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(中の君10).この春はたれにか見せむ なき人のかたみにつめる峠の早蕨
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この本は「教科書」「参考書」の類ではありません。
皆さんに「教える」のではなく、どちらかと言うと、皆さんと「一緒に考える」ことを企図して書かれた本です。
また、私の主観も随所に入っていますが、私はこの方面の専門家でもありません。
ですから、
<効率よく知識を仕入れる><勉強のトクになるかも>
などとは、間違っても思わないようにして下さい。
いわゆる「学習」「勉強」には、むしろマイナスに働くでしょう。
上記のことを十分ご了解の上で、それでもいい、という人だけ読んでみて下さい。
ただし、
教科書などに採用されている、標準的な解釈の路線に沿った訳例は、参考として必ず示してあり、
その場合、訳文の文頭には、「@」の記号が付けてあります。
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時々「(注)参照」とありますが、それは末尾の(注)をご参照下さい。
ただし、結構長い(注)もあり、また脱線も多いので、最初は読み飛ばして、本文を読み終えたのちに、振り返って読む方がいいかもしれません。
なお、(注)の配列順序はバラバラなので、(注)を見るときは「検索」で飛んで下さい。
あちこちページを見返さなくてもいいように、ダブる内容でも、その場その場で、出来る限り繰り返しを厭わずに書きました。
その分、通して読むとクドくなっていますので、読んでいて見覚えのある内容だったら、斜め読みで進んで下さい。
電子ファイルだと、余りページ数を気にしなくて済むのがいいですね。
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(中の君10).この春はたれにか見せむ なき人のかたみにつめる峠の早蕨-5.txt
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要旨:
今年も、早春に宇治の僧坊から、毎年恒例の山菜が贈られてきた。
それは、中の君にとって、亡父八宮や亡き大君を偲ばせる、季節の風物詩であった。
僧坊のあじゃりと中の君との贈答歌について、
平安京の出発点に位置する「藤原種継殺害事件」などの<鎮魂>の観点から解釈を試みた。
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目次:
(宇治のアジャリ1).君にとてあまたの春をつみしかば常を忘れぬ初蕨なり
(中の君10).この春はたれにか見せむ なき人のかたみにつめる峠の早蕨
メモ:
語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など
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では、始めましょう。
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(宇治のアジャリ1).君にとてあまたの春をつみしかば常を忘れぬ初蕨なり
「あざり、あじゃり」とは<徳の高い僧><弟子を導く師僧>です。
アジャリから、毎年早春に贈られてきた山菜が今年も届きます。
父の八宮も姉の大宮も故人となり、中の宮は一人かつての春を偲びます。
「わらび(蕨)」<ワラビ><シダの若芽>
「さわらび(早蕨)」<早春の蕨>
「はつわらび(初蕨)」<蕨の初物>
@(宇治のアジャリ1)A.
亡き八宮にと毎年春に摘んで差し上げておりましたので、今年もそれを忘れずお届けする初蕨でございます。
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*** 藤原種継殺害事件(785年) ************************
大伴継人は、奈良麻呂の乱で獄死した大伴古麻呂の息子です。
大伴継人は長岡京の造営工事を仕切る藤原種継(たねつぐ)を殺害しました。
そして、大伴継人は兄弟の大伴竹良とともに処刑されました。
奈良麻呂の乱で獄死した大伴古麻呂や佐伯全成で知られる「大伴氏」「佐伯氏」、特に大伴氏はこの事件で多数処罰を受けました。
のみならず、奈良の東大寺との関係が深かった早良親王も関与が疑われました。
早良親王は淡路島に流罪となりましたが、幽閉された乙訓寺では無実を訴え自ら食を断ったため、島に着く前に亡くなりました。
これは<無実を訴えた>ハンガーストライキというよりは、<毒殺を恐れて>何も食べられなかった、ということなのでしょう。
ちなみに、早良親王の叔父にあたる安積親王は17歳で病死(脚気)とされていますが、あまりに不自然な急死のため、藤原仲麻呂に毒殺されたという説が根強くあります。
また、井上廃太后(叔母)と他戸廃太子(いとこ)の母子は、幽閉先の邸内で、なんと同日に亡くなっているので、こちらは完全に<暗殺>でしょう。
桓武天皇は、安殿(あて)皇子を天皇とするために早良皇太子を犠牲にしたとも言われています。
その後、内裏では貴人の死や病が相次ぎ、また京では凶作、疫病が蔓延しました。洪水まであったそうです。
当時の人々はこれを早良親王の祟りと考えました。
その意味では、天武系列の持統天皇たちと同じく、当然の報いなのかもしれません。
のちに早良廃太子には崇道天皇の「し号」が追贈され、遺骨も大和に改葬されました。
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ちなみにこの藤原種継殺害事件の直前に、藤原種継は中納言の大伴家持を抜いて正三位となっていました。
そのためもあって、万葉歌人の大伴家持が首謀者だとも言われています。
しかし、偶然か否か、事件の一月前に家持は死亡しています。
家持の遺体の埋葬は許されませんでした。
それは、遺体を放置したり水に流したりする、ということです。(井沢元彦「逆説の日本史3」)
***「中納言」「大伴家持」「骸」*********************************
(直後の地の文).
