久しぶりにブログを書く。基本的には話題がないと書けないのだ。でも、今日は必要性に駆られて、というか、そういう衝動が起こったので書くことにした。
家で少し求人をチェックして、京都に出かけ、いつも立ち寄る店でお茶を飲みながら求人の続きを見た。職業訓練についても調べてた。でもこれも、何度同じことをやってるかわからない。
元の性格が慎重なタイプだったりもするんだけど、それ以上に不安要素が多すぎるのだ。書類をそろえて、きちんと連絡をして、約束をして、時間通りに行って、職業訓練でも仕事でも、なんらかの手続きをきちんとできるのか、ということに自信がない。相談しに行ったところで、何度も突っ返されてきた。そのショックを味わいたくない。だから、訓練を受けるならきちんと納得させられる自信が必要だ、みたいに思ってる。私としては、勢いを失う前になんとかやりたかったのだけど、ハローワークはそれを許してくれなかった。きっとそれはきちんとしたやり方で何度も中途半端な失敗をしないようにとの思いでそうしてくれてたりもするんだろうと思う。でもここ数年、ハローワークの相談窓口にいる職員さん自体が派遣だったり雇用期間が決まっている人だったりして、そこそこ若くて頭のきれそうな人でも、私のような状況の人に対して理解があるようには見えなくて、なんとなく相談しきれなさのようなものを感じていた。
私の世代はそれでも、窓口に親身な人がいたほうなのではないか、と思う。福祉の精神や知識のようなものを持っている職員さんは割と多くて、話をきくことも割としてくれていたと思う。私はやっぱりそういう人に結構助けられていたんだと思う。若い派遣の人に変わってたよりなくなったと言ってしまえば失礼かもしれないけど、今の人は変に自分に自信があって教祖のように振舞いたがる人がなぜか多いように感じてて、心の中では、いや、そういうのじゃないんやで、みたいなことを思ってしまう。でも、似たような世代で、こんなところに派遣でいるなら、きっとその人も不安定な職にしかつけてないわけだし不満を言うわけにはいかない。すごく大事なものが引き継がれていないよな、みたいなことを思う。
それなら私はキャリコンとか勉強すればよかったのかもしれないし、その機会はあったのに、何も決めることが出来ない。なんとなくそういう期待を寄せられているように感じていても、私はやっぱり何かに繋がることが本当にできなくて、いつも風前の灯火みたいな心持ちで生きていた。はっきりいって、いつ死ぬかわからない、みたいに、毎日思っていて、かろうじて生きているような感じだった。それなのに、そういうことを言葉にすることが怖くて、言うことが出来なかった。そういうほんとうにヤバいものに対して、助けを求める気持ちを少しでも持っていて無視されてしまったらダメージが大きすぎることがわかっているからだと思う。そんな状態でも、どこかでそういうことを考えているのだと思った。自分で意識はしていないけど、そういう風にしていた。
私は誰かが盛んに発信していることに関しては絶対にそれを受けて何かすることができない。つながることが大切だと盛んに言われていた時もそうだった。結局いつも一人で決めないといけないのだ。甘えの気持ちが出たら、自分にまけてしまう。だから、ずっとブログだったらよかったのかもしれないのに。
今流行りの発信媒体は、私はことごとくそれをうまく利用することができなかった。ずっと続けていたことの続きをやるしかない。
死ぬかもしれないということがとても怖い。私はこうしてブログをやっていると孤独に強い気もするのに、たくさんの人がいるSNSでは孤独に弱くなってしまう。社会性あるということなんだろう。知らんけど。
求人をみたりしていて、なんとか今の状況を冷静に見られてる気がしたのに、しばらくそこにいたら徐々に頼りなさみたいなものを感じはじめた。
自分を自分たらしめてるのは、社会からの何らかの圧力なのだと思う。制限があるからこそ、自分の境界を感じることが出来るのだろう。誰からの制限もなければ、私は自分がわからなくなってしまうんだと思う。そういうとき、私は何ともつながっていなくて、背中の力が抜けて、自分が流れ出してしまいそうな気がした。これは統合失調症的なやつじゃないだろうか?とあとから振り返ると思ったりする。あまりにも頼りなくて、それがすべて抜けてしまったら、私は死ぬんじゃないだろうか、と、そういう時には危機的に感じている。
いつも利用する地下街なのに、ふと力が入らなくなる場所がある気がした。
でも思い返すと、昔は制限がありすぎて、そこにいるのもつらかった気がする。昔と比べて都会は地元と地続きだと感じられるようになった。でもその感覚を持続させるのは難しい。SNSのせいかもしれない。