宇宙とは意識の投影だった!☆OnenessラムZeropoint創世∞

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意識〜人間の意識のレベル

2018-01-28 00:27:18 | 日記
人間の意識のレベル



人間の意識レベルは1〜1000まで数値化される。

特定のアトラクターフィールドは、磁気が鉄くずを集めるように、一ヶ所に集まる。
そうして集まった一連の心的態度や感情と正確に一致するレベルに分類した。
測定が示す数字は、十進法ではなく、対数を表す。

レベル300は、150の2倍ではなく、10の300乗のパワーを示す。
だから、僅か数ポイント上がるだけで、パワーは大きな増加を表す。レベルが上が
るにつれて、パワーの増大する割合は莫大なものとなる。

200以下のレベルは、個人にとっても、社会にとっても破壊的である。
200を超えたすべてのレベルは積極的なパワーの表現で、200というレベルが
フォースとパワーを分ける分岐点となる。

20:恥
「恥」のレベルは、死に最も近い。
このレベルでは、避けられたはずの事故死がよくある。
意識レベルが20しかない人の行動は危険である。
彼らは思い込みが激しく、幻覚をみたりする傾向があり、精神病になったり、奇妙な
犯罪を犯すこともいる。

30:罪悪感
「罪」の意識にとらわれてしまうと、誰に対しても「許さない」という態度を引き起こす。
この感情は宗教煽動者によって強制や支配に利用される。

50:無感動
このレベルは貧困、絶望、希望を失うということが特徴として挙げられる。無関心は希望を失った状態で、生きるエネルギーにも欠けており、最悪の場合は自殺による死を招くこともある。
これはホームレスなど、社会から見捨てられた人のレベルで、多くの高齢者や、慢性の病気によって隔離された多くの人の運命である。
無感動は依存的で、周囲は重荷として感じる。
無感動は希望を放棄したレベルで、それと実際に直面する勇気があるのは、僅かな者に限られる。

75:深い悲しみ
このレベルは悲しさ、損失、依存に関係する。
人は誰でも一時期このレベルを経験するが、このレベルに固定されると、人は絶えず続く後悔の中でうつ病のような生活を送ってしまう。
これは、過去に対する悲しみや死別、後悔のレベルである。
人生の早い時期に大きな悲しみを経験すると「人生とは悲しみだ」という境地にとらわれてしう。
「深い悲しみシンドローム」になると、たとえば愛する人を失うことが、愛そのものを失うことと同一視され、深刻なうつ病や、死のひきがねとなることもある。
しかし、「深い悲しみ」は無感動よりエネルギーがあり、無感動の患者が急に泣き始めると、それは回復に向かっているサインである。

100:恐怖
「恐怖」は全体主義国家が市民をコントロールするため、好んで用いる制度である。
人間がいったん「恐怖」にとりつかれると、世の中の限りない事象が恐怖の餌食になる。
たとえば、関係を失うことへの恐怖は嫉妬となり、慢性的な高いストレスを引き起こす。
「恐怖」より高いフィールドに上昇するためにはエネルギーが必要で、抑圧されている人は助力なしには高いレベルに達することができない。そこで、恐怖にとりつかれている人は、そこから解放されるため、自分の恐怖を征服したかに見える強いリーダーを求めやすい。

125:欲望
「欲望」は、経済も含め人間の高い活動の領域を動機づける。広告会社は、「欲望」をニーズに結びつけるようにする。
お金や名声、パワーを得る「欲望」が、恐怖のレベルを抜け出した多くの人の人生の動機となる。
性的アピールの欲望は、化粧品やファッション業界を生み出した。
「欲望」はたえず何か目的に向かうので、飽きることをしらない。一つの満足を得ても、他の何かみたされていない渇望に取り替えられてしまう。