「中納言殿の、骸をだにとどめて見たてまつるものならましかばと、朝夕に恋ひきこえたまふめるに、同じくは、見えたてまつりたまふ御宿世ならざりけむよ」
と、見たてまつる人びとは口惜しがる。
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この歌がある「さわらび(早蕨)」の帖の直前の地の文を見てみましょう。
***「わらび(蕨)」「つくづくし」******************
(直前の地の文).
「年改まりては、何ごとかおはしますらむ。御祈りは、たゆみなく仕うまつりはべり。
今は、一所の御ことをなむ、安からず念じきこえさする」
など聞こえて、蕨、つくづくし、をかしき籠に入れて、
「これは、童べの供養じてはべる初穂なり」
とて、たてまつれり。
手は、いと悪しうて、歌は、わざとがましくひき放ちてぞ書きたる。
(宇治のアジャリ1).君にとてあまたの春をつみしかば常を忘れぬ初蕨なり
御前に詠み申さしめたまへ」
とあり。
「つくづくし」<土筆(ツクシ)>
「供養じて」<お供えして>
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「供養(くやう)」<仏や死者の霊にお供えすること><僧侶や寺に施しをすること><お供え><お布施>
「わらび(蕨)」「さわらび(早蕨)」は<早良(さわら)親王>
を連想させます。
この事件では、被害者の藤原種継も、加害者とされる大伴継人も、ともに死を迎えました。
「つくづくし」を「つぐつぐし」
としてみましょう。
濁点を打つ習慣の無かった当時、これらはともに「つくつくし」と表記されました。
「つぐ(継ぐ)」<藤原種継(たねつぐ)>
「つぐ(継ぐ)」<大伴継人(つぐひと)>
「し(死)」
「つぐつぐし(継ぐ継ぐ死)」<相次ぐ死><藤原種継に引き続く大伴継人の死><藤原種継殺害事件>
「春」は「春宮(とうぐう)」<皇太子><次期天皇筆頭皇子>
を連想させます。
「君」<主君><天皇>
「つみ(摘み)」は「つみ(罪)」
を連想させます。
「しかば」は「しかばね(屍)」
をも連想させます。
***「はる」<種が膨らむ><芽が膨らむ>*********************************
「はる」(張る)<一面に広がる><張る>ほか、<植物の種が水を吸って膨らむ><(植物の芽が)膨らむ>という意味があります。
「はる(墾る)」四段動詞<開墾する><田や池を新しく作る>
「はる(萌る)」四段動詞<(植物の芽が)膨らむ>
「はる(晴る)」四段、下二段動詞<(空が)晴れる><(心が)晴れる><(場所が)開ける>
古人にとって、「はる(春)」は、そんな連想を誘う言葉だったのかもしれません。ちなみに、「笑ふ」には<つぼみが開く>という意味もあります。
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「笑ふ(わらふ)」には、<蕾が開く>という意味があります。
「咲ふ」には「わらふ」という読み方があります。「咲(えみ)」という人名もありますね。「笑み」と同じです。
「わらび(蕨)」は「わらひ(笑ひ)」
を連想させます。
「わらひ(笑ひ)」連用形転成名詞<笑い>
この事件では、主として大伴氏が死罪や流刑を含む処罰を受けましたが、他氏や皇子まで連座となり、十名を越す者が処分されました。
この「藤原種継殺害事件」(785年)に始まり、平安京遷都(794年)を経て、
「承和の変」(842年)、「応天門の変」(866年)で、藤原氏以外の有力な面々が政局からごっそり除外されました。
その後は橘広相(阿衡の紛議)(887年)、菅原道真(昌泰の変)(901年)、源高明(安和の変)(969年)で他氏排斥は完了です。
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冷泉帝の治世で、源氏(他氏)の最後のエース左大臣源高明が謀反で免職、これで藤原氏に逆らう他氏は根絶された。
冷泉帝は大した事績はないが、この「負の業績」において、平安時代(藤原摂関政治)を象徴する天皇となった。
(参考:井沢元彦「天皇の日本史」)
