありて、
「ただもりとりてやしなひにせよ」(「忠盛」と「ただ盛り」「ただ守り」)
とぞつけさせましましける。

「やしなひ(養ひ)」<養うもの><栄養><食物><金銭><養うこと><養育すること><養子に取ること><養子>

ぬかごは腋芽(葉の付け根からでる芽)が伸びずに栄養を蓄えて丸く肥大したもので、正しくは「果実」「種」ではありません。
ふたつ一組でツルからぶら下がる「ぬかご」は、まるで<睾丸>のように見えます。(谷川栄子、本間秀和「里山のつる性植物」)

ちなみに、白河院と平忠盛は同性愛の関係にあったとも言われています。(堀江宏樹、辛酸なめ子「天皇愛」)

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「むかご」<隠し子><紫上の与り知らぬ子><源氏が現地妻明石上に産ませた明石姫君>
としてみましょう。

「したふ」ハ行四段<(木の葉が)色づく><紅葉(黄葉)する>
むかごの落ちる秋には、ヤマイモの葉は黄葉します。


やがて来る明石上と姫君の別れは、源氏物語屈指の涙の一幕です。
そして姫君は、六条邸の紫上のもとに「養ひ」<養子>として引き取られ、
明石上は、<娘は自分のことなどすぐ忘れてしまう>という切ない思いの中で、寂しい毎日を過ごすことになります。


詳細は下記和歌のファイルをご参照下さい。

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(明石上17).年月をまつにひかれて経る人にけふうぐひすの初音きかせよ
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ヤマイモの種には、薄い翼があり、風を受けて飛んで散布されますが、むかごは丸っこくて、つるから落ちると、ころころ転がって、遠くまで走ります。

「はす(馳す)」サ行下二段<馳せる><走らせる><思いを向ける><急いで~する><走る>
「はす(馳す)」<(むかごのように転がって)走る>
としてみましょう。

そして、上記の「句割れ」「句跨ぎ」のように、通常の句切れから、何はともあれ一旦離れて、「暗号」としてこの文字列の解読を試みてみましょう。

 

打ちつけ            託言               やは
うちつけの 別れを 惜し / むかごと にて  思はむ方に 慕ひ や はせぬ
 乳付け                似て             馳せぬ


うちつけの 別れ を 惜し / むかごと 似て  思はむ方に 慕ひ や 馳せぬ
 乳付け

(宣旨の娘1)B.
突然の別れが名残惜しい。
(ヤマイモのつるからこぼれ散らばる)むかごと似て、
思い思いの方向を慕って、(ころころと)馳せて(走って)行かないだろうか。
(いや、養母のものになってしまうだろう) (反語)

 

明石姫君の乳母となる宣旨の娘の歌に、やがて来る明石上の喪失感が暗示されているようにも見えます。


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「にて(似て)」<似て>
「にで(似で)」<似ないで><~と違って>
によって、正反対の意味にもなり得ます。

うちつけの 別れ を 惜し / むかごと 似で  思はむ方に 慕ひ やは せぬ
 乳付け


(宣旨の娘1)C.
突然の別れが名残惜しい。
(ヤマイモのつるからこぼれ散らばる)むかごと違って、
思う母(明石上)の方に、慕ってはくれないだろうか。
(いや、実母のもとに帰ってくるだろう。) (反語)

 

この解釈なら、明石上にとって、大きな慰めになりますね。


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ユリは鱗茎(ユリネ:食用でおなじみ)で増えますが、これも交接なしの繁殖です。
キリスト教では、ユリが純潔の象徴として用いられるそうですが、<処女懐胎>と関係があるのでしょうか。
キリスト教の祭壇に飾るユリの花は、永遠に純潔であるようにと、雌しべと雄しべが摘み取られたそうです。(「聖書の植物事典」)


アマドコロ(甘野老)は、ユリ科ですが、地下茎が山芋に似ており、食べると甘いことから名づけられました。
その呼称はいつの時代に現れたのかは分かりませんが、ユリとヤマイモをつなぐ連想は、やはり自然なことを示しているように思います。

 


竹も山芋も、無性生殖を行います。というより、種子より無性生殖の方が主となってしまっています。
これは、現代人より自然をはるかに身近に知っていた古人には、当然の常識だったでしょう。
山芋は重要な食物でしたし、竹は筍を食するだけでなく、器具や建材などあらゆるところに用いられました。

