「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

防毒訓練

2006-05-15 19:46:55 | Weblog
font size="3"> 何時か防毒訓練があった。防毒マスクをつけて走ると呼吸が苦しくなり、たいていの者はハアハア言う。その日も又、相当の距離を走らされて、「全体、止まれ!」でその場で停止、教育助手達が兵隊の間を1人1人の息づかいを聞いて廻る。私の横に着た助手が「斉藤!お前、弁に何か挟んだか、外して走っていたな!」と言った。 弁座に何か挟むと呼吸が楽に出来て、ハアハア言わないから、私がハアハア言っていないので、《こいつ、何か細工して走っていたに違いない》と判断したらしい。「違います」とやったら、助手先生怒って、「ヨシ斉藤、教練が済んだらここに残って居れ!」と命令した。教練が終って1人残っていたら、助手が来て「斉藤、お前と這状前進をやろう」と言った。《ビンタでなかったか》とついて行くと「ここから、栄庭の端まで防毒面を着けたまま這状前進だ」と言った。私を監視するため、もう1人上等兵がついてきたと思う。2人は並んで1緒に這状前進を始めた。最初、並んで進んでいた助手殿がだんだん遅れだした。《目に物見せてやれ》とばかり、私は這状前進を続けた。50メートル位進んだ頃「斉藤、もうよーし、止まれ!」と監視役が言った。振り返って見ると、助手殿は10メートル位後から、肩で息をしながら進んでいた。私は起き上がって防毒面を着けたまま助手殿の前に行き、防毒面を外した。呼吸はその時は平常に回復していた。助手殿はそれを見て、《負けた》というような顔をして「ヨシ、帰れ」と言った。私は意気揚々と班に帰った。 この助手殿は現役で、色の白い、整った、いかにも若武者といった顔をしていたが、目つきは何故かきつかった。 
 私は少年の頃、《忍術使いは呼吸を如何に長く止めておくかという練習をする》と、雑誌の記事を見て、一寸練習してみたことがあるし、又、農作業ですぐ、ハアハア言うのは見苦しいと言う親の言葉によって、どんなに苦しくてもハアハア、口で息をすることは極力抑えてきたためかもしれない。