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やがて、道長で藤原貴族政治は絶頂期を迎えます。
紫式部が源氏物語や紫式部日記を書いたのは、まさにその絶頂期の頂点、道長の娘の彰子が、一条天皇の皇子を出産した頃でした。
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(藤原道長).この世をば我が世とぞ思ふ望月の 欠けたることも無しと思へば
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***「冷泉天皇」と「源氏物語」*****************************
臣籍降下して源氏となった主人公の光源氏が女性遍歴のあげく、天皇である父親の妻の一人(つまり自分の義母)と不倫関係になり、その間に生まれた不倫の子がなんと天皇になり、その天皇によって光源氏は臣下の身でありながら准太政天皇つまり「名誉上皇」に出世するという物語なのである。
実際には当時、源氏は藤原氏に敗れ藤原氏の天下が確立していた。しかし、この「物語」の中では源氏が逆にライバルに完全な勝利をおさめるのだ。。。(中略)。。。
生前に右大臣だった菅原道真を神様に祭り上げたように、藤原氏は実際には追い落とした源氏一族を「物語の中で勝たせてやった」のである。その証拠に物語の中で天皇になった光源氏の不倫の子は何と呼ばれているか?
冷泉帝、すなわち冷泉天皇なのである。「源氏物語」はフィクションだから藤原氏のことも「右大臣家」とぼかしている。にもかかわらず光源氏の子については現実に存在した冷泉のし号をそのまま使っている。
では、現実の冷泉の治世に何があったか? 源氏の最後のエース源高明が失脚(安和の変)したではないか。つまり「源氏物語」とは、「関ヶ原で石田三成が勝った」という話であって、それを「徳川陣営」が作るというのが、外国にはまったく見られない日本史の最大の特徴の一つなのである。
(井沢元彦「天皇の日本史」)
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(一時的とはいえ)皇統に自らの血を流し込んだ、という意味での光源氏の成功の象徴が<冷泉帝>であり、現実の歴史ではなった者がいない「准太政天皇」の位すら賜ることが出来たのもその冷泉帝の計らいによるものでした。
源氏物語の登場人物のモデルを実際の歴史に探し求める「モデル探し」が今まで盛んに行われてきました。
それは、それぞれの登場人物の具体的な行動や性格を、実在の歴史上の人物と比べてその異同を論じる、というものでした。
しかし、井沢元彦さんのアプローチは、それらとは次元が異なります。
「歴史上実在した冷泉天皇の、個々の具体的な事績」を、「源氏物語の登場人物である冷泉帝の個々の行為や性格」と比べるのではなく、
「歴史上実在した冷泉天皇の治世が<象徴>する<他紙排斥の完了>」を、「源氏物語全体のテーマ<他氏の鎮魂>」と照合させる、
という、メタレベルのアプローチでした。
そして、それは、「現実の冷泉天皇の治世の歴史的意義付け」と、「源氏物語が書かれたそもそもの動機<鎮魂>」とを、見事に符号させています。
私は、これほどクリアー、かつ通常の解釈の発想とは次元を異にする、源氏物語解釈に出会ったことがありません。
ここへ来て、源氏物語の解釈は、「比喩」から「象徴」へと脱皮(昇華)した、とでも言うべきでしょうか。
氏の解釈が正鵠を射ているそもそもの理由は、
「源氏物語は、<文芸><文学><美学><色恋>のために書かれたのではなく、<社会>のために書かれた」
の一点に尽きる、と私は思います。
それもこれも、「源氏物語」の、いや、紫式部の視線の先にあったのは、<文芸><美学><色恋>ではなく<社会><政治>だったからです。
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「つね(常)」が、清和源氏の出発点となった、「つねもと(経基)王」、臣籍降下した「源経基(つねもと)」を連想させることも興味を引きます。
この贈答歌を、政争に巻き込まれて無念の死を迎えた、藤原種継、大伴継人はじめ大伴家、皇子の面々の<鎮魂>の観点から解釈して見ましょう。
