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日和山めぐり ~郷土「室積」を見つめる~

旅の再開は2024年度春に開始、中途半端だったゴルフの基礎練習は現在も継続、猛暑や寒さを避けて旅をする予定です。

今回の旅は一旦終了

2024年05月27日 | 日和山めぐり(瀬戸内海編)
朝6時に道の駅「アリストぬまくま」から、鞆の浦歴史民俗資料館に向かいました。
資料館は月曜は休館日でした。
おまけに雨で歩きまわることもできず、海もまともに見ることができません。
今回の旅は、前半で一旦終了することにしました。
次回、天気のよい週に、尾道港、因島方面、忠海港、竹原港、御手洗湾を回ることにします。
ここまでの旅で北前船寄港地関連の情報収集はたっぷりとでき、食傷気味になっています。
いったん自宅に戻って各湾で頂戴した資料をじっくりと読み込み、次回の後半の旅に活かしていこうと思います。

ここで今回の旅は一旦終了です。
現在8時過ぎ、三原にいます。

大学時代の同期生の久々に出会います。
その前に、入浴とドライクリーニングにすませました。

スーパー銭湯で入浴代は800円
玉ノ湯とは雲泥の差です。
いい湯でした。


倉敷市下津井港・玉島港

2024年05月25日 | 日和山めぐり(瀬戸内海編)

交通量の少ない早朝5時に道の駅「みやま公園」を下津井港に向けて出発しました。

途中、昨日行きそびれた児島港にある旧野崎浜灯明堂に立ち寄りました。




 塩釜明神が隣接しています。


塩釜明神から灯明堂が上部だけわずかに見えました。

 6時過ぎの風景です。


下津井港

下津井は岡山藩の外港として栄え、岡山県の町並み保存地区に指定されている美しい所です。

 下津井魚港の上にかぶさるように瀬戸大橋が架かっています。

橋の真下に金毘羅様燈籠がありました。

 


昨日訪問した日比港は、塩積み船と、「ゆが山」詣での渡航船が主流になっていました。ただし、「ゆが山」へは、金毘羅渡海港の丸亀と直接向き合う、下津井(倉敷)の方が表玄関だったようです。

古い町並みとの接点あたりに「ゆか岡山道」の標柱が立てられています。


現地にいくと、標柱は車にぶつけられて舗道にありました。

近々元の場所に戻されるようです。


祇園神社へは、

裏参道を登ってお参りしました。
本殿
拝殿



祇園神社から見た下津井港

間違いなくここが下津井港の日和山だったでしょう。

港の向こうに瀬戸大橋が見えます。

表玄関参道からも参拝してみました。





再度、拝殿前に

この燈籠は、
石川県加賀市塩屋の新後長四郎が明治24年に寄進した石燈籠です。
新後家は明治以後の北前船主で、下津井の祇園ばやしに導かれて嵐の海を乗り切ったことに感謝して献灯したといわれています。

早朝1時間あまり神社周りを散策しましたが、参拝者は一人もいませんでした。
崇敬者は高齢者が多いと思われます。
昨日の日比の日和山のように、急な参道、石階段を登っていくことがもうできないのでしょう。

むかし下津井廻船問屋
北前船の荷を扱った問屋、高松屋の母屋を観光施設にしてさまざまな資料を展示しています。


いんふぉめーしょん館で倉敷の町、児島地区、水島地区、玉島地区、由香のことを把握しました。昔は海であったことが地名からよくわかりました。



本館での展示、スタッフの説明も充実していました。






ここでも室積に出会いました。
下津井と室積は取り引きがありました。うれしくなります。

先ほど述べた「ゆが山」については、館内の資料で深く知ることができました。




 むかし下津井廻船問屋の前に
「まだかな橋」跡
があります。

奇妙な名前の由来は、船乗りたちが荷下ろしするのを待ちかねたお女郎さんたちが、橋の上から「ま上がらんかな、まだかな」と呼んだことによると言われています。
遊女屋は港を囲むように広がっていて、その豪華さは岡山城下をしのぐほどだったと言われています。
 まだかな橋の通りに、ゆが山の道標はありました。