150:怒り
「怒り」は、創造または破壊のどちらにも通ずる。
「無感動」と「深い悲しみ」から抜け出して「恐怖」を乗り越えると「欲望」という意識が出る。
「欲望」はフラストレーションに通じていて、「怒り」に通ずる。
だから、怒りは圧迫から自由へ向かうテコともなる。社会的な不公平感や処罰などに対する怒りは、社会構造に変化をもたらす社会運動を生んできた。
しかし「怒り」は恨みや復讐心を表し、爆発しやすく危険でもある。怒りが習慣化すると、わずかなことにも過敏となり、喧嘩ばかりやったりもめごとを起こす。

175:プライド
プライドは現代人の大方が求めているレベルである。
このレベルに達すると、積極的になる。自尊心が湧いてくると、意識の低いレベルで経験したすべての苦痛は和らぐ。
プライド意識は、自分の格好よさを、人生のステージで見せびらかそうとする。
一般的にプライドはプラスに評価されるが、意識レベルから見ると、200の臨界点より低く、ネガティブな状態である。プライドは優越感に浸っているに過ぎない。
プライドは、外部の状況に依存しているため、受身的で傷つきやすい。条件次第で突然低いレベルに戻ってしまいがちだ。
プライドは、自他を区別するため、派閥争いを招き、プライドのため死ぬこともある。
軍隊は「愛国心」と呼ばれるプライドのため、人を殺す。
プライドのマイナス面は「傲慢さ」と「否認」である。これは人間の成長を妨げる。
感情的な問題や性格の欠陥を認めず否認するからである。この否認が本当のパワーを得るための大きな障害となっている。

200:勇気
この200のレベルで「フォース」が「パワー」へと展開する。これは生きることに対してポジティブかネガティブか識別できる臨界点である。
「勇気」のレベルで「パワー」が到来する。探求、達成、忍耐力、決断力のゾーンである。これ以下のレベルでは人生は、絶望的だったり、悲しかったり、恐ろしかったり、いらだたしく見えるのに対し、勇気のレベルでは、人生は面白くチャレンジするに値し、刺激的であるように見える。
200では新しい仕事の技術を学ぶエネルギーを得ることができ、成長し、学ぶことができる。
これより低いレベルでは、エネルギーを消耗させるだけだが、勇気のレベルでは自分が受け取ったと同じくらいのエネルギーを社会に返す。


☆人類の80%以上は200以下にとどまっている。
 人類の集合意識は、何世紀にもわたって190にとどまっていたが、1980年代半ば
に207というレベルにジャンプした。

250:中立
「中立」のレベルに達すると、低いレベルから解放され、エネルギーは非常にポジティブになる。
250未満では、意識はものごとを二つに分けて見る傾向がある。
「中立」の状態では、柔軟さがあり、批判的にならないので、現実的な評価ができるようになる。
自分の思い通りにならなくても、恐れたり、いらだったりすることがない。自分のパワーが感じられると、人はおじけづいたり、他人に認めてもらう必要がない。人生に対して自然体でいられる。
「中立」のレベルの人たちには幸福感がある。周囲の人も安心して付き合える。批判的な態度や他人をコントロールしようとしないため、一緒にいると快適である。


310:意欲
「中立」のレベルでは仕事は適切に行われるが、「意欲」のレベルでは仕事はうまくいき、プロジェクトは成功する。
成長はこのレベルで急速に早まる。周囲に求められ進歩する。
「意欲」とは、人生に対する内面の抵抗に打ち勝って、前向きに生きることを意味する。
310のレベルになると素晴らしいひらめきが現れる。
このレベルでは、誰にでも好意をもって接するため、社会的にも経済的にも成功する。
意欲ある人は、どんな仕事でも引き受け、自分から天職を作り出したりする。誰に対しても協力的で、社会の貢献者となる。
「意欲」のレベルは、自己尊敬の気持が強く、社会からの認知や感謝、見返りというポジティブなフィードバックによってそれは強化される。逆境から立ち直り、経験から学び、自己修正できる。
プライドを手放したので、自分の欠点を知り、ほかの人から学ぶ謙虚さを持ってい
る。