摘み 初 蕨
君にとて あまたの 春を つみ しかば 常を 忘れぬ はつ わらび なり
罪 しかばね はづ わらひ
屍 恥づ 笑ひ
(宇治のアジャリ1)B.<鎮魂>
「君」<主君><天皇>を好きに立てようとして、幾多の「春」「春宮」<皇太子>を摘み取ってきて、(藤原氏は繁栄を築き)、
(藤原氏は)いつものように笑っている。
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桓武天皇は、無実の罪で死に追いやった早良(さわら)皇太子の怨霊に悩まされることになります。
安殿(あて)皇太子の病気、旅子(たびこ)夫人や側近の相次ぐ死、また亡き早良廃太子の生母高野新笠の死、賀美能(かみの)親王の母の乙牟漏(おとむろ)皇后の死、坂上又子の死と、次々凶事が重なります。
天皇は早良廃太子の陵墓を手厚く守護する勅令を出しますが、それでも痘瘡(天然痘)の蔓延や皇太子の心身の不調など、災厄はとどまることを知りませんでした。
天皇が公然と祟りへの恐れを表明するので、それは民にも伝わり、世の不安をいっそう煽る結果になったようです。(北山茂夫「日本の歴史4 平安京」)
後に(800年)、には崇道天皇の「し号」が追贈されました。
崇道天皇の墓は、配流先の淡路島から大和(奈良)に移され、手厚く葬られて現在の崇道天皇稜となっています。
***「早良廃太子」「崇道天皇」<鎮魂>************
(直前の地の文).
「年改まりては、何ごとかおはしますらむ。
御祈りは、たゆみなく仕うまつりはべり。
今は、一所の御ことをなむ、安からず念じきこえさする」
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家持は、この頃は蝦夷に遠征中でした。
そして、事件の二十日ほど前に急死しています。(病死とされています。)
しかし、この事件の首謀者と判断されたために、故人でありながら従三位・中納言の官位を剥奪されています。
故人なんだから官位剥奪されたっていいじゃないか、と思ってはいけません。
この時代、貴族(殿上人)の子弟は五位などの高位からキャリアを始められる優遇制度がありました。
これを「蔭位(おんい)の制」と言います。
父親の官位で子の将来が決まってしまうので、故人と言えど官位を下げられるのは子孫にとって死活問題でした。
藤原種継殺害事件では、そもそも大伴永主(ながぬし)も連座して隠岐に流罪となったので、もっと酷い被害を受けたわけですが。。。。
その後、亡き大伴家持が復位を許されたのは、この事件の実に21年後でした。
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「さ(小)」<小さい>ことを表す接頭辞
「童」(わらべ)<童子>
ちなみに、「わらび」の語は「藁火」から来たそうです。
わらびを食べるときはあくを取ります。
茹でた後に流水にさらすか灰汁に漬けます。このときしばしば藁灰(稲藁を燃やした灰)を用いるのも示唆的です。
あく抜きの足りないワラビを食べ過ぎると、失明や流産の恐れがあるそうです。(有岡利幸「資料 日本植物文化誌」)
また、ワラビの根は良質のでんぷんを含むため、飢饉のときの救荒食とされました。
残った繊維でなった縄(蕨縄)は丈夫で、濡れても腐らないため、日用品のほか土木用途にも用いられました。
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煙たちもゆとも見えぬ草の葉をたれかわらびとなづけそめけん (万葉集、巻10、物名、453、真静法師)
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(中の君10).この春はたれにか見せむ なき人のかたみにつめる峠の早蕨
「あざり、あじゃり」とは<徳の高い僧><弟子を導く師僧>です。
アジャリから、毎年早春に贈られてきた山菜が今年も届きます。
父の八宮も姉の大宮も故人となり、中の宮は一人かつての春を偲び、歌を返します。
「かたみ(形見)」<忘れ形見、昔を思い出すよすが>
「筐(かたみ)」<籠>
「亡き人」を<八宮>としてみましょう。
@(中の君10)A.