無性生殖は、有性生殖のような雄と雌の交合を伴いません。
いわば、<処女懐胎>に当たります。

「処女懐胎」<出産の日から逆算して、夫と妻が交わる機会がありえないはずの妊娠><夫の身に覚えの無い妊娠><私生児>

 

****「処女懐胎」<夫の身に覚えの無い妊娠><私生児> *********************************
しかし紛々たる事実の知識は常に民衆の愛するものである。彼等の最も知りたいのは「愛とは何か」と言うことではない。「クリストは私生児かどうか」と言うことである。
(芥川龍之介「シュジュの言葉」)
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マリアは、処女懐胎(性交なしの懐妊)によって、イエスをみごもったといわれます。
これを「無原罪のお宿り」と呼びます。
それについて、浅野典夫さんは興味深い解釈をされています。


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イエスは、子供の頃、周囲から、「マリアの子イエス」と呼ばれていました。
当時の習慣なら、普通は、父親の名を冠して「ヨセフの子イエス」と呼ばれたはずです。
ちなみに日本でも、未婚女性は父親の官職名で呼ばれました。(既婚女性は夫の官職名)
紫式部の式部は彼女の父為時の官職名「式部丞」から来ています。

では、なぜ「マリアの子イエス」だったのでしょうか。
イエスは、母親はマリアだったけれど、父親は誰だかわからなかったのです。
気まぐれな浮気で出来てしまった子かもしれないし、食うに困って一時的に身体を売ったのかもしれません。
あるいはマリアは、娼婦だったのかもしれません。当時、娼婦はごく普通にある職業でした。昔の日本と同じです。
皆さんも「赤線」と言う言葉は聞いたことがあるでしょう。
ちなみに、平安時代は、「方違え(かたたがえ)」などで貴族が部下の家に泊まると、夫が妻や娘を「夜伽(よとぎ)」<夜の接待>に差し出すことが、ごく普通に行われていました。

「この世で最も古くからある職業は泥棒と娼婦だ」という言葉があります。
古代ギリシャや中東地方の神殿には神に仕える女性がいましたが、彼女らは時には売春行為をすることがありました。
これを「神殿売春」と言い、「旧約聖書」にも記されています。

***「旧約聖書」「神殿売春」***************************
イスラエルの女子は神殿娼婦となってはならない。また、イスラエルの男子は神殿男娼となってはならない。
(旧約「申命記」23章17~18節)
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「禁止するルールがあった」と言うとき、「じゃあ、する人はいなかったんだな」と素直に思ってはいけません。
「ルールが出来る前はおおっぴらに、出来た後は隠れて行われていた」
というだけの話です。

いずれにせよ、父親が誰だか解らなかった。そしてそれを周囲の人も良く知っていたのでしょう。
だから、「マリアの子」と呼ばれていたのです。
(参考:浅野典夫「ものがたり宗教史」)
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仮にこの解釈が正しいとすれば、
イエスの誕生は、「無原罪」どころか、まっとうな女性なら犯さないタブー(禁忌)によって生まれたものだったわけです。
しかし、それを、責めないことこそ、あえて「無原罪」とすることこそ、新約の新約たる所以なのかもしれません。
形骸化した戒律に縛られ、弱者救済とはいささか異なる様相のユダヤ教あるいは旧約世界へのアンチテーゼだったのかもしれません。


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「うちつげ(家継げ)」(四段動詞命令形)<家を継げ><源氏の家の跡継ぎとなれ>


「うち(内)」には<内裏><宮中><天皇家><天皇>の意味もあることは興味を引きます。

源氏が明石姫君を養女として引き取ろうとしたのは、天皇への入内を目論む「后がね」としてでした。
もし首尾よくコトが運べば、源氏は天皇の外祖父となります。
摂関政治においては、それは政治権力の掌握を実質的に意味します。

「うちつげ(内継げ)」<天皇を継げ><天皇の世継ぎを産め><(源氏のもとから)天皇家に入内せよ>

 

すでに藤壺宮は<処女懐胎>によって<冷泉帝>という<むかご>を産みました。
<冷泉帝>という<むかご>は、言ってみれば、源氏が天皇家に預けた「やしなひ(養ひ)」<養子>である、という見方も出来るのかも知れません。