下津井の井戸「亀井」
享保3年(1718)に作られた下津井の井戸「亀井」
良質の水は廻船の必需品でした。

 手前の井戸の奥に「亀井」がありました。

下津井が北前船でにぎわい始めたのは、江戸時代中期を過ぎてからです。
備前、備中の海岸部では、この頃から干拓によって農地が飛躍的に拡大しました。そこで栽培されたのは綿、菜種、井草などの商品作物です。
特に綿は、干拓後の塩分のある土壌でもよく育つため、急速に栽培がひろがりました。それには大量の肥料がいります。その需要を満たしたのが、北前船が運んでくる蝦夷地のニシン粕だったのです。
 
 現在、下津井の人口は現在5000人弱、二つの小学校合わせて児童数100人前後、中学校の生徒数60人前後、2年後には小中一貫校として一つになるそうです。
魚も取れないので漁業後継者はいなくなり、将来的には?
日本全国津々浦々はどこもそうなのかもしれません。

11時から玉島港に向かいました。

玉島港について
横付け岩壁を有した玉島港
大規模な干拓によって綿花栽培と積出港として栄えた玉島港
備中松山藩水谷勝宗が潮止堤防を築いて阿賀崎新田を開いたことが、後に北前船の有力寄港地を造る基礎となりました。
東西に延びる堤防は全長391メートル、幅は53メートルもありました。
その上に町割りを行い、商人を誘致しました。
堤防はそれ自体が岩壁で、水路に導かれた北前船が横付けできました。
当時は通常、どこの港でも沖に投錨し、伝馬船で荷を運んでいたから、玉島は非常に珍しい港だったといえます。

まずは玉島の情報収集先として、玉島歴史民俗海洋資料館をめざしました。
なんと玉島歴史民俗海洋資料館は閉館されていました。

向かい側の家の人に聞くところでは、10年前に閉館とのこと
海商通りを通ると、羽黒神社前の運河の一カ所に北前船関係が集約されていました。



表側を見ると、なんと椅子になっていました。




高梁川から分流した延長9キロの「高瀬通し」は、所々の水門で水位を調整する運河でした。
土砂が堆積しやすい高梁川河口を通らずに済む工夫でした。

 


玉島の町並みを俯瞰しようと高台にも上がってみました。
途中、良観さんが修行していたという円通寺の入口が見えました。






 
 最後の訪問先は羽黒神社です。
北前船主が玉垣や船絵馬を奉納した玉島の神社です。
境内には、幹が二重に結ばれた形の「結びの松」があり、縁結びのご利益があるとされるパワースポットです。
表参道と裏参道とお参りしました。
表参道



裏参道

車でもあがれます。
御朱印を求めての参詣が多いそうです。



幹が二重に結ばれた形の「結びの松」

ハートの形をしています。

境内からの眺望
閉館された歴史民俗海洋資料館も見えます。
山の麓まで海商通りになるそうです。
またまた交通安全ステッカーを入手


御朱印集めと同じです。

本日はこのあたりで終わることにしました。
疲れがたまらないよう、無理をしないよう、祈交通安全、車の棺桶にならないよう、
余裕をもって旅を続けようと思います。

次の行き先は、広島県鞆の浦になります。
今から目指す道の駅は「アリストぬまくま」です。


岡山・瀬戸内市(牛窓浦)・玉島市(日比港)・倉敷市(児島港)

2024年05月24日 | 日和山めぐり(瀬戸内海編)

道の駅を早朝5時半に出発、牛窓港に向かいました。

小豆島と向き合う牛窓浦は、海運の中心地として幹線航路に面した港として繁栄しました。

岡山藩が建設した牛窓港の一文字波止場
岡山藩が建設した牛窓港の一文字波止場に大小の島々があって風波を防ぎ、港内には干潮時でも水深12メートルという天然の良港である牛窓を、岡山藩はさらに整備しました。その一つが「一文字波止場」になります。
眺望のよい場所を求めて近くの天満宮に登りました。
さらに上にあがると天神様
夕陽百選の場所は今一歩でした。
 