(父の八宮ばかりか、姉の大宮まで亡くなった)この春は、誰に見せたらよいのか。亡き八宮の形見にと籠につめて(贈って下さった)峠の早蕨を。
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八宮は時勢を得られず、また京の邸が焼けたこともあり、早くから宇治の山荘で暮らしていました。
北の方は、次女(中の君)を産んですぐに亡くなり、以後愛娘ふたりをずっと一人で育てて(後見)きました。
中の君の乳母すら、早々と去ってしまったのです。
その後、八宮は山寺に籠るようになります。
アジャリがこの春送って来た山菜は、蕨と土筆でした。
「蕨、つくづくしをかしき籠に入れて「これは童べの供養じてはべる初穂なり」とて奉れり。」
「蕨(ワラビ)」<ワラビ><シダの若芽>
「つくづくし」<土筆(ツクシ)>
ツクシは地中を這うスギナの根茎が地上に出す胞子茎です。これをおひたしなど食用にします。
シダもツクシも花はありませんよね。シダやツクシは胞子を散布して増えるからです。
花ではオシベが花粉を撒き散らし、メシベがそれを受けて受粉します。これを有性生殖と言います。
花を持たず胞子だけ散布するシダやツクシは、オシベだけの植物のように見えたのかも知れません。
それは、宇治の娘たちが片親(父の八宮)に育てられたことを暗示しているのでしょうか。
「早蕨(さわらび)」の音は「さ(小)」<小さいことを示す接頭辞>+「わらべ(童)」<子供>を連想させることも示唆的です。
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生物選択のみなさんは種子の核相が2nであることをご存知でしょう。
ところが、胞子の核相はその半分、nしかありません。
「したくさ(下草)」<ウラジロ>も「しだくさ(羊歯草)」<ノキシノブ>も、ともにシダの仲間で、種子(2n)をつくらず胞子(n)で繁殖します。
濁点を打つ習慣の無かった当時、「したくさ」と「しだくさ」は、ともに「したくさ」と表記されました。
また、漢字とかなの相互変換は、写本によっても異なります。
源氏の正妻葵上は夕霧を出産してすぐ亡くなりました。
源氏は<片親>で、夕霧を育てなければ成りません。(後に花散里が面倒を見ることになります。)
葵上の死から間もなくしての源氏の歌です。
枯れたる「下草」の中に、竜胆、撫子などの咲き出でたるを折らせたまひて、、、
この地の文の「下草」は<片親>を暗示しているように見えます。
(光源氏57).草枯れのまがきに残るなでしこを別れし秋のかたみとぞみる
(光源氏57)A.草の枯れた垣根に残る撫子(若君夕霧)を過ぎ去った秋(妻)のかたみとして見ております。
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「かたみに」は<互いに>の意味があり、これは、「片身」から来ているそうです。
「筐(かたみ)」<籠>を作る竹も、大抵は種子でなく、地下に根を広げることにより繁殖します。
シダといえば、アジアに広く分布する常緑シダのウラジロを指すのが普通です。
ウラジロは、地中に長く地下茎を延ばし、その先で葉柄を出し、大きな群落を作ります。
葉身は二分しますが、向き合って伸びるその姿はまるで鏡像のようです。
「ふとそれかとおぼゆるまで通ひたまへるを」
アジャリが早蕨を送って来たこの頃から、姉妹は良く似てきたといわれるようになります。
片親が育てたふたりの娘(大君と中君)のイメージと重なりませんか。
奈良市の若草山では、毎年行われる山焼きで真っ黒になった山の地面から、春一斉に芽吹く早蕨つみが風物詩となっているそうです。
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早良親王は淡路島に流罪となりましたが、幽閉された乙訓寺では無実を訴え自ら食を断ったため、島に着く前に亡くなりました。
桓武天皇は、安殿(あて)皇子を天皇とするために早良皇太子を犠牲にしたとも言われています。
