「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

りババレー英軍作業隊

2006-08-27 11:29:32 | Weblog
 その足で軍用列車に乗せられ、シンガポールに着き、そこから歩いてリババレーの作業隊に夕方近くに着いた。
 ここで、又、所持品検査が広場であったが、今度はここの古参兵の作業隊員に地下足袋に似た靴を取られた者もいた。
 それが済んでから割り当てられた4m四方の汚れたテントに入り、8人位で土間に携帯天幕を敷いて寝た。
 次の日は環境整理。
 次の日から英軍の作業に行くことになった。日本の将校に引率されて、作業隊の門を出ると、自動小銃を持った英兵が前後についた。初めて行ったのは英軍の資材置き場であった。
 作業場に着くと人相の悪い英兵がいかつい目をして監視していた。どんな事態がこれから起きるか、みんな不安でたまらなかった。
 私達を3列に整列させた。2列か4列の整列が習慣になっていたので、一寸まごついた(私達の中隊から20人位だったと思う)。英兵が
 「4人出ろ」と手真似でいう。そして「この箱を担いでこっちへ運べ」と指示した。
 4人が1角ずつに肩を入れて担ごうとしたが、この箱は随分重いらしい。又、今までこんな仕事はした事がなかったので要領も悪かったが、ようやく持ち上げたがヨロヨロして落としそうになった。残っていた者が駆け寄って手を貸そうとしたら、英兵が真っ赤な顔をして怒鳴り、1人を鞭で打った。何を言っているのですかと将校に聞くと、「手助けをするな。4人でやれと言ったら命令どおり4人でやれ」と怒鳴っているのだと言った。
 次の箱を別の者達がやった時には、その英兵がいなかったのでみんなで「ヨイショ」と肩に乗せてやったら、うまくいった。その日は私達は箱を運んだ後は大した仕事もなく、午後5時までそこにいて帰った。
 その次の日は被服倉庫みたいな所に行った。今度はインドネシア人が監督した。ここは軽作業で被服の詰まった木箱やボール箱の運搬だった。一寸暇を見て箱に腰掛けようとすると
 「腰掛けるな」と怒鳴って手を振った。腰掛けられたのは昼食の時だけで、1日中立ちっ放しの仕事は随分疲れるものだと始めてみんな知った。
 ひと頃、朝起きて食事の前に広場に集合させられて、英国国旗の掲揚に直立不動で、敬礼する事が始まった。
 黒人の衛兵が変な号令で足を高く上げ、歩調をとって来てやっていたが、国旗の上がるときは前の者は見ていたが後ろの方では
 「何で敵さんの国旗に敬礼をしなければならんのか。馬鹿馬鹿しくて」トヒソヒソ話を始めたりしたものだ。すると作業隊本部から
 「国旗掲揚のとき、無作法な者がいると所長(英人)から注意を受けたので、今後は真面目にやるように」と指示されたが、作業隊の向こうの丘の兵舎から、双眼鏡で監視させていたそうだ。それで誰もが前には並びたがらなかった。しかし、これは10日位で廃止になった。

 

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