天神様に上がる前に、街の東端に岡山藩が設置した高さ5メートルもある木造灯籠堂に行ってみました。

 
 
燈籠の小高い山に五香宮がありました。
おそらくこの場所が牛窓の日和山だったと思われます。

境内に私の好きなブイキャラの花壇がたくさんありました。

境内の管理は80代のボランティアの方が一人でやられているそうです。
地域愛がとても感じられました。
海商通りにはとても新しい家がありました。
左側はパン屋さんでマキを割っていました。
牛窓が気に入って移住したそうです。
右側の家には屋根に天文台があります。
観察した天文写真を展示されるとのこと、これも地域愛が感じられました。
 
次は、本蓮寺に向かいました。
朝鮮通信使資料室のある「海遊文化館」(旧牛窓警察署 )の裏手の山の上に、古刹本蓮寺があります。
本堂
阻師堂
初めて耳にする建物です。
三重塔
鐘撞き堂からの眺望

 岡山藩が牛窓浦を重視したのは、参勤交代の大名船に加え、幕府の賓客である「朝鮮通信使」も牛窓港に寄港したからです。牛窓に寄った9回の朝鮮通信使のうち、初めの4回の宿舎になりました。

宿舎

宿舎から本堂に上がる階段
地域の方から牛窓の様子をうかがうことができました。
牛窓の人口は現在7000人切るくらいだそうです。
三つあった小学校も一つに統合されたそうです。
現在、小学校100あまり、中学校100足らずの児童生徒数とのこと
 本蓮寺とソテツの大木
 家事除けで植えられたものでしょう。見事な大木です。
 
本蓮寺から海商通りを散策してみました。
 
 
 
 
 平日と言うこともあるのか、人通りはまったくありません。
 
途中金毘羅様の入口がありました。
 境内は子ども達の遊び場もありました。
今日が、月一の敬老会の清掃日だったとのこと
ここからの眺望も抜群でした。撮影には雑木林を避けました。
一文字波止場の全景もはっきりと見えました。
最後は瀬戸内観光協会に立ち寄りました。
牛窓のイメージアップを狙った紹介ビデオでした。
若い層の感性を大切しながら制作されたものでした。
 
朝鮮通信使資料室のある「海遊文化館」
元は牛窓警察署でした。
船の歴史や牛窓のお祭り(だんじり)についても知ることができました。
牛窓の遊女が寄進した常夜灯といわれています。
 外観も室内も中のスタッフもすべておしゃれでした。
 
元は牛窓警察署でした。
船の歴史や牛窓のお祭り(だんじり)について知ることができました。

 
牛窓の町並みに残る赤レンガの旧牛窓銀行本店
赤レンガの外壁、漆喰白モルタルの内壁など大正期のレトロで美しい建築様式を知ることができます。
現在は観光案内使節「街角ミュゼ牛窓文化館」となっています。
館内は自由に出入りでき管理人は常時いないそうです。
 
 
 
 
 
 
 
牛窓神社とオリーブ園に登るとさらに眺望がよいということで行ってみました。
牛窓神社(拝殿と本殿)
 
神社からの眺望
 
交通安全ステッカーも入手
オリーブ園からの眺望
本日は最高の好天気でした。
まさに牛窓神社、オリーブ園ともに最高のデートこーすだと思われます。
 
次は玉野市日比港へ向かいました。
11時20分に出発、12時20分着、ちょうど1時間でした。
かつての湊の面影はなく、小規模だが近代的な港に変貌しているようです。

西回り航路を確立した河村瑞賢は、牛窓から南西の日比の廻船も推挙しました。
湾をはさんで 西側が日比、東側が向日比と、二つの集落があった港町です。
塩積み港と「ゆが山」詣での渡海船が主流になっていました。
「ゆが山」は倉敷市児島由加にあり、山頂近くに「ゆk権現」がありました。
ゆか権現には、讃岐の金毘羅参りの帰りに詣でなければいけないという信仰があり、大正時代までにはかなりの参拝客があったそうです。
 
