スポーツエトセトラ

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PL学園出身プロ野球選手一覧【Part1】

2020-05-15 08:45:29 | PL学園出身プロ野球選手
かつて、「アマチュア野球」(日刊スポーツ出版社)という雑誌がありました。

ドラフト情報に特化して、高校・大学・社会人野球の有力な選手を紹介する、というものです。
私も何度か選手のインタビュー記事や読み物などを寄稿させていただきました。
残念ながら、雑誌、出版社ともに数年前に消滅してしまいましたが…。

2007年ですから今から13年ほど前になりますが、この雑誌で連載記事を持たせてもらったことがあります。
「泉直樹のドラフト研究」と銘打って、4回ほどプロに多くの選手を輩出した高校、大学
(PL学園、横浜、早大、法大)出身のすべてのプロ野球選手を表にまとめたうえで、文章として紹介しました。

昔のファイルを探したところ、当時のデータが見つかりましたので、
今回は第1回で紹介したPL学園出身の全プロ野球選手を紹介することにします。

2007年以降もPL出身のプロ選手が生まれていますので、データを改めて更新しています。
PL学園の野球部はその後、残念ながら休部してしまったので、
追加した選手はそれほど増えていません。

全部で82名もいますので、5回に分けて掲載します。



「甲」欄の★は甲子園に出場した選手です。

プロ第1号の野田征稔は創部(1956年)2年目に入部した、黎明期の選手です。

創部7年目の62年にPLは早くも甲子園に出場。翌63年春まで3期連続で出場しますが、
63年のセンバツでエースを任された戸田善紀をはじめ、4名の選手がプロ入りします。
戸田は阪急で日本一に貢献したほか、中塚政幸は大洋で主力打者として長く活躍。
坪井新三郎の息子・智哉もPL→プロという経歴を歩みました。

65年度卒業組では、得津高宏がシャープなバッティングでロッテの主力打者となりました。
福嶋久晃は大洋の正捕手として、長きにわたりプレーしています。

66年度卒組では加藤秀司。早くも2000本安打プレーヤーが誕生しています。
シュアなバッティングで首位打者2回、打点王3回を獲得。70年代後半の阪急黄金時代を支えました。

70年の夏の甲子園で、PLは初めて決勝に進出して準優勝に輝きます。
このときのエース・新美敏は日拓で1年目に12勝をマーク。新人王に輝きました。
新井宏昌は卓越した打撃センスで、87年に打率.366で首位打者を獲得。
PL出身者としては2人目の2000本安打を記録しています。

翌71年度卒組では行沢久隆。
代打や守備固めなど、貴重なバイプレーヤーとして西武黄金時代に貢献しています。

創部から15年で、多くのプロ成功選手を生み出したPL。
このあと、さらに多くの優れた選手をプロへと送り出すことになります。


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