「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

復員事務

2006-10-24 18:33:38 | Weblog
 その翌日、身上報告で身体の異状の有無確認があったが
みんな一刻も早く帰郷したくて誰もが、「異常なし」と書いて集めに来た班長(下士官)に渡した。
 その次の日、事務局から 軍歴書4枚、作業隊での作業賃金明細書と、
旅費600円と、有佐駅までの乗車券1枚が支給されて
、明日出発の予定時間が発表された。
 さあ、舎内は俄然色めきたった。
 「俺、家に電報打ってくる」と飛び出して行った者が数名いたが、
 「とても長蛇の列で駄目だ。2,3日かかるそうだよ。俺が家についた後に届くようだよ」 「ヘエー、それでも電報かい」
 何しろ、みんなが押しかけたので、それを捌くにはそうなるらしい。私は最初から、そんなことだろうと思って行かなかったが、
それでも粘って打って来た者もいた。
 ある同年兵は郵便局から帰る途中、梨を売っていたので買ったら、1個200 円とられたとか言う。「梨を3個買えば旅費は終わりではないか」と、 物価相場の違いにみんな「これでは内地はえらいこっちゃ」とびっくりした。
 乗車券では樺太、沖縄出身者は困った
 又、長野出身者で下車駅の分からない者もいた。
 その夜だったか軍服の支給があった。陸軍の物の中に海軍の水兵服が1着だけあった。
 「斉藤、これはどうだ、お前、要らんか」と言われたが
 「いや、自分は陸軍のが良いです」と陸軍の竹製のボタンのついたカーキ色のを貰った。
 水兵服は松村軍曹が貰ったようだった。
 先の身体検査の結果、今度一緒に帰郷することが出来ない者が発表された。
 中隊で4,5人いたが、何か血液検査の結果がおかしいから、入院治療を要するとの事だった。

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