とりあえず、向日比の集落側に行ってみました。
本日の訪問箇所がどこにあるのか、どのような方法で探訪しようかと思いあぐねていた時に、港で孫を連れている方(大賀さん)二人を目にしました。。
話しかけてみると、地域の歴史に詳しい方でとてもラッキーな出逢いでした。
お二人の後ろに見える工場は三井金属で、大賀さんはそこに以前は勤務されていたそうです。
しばらくの間、大賀さんから日比の歴史話をお聞きしました。
工場の右側の見える町並みが北前船寄港地だった日比の集落、背後にある山が日比湾の日和山にあたるそうです。
正面に見えるのが三井金属の工場
工場の右側が北前船寄港地日比の集落
大賀さんの案内で、塩田の跡地(現在は団地になっている所)、海商通り、遊郭のあった場所などを知ることができました。
 
古い町並みの中に、「是よりゆが山へ九十六丁」という道標があります。
 
金毘羅参りの帰りに詣でる信仰のあった「ゆが権現」のことで、大正時代まではかなりの参拝客あったそうです。
「ゆが山」は倉敷市児島由加にあり、山頂近くに「ゆか権現」がありました。
「ゆが権現」は明治時代に由加神社と蓮台寺に分離したそうです。
集落の端に「ゆが権現」を祀る稲荷様もありました。
 
 
日比の遊郭から芸者を連れ出した船乗りたちは、背後の日和山の広場で飲食を楽しんだそうです。これを「日和申し」と称したと言われています。
「横山稲荷大明神」という小さな社がひより山頂の広場にありましたが、現在は日和山に登る人もいなくなり、正確には崇敬者が年老いて登れなくなったので、数年前に社は麓におろされていました。
新調されています。
、以上のことは、以前にひびきだな文化会長をされていた藤田さんが教えてくれました。
藤田さんの出逢いは、大賀さんの紹介によるものです。
藤田さんからは文化研究会の冊子とパンフレットも頂戴しました。
今日は土曜で資料の入手先となる日比出張所は休みでした。
大賀さんや藤田さんに出会えなっかたら、日比での今回予定していた調査活動を円滑達成することはできませんでした。
人との出逢いは不思議なもの、かつ、人とのかかわりの大切を実感させられました。
 
 本日の最後の訪問先は塩の一大産地、積み出し港
児島港です。
旧野崎家住宅を見学して今日の活動を終了しました。
塩の一大産地だった倉敷市児島では、製塩業で大金持ちになった宅です。
予想をはるかに超える大邸宅に唖然、建物の保存状態もとてもいいです。
昔、この家を見た北前船の船頭が、
「庄内にある酒田の本間家よりすごい屋敷だ」
と驚いたというエピソードがあったそうです。
 
 

 
 
 
 
昨日は入浴しなかったので立ち寄り湯「瀬戸内温泉たまの湯」にいきました。
入浴料金2000円にビックリ!!!
 やめるわけにもいきません。
入浴後、今日の車中泊先である道の駅「みやま公園」に向かい本日は終了

兵庫・赤穂市(坂越浦・赤穂市内)

2024年05月24日 | 日和山めぐり(瀬戸内海編)

本日は坂越と赤穂市歴史博物館を中心に過ごすことになりそうです。

その後は瀬戸内市(牛窓)に向かことになりそうです。

まず坂越を一望できる山頂に登りました。

沖合いに生島が浮かぶ坂越浦  
生島は神様の島で人は入れないそうです。
海に向かって美しい町並みが続いています。
右側には赤穗の町並みと千種川が見えます。

好天気に恵まれ絶景を楽しむことができました。


この場所が坂越浦の日和山にあたる場所だったようです。


大避(おおさけ)神社
秋に行われる祭礼(坂越の船祭)は、瀬戸内三大船祭りの一つに数えられ、提灯に明かりを灯した十一隻の和船が生島から還幸する様子は幻想的な美しさだそうです。