政争に巻き込まれて、無念の死を遂げた早良親王の<鎮魂>の観点から、この歌を解釈してみましょう。
「さわらび(早蕨)」は<早良(さわら)親王>
を連想させます。
「かたみ(形見)」<忘れ形見、昔を思い出すよすが>
「亡き人」<亡くなった早良親王>
をとしてみましょう。
(中の君10)B.<鎮魂>
この「春」「春宮」<皇太子>はだれにお見せしたらよいのだろう。
亡くなった<早良(さわら)親王>の忘れ形見に摘んだ峠の「さわらび(早蕨)」を。
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メモ:
語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など
あくまでこれは「タタキ台」として、試みに私の主観を提示したものに過ぎません。
連想に幅を持たせてあるので、自分の感覚に合わない、と感じたら、その連鎖は削って下さい。
逆に、足りないと感じたら、好きな言葉を継ぎ足していって下さい。
そして、自分の「連想詞」のネットワークをどんどん構築していって下さい。
詳細は「連想詞について」をご参照下さい。
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「あざり、あじゃり」<徳の高い僧><弟子を導く師僧>
「わらび(蕨)」<ワラビ><シダの若芽>
「さわらび(早蕨)」<早春の蕨>
「はつわらび(初蕨)」<蕨の初物>
「つくづくし」<土筆(ツクシ)>
「わらび(蕨)」「さわらび(早蕨)」<早良(さわら)親王>
「つくづくし」「つぐつぐし」「つくつくし」
「つぐ(継ぐ)」<藤原種継(たねつぐ)>
「つぐ(継ぐ)」<大伴継人(つぐひと)>
「し(死)」
「つぐつぐし(継ぐ継ぐ死)」<相次ぐ死><藤原種継に引き続く大伴継人の死><藤原種継殺害事件>
「春」「春宮(とうぐう)」<皇太子><次期天皇筆頭皇子>
「君」<主君><天皇>
「つみ(摘み)」「つみ(罪)」
「しかば」「しかばね(屍)」
***「はる」<種が膨らむ><芽が膨らむ>*********************************
「はる」(張る)<一面に広がる><張る>ほか、<植物の種が水を吸って膨らむ><(植物の芽が)膨らむ>という意味があります。
「はる(墾る)」四段動詞<開墾する><田や池を新しく作る>
「はる(萌る)」四段動詞<(植物の芽が)膨らむ>
「はる(晴る)」四段、下二段動詞<(空が)晴れる><(心が)晴れる><(場所が)開ける>
古人にとって、「はる(春)」は、そんな連想を誘う言葉だったのかもしれません。ちなみに、「笑ふ」には<つぼみが開く>という意味もあります。
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「笑ふ(わらふ)」<蕾が開く>
「咲ふ」「わらふ」「咲(えみ)」「笑み」
「わらび(蕨)」「わらひ(笑ひ)」
「わらひ(笑ひ)」連用形転成名詞<笑い>
「つね(常)」<清和源氏の出発点>「つねもと(経基)王」<臣籍降下>「源経基(つねもと)」
「さ(小)」<小さい>ことを表す接頭辞
「童」(わらべ)<童子>
「わらび」「藁火」
「かたみ(形見)」<忘れ形見、昔を思い出すよすが>
「筐(かたみ)」<籠>
「亡き人」<八宮>
「蕨(ワラビ)」<ワラビ><シダの若芽>
「つくづくし」<土筆(ツクシ)>
「したくさ」「しだくさ」「したくさ」
「したくさ(下草)」<ウラジロ>
「しだくさ(羊歯草)」<ノキシノブ>
「かたみに」<互いに>「片身に」
「筐(かたみ)」<籠>
「さわらび(早蕨)」<早良(さわら)親王>
「かたみ(形見)」<忘れ形見、昔を思い出すよすが>
「亡き人」<亡くなった早良親王>
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ここまで。
以下、(注)
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