スポーツエトセトラ

スポーツ(主に野球・ラグビー)に関するさまざまな資料やデータをご紹介していくブログです。ぜひお楽しみください。

イースタンリーグ 年度別首位打者一覧(1990年~)

2020-07-15 08:56:30 | ファーム年度別タイトルホルダー
新テーマとして、ファームのタイトルホルダーを特集します。

歴代の一軍の本塁打王や最多勝などについては、いろいろな書籍やサイトなどで紹介されています。
しかし、二軍についてはこの種の情報はあまり表に出てきません。
ファームだからあまり意味がない…ということなのでしょう。

そこで、1990年以降(つまり過去30年間)のファームの各種受賞者について調査。
今回から数回に分けて、歴代のタイトルホルダーをご紹介してきます。

まずはイースタンリーグの歴代の首位打者です。
ただ打率1位の選手を掲載するだけでは物足りない感じですので、
打率上位3傑についても表してみました。




※湘南=現・DeNA、インボイス=現・西武です。

太字が首位打者となります。
11年、16年、18年は打率1位が2名いますが、規定打席不足ながら特例
(実際の打席数に、不足分の打席を加えた打率が規定打席に到達した打率1位の選手を上回る)で
首位打者を獲得した選手と、規定打席到達で打率1位の選手を両方表記したためです。

表を見るとファームで結果を残して一軍に定着し、活躍した選手もいれば、
一軍では実力を発揮しきれなかった選手など、さまざまですね。

91年の鈴木健の打率4割越えは見事です。のちに西武、ヤクルトで主力打者となりますが、
二軍でもしっかりと結果を残していたことがわかります。

昨年の首位打者・山下航汰は、鈴木一朗(イチロー、オリックス)以来となる
「高卒ルーキーでのファーム首位打者」に輝きました。
しかも育成ドラフト出身者なわけですから、偉業だと思います。今後の成長に期待がかかりますね。

次回はウエスタンの首位打者をご紹介します。

東海大相模出身プロ野球選手一覧【後編】

2020-07-11 09:03:56 | 東海大相模出身プロ野球選手
今回は名門校を卒業したすべてのプロ野球選手を紹介するシリーズの第4弾、「東海大相模」の後編です。



市川友也は大学、社会人を経てのプロ入り。巨人では選手層の厚さからチャンスを与えられませんでしたが、
日本ハムに移籍後は貴重な2番手捕手として、積極的に起用されています。

2006年、07年と東海大相模は2年続けて夏の神奈川大会決勝で敗れましたが、そのときのエースが菅野智之です。
原辰徳の甥っ子としての話題性、優れた資質などから高校時代より有名でしたが、
大学でも成長を見せて、「アマチュアナンバーワン投手」として騒がれる存在に。
日本ハムの1位指名を拒否し、1年後に飛び込んだ巨人では叔父の原監督を支え、1年目から二ケタ勝利をマーク。
17年、18年と2年連続で最多勝を獲得するなど、NPBを代表する投手として君臨しています。

菅野の同期として高校、大学でともにプレーしたのが田中広輔です。
大学では2度のベストナイン、社会人では都市対抗で若獅子賞を受賞と、名門チームでレギュラーを任されます。
広島でも1年目からレギュラーに定着し、安定した遊撃の守備に加え、
快足を活かしたスピーディーなプレーで切り込み隊長に定着。16年~18年のリーグ3連覇に大いに貢献しています。

その1年後輩で、下級生時から4番を任されたのが大田泰示です。
巨人では「ゴジラ」こと松井秀喜が着けていた背番号「55」を与えられるなど、大いに期待されましたが、レギュラーには届かず。
しかし日本ハムに移籍すると、一軍定着どころか中心打者に座るなど大ブレーク。
3年連続二ケタ本塁打をマークしているほか、年々成績を伸ばすなど、これからもさらなる活躍が期待されます。