大避神社の船絵馬
弁財船を横向きに描くパターンの初期の絵馬
絵馬堂




早朝に神社関係者の方とお話しを交わすことができました。

話題をかいつまんで列挙します。

・もともと観光客はあまりこない所だったが、コロナ禍で「ここなら大丈夫だろう」ということでここ数年観光客も増えてきた
・漁はカキ養殖が中心で坂越のカキはとても美味しいということで値段も2割増しでも食べにくる人が多い、関東方面にもたくさん出荷しているとのこと


交通安全ステッカーも入手できました。

家並みや石畳の大道がとても美しいです。

途中にある軽食店でカキを味わってみました。
カキは冬が本場なのでステーキにされたものを食しました。
赤穗のお土産として、赤穗の塩、地酒も購入しました。


銀行として活躍した建物を活用した資料館兼観光案内所
「坂越まち並み館」






赤穗藩の茶屋としての役割もある
「旧坂越浦会所」










日本遺産に認定されるためには著名な所・文化財が7つ必要だそうです。

七つのうちの一つ、数多くの船乗りが眠る坂越の黒崎墓所にも行ってみました。

なんと高層マンションの麓にありました。



赤穂市立歴史博物館

塩廻船「赤穂丸」の模型、壁面には塩田で使用された道具が展示されています。

赤穗の塩・赤穗の城と城下町・赤穗義士・旧赤穗上下水道の4つのコーナーのみの展示です。
とてもコンパクトにまとめられており、忠臣蔵のビデオもわかりやすく、興味深く学べました。
塩造りは赤穗から全国に広まったことがわかりました。
山口では三田尻から平生へと製法が広まったのですね。

赤穗の差塩と真塩を坂越で購入したばかりです。
以前に牛島に塩造りに行きましたが、あれは焼き塩だから真塩でしょう。

赤穂城跡を歩いてみました。





塩田が広大でした。

秋田蘭画の残る尻海
3時に赤穂市を出て次の北前船寄港地の牛窓に向かうことしました。
途中邑久町尻海の若宮八幡宮八幡宮に立ち寄りました。
尻海には昔50艇も千石船があったそうです。
中には、秋田藩の米廻船を請け負っていた商人もいました。



薩摩屋義太夫が奉納した燈籠

秋田藩士で秋田蘭画の画家、田代忠国が描いたという絵馬が残されているということです。
18世紀後半の一時期、秋田蘭画といった洋画の技法を取り入れた、北国秋田に西洋文化の花が開きました。



若宮八幡宮は、本日の車中泊先の道の駅「一本松展望台」の近くにありました。
一本松展望台からの眺望




道の駅「一本松展望台」は4時過ぎに到着

ここから牛窓まで車で10分の距離です。
夕方まで本日のブログ作成と明日の訪問先である牛窓港、児島港方面の活動内容を検討しました。

兵庫・高砂市とたつの市

2024年05月23日 | 日和山めぐり(瀬戸内海編)

車の通行量が少ない早朝5時半に三木市から高砂市高砂神社に向かいました。

高砂神社




 

コミカルな表情の鬼瓦が参拝者たちを見守っています。



縁結びの象徴、相生いの松が境内にあり、パワースポットとして人気です。

黒松と赤松が夫婦のように寄り添っているようです。

結婚式で「高砂や〜」と詠われますが、その意味が神社を訪れてよく理解できました。

野村萬斎も主演したという能舞台もありました。



今回も交通安全ステッカーを入手しました。

神社関係者の方から、朝早くからご苦労さまということでパンとドリンクを頂戴しました。感謝!! 