350:受容
「受容」のレベルでは、「自分がすべての根源である」という責任を持つ。
生命のエネルギーと調和をもって生きる能力があり、人生のクリエイターという意識をもつ。
幸せの根源は自分の内にあるということに気づく。
自分を幸福にするのは、「向こう」にはなく、愛は自分の内より創造されるものだと気づく。
「受容」は受身ではない。受身は無関心の兆候だが、「受容」は人生をあるがままに
受け入れることだ。
人はこの状態で、歪みも誤解もなく、ものごとを見ることができる。「全体像」を見ることができるのだ。
「受容」のレベルでは、正しいか間違いかを決めることに関心はなく、その問題の解決に全力を尽くす。長期目標が短期の目標より優先する。
「受容」のレベルでは、二極化することがない。平等さを尊重するが、差別や不寛容さはない。

400:理性
低いレベルの感情を超えることができると、知性と合理性が現れる。理性は大量のデータを扱うことができ、また迅速に正しい決定を下すことができる。
抽象的な概念や象徴的な発想を活用できる。読解力も増大するレベルである。
このレベルでは、知識と教育が「財産」として追求される。
400レベルは、ノーベル賞受賞者や偉大な政治家のレベルで、アインシュタイン、フロイトなど偉大な思想家の多くがこのレベルで測定される。
このレベルは、理性を働かせること自体が最終目標となりがちだ。
しかし理性だけでは真実を見出すことはできない。
理性は莫大な量の情報と資料による裏付けを生み出すが、データと実際の結果の矛盾を解決すつ能力を欠く。理性は技術的な世界では、高い効果があるが、逆説的に「理性」そのものが意識のより高いレベルに達することへの最も大きなブロックとなる。
このレベルを乗り越えるのは、私達の社会では困難である。

500:愛
500レベルは、無条件かつ不変で永久的な愛の発展で特徴づけられる。その源泉は外部の要因に依存せず、動揺することがない。
それはマスメディアで表現される「愛」とは異なる。
私達が普通「愛」と呼んでいるのは、肉体的な魅力、所有欲、エロティシズムなどの激しい感情的な状態をいい、壊れやすく、変わりやすい。愛が憎しみに変わるというが、本来それは「愛」ではなく、依存的な感情にすぎない、それはプライドによる憎しみから生じている。 
愛は理性ではなく、ハートから発し、その動機の純粋性によって、他の人々のエネルギーを引き上げる大きなパワーを持っている。
愛のレベルでは、ものごとの本質を識別する能力が優れている。問題の全体性を瞬時に認識できる。
理性は細部だけを扱うが、愛は全体を扱う。
愛は立場にとらわれず、どんなバリアもそこには存在せず、「他とひとつになる」ことが可能となる。
「愛」は生きることの素晴らしさに焦点をあわせ、ポシティブさを増大させる。
まともな宗教はすべて500以上が測定されるが、全人類の0.4%しか、このレベルには達していない。


540:喜び
「愛」がますます無条件となるにつけて、内側から喜びが湧いてくる。この喜びは、すべての行動に常に伴い、一瞬一瞬のなかに感じられる。
540以上のレベルは、聖者、高度な精神探求者、ヒーラーのレベルである。このエネルギーフィールドでは、長引く逆境に直面しても、大きな忍耐力で積極的な態度を堅持する。
この状態の印は「慈愛」である。
このレベルに達すると、他の人々にはっきりとした影響を与え始め、人々を愛と平和の意識に導く。
500の高いレベルでは、創造の完全さと絶妙な美しさで輝いている。すべてが共時性をもって自然に起きる。世界が愛と神性の表現であることがわかる。
人々が「奇跡」と呼ぶ現象が起きるが、無限の存在が身近に感じられる。これは個人のパワーではなく、エネルギーフィールドのパワーである。
このレベルの人間は、特定の人間のためにではなく、生命そのもののために意識を使う願望がある。
愛が深まれば深まるほど、「愛する能力」の領域が広くなる。