この上また明石姫君が天皇家に入内したら、さらに源氏の血が天皇家に加え注がれることになります。


詳細は下記和歌のファイルをご参照下さい。

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(朱雀院8).世をわかれ入りなむ道はおくるともおなじところを君もたづねよ
***************

 


打ちつけ            託言               やは
うちつけの 別れを 惜し / むかごと にて  思はむ方に 慕ひ や はせぬ
 乳付け                似て             馳せぬ
うちつげ                にで
家 継げ                似で
内 


うちつけの 別れ を 惜し / むかごと 似て  思はむ方に 慕ひ や 馳せぬ
 乳付け
内 継げ


(宣旨の娘1)D.
「うちつげ(内継げ)」<天皇の世継ぎを産め><(源氏のもとから)天皇家に入内せよ>
との源氏の命による、愛娘との突然の別れが名残惜しい。
(藤壺宮が<処女懐胎>によって産んだ<冷泉帝>という)<むかご>と同じように、
(源氏の)目論み通りに、(天皇家の)方を慕って、
(ころころと)馳せて(走って)行かないだろうか。
(いや、天皇家に入内するだろう) (反語)

 

天皇に入内する明石姫君の将来が暗示されているようでもあります。

本人の政務能力ではなく、姻戚関係で権力の帰趨が決まってしまう摂関政治の愚は、紫式部の攻撃対象のひとつだった、と私は思います。

 

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ここで、直後の地の文を見てみましょう。


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(地の文).
馴れて聞こゆるをいたしと思す。
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「聞こゆ」<「言ふ」の謙譲語><申し上げる><お手紙を差し上げる>(補助動詞)<~し申し上げる>

「いたし(甚し)」<程度が甚だしい><ひどい><すごい><非常によい><感に堪えない><素晴らしい>


@(地の文)A.
(乳母となる宣旨の娘が、その大役に相応しい巧みな機知を働かせて)、手馴れた風に申し上げるのを、(源氏は)大したものよ、と感心なさった。

 


「なる(馴る、慣る)」ラ行下二段自動詞<慣れる><習慣になる><度々のことで何とも感じなくなる><親しむ><なじむ><打ち解ける>

「なれて(馴れて)」は「なれで(慣れで)」を連想させます。
濁点を打つ習慣の無かった当時、これらはともに「なれて」と表記されました。

「なれで(慣れで)」<慣れないで><慣れないことで><聞き慣れないで>

「聞こゆ」<聞こえる><自然に耳に入る><評判になる><噂される><わけが分かる><理解できる><~と思われる><~と分かる>

「いたし(痛し)」<(肉体的に)痛い><(精神的に)痛い><苦痛である><いたわしい><かわいそうだ>


さて、冷泉帝の出自は、すでに暗黙の了解で、京中に知れ渡り、この宣旨の娘の耳にも入っていたのでしょうか。
それとも、心疚しさ故の、源氏の思い過ごしに過ぎないのでしょうか。


           甚し
馴れて 聞こゆる を いたし と思す。
慣れで        痛し


(地の文)B.
(思いもしなかった)耳慣れない言葉が聞こえてきたのを、(源氏は)痛いところを突かれた、とお思いになった。

 


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ちなみに、
ここで試みたような、ある種「ゴロ合わせ」的な解釈は、実はその方面の専門家からは好意的に受け取られません。

しかし、そうした専門家たちが、通常行っている解釈は、例えば、
<花だったら女性を指す>
<月だったら貴人を指す>
などというような、極めて大まか、かつ恣意的なコトバと指示内容の結び付けに基づいていることが、実際は殆どです。

 

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(冷泉帝5).九重にかすみへだてば梅の花 ただかばかりも匂ひこじとや

(冷泉帝5)A.
梅の花は、幾重にも霞に隔てられて、香りさえも匂って来ないことになるのだろうか。


@(冷泉帝5)B.
(梅の花のように美しい)玉鬘は、霞(髭黒大将、多くの求婚者)に幾重にも隔てられ、宮中にはこれっぱかりもお目にかかれないのか。


(冷泉帝5)C.
「九重」<花びらが幾重にも重なる八重咲き><不妊>の「梅の花」<梅壺女御>は、
「九重」<宮中>では、私(冷泉帝)と身を隔てていて、
これっぽっちも「匂ひ」<懐妊の気配>が無いままなのだろうか。
(梅壺女御には子供が出来なさそうだから、あなたに乗り換えようかな。)

 

