「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

軍歌演習

2006-05-25 19:22:20 | Weblog
 電信第6連隊の隣に牡丹江陸軍病院があった。軍歌演習はその近くに行ってよくやらされた。病院のほうを向いて盛んに怒鳴り上げたものだ。マア、日頃の軍隊生活の鬱憤晴らしはこの時とばかり、歌うより怒鳴るように「戦友」とか、いろいろやった。心の憂さ晴らしであった。 軍歌演習の助手は砲兵出身だったらしく“大和魂 火筒に込めて 撃てよ世界に 夜明けの鐘を 我等は砲兵 御国の護り”をよく歌わせた。
 同年兵に竹本という無線通信士がいたが、私と班は違っていたがよく話をした。眼鏡をかけた背の高い色の白い好男子で、北白川宮家の音楽家庭教師をしていたという。歌は上手かったが流行歌は声帯が壊れるからといって歌おうとはしなかった。
 彼が陸軍記念日の時だったか歌うのを聞いたが、五十嵐喜芳(テノール歌手)が歌うような歌曲を主に歌った。顔も五十嵐に似ていたようで、何かすっきりした人柄だった。
 ある時、彼に「近頃の歌手は流行歌手を含めて、語尾を震わせて歌うがどう思うか」と聞いたら、「あれは刺身でいうなら、ツマみたいなものであれをあまり使うとツマばかり多い刺身みたいになって、かえってまずいと思う」と言った。
 それから宮家から慰問袋が届いたということが知れ渡り、本部に行ったのか姿を見かけなくなった。
  
 4月29日 天長節の記憶はない。