東海大相模が夏の甲子園で40年ぶりに決勝に進んだ2010年、主砲を務めたのが大城卓三です。
大学ではMVPを獲得し、社会人でも正捕手を担いました。
プロでは1年目から一軍に定着、レギュラー目前に迫っています。打撃を活かすため、一塁手として起用されるシーンも多いですね。

10年の夏準優勝、11年センバツVのチームからは菅野剛士、田中俊太、渡辺勝がプロ入り。
菅野と田中は東海大、日立製作所と同じユニホームでプレーします。
田中広輔の実弟である俊太は、1年目から積極的に一軍で起用されていますね。

45年ぶりに夏の甲子園で全国制覇を果たした2015年、エースを務めたのが小笠原慎之介です。
中日では1年目から先発ローテーションの一角に加わるなど、将来の主戦投手候補として期待されています。

そして、今年プロの世界に飛び込んだ阪神・遠藤成まで、
実に35名のOBがプロのユニホームに袖を通したことになります。

最後に、東海大相模出身者でベストオーダーを組んでみました。

1(遊)田中 広輔
2(二)原  拓也
3(左)森野 将彦
4(三)原  辰徳
5(中)大田 泰示
6(一)津末 英明
7(右)川端 崇義
8(捕)内田  強
9(投)菅野 智之

さすがにこれまで取り上げたPL、横浜、大阪桐蔭に比べると地味ですね。
しかし、現役選手が10名もおり、若手に楽しみな選手が多いので、数年後にはまた違ったオーダーとなるかもしれません。

東海大相模出身プロ野球選手一覧【前編】

2020-07-08 08:53:14 | 東海大相模出身プロ野球選手
名門校を卒業したすべてのプロ野球選手を紹介するシリーズ。
PL学園、横浜高、大阪桐蔭に続く第4弾は「東海大相模」です。

横浜高のライバルとして、ここ50年間にわたり神奈川大会でしのぎを削ってきた同校。
設立されたのは1963年。65年の夏の甲子園で三池工を全国制覇に導いた原貢監督を招聘すると
徐々に力をつけていき、69年の夏には初めて甲子園の舞台を踏みます。

翌70年夏の甲子園では初戦から苦戦を続けながら、持ち前の打撃力で勝ち上がり、
決勝ではPL学園を10対6で下し、初の全国制覇を成し遂げます。
しかし、このときのメンバーからプロ入り選手は出ませんでした。
キャプテンの井尻陽久は東海大を経てのちに日本生命でレギュラーとして活躍し、監督も務めています。



最初のプロ入り選手となったのは石井昭男です。
レギュラーには手が届かなかったものの、持ち前の打撃を活かして代打の切り札として活躍しました。

石井が入る1年前の1977年にはドラフト外で岡部憲章が日本ハムに入団。
実質的な東海大相模出身のプロ第1号となっています。
エース・村中秀人の控えだったため甲子園では活躍できませんでしたが、
プロでは81年に13勝をマーク。最優秀防御率を獲得してチームの優勝に貢献しています。

その岡部の同期としてアイドル的人気を博したのが原辰徳です。
自慢の長打力に加えて原貢監督の息子という親子鷹、さらに甘いマスクという話題性もあり、
1年から4度にわたり甲子園に出場して、ファンを大いに沸かせました。
東海大でも主砲を任され、国際大会でも活躍。
巨人入り後の活躍、監督としての圧倒的な実績はあえて説明する必要はないでしょう。
東海大相模出身選手では、史上最高の選手といっても過言ではありません。

その原とクリーンナップを組んだ左のスラッガーが津末英明です。
3番・原、4番・津末のコンビは大学でも続きました。
プロではレギュラーに座った時期こそ短いものの、
86年には打率.285、19本塁打と強打の片りんを見せています。