「梅の花」は、@(冷泉帝5)Bのように、<玉鬘>を指す、とされるのが普通です。
私もその解釈に特に違和感は感じません。


しかし、この歌ににじみ出ている冷泉帝のホンネは、少なくとも無意識的には、
「梅の花」<八重咲きの梅><梅壺女御><不稔の妻>
である、と私は思います。


女性を花に例えるのは現代でもよくあることです。
和歌に花が含まれると、しばしばそれだけでその花はその場面に登場する女性(人物)の例えとされます。
同じ人物が、女性と花という結びつき以外には何の脈絡も無く、桜や藤袴や女郎花や紫草や菊や藤や葛や、、、に例えられている、と解釈されます。

しかし、この本では、単に「花」=<登場人物>と解釈するのではなく、そこに極力何らかの関連付けを試みました。
「八重咲き」=<不稔><不妊><石女>のような<生態的特徴>による関連付けの場合もあれば、
「なでしこ(撫でし子)」<撫でた子><愛しい我が子>のような<音韻の類似><聞きなし>による関連付けもあります。
また、その和歌とは別の、例えば故事や古歌を引き歌とした連想による関連付けもあります。

<生態的特徴>でも<音韻の類似>でも、あるいは引歌からの連想でも、どんな観点からの結びつけでも良いのですが、このような関連付けを試みた理由は、
「花」を何の意味の裏づけもなく単に<登場人物>とするような解釈は、あまりに<恣意性>が大きいと考えたことによります。
これでは、始めに和歌の解釈があって、後からその解釈に合わせて、和歌を構成する「言葉」に<指示内容>を割り当てていることになってしまいます。

和歌を構成する「言葉」の<指示内容>を基本要素として出発し、その要素を組み合わせて一首全体の意味を探りながら構築する立場を、ここで仮に「ボトムアップ方式」、逆に、一首の解釈を決めてから各語にその意味を割り振る方法を「トップダウン方式」と呼ぶとすると、この本は、極力「ボトムアップ方式」を目指した、ということです。


たとえば(冷泉帝5)の歌では、「梅」という文字と、「八重咲き」<不妊>、また「九重」<宮中>にいる、という属性から、
「梅の花」をその場に居合わせた<玉鬘>ではなく、その場にいない(九重=宮中にいる)<梅壺女御>とする解釈を、あえて選択肢として追加しました。
私自身の個人的な感覚では、「梅の花」を<玉鬘>とするよりは<梅壺女御>とする方が、言葉の解釈の<恣意性>の度合いが小さく(裏づけがあり)、かつ、冷泉帝の心中のホンネが(図らずも)浮かび上がってくるように思えます。

 

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(光源氏205).植ゑて見し花のあるじもなき宿に知らず顔にて来ゐる鶯


(光源氏205)の「鶯」が、真に意味するのは、
(ア)亡き紫上が大切にしていた紅梅の植木にやって来た、単なる旬の鳥でしょうか?
それとも、
(イ)紫上が遺言した通りに、紅梅を愛で慈しんでいる紫上鍾愛の匂宮でしょうか?
それとも、
(ウ)懐妊を待ち焦がれながら、ライバル明石上の明石姫君を養育し、<托卵された鳥>で生涯を終えざるを得なかった紫上を指すのでしょうか?
それとも、小学館「新日本古典文学全集」にあるように、
(エ)<源氏の悲しみ>や<人の命がはかなく流転しても変わらぬ自然>の象徴でしょうか?

 

 

(夕霧37).ほととぎす君につてなんふるさとの花橘は今ぞさかりと

(夕霧37)の「ほととぎす」が真に意味するのは、
(カ)<橘鳥>の別名の通り、六条院の庭先の橘の木にやって来た、単なる旬の鳥でしょうか?
それとも、
(キ)<魂迎へ鳥><冥界とこの世を行き来する鳥>で、紫上との伝令、あるいは亡き紫上(の思い出)でしょうか?
それとも、
(ク)<托卵する鳥>で、源氏に誰か子を養育して欲しい、十二人もの子を持つ、子沢山の夕霧の例えでしょうか?

 

(夕霧37)の和歌の直後に、語り部が顔を出します。

「女房など、多く言ひ集めたれど、とどめつ。」
<続いて女房などが沢山詠じたけれど、(特にどうということもない和歌ばかりなので)、お伝えするのは止めることにした。>


なぜ、語り部は、せっかくの唱和を、語り伝え、書き残さなかったのでしょうか?
逆に、紫式部は、そんな語り部の片言一句を、なぜ漏らさずわざわざ書き入れたのでしょうか?


