引きこもりになってしまってるのに、引きこもりであることをどこかで認めたくなくて、ずっと家の中で抵抗していた。好きでこんな風になったわけじゃない、という思いがあった。
昔、両親は共働きだったので、家には誰もいないのが基本だった。両親が働きに出ているときは、外にいる両親が自分の向かうべきモデルの役割を果たしていて、その時のほうが目標はずっと持ちやすかったと思う。モデルがいたから、なんとか社会に出ていけていた。だから、両親が定年してから頑張り方がわからなくなったところがある。
家は農家なので、両親は定年退職してもやっぱり働いている。はじめはそのことが結構つらかった。私はずっと社会的なアイデンティティをえることが困難で、ずっともがいているようなところがあるのに、両親は定年したところでやっぱり働く場があるのか、みたいに思えて、そのときはじめて、退職したら少しは自分のことを見てほしい、みたいな思いがあるのに気が付いた。それは結局叶わない思いなのだけど、そもそも持っていることに気づいてなかった。
親はずっと立派な人だ。どちらも公務員をしていて、社会のために生きている。退職しても農業をしてて、米を作ってるから、社会全体に貢献している、みたいに見える。どうやっても立派な親であることが時々すごく辛く感じる。比較すると、私って何をやってるんだと思ってしまうから。でも、社会からみたら立派な親なのに、私自身はほぼほぼ放任で、助けてほしいときに助けてくれなかったという思いがある。
母は他人に命令したりされることが嫌なタイプなので、私もそうだと覆ってる。言われたことをするなんて嫌やろ?みたいに思ってるみたいだけど、私は言われたことをするのは全然嫌じゃないし、そのほうがラクなのにと思ってる。なので、助けを求めるといつも思いがすれ違ってしまう。それがずっと辛くて、退職してから何度もそのことでぶつかった。ぶつかってもあまり理解には至らなかったようだ。
家が農家をしているから、なんとなくそれを手伝わないといけないという思いがありつつ、なんとなく親の人生に振り回されるみたいになるのが嫌だった。手伝いをする、ということになると、自分のやりたいことやすべきことを後回しにしないといけなくなるというか、なし崩しに向こうの都合でしか動けなくなりそうだった。だから手伝いたくなかった。家にいるのに家のことをしないなんて、すごく自分勝手かもしれないのに、私自身の人生はいつまでたっても始まらない気がして、ずっと抵抗していた。親がえらいから、誰にも理解されないようにも思っていた。自分を優先するより、自己犠牲を求められるように思っていた。だから自分のことが話せなかった。どこかでずっと恥のような気持ちも感じていたし、自分を責めていて、とても苦しかった。
農家なんかに生まれなくない、と思ってみても、都市伝説とか陰謀論では食糧危機が来るとか、災害がくるとか言われてて、そういうのをきくと、農家である家から離れることなんてできない気がした。
手伝うことにしても、実は農家は普段からそんなにやることがあるわけじゃない。あるといえばあるのだが。自立したいと思っていた私は基本的にどこか両親に背を向けているところがあって、でもそうはいっても両親も歳をとっていってるから、それを見て見ぬ振りもできないとも思う。結局両親の年齢のことも考えて、私は私の意思でそういうところも気を付けないといけないと思ったし、少しくらいは手伝わないといけないと思った。はじめからそう思ってはいても、受け入れるのは結構難しかった。
両親はなんだかんだ思想が強く横のつながりがある世代、団塊の世代なので、自分に落ち度があるとそういうことをどこかで共有されてるような気がする。弱ってくる年齢だと思っていたらやっぱり油断できないというか、結局強い世代で、傷つけられたりする。私はなぜかやたらこの世代に縁があり、合う人会う人みんな団塊の世代だったことがある。さすが人数の多い世代だし、みんな個性が強いのでなんとなく雰囲気でわかるようになってしまった。
親となんとか関係を保ちつつ、役に立てる人だと認めてもらわないといけない。ほっとけばいいみたいには私は出来る立場ではない。結局振り回されている。
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