3年後輩の内田強は大学、社会人を通じて名門チームでレギュラーとして活躍。
中日、阪急、ダイエーでも正捕手定着まであと一歩に迫っています。

東海大相模は原監督が東海大の監督に就任した影響もあり、
77年の夏を最後に長きにわたって甲子園から遠ざかり、OBでプロに進む選手も少なくなっていきます。
92年のセンバツで大舞台に復活し、準優勝を果たすもエースの吉田道はプロでは活躍できませんでした。

2年生だった95年のセンバツに出場し、高校屈指の強打者として知られたのが森野将彦です。
レギュラー定着まで時間はかかったものの、00年代中盤からは安定した打撃で中軸に座り、
チームの優勝に幾度も貢献します。

02年卒業組からは原拓也と川端崇義の2名がプロで頑張りました。
原は安定した内野のディフェンスを評価され、10、11、14年と3度にわたり100試合以上に出場。
川端は27歳のプロ入りで即戦力として期待され、1年目には114安打を放ち、規定打席に到達しています。

次回は後編です。

地域別プロ野球中継一覧【6月】

2020-07-05 08:47:50 | 2020年プロ野球中継
新型コロナウイルスの影響で、延期となっていたプロ野球が開幕して2週間。
待ちに待った野球シーズンのスタートということで、ほっと一安心というところです。

さて、今回のテーマは「プロ野球中継」。
私が子供の頃は巨人戦のナイター中継がほぼ毎日、テレビで放送されていました。
かつては視聴率20%越えが当たり前でしたが、いつしか数字も低迷。

衛星放送の普及、ネット視聴環境の整備もあり、
現在では地上波でプロ野球中継を見かける機会が大幅に減っています。

一方で、阪神戦のある関西や中日のある東海地区、さらに広島などでは
現在でも地元球団の中継が積極的に放送されていると聞きます。

そこで、プロ野球チームを抱える地域ごと(札幌・仙台・首都圏・東海圏・関西圏・広島・福岡)に、
各地のテレビ番組欄をもとにして、地上波(おまけとしてBS)によるプロ野球中継の状況について調査してみました。

今回は6月分の放送について、ご紹介します。

※あくまでも各地のテレビ欄での調査ですので、実際に中継されているのに漏れがある、というケースもあるかもしれません。
その場合はご容赦ください。




※秋田・岩手でも放送

太字は全国ネットでの中継。オレンジ色は本拠地(地元)の中継を表します。
なお、6月30日のヤクルト-広島戦は中止です。

参考までに、以下が各地域の放送局の略称です。


首都圏はtvk、テレ玉、チバテレ、MX、群馬、とちぎ、東海圏はぎふ、三重、関西圏はサン、KBS、びわ湖、奈良、WTVを含めています。

巨人戦ですが、開幕から2試合はさすがに全国ネットで放送されています。
しかし、系列の北海道・札幌テレビでは日本ハム戦が放送されており、完全な意味での全国ネットではありませんでした。
また、ビジターの試合になると途端に地上波での中継が無くなってしまうのが悲しいですね。

さらに、札幌(日本ハム)、仙台(楽天)、東海(中日)、関西(阪神)、広島、福岡(ソフトバンク)など、
地元密着の球団の場合、ホームだけでなくビジターの試合についても
積極的に中継されている(ゴールデンタイムでも)ことがわかります。

面白いのは6月24日の巨人-広島戦。
日テレ系で全国ネットで中継されていますが、札幌、仙台、福岡は地元球団の試合を中継。
27日の西武-ソフトバンク戦(NHK)も同様に全国ネットですが、仙台と札幌は楽天-日本ハム戦を放送。
これではローカル球団の地元での人気はさらに強固となる一方、全国区の人気チームは生まれにくくなりますね。

昔は巨人のレギュラー選手であれば、脇役タイプでも高い知名度を獲得できました。
しかし、現在ではメジャー級の実力がない限り、スター選手が誕生しづらくなっているように思います。