神社の近くに工楽松右衛門旧宅があります。

工楽松右衛門のゆかりの地である高砂は加古川河口に位置し、加古川船運と瀬戸内海運の中継基地として繁栄しました。








工楽松右衛門は高砂出身の江戸時代の発明家で、丈夫でしなやかな帆布「松右衛門帆」を開発し、北前船の航行性能を飛躍的に向上させ、海運業の発展に貢献した人物です。高田屋嘉兵衛の兄貴分にあたる人でもあります。
工楽とは
工事を楽しむ
工夫を楽しむ
世の中のために働く
帆布の製造ノウハウは、安全航海のために、すべての北前船関係者に分け与えたそうです。

工楽松右衛門は普通のミシンでは歯が立たない「極厚帆布」は、株式会社御影屋で、幻の帆布「松右衛門帆」として独自に再現されています。
御影屋の店内
帆布コースターを頂戴しました。



高砂市の次は、たつの市「海の本陣」播州室津に向かいました。
室津は、参勤交代の西国大名の船、そして朝鮮通信使が必ず寄港しました。

室津港


現在の室津の人口は約850人、世帯数は460人あまり、
そのうち150人くらいはカキ養殖に携わる外国人労働者だそうです。
風を防ぐ岬の先端には「賀茂神社」




参勤交代、朝鮮通信使の寄港地だったということで格調のある神社でした。
賀茂神社は山頂にあり、日和山の役割も果たしていました。

山麓に室津小学校があります
令和3年に閉校になりました。
閉校前の児童数は1クラスで各学年3〜5人だったそうです。

神社の下には姫路藩が設置した「湊口番所跡」の標柱
標柱の向こう側には御番所跡公園がありました。

北前船寄港地として日本遺産に認定されているということもあるのでしょう。
観光施設も充実しています。

姫路藩の交易窓口でもあり、豪商・魚屋「たつの市立室津民俗館」として、
廻船問屋・嶋屋は「市立室津海駅館」として保存、公開されています。

「たつの市立室津民俗館」







「市立室津海駅館」
北海道の江差から北前船で綿花の肥料となるニシンが運搬されましたが、
鰊干しされた羽鰊のみが綿花の肥料になることをここではじめて知りました。

朝鮮通信使

朝鮮通信使、大名のための献立




長門萩藩、周防徳山藩も参勤交代時は船で室津まできて、ここから陸路だったことがわかります。
資料館の中で室積を再発見しました。





室津と室積は商取引で交易があることが伺えます。
室津の嶋屋は、室積の今津屋から米を購入していました。
室津で室積に出会えて、本日はよい一日でした。

4時に道の駅「あいおい白龍城」に到着

本日の活動内容、聞き留めたこと思い出しながらブログにまとめました。
まとめるのが億劫になることもありますが、旅の道中でか時間をやりくりしながらやり遂げることにしました。

淡路島2日目

2024年05月22日 | 日和山めぐり(瀬戸内海編)

朝6時から、五色町にある高田屋顕彰館・歴史文化資料館「菜の花ホール」を目指して出発しました。

途中、群家港、江井港方面に立ち寄りました。

海辺に誰かいれば地域情報が入手しようと思ったからです。

【群家港】

ちょうど漁港で立ち話をして人が、ずうずうしく淡路島の様子をお聞きしました。

思い出したものを列挙してみます。

・タマネギは北海度と淡路島が主要産地だが、淡路の南部(北部は米作り)の土地の方が甘味のあるタマネギに適している

・明石海峡大橋、鳴門海峡大橋と二つの橋があるが、淡路は本州と四国の通過地点としての存続になっており企業群も誘致されることもない

・二つの海峡大橋から水が淡路に運搬されるようになり、水利施設は便利になったが、元々ある島内の浄化施設は使われなくなった

・橋の通行料金は、以前は5000円以上だったが、今はETCで1800円、ETCがないと2200円  

※日和山めぐりの旅は、軽トラの旅で原則一般道を使用するので使用ETCは不要と思っていましたが、今回の旅で必要だと痛感しました。

・ここ6年くらいの間に、明石海峡大橋側に海上レストラン、キャフェ、オートキャンプ場といった施設が急に増えた。

・こうした施設の大部分は派遣会社で有名なパソナグループのよって作られたものばかり

・コロナ禍の時には、行くところがないの淡路島に多くの人が訪れ、バブル状態になっていた

・こうした店舗がふえても、雇用を生むこともない(そもそも雇用される若者がいない)、地元がうるおうことも活性化にも寄与することはない

・逆にオーバーツーリズムで道路が混雑するなど迷惑していることの方が多い

人気スポットの一つ  Hello Kitty Show Box

 

