南米チリの「独裁者」、アウグスト・ピノチェト元大統領が、昨日入院先のサンチアゴの病院で死去しました。ピノチェト氏はもともと陸軍の将軍でしたが、1970年にチリでサルバドール・アジェンデ氏による社会主義政権が誕生すると、当時のアメリカのニクソン政権のサポートを受けて、73年にアジェンデ政権を軍事クーデターによって倒し、翌年には自ら政権を掌握して、その後90年に民政移管が達成されるまで、16年間の長きにわたり大統領の地位にとどまりました。
よく知られている通り、ピノチェト氏は、政権掌握後にアジェンデ支持派や一般市民に対する苛烈な弾圧を繰り返し、配下の秘密警察を使って、公式統計ベースだけでも3千人を超える人々を拷問にかけるなどして殺害したとされています。ちなみに、当時の様子は映画『ミッシング』などでも詳しく描かれており、弾圧がいかに凄惨を極めたものだったか良く伝わってきます。アメリカは、長い間このクーデターへの関与を否定してきましたが、今では膨大な量の機密文書が公開申請に基づいて公開され、すでにその関与が裏付けられています(関連資料)。
多くの人々から極悪人の代名詞のように受け止められているピノチェト氏ですが、経済政策については、議論もある中、一定の評価を受けているところもあります。それは、当時多くの中年米諸国がインフレと貧困に苦しんでいたところ、以前の投稿でも触れたマネタリズムに基づく独特の経済政策を導入して、インフレを沈静化させ、現在のチリの経済的繁栄の基礎を作ったからです。しかし、その陰では貧富の格差を拡大したという失点もあり、評価は分かれています。
つい数年前には国際裁判の被告となって(関連資料)、今日まで常にマスコミの注目を浴びる立場にいたためか、チリ市民にとってピノチェト氏が死んだという事実は、歴史の1ページが閉じられたというような過去の出来事としては受け止められていないようです。昨日もサンチアゴ市内では、ピノチェト支持派と反対派がデモをするなど、いまもピノチェト氏の強烈な「リーダーシップ」の影響を受けて、国論が二分しているようです。ちなみに、現在の大統領であるミシェル・バチェレ大統領は、自らもピノチェト政権の秘密警察に拷問を受け、実父を拷問で亡くしていることから、元国家元首の死去ではあっても、国葬を行わないことを明らかにしています。
このような様子を見ていると、かつて東西冷戦下の日本が、ソ連や中国などの共産主義の地域大国に取り囲まれ、また自由主義の旗手であるアメリカの強いコントロールを受ける中で、奇跡的にいずれの大国の直接的な草刈り場にならず、安定して経済発展できたことは大変ラッキーなことだったと改めて感じます。日本で政治に関心のある人が比較的少ないのは、このような背景も影響しているようにも感じます。変な言い方ですが、今後もあまり政治に関心を持たずに済むような世の中であってほしいと思いますが、そうしているとピノチェトのような怪物が出てきても、誰もすぐに気が付かないという負の側面もあるのかもしれません。悩ましいところですね。
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