それでも、放送されるだけマシというものです。
巨人、ヤクルト、オリックスのような在京・在阪球団の場合、地上波で中継される機会がぐっと少なくなります。
ローカル局ならまだしも、キー局、準キー局をさしおいて中継、というのは難しいのでしょう。
それでも巨人は定期的に日テレが中継してくれますが、
ヤクルトとオリックスは地元で気軽にテレビ観戦、というわけにはいかないのが実情です。

今後も半月ごとに、各地のプロ野球中継の実態を調査したうえで発表していきます。
また、シーズン終了後には球団別、放送局別などで集計したうえでご紹介できれば、と考えております。

産業対抗野球大会史(おまけ)もし“サンベツ”が復活したら

2020-07-03 09:05:37 | 産業対抗野球史
10回続いた社会人野球のビッグイベント・産業対抗野球大会史。
今回はおまけとして、もし産業対抗(通称:サンベツ)が復活したら…という妄想企画をやってみます。

以前、産業対抗について調べていたとき、機会があったらやってみたいと思っていました。
産業対抗の終了が協議されていたとき、このスタイルの大会を残してほしいという声も上がったそうです。

さて、2020年現在で企業チームとして日本野球連盟に登録しているチームは99チーム。
これを、業種別に分けてみたのが下の表です。



「JR」は簡単ですね。ただ、毎年開催されている『JRグループ硬式野球大会』は支社チームは参加せず、
東日本東北、東日本、東海、西日本、四国、九州にクラブチームの北海道、計7チームで持ち回りで行っています。

「製鉄」も日本製鉄とJFEのみですのでわかりやすいです。日本製鉄は一時期クラブ化したチームも多かったのですが、
最近は企業チームに復活(室蘭シャークス、光シーガルズ、大分)するケースも多くなっています。

「自動車」、「ガス」、「物流」も分けやすいですね。「官公庁」(自衛隊のみですが)、2チームしかない「NTT」、「製紙」も同様です。
「金融」は銀行、生保、証券でひとまとめにしています。
「スクール」は近年急激に増加している大学、専門学校の登録チームです。一種の野球選手養成学校に近いですかね。

「電気機械」は家電という名称にしてもよかったかもしれません。
「産業機械」は精密機械や機械の部品製造などメーカー系全般です。
「自動車関連」はディーラーや部品メーカーを集め、自動車部門と分けて一つの部門としました。

「教育」は教育産業、自動車学校で一つの部門としています。
学生がプレーするわけではないので、スクール部門と差別化しています。

「エンタメ」はパチンコ、つまり娯楽品のメーカーとパチンコ店運営企業で強引にまとめました。
「アミューズメント部門」の方が聞こえが良かったでしょうか。

「エネルギー」は石油と電力を一緒にしましたが、ちょっと苦しいですかね。
「医薬」は医薬品メーカーと代理店、「建設」も建設業と建設資材メーカーと、こちらも一つにまとめていいのか悩みました。
「小売・サービス」は居酒屋チェーンとスーパー。これもこのくくりでいいのか最後まで考えに考えました。

中でももっとも難しかったのが「商業」です。
エイジェックは人材派遣、SUNホールディングスは太陽光発電、ミキハウスはアパレル、エナジックは水の販売。
以上、どの分野にも含まれない企業をまとめるには「商業」しかなかったわけです。
太陽光発電ならエネルギーでもよかったような気もします。

こう見てみると、産業対抗が行われていた時代より、より産業構造が細分化されたことが分かりますね。

さて、やはりチーム数が多い部門とそうでない部門が出てきます。不公平感はぬぐえません。
また、地域が遠く離れている部門も多く予選がやりいくいですし、そうなると補強制度も有効に活用できそうもありません。

国全体が成長を目指し、産業が発達していった50年代~60年代こそ行う意義があった、という結論に行き着きますね。
やはり、“サンベツ”を復活させるのは難しそうです。