【江井港】
 

【高田屋顕彰館・歴史文化資料館「菜の花ホール」】

広大な手入れのいきとどいた公園に文化資料館はありました。









館内では最初に高田嘉兵衛の生涯をたどった紹介ビデオを視聴しました。


館内の施設はとても充実していました。
地元出身で20年目になる学芸員の斎藤さんから懇切丁寧な説明を受けました。
高田嘉兵衛と北前船が今の時代にもたらしたもの
昆布を中心とした食文化、干鰯と綿、藍染の織物、菜種油 他
高田嘉兵衛を学ぶ上での様々な角度からの切り口を知ることが出来ました。






山口県光市室積を再発見しました。
全国の北前船の寄港地、地名がすべて表示されています。
光井、室積、上関も地名もありました。

公園内に嘉兵衛の墓、顕彰碑があります。

嘉兵衛の墓

紹介ビデオからは、以前は眺望がよかったことがうかがえます。




司馬遼太郎が「江戸時代で最も偉かった人物」と評した高田屋嘉兵衛、

淡路の洲本市五色町の貧しい農家の長男として生まれ、一介の船乗りから一代で「海運王」となった彼は、日露和平の立役者の役割も果たしています。


ー住吉神社の目の前は播磨灘
「大きくなったらこの沖に千石船を並べてみせる」
少年嘉兵衛はそう胸に抱いていたそうです。





高田屋嘉兵衛とゴロウニンが並ぶ「日露友好の像」

 

淡路島・五色町都志(都志八幡神社)
日ロ対立に巻き込まれ、ロシアに捕らえられた高田屋嘉兵衛の無事の帰国を願い、嘉兵衛の弟らによって寄進された随身門があります。



館内にあったロシアから見た日本人観のコーナーもおもしろかったです。





午後から、学芸員さんのおすすめもあって神戸市立博物館にむかいました。
運悪く、1週間の展示入れ替え期間で休館日でした。
ネットでのリサーチ不足を悔やみました。
明日は高砂市が訪問先なので車中泊は三木市の「道の駅みき」に選定しました。

近くの立ち寄り温泉は有馬温泉と同じ泉質で最高によかったです。
何とか夕食までに本日も拙いブログをアップすることが出来ました。

淡路島1日目

2024年05月21日 | 日和山めぐり(瀬戸内海編)
午前中は淡路島の一番南端まで遠出、
遊覧船で鳴門海峡のうずしお見学をしました。
【うずしおクルーズ】
今日は大潮の日、うずの期待度が高くてラッキーでした。


出発式の放水という演出がありました。






潮の干満差が織りなす自然のドラマを楽しむことが出来ました。

午後は線香の里を訪ねて一宮の群家と江井に行きました。
現在も日本の線香の70%が江井や群家で作られているということ
北前船時代には江井港がにぎわっていたこと
その理由を探りに線香づくりの工房・薫寿堂を訪ねました。
薫寿堂の常務取締役(製造担当)の明石省三から懇切丁寧に教わりました。
【お香づくり・薫寿堂】






線香づくりのはじまりは、
淡路の漁民が冬には海が荒れて仕事がなかった
当日線香は大阪の堺が中心だった
そこで線香づくりを学び、一宮町は生産高日本一を誇る線香の町となった
街並みを歩くだけで線香の匂いが漂ってくる江井は、住民の半数以上が何らかの形で線香とかかわりをもっている
江井は小さな漁港なので広い土地を求めて今では群家に多く工場が作られて
現在、江井と群家合わせて14ほど線香工場があるそうだ