このレベルの特徴として臨死体験が挙げられる。
臨死体験した人は、500~600のエネルギーレベルとなり、意識が変容する経験をすることがある。

600:平和
このレベルは「超越」「自己実現」「神意識」と呼ばれる状態に関係し、1000万人に一人しか到達できない。
この状態では、主観と客観の区別がなくなる。至福の状態が連続して起こるため、自らを世界から切り離し、通常の生活をやめてしまう人もいる。
ある人はスピリチュアルな指導者となり、人類の向上のため匿名で活躍する人もいる。各分野での偉大な天才も生まれる。
このレベルでは、一般的に知られる宗教を超越し、純粋な精神性へと変わっていく。
600以上のレベルでは、時間と空間がスローモーションのように感じられる。すべては生き生きと輝いている。
根源に対する気づきは圧倒的となり、心は思考をやめ、永遠の静寂が訪れる。
優れた芸術品、音楽や建築は600~700の間で測定される。
それらは、一時的に私達の意識を高いレベルに運ぶ。

700~1000:エンライトメント(悟り)
このレベルは、歴史上の偉大な人々のレベルであり、すべてが「神の意識」につながっていて、時には神と同一視される。
強力な霊感のレベルで、人類のすべてに影響を及ぼす。このレベルでは自己の意識と神の意識が一体化する。心を超越した大いなる自己(Self)を無限に感じる。
これは人間における意識の進化の頂点を示す。
偉大な教えは、人類のすべての意識レベルを上げ、そのようなビジョンを持つことは「恩恵」と呼ばれ、言語を絶した無限の平和が訪れる。
存在に対する感覚は、時間と個性を超越し、「私」という肉体的な区別は存在せず、自分という存在の運命にまったく関心を持たない。
意識は局部に集中することなく、至るところに平等に存在する。
1000という最高レベルで測定されるのは、
クリシュナ、ブッダ、そしてイエス・キリストがいる。


・意識のレベルは10進法ではなく、対数を表す。
レベル300は、150の2倍ではなく、10の300乗を示す。

☆意識のレベルが乗倍になっているということはどういうことなのか。
 情報系が対数系で計算するのと関係があるのだろうか。

20(恥) 30(罪悪感) 50(無感動) 75(深い悲しみ) 100(恐怖) 125(欲望) 150(怒り) 175(プライド)

ここまでがフォースの世界である。意識の世界において200を肥えた世界がパワーの世界。生きることに積極的な影響を与える世界である。キネシオロジーで測定すると現在の人類の意識のレベルはようやく200を超えたあたりであるという。

200(勇気) 250(中立) 310(意欲) 350(受容) 400(理性)

「理性」だけでは真実を見出すことはできない。アインシュタインなどの偉大な学者、思想家は499で測定されるという。

500(愛)  540(喜び) 600(平和)

500レベルは無条件かつ不変で永久的な愛の発展によって特徴づけられる。
愛は理性からではなくハートから発する。その純粋さゆえに他の人のエネルギーも引き上げる。
物事の全体性を瞬時に認識する。

540は癒しとスピリチュアルな意識に基いた自助グループのレベル。慈愛のレベル。

600は「超越」「自己実現」「神意識」

700~1000(悟り)

キネシオロジーによる測定によると、700はマハトマ・ガンジー、マザーテレサ
1000はブッダ、イエス・キリストの最高の意識のレベルで、これ以上は測定できないという。

人類の85%が200より下で測定される、現在の人類の総合的な意識のレベルは207(エハンさんによると同時テロ以来これより下っているという)
大多数の人間を、比較的少数の人々のカウンターバランスしている。

500以上の人はわずか4%、540に達した人は0.4%、600に達するのは1000万人に1人という。
パワーのスケールは対数的に進むので、1000の意識レベルの人一人で、人類のすべての集合的なネガティブに対して完全に釣り合いがとれる。(372人)
そして700レベルの個人一人で200レベル以下の7000万人の意識のレベルとカウンターバランスしているという。
そして、1995年現在地球には700で測定される12人の人々がいるとある。
現在どうなっているであろうか。

この著書に書かれたことを素直に受容するならば、私たちの生きる目的というのは、実に意識のレベルをあげることにある。