スポーツエトセトラ

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ドラフト外入団選手一覧【近鉄編】

2020-07-26 08:44:02 | 球団別ドラフト外入団選手
今回より新テーマとして、各球団のドラフト外選手一覧と一軍全成績を紹介していきます。

かつて、秋に開催される新人選択(ドラフト)会議で指名漏れした選手については、
会議終了後に自由に獲得することができました(1990年まで)。

現在ではドラフトで指名された選手はほぼプロ入りしますが、1970年代くらいまでは拒否する選手が多かったこと、
また指名できる選手が限定されていたこと(74年から90年までは最高で6名まで)もあり、
ドラフト外での選手獲得は“戦力補強”という点で重要な意味を持っていました。

そこで、ドラフト外指名ができなくなった1991年以降に誕生した楽天を除く12球団(2004年に消滅した近鉄含む)の、
すべてのドラフト外選手を1球団ずつ表にしてまとめてみました。

一軍通算成績は最近、NPB公式サイトの『個人年度別成績』で調査したものですが、
選手についてはかなり以前に調べたものです。

ベースボールマガジンの背番号特集のムックで、各球団の背番号年度別一覧から前年にいなかった選手をピックアップし、
ドラフト関連のムックやトレード関連のムックで、指名選手でないこと、他球団からの移籍選手でないことを確認…
という作業を繰り返していたように記憶しています。

データ作成時にはすでにネット環境でしたが、当時はまだ気の利いたデータまとめサイトみたいなものはありませんでしたね。
球歴はプロ野球人名事典+ネット+過去(80年代以降)の12球団全選手カラー百科名鑑(廣済堂出版)で調べています。

第1回は今はなき近鉄バファローズです。総勢で52名でした。





各年度とも上から背番号順(入団当初の番号)で並べています。

こうして見るとやはり、というか一軍出場にたどり着いた選手が少ないことが分かります。
総勢15名で、ドラフト外入団全体で実に3割弱の選手だけが公式戦の舞台に立てなかったわけです。
67年には入団5名中4名が一軍に出場しており、力があれば上でも積極的に起用しようという意識が感じられますが、
球団からしたら戦力になれば儲けもの、程度の存在だったのでしょう。

68年には、背番号70番台の選手が4名います。
これは、当時の近鉄が現在の球界では一部の球団が採用する『三軍制』を導入したことにより、採用された選手たちです。
中でも近藤義之は川崎市の中学を卒業したばかりでした。
しかし、三軍制は時代を先取りしすぎたのか、あえなく1年でとん挫します。

さて、一軍で活躍した選手もわずかながらに存在します。その筆頭が藤瀬史郎でしょう。
持ち前の俊足を活かし、2年目に“走り屋”として一軍に定着。代走での盗塁数105は長きにわたりNPB記録として残りました。
79年、80年のリーグ連覇にも貢献しています。

佐藤文男は長い下積み生活を経て、プロ5年目にようやく一軍初登板を果たすと、
短期間ながらリリーバーとして積極的に起用されています。
加藤正樹はPL時代に全国制覇を経験し、早大では日本代表に選出されたいわば野球エリート。
プロでは90年に92試合出場と、一軍定着寸前に迫りました。

次回は西武ライオンズを予定しています。