国際情勢について考えよう

日常生活に関係ないようで、実はかなり関係ある国際政治・経済の動きについて考えます。

ネポティズム補論

2006-10-31 | 経済・社会問題

前回の投稿で、途上国における悪しきネポティズム(縁故主義)と似た症状が、日本国内にも蔓延しているという話を書きました。書いた後で、ちょっと補足が必要かなという感じがしてきましたので補足します。

日本でも田舎に行くと、その地域社会が血縁・縁故を中心にしたコネクションで支えられている光景を目にすることがよくあります。たとえば、村一番の会社社長と、学校の校長、交番の駐在さんが、みんな親戚だなんてことは、よくあることです。私は、こうしたことは自然の成り行きだと思いますし、まったく悪いことだとは思っていません。かえって、地域社会の活性化、治安の安定に役立っているように思います。

 

ただし問題は、こうした血縁・縁故関係のコネクションの中に、違法行為が介在するようになると、問題の性質が一変するということなんですね。この場合の違法行為とは、選挙法違反、贈収賄、横領、恐喝といった類のものです。もし、こうした問題が皆無なのであれば、地域における血縁・縁故のコネクションというのは、地域の健全な経済発展と治安の安定に大いに貢献するのですが、もしこうした違法行為が介在する場合は、話がまったく変わってきます。

なぜこうした違法行為が問題なのかと言うと、それは法律に違反しているという机上の問題を超えて、利権のネットワークの外側にいる人々の経済・社会・政治的な機会を剥奪し、結果的にこれらの人々の人権を侵害することになるからです。その意味で、前回の投稿で指摘した問題は、提示した具体例などからも明らかかとは思いますが、この違法行為が介在するケースのみを指しています。そして、途上国の地方に行くと、こちらのケースが実に多いのです。こうした犯罪としてのネポティズムによる癒着は、大きくスケール・アップしていくと、最終的には国家レベルの独裁政に発展する場合もあります。その意味で、北朝鮮やキューバ、シリアなどで、独裁政とネポティズムが一体化しているのは偶然ではありません。

要は、ネポティズムも、法律に違反しているかどうかで、問題の性質がまったく変わってしまうということなんですね。しかし、途上国に行くと、先進国で違法行為とされる深刻な問題が、そうした行為を違法行為として特定できる法律が整備されていないことがあり、問題が放置されることがあります。ですから、前回触れたガバナンス支援などは、そうした法律の整備まで、一応仕事の範疇として括っています。今回は、ちょっと退屈な話でしたでしょうか・・・。


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