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何人かで和歌を唱和した後、語り部が顔を出して和歌を評する場面が、源氏物語の中にはいくつかあります。


***「うるさく何となきこと多かるやう」*****************
(地の文1).
中納言殿(薫)よりも宮(匂宮)よりも、をり過ぐさずとぶらひきこえたまふ。
「うるさく何となきこと多かるやう」なれば、例の、書き漏らしたるなめり。
@(地の文1)A.
<わずらわしく、またそう格別なこともないよう>なので、例によって、書き漏らしたのであろう。
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***「総角」の帖の語り部「見苦しくなむ」****************************
(地の文2).
作りける「文」の、おもしろき所どころうち誦じ、「やまと歌」もことにつけて多かれど、かやうの酔ひの紛れに、ましてはかばかしきことあらむやは。片はし書きとどめてだに「見苦しくなむ」。
@(地の文2)A.
一同の作った数々の「漢詩」の面白い詩句を所どころ吟誦したり、「和歌」も何かにつけて多かったりしたけれど、こうした酔い泣きの最中ではなおさらのこと、大したものが出来ようはずもなかろう。ほんの少し書き留めるだけでも<見苦しい>ので。
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***「若菜下」の帖の語り部「うるさくてなむ」*****************
(紫上19).住の江の松に夜ふかくおく霜は、神のかけたる木綿鬘かも

(地の文3).
次々、数知らず多かりけるを、何せむにかは聞きおかむ。
かかるをりふしの歌は、例の上手めきたまふ男たちもなかなか出で消えして、松の千歳より離れていまめかしきことなければ、「うるさくてなむ」。
@(地の文3)A.
次々、歌が詠まれて、数え切れぬくらいたくさんあったのだが、何もそう聞きおくことはあるまい。こうした折の歌は、例の巧者と任じておられる男たちも、かえって詠みばえしないもので、「松の千歳」のような<決まり文句>以上の今風の趣向があるわけでもないのだから、<わざわざ取り上げるのもわずらわしい>というものだ。
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語り部のこれらの評は、誰よりも古今の和歌や漢詩をそらんじ、またおびただしい数の歌を日常的にやり取りしていた紫式部の偽らざる本音でしょう。
定型的な表現やステレオタイプな解釈には、うんざりだったであろうことは、まあ想像に難くありません。


しかし、ここには、さらに重要な仄めかしが含まれているようにも思えます。
「見苦しくなむ」「うるさくてなむ」「うるさく何となきこと多かるやう」だから、ここには書いてありません、と語り部は言っているわけです。
ということは、あえてここに書いてあるこれらの和歌には、<通り一遍でない何か>が含まれているのではないか?
少なくともそう考えて、(正解が見つかるかどうかはさておき)、何はともあれその意味を探索してみる、というのが謙虚な解釈姿勢である、と私は思います。
何しろ、相手は我々の発想をはるかに超越した天才なのですから。

昔の人だからって、皆さんは無意識の内に、相手を上から目線で眺めてはいませんか。
ましてや、紫式部の<超絶脳内言語空間>ならなおさらです。


そして、<通り一遍でない何か>にたどり着くには、<通り一遍の>定型的な修辞に対する探索方法に頼っていてはいけないはずです。
型になずんだ解釈手法に留まらない、<さらに一歩踏み込んだ>読みがここでは必要だ。そう紫式部は仄めかしているのではないでしょうか。


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(夕霧37)の歌の直前の、源氏のセリフは興味を引きます。


(源氏)「いかに知りてか」


***「引き歌」********
いにしへのこと語らへばほととぎす いかに知りてか古声のする (古今六帖、五)
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「いか」は「いかいか」「いがいが」<赤子の泣き声の擬音語><おぎゃあおぎゃあ><産声>を連想させます。
「いか」を<おぎゃあ><赤子の泣き声>
としてみましょう。


「いかに知りてか」<泣き声によって知ったのか?><(雛が自分の子でないことが)鳴き声で分かったのか?>

 

詳細は、下記和歌のファイルをご参照下さい。

 

