笑顔で、元気に一歩を

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

財政危機と消費税、ポピュリズム危機のこと。(今年のブログ初めです)

2012-01-07 16:37:29 | 日記
財政危機と消費税、ポピュリズム危機のこと

Y紙が同紙主催の「国際学会」で、今年のテーマを「ポピュリズムが危機をもたらす」と設定してこの1年間(3月から)、「フォーラムを開催」をするとのことだ。
この「Y紙」は社説でも何回か「ポピュリズム」について主張している。それをこの1年掛けて主張するということなのか?曰く、「――この典型例がギリシャだ、そして日本にもその傾向が現れている。---」。
何かいやな予感を感じるのだ。
ポピュリズム、主民主義との訳語。(―――populist,popular, -peaple,-common,democrat などの関連語がある。)
マスコミの発達で大きく左右される事象が数々見うけられる昨今です。特に各種選挙での結果に現れる。衆愚政治、mobocracyがあるが、Y紙はそれを言いたいのだと思える。これは確かに批判に値するが、これは要するに立派なリーダーに対して、民衆を一段下に見た政治統制を実行する体制のことのようだ。自分勝手な一般大衆に迎合するような政治では国は滅ぶ、だから「専門的な知識と教養を備えた」、いわゆる立派なリーダーに従う様な体制が必要だ、ということではないか。何を隠そうこれは専横独裁体制のことではないのか。
消費税増税、福祉削減、経済グローバル化などして財源を確保し国防をきちんとして国は成り立つのであって、負担はいやだ、福祉は充実という連中には、国は任せられないとのことのようだ。
しかし、この声をただ聞いていると、発言する自分達はすばらしい人だとの思い込みが見えるが、どうもマユツバの気がするのだ。同じ新聞の短歌コラム欄にきしくも、
  [ 現実をむさぼる人の口達者「すたれゆく世を憂う」と抜かす ]
とあった。
体制に異を唱え、反対するものはすべて悪者、愚者とするような見方をしていないか、いつの世にも怠け者はいたし、又法を犯す不届きものは絶無とはならないし、目に余る行動に出るものも少なからずだが、ギリシャの財政不安がそのような人達によって引き起こされたとは言いがたいし、日本の財政状況がそうだとはどう見ても言いがたい、消費税増税に反対者が障害になってのことでは、もうとうない。それは歴代政権党の政策運営になることであったのではないか。
今ここでその責任を庶民の側に押し付けるがごとき主張は到底受け入れがたいものだ。
 節約で、いまさら「メザシの土光」とは言わないが、リーダーが率先垂範しているとは見えない。大企業の決算にみられる膨大な内部留保、TVで写る富裕者の生活様式や大政党の動きから、削減すべきものが見えて、応分に負担して当然と思えるのだ。
 [ 乏しきは憂えず均しからざるを憂える ]の意気である。
「一体改革」で、消費税増税への努力の言い訳の一大根拠として、あたかも体制側の、身銭を一切切らないでの見せ掛けとしての議員数削減としか見えない。これはまさしく民意の切捨てである何物でもない。(早くも、ポピュリズム危機への対策の実行か?)
 財政の破綻を庶民、衆愚のせいにし、政権の力での圧制を固持することが政治の要だ、とのことでは見過ごすことが出来ないし、民主化への反動を促すようないわば人類史に反する行動は許されるものではない。
 昨年は99%の貧困者が声を上げて政策の改変を訴えて、その動きの象徴が大きなうねりとなっているのが近況である。それは少しづつ条件は違っているが民主化の方向という点では共通した流れになっていると思える。是非その流れの中で世界を、生活の場としての地域社会を創造してゆくことが求められている。
 とりわけ、このところ輪をかけたTV、大新聞の消費税をはじめとした大政党などの肩を持ったキャンペーンが強まっているようだ。
 一般マスコミの攻勢にそれこそ庶民が、ポピュライズ化されている。他の見解や視野に立つことが阻害されている人が沢山いるのだ。もう一度、前述の短歌を見直して忘れないようにしょう。