冊子も頂戴しました。

一宮町は、
古くから淡路一宮「いざなぎ神宮」として栄えたと伝えられています。
薫寿堂の近くに伊弉諾神宮はあります。
薫寿堂の敷地内にも以下のものが設置されており、これらは街中いたるところにあります。






【伊弉諾神宮】










淡路阪神大震災によって、鳥居・燈籠・拝殿・本殿などほとんどすべての建造物はリニューアルされたそうです。
今回も交通安全ステッカーを入手しました。



本日の終わりは、明石海峡大橋が露天風呂から見渡せる立ち寄り温泉に入りました。

旅の始まり

2024年05月20日 | 日和山めぐり(瀬戸内海編)
朝3時に室積を出発しました。
ガラガラ状態の広島市内を通り抜け、三次、蒜山へと車を進めました。
蒜山の道の駅でキャベツを入手しようとしましたが入荷されていませんでした。

代わりに、250円のゴボウを購入しました。
ゴボウ炊き込みご飯を作ります。
三朝温泉には10時25分に到着。

いつもの無料立ち寄り温泉で運転の疲れをとりました。
誰もいない、ラッキーでした。
11時半に淡路島にある道の駅「あわじ」を目指して出発しました。
夕方5時前に車中泊の場所となる道の駅「あわじ」に無事に到着しました。
525キロの距離を運転しました。

【翌朝6時頃の風景】
車中泊をする人がたくさんいました。


ワンちゃんと散歩する人、釣り人が多かったです。


日和山めぐりの旅仕度その2

2024年05月19日 | 日和山めぐり(瀬戸内海編)
4年前作成した予定表です。
今回の旅はこれをもとにしようと思います。
訪問先の下書き一覧も作成していました。










今回の旅で留意しておくべきことは、
旅先で
撮影画像をブログで準備した下書き画面に貼り付けること
に終始しないようにすることです。
その地域の人との出逢いの中で
強く印象に残ったこと
記録に残しておきたいこと
などを中心にブログに残しておきたいです。
あくまで、のんびり旅を貫きたいです。

瀬戸内海沿岸の旅(訪問先一覧)

2020年03月10日 | 日和山めぐり(瀬戸内海編)

兵庫から広島まで、瀬戸内海の旅(訪問先一覧)先をノートにまとめておきました。

iPadにも訪問先の概要をブログの下書きに入力しました。

主な訪問先を列挙してみます。

【淡路島】

・五色町(都志)→高田屋顕彰館(菜の花ホール)

・一宮町(江井)→廻船問屋と線香の町

・淡路市塩田(淡路ワールドパークONOKORO)→復元船「辰悦丸」

【神戸(兵庫津)】

・メリケンパーク

・神戸海洋博物館

・まちなか倶楽部(高田屋嘉兵衛資料館)

【高砂市】

・高砂神社

・工楽松右衛門旧宅

【たつの市(室津港)】

・たつの市立室津海駅館

・たつの市立室津民俗館

【赤穂市(坂越浦)】

・大避神社

・坂越まち並み館

・旧坂越浦会所

・赤穂市立歴史博物館

【邑久町(尻海)】

・若宮八幡宮

【瀬戸内市(牛窓)】

・海遊文化館

・街角ミュッゼ牛窓文化館

【玉野市(日比)】

・日和山(横山稲荷大明神がある広場)

【倉敷市(下津井)】

・むかし下津井廻船問屋

・祇園神社

【倉敷市(玉島)】

・玉島歴史民俗海洋資料館

【福山市(鞆の浦)】

・鞆の浦歴史民俗資料館

【尾道市因島】

・因島水軍城

・椋の里ゆうあいランド/民俗資料館

【尾道市瀬戸田町】

・瀬戸田町歴史民俗資料館

【竹原市(忠海)】

・竹原の町並み

・竹鶴酒造

【呉市(御手洗)】

・御手洗の町並み

コロナウィルス騒々で旅のスタートは3月下旬くらいになりそうです。

兵庫から広島までの瀬戸内海沿岸を車でじっくりと走ったことはありません。

楽しみです。