***「ほととぎす」<托卵する鳥>************
(光源氏210).なき人をしのぶる宵のむら雨に濡れてや来つる山ほととぎす
(夕霧37).ほととぎす君につてなんふるさとの花橘は今ぞさかりと
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***「鶯」<托卵される鳥>*******
(光源氏205).植ゑて見し花のあるじもなき宿に 知らず顔にて来ゐる鶯
(蜻蛉日記152 道綱母).鶯も期(ご)もなきものや思ふらむ みなつきはてぬ音をぞ鳴くなる
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私から見れば、上で述べた通常の解釈の方がむしろ<恣意的>過ぎて、あまり納得感、<腑に落ちる感じ>を感じません。
「全体結論ありき」という方向の発想に基づく<ブレイクダウン型解釈>とでも言うべきでしょうか。
それは、通常の散文や家電のトリセツを読む時の読み方であって、「暗号」を<解読>する場合の読解姿勢ではありません。


まあ、その是非についてはさておき、
それでいいなら、例えば、「女手」<平仮名>でなくても、どこの国の文学にでも出来ることです。
「タンポポ」なら<女性><恵子さん>
「猪」なら<男性><和夫君>
という類の、「比ゆ」にもなり得ないような、単なる<象徴機能の幅広さ>に甘えた「コトバと指示対象の連結」なら、
英語でもヒンディー語でも出来ることです。

要するに、
<解釈が恣意的に過ぎる><全体結論ありきから出発している><ブレイクダウン型解釈>
ということです。

そして、その方式で読んで、あらすじや登場人物の心情を、通り一遍に追うだけなら、
「源氏物語」は、ただ冗長なだけの、ありふれた人間ドラマでしかありません。
その程度の人間ドラマなら、何も日本古典でなくても、現代の世界中の文学に、溢れ返っているわけですから、
何もわざわざ古語原語で、多大な労力をかけて読む必要も大して無い、と私は思います。

 

それに対して、ここで試みた解釈は、
(1)「音韻の類似性」と、
(2)「内容の類似性」とを、
一応の判断基準としています。

 

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ところで、
平安京の造作に当たって、各氏族は自前の資力・労力で門を造営し朝廷に献上しました。
その際、各氏族の名前と類似する音韻を持つように門の名前が付けられました。

***「氏族」と「門」の名前 <音韻類似による連想> **********
氏族名:門の名前
「おほとも(大伴)」:応天門
「みぶ(壬生)」:美福門 (呉音で「ミフク」)
「わかいぬかい(若犬甘)」:皇嘉(くわうか)門 (呉音で「ワウカ」)
「やま(山)」:陽明(やうめい)門
「たけべ(建部)」:待賢(たいけん)門
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これを見ると、当時の人々の「音韻」の類似による<連想><イメージ連鎖>の幅が、現代人の想像よりはるかに豊かであったことが分かります。

ちなみに、「応天門の変」(866年)では、大伴善男が源信を犯人に仕立て上げようとして、大伴氏の門である「応天門」にあえて放火した、と言う説もあります。

 

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端的に言えば、今までの国文学者、文芸評論家は、
さほど<コトバと指示内容の結び付け>に対して、頓着していなかった、というのが、
当たらずとも遠からずの実態なのでしょう。

そして、そのように字面をなぞるだけなら、仮に通常の文章や家電のトリセツは機械的に読めたとしても、
「暗号」に隠された<真意>は、当然ながら読み解けないのでしょう。
本書の流れにムリヤリ押し込めて表現するなら、
<文系的>読解、ということでもになるでしょうか。

ごくごく大まかに単純化して言えば、
正宗白鳥や、本居宣長よりも、「ココ、お話しよう」のピーター・パターソン博士や、紫式部の方を、私ははるかに尊敬している、
ということです。


コトの良し悪しは抜きにして、
今までの国文学者たちは、さほど<内実>を鑑みることなく、恣意的かつ機械的に、源氏物語を流し読みしてきただけ、ということなのだろう、
と私は思います。
詳細は、「地に足のついた話の進め方」をご参照下さい。

 

上記には、「語り部」を、
(ア)<透明な客観的レポーター><事実を俯瞰し忠実に伝える神の視点>と見なすか、それとも、
(イ)<我々と同じく、不完全で人間臭い、「生身の人間」である、メタレベルの登場人物>と見なすか、
という読解姿勢も、大きく関わって来ます。

