子供の頃はよくデンボが出来た。相当に大きいものはすっかりは治らず、いまだ跡のかなり強く残っているものもある。体内に毒素が多いのだと、母はペニシリン注射を打ちに、私を病院に連れて行ったこともあった。本当は「伝法の神様」なのに、石切神社に行こうと言っていたこともあった。
年をとるにつれデンボさんはたまにしかできなくなったが、十八くらいから顔にデンボさんよりは小さいけれどニキビや吹き出物ではない、なんだか分からないものが時折、沢山出来るようになった。
顔のそれはたまには出来るけれど、年を取ってほとんどそういう症状を忘れていたのに、新しくて古い村創りがどこかへ行った時、突然デンボさんほどの大きなものが顔全体を覆った。
自分はその頃すでに多くのことを学んでいたので分かったことだが、デキモノは怒りの表れで、自分自身を殺してしまうかもしれないほどの体内の猛毒なのだ。
これが外に出る人はいい。その猛毒が体内に溜まる人は体が蝕まれて大きな病を持つようになると、若い頃、近所のおばあさまは仰った。それは真実に思えた。
考えてみれば、子供の頃の私は自閉症児かと言われるほどものがうまく喋られず、いつも何かに怒っていた。
通じそうで通じない言葉のもどかしさに喋ることがあまり出来なかったということしばしばで口をつぐんだ。
成長するにつれ、自分の感覚は多くの者の感覚と微妙なずれがあって、その僅かの微妙なズレを説明するのは難いことだと自覚して大抵の場で意識して黙した。そうしてノートが唯一無二の親友になった。
年と共にそれをうまく処理出来るようにもなった。そうして良い人と出会ったのか、世間からは嫌われていた人と結婚し、どんなに愛情を注いでもいい家庭を持ち、そのデンボさんは行き場をなくしていた。
地球を相手に殴り殴られたいと思っていたような怒りのことはすっかり忘れていた。
それを思い出したのは、多少なりとも実践してみたかった人生一等最初の小学生の頃の夢が、現実の場で終わったと思った時だった。それは昔と違い、自分自身への怒りだったかもしれなかった。
それはともかく、最近またその象徴のようなデンボさんもどきが大量で痛い。
阪神淡路の時の、サリンの時も、東日本の時の、あふれるのは涙で、それは翼を広げて私をとある世界に誘ってくれたが、今はデンボさんなのである。
この新型コロナがストレスなのではなく、実は「怒り」なのだと、今日、急に知ったのだ。
世間が?政治家やマスコミが伝えるものはなにかが多く間違っているという思い。
これらの報道、これらの対処の仕方、考え方。
何かどこかが違うということを体が教えてくれているというわけだ。
年をとるにつれデンボさんはたまにしかできなくなったが、十八くらいから顔にデンボさんよりは小さいけれどニキビや吹き出物ではない、なんだか分からないものが時折、沢山出来るようになった。
顔のそれはたまには出来るけれど、年を取ってほとんどそういう症状を忘れていたのに、新しくて古い村創りがどこかへ行った時、突然デンボさんほどの大きなものが顔全体を覆った。
自分はその頃すでに多くのことを学んでいたので分かったことだが、デキモノは怒りの表れで、自分自身を殺してしまうかもしれないほどの体内の猛毒なのだ。
これが外に出る人はいい。その猛毒が体内に溜まる人は体が蝕まれて大きな病を持つようになると、若い頃、近所のおばあさまは仰った。それは真実に思えた。
考えてみれば、子供の頃の私は自閉症児かと言われるほどものがうまく喋られず、いつも何かに怒っていた。
通じそうで通じない言葉のもどかしさに喋ることがあまり出来なかったということしばしばで口をつぐんだ。
成長するにつれ、自分の感覚は多くの者の感覚と微妙なずれがあって、その僅かの微妙なズレを説明するのは難いことだと自覚して大抵の場で意識して黙した。そうしてノートが唯一無二の親友になった。
年と共にそれをうまく処理出来るようにもなった。そうして良い人と出会ったのか、世間からは嫌われていた人と結婚し、どんなに愛情を注いでもいい家庭を持ち、そのデンボさんは行き場をなくしていた。
地球を相手に殴り殴られたいと思っていたような怒りのことはすっかり忘れていた。
それを思い出したのは、多少なりとも実践してみたかった人生一等最初の小学生の頃の夢が、現実の場で終わったと思った時だった。それは昔と違い、自分自身への怒りだったかもしれなかった。
それはともかく、最近またその象徴のようなデンボさんもどきが大量で痛い。
阪神淡路の時の、サリンの時も、東日本の時の、あふれるのは涙で、それは翼を広げて私をとある世界に誘ってくれたが、今はデンボさんなのである。
この新型コロナがストレスなのではなく、実は「怒り」なのだと、今日、急に知ったのだ。
世間が?政治家やマスコミが伝えるものはなにかが多く間違っているという思い。
これらの報道、これらの対処の仕方、考え方。
何かどこかが違うということを体が教えてくれているというわけだ。