日和山めぐり ~郷土「室積」を見つめる~

倉敷市下津井港・玉島港

交通量の少ない早朝5時に道の駅「みやま公園」を下津井港に向けて出発しました。

途中、昨日行きそびれた児島港にある旧野崎浜灯明堂に立ち寄りました。




 塩釜明神が隣接しています。


塩釜明神から灯明堂が上部だけわずかに見えました。

 6時過ぎの風景です。


下津井港

下津井は岡山藩の外港として栄え、岡山県の町並み保存地区に指定されている美しい所です。

 下津井魚港の上にかぶさるように瀬戸大橋が架かっています。

橋の真下に金毘羅様燈籠がありました。

 


昨日訪問した日比港は、塩積み船と、「ゆが山」詣での渡航船が主流になっていました。ただし、「ゆが山」へは、金毘羅渡海港の丸亀と直接向き合う、下津井(倉敷)の方が表玄関だったようです。

古い町並みとの接点あたりに「ゆか岡山道」の標柱が立てられています。


現地にいくと、標柱は車にぶつけられて舗道にありました。

近々元の場所に戻されるようです。


祇園神社へは、

裏参道を登ってお参りしました。
本殿
拝殿



祇園神社から見た下津井港

間違いなくここが下津井港の日和山だったでしょう。

港の向こうに瀬戸大橋が見えます。

表玄関参道からも参拝してみました。





再度、拝殿前に

この燈籠は、
石川県加賀市塩屋の新後長四郎が明治24年に寄進した石燈籠です。
新後家は明治以後の北前船主で、下津井の祇園ばやしに導かれて嵐の海を乗り切ったことに感謝して献灯したといわれています。

早朝1時間あまり神社周りを散策しましたが、参拝者は一人もいませんでした。
崇敬者は高齢者が多いと思われます。
昨日の日比の日和山のように、急な参道、石階段を登っていくことがもうできないのでしょう。

むかし下津井廻船問屋
北前船の荷を扱った問屋、高松屋の母屋を観光施設にしてさまざまな資料を展示しています。


いんふぉめーしょん館で倉敷の町、児島地区、水島地区、玉島地区、由香のことを把握しました。昔は海であったことが地名からよくわかりました。



本館での展示、スタッフの説明も充実していました。






ここでも室積に出会いました。
下津井と室積は取り引きがありました。うれしくなります。

先ほど述べた「ゆが山」については、館内の資料で深く知ることができました。




 むかし下津井廻船問屋の前に
「まだかな橋」跡
があります。

奇妙な名前の由来は、船乗りたちが荷下ろしするのを待ちかねたお女郎さんたちが、橋の上から「ま上がらんかな、まだかな」と呼んだことによると言われています。
遊女屋は港を囲むように広がっていて、その豪華さは岡山城下をしのぐほどだったと言われています。
 まだかな橋の通りに、ゆが山の道標はありました。


下津井の井戸「亀井」
享保3年(1718)に作られた下津井の井戸「亀井」
良質の水は廻船の必需品でした。

 手前の井戸の奥に「亀井」がありました。

下津井が北前船でにぎわい始めたのは、江戸時代中期を過ぎてからです。
備前、備中の海岸部では、この頃から干拓によって農地が飛躍的に拡大しました。そこで栽培されたのは綿、菜種、井草などの商品作物です。
特に綿は、干拓後の塩分のある土壌でもよく育つため、急速に栽培がひろがりました。それには大量の肥料がいります。その需要を満たしたのが、北前船が運んでくる蝦夷地のニシン粕だったのです。
 
 現在、下津井の人口は現在5000人弱、二つの小学校合わせて児童数100人前後、中学校の生徒数60人前後、2年後には小中一貫校として一つになるそうです。
魚も取れないので漁業後継者はいなくなり、将来的には?
日本全国津々浦々はどこもそうなのかもしれません。

11時から玉島港に向かいました。

玉島港について
横付け岩壁を有した玉島港
大規模な干拓によって綿花栽培と積出港として栄えた玉島港
備中松山藩水谷勝宗が潮止堤防を築いて阿賀崎新田を開いたことが、後に北前船の有力寄港地を造る基礎となりました。
東西に延びる堤防は全長391メートル、幅は53メートルもありました。
その上に町割りを行い、商人を誘致しました。
堤防はそれ自体が岩壁で、水路に導かれた北前船が横付けできました。
当時は通常、どこの港でも沖に投錨し、伝馬船で荷を運んでいたから、玉島は非常に珍しい港だったといえます。

まずは玉島の情報収集先として、玉島歴史民俗海洋資料館をめざしました。
なんと玉島歴史民俗海洋資料館は閉館されていました。

向かい側の家の人に聞くところでは、10年前に閉館とのこと
海商通りを通ると、羽黒神社前の運河の一カ所に北前船関係が集約されていました。



表側を見ると、なんと椅子になっていました。




高梁川から分流した延長9キロの「高瀬通し」は、所々の水門で水位を調整する運河でした。
土砂が堆積しやすい高梁川河口を通らずに済む工夫でした。

 


玉島の町並みを俯瞰しようと高台にも上がってみました。
途中、良観さんが修行していたという円通寺の入口が見えました。






 
 最後の訪問先は羽黒神社です。
北前船主が玉垣や船絵馬を奉納した玉島の神社です。
境内には、幹が二重に結ばれた形の「結びの松」があり、縁結びのご利益があるとされるパワースポットです。
表参道と裏参道とお参りしました。
表参道



裏参道

車でもあがれます。
御朱印を求めての参詣が多いそうです。



幹が二重に結ばれた形の「結びの松」

ハートの形をしています。

境内からの眺望
閉館された歴史民俗海洋資料館も見えます。
山の麓まで海商通りになるそうです。
またまた交通安全ステッカーを入手


御朱印集めと同じです。

本日はこのあたりで終わることにしました。
疲れがたまらないよう、無理をしないよう、祈交通安全、車の棺桶にならないよう、
余裕をもって旅を続けようと思います。

次の行き先は、広島県鞆の浦になります。
今から目指す道の駅は「アリストぬまくま」です。

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