別のところでも述べましたが、ここでは(イ)の立場を取っており、
(キ)「語り部」をも<メタレベルの登場人物>として、あえて舞台壇上に配し、紫式部は物語を全体として演出している、
という立場に立って、源氏物語を読んでいます。
そして、(キ)の視点から眺めることによって、物語の<立体性>が鮮やかに立ち現れる場面がある、というのは、今まで述べた通りです。

詳細は、下記の和歌のファイルをご参照下さい。

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(藤壺宮10).見しはなくあるは悲しき世のはてを背きしかひもなくなくぞふる
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メモ:

語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など


あくまでこれは「タタキ台」として、試みに私の主観を提示したものに過ぎません。

連想に幅を持たせてあるので、自分の感覚に合わない、と感じたら、その連鎖は削って下さい。
逆に、足りないと感じたら、好きな言葉を継ぎ足していって下さい。
そして、自分の「連想詞」のネットワークをどんどん構築していって下さい。


詳細は「連想詞について」をご参照下さい。


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「うちつけ(なり)」形動ナリ活用<突然だ><だしぬけだ><軽率だ><ぶしつけだ><露骨だ><あてつけがましい>

「かごと(託言)」「かこと」<言い訳><口実><恨み言><愚痴><不平不満><非難><言いがかり>

「をし(惜し、愛し)」<愛しい><可愛い><惜しい><もったいない><棄て難い><名残惜しい><心残りだ>

「したふ(慕ふ)」ハ行四段<心ひかれて後を追う><恋しく思う><懐かしく思う><(理想的な状態に)なりたいと願う>


「うちつけ」「ちつけ(乳付け)」
「ちつけ(乳付け)」<赤子に初めて乳を飲ませること><乳母>

「やは」<反語>

「にて(似て)」<似て>
「を」<詠嘆>
「を」<主格><~が>


格助詞「を」は、自動詞・形容詞の主語を指すのにも用いられます。(旺文社「古語辞典」、大修館書店「古語林」)

***格助詞「を」<自動詞・形容詞の主語>**********
(小田勝「古典文法総覧」p.47)
自動詞・形容詞の主語を指すのに、格助詞「を」がしばしば用いられる。

暁の鴫の羽がきに目をさめて かくらん数に思ひこそやれ (赤染衛門集)
かぐや姫のやもめなるを嘆かしければ、、、 (竹取物語)
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「やしなひ(養ひ)」<養うもの><栄養><食物><金銭><養うこと><養育すること><養子に取ること><養子>


「むかご」<隠し子><紫上の与り知らぬ子><源氏が現地妻明石上に産ませた明石姫君>


「したふ」ハ行四段<(木の葉が)色づく><紅葉(黄葉)する>


「はす(馳す)」サ行下二段<馳せる><走らせる><思いを向ける><急いで~する><走る>
「はす(馳す)」<(むかごのように転がって)走る>


「にて(似て)」<似て>
「にで(似で)」<似ないで><~と違って>


「うちつげ(家継げ)」(四段動詞命令形)<家を継げ><源氏の家の跡継ぎとなれ>


「うち(内)」には<内裏><宮中><天皇家><天皇>の意味もあることは興味を引きます。

「明石姫君」<養女><天皇への入内を目論む>「后がね」

「源氏」<天皇の外祖父>


「うちつげ(内継げ)」<天皇を継げ><天皇の世継ぎを産め><(源氏のもとから)天皇家に入内せよ>

 

<藤壺宮><処女懐胎><冷泉帝><むかご><源氏が天皇家に預けた>「やしなひ(養ひ)」<養子>

 

「聞こゆ」<「言ふ」の謙譲語><申し上げる><お手紙を差し上げる>(補助動詞)<~し申し上げる>

「いたし(甚し)」<程度が甚だしい><ひどい><すごい><非常によい><感に堪えない><素晴らしい>


「なる(馴る、慣る)」ラ行下二段自動詞<慣れる><習慣になる><度々のことで何とも感じなくなる><親しむ><なじむ><打ち解ける>

「なれて(馴れて)」「なれで(慣れで)」「なれて」

「なれで(慣れで)」<慣れないで><慣れないことで><聞き慣れないで>

「聞こゆ」<聞こえる><自然に耳に入る><評判になる><噂される><わけが分かる><理解できる><~と思われる><~と分かる>

「いたし(痛し)」<(肉体的に)痛い><(精神的に)痛い><苦痛である><いたわしい><かわいそうだ>

 


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ここまで。
以下、(注)


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