輪廻の沼 3

釣り記事は削除します

なぜ団塊世代の孫世代は凶悪犯が多いのか?1

2018年05月14日 23時20分36秒 | 心理学
団塊世代の孫世代はなぜ凶悪犯が多いのか?
ショッキングなタイトルだが。

例えば、最近起きた殺人事件を考えてみよう。

23歳 小林容疑者 小2児童を殺害後に電車に死体遺棄1人殺害
27歳 白石容疑者 座間9人殺害
26歳 植松容疑者 障害者施設19人殺害
19歳 警察官上司殺人事件 1人殺害
22歳 和歌山のドン・ファン殺害容疑 1人殺害
22歳 神奈川県 東海道新幹線 1人殺害
合計 32人殺害

ハインリッヒの法則では、1個のアクシデントには300個のインシデントが横たわる。つまり、6人の殺人犯には1800人の潜在的な犯罪者予備軍がいる事になる。

就職氷河期と言われる31歳〜42歳くらいまでと、団塊世代の孫と言われる16歳〜30歳くらいまでには思考に決定的な違いがある。

団塊世代の孫が、教育面で受けて来た他の世代との違いは、ゆとり教育である。かわいい、かわいい孫のために就職氷河期がブラック企業で社畜として働いていた時代。

ゆとり世代は、バカのごとく遊びほうけてきた。これが徳川幕府が築いたお犬様政策ならぬ、団塊世代のお孫様政策と言って良い。

就職氷河期の教育は、団塊世代に奴隷になるための下準備だったのに対し、団塊世代の孫は1980年代〜2010年まで実施された思考型人間を製造するため、それがゆとり教育だ。

ゆとり、ゆとりと一括りにするが、ゆとり世代の心理面を紐解くなら先ず、ゆとり教育とは何か?何のためのゆとりだったのか?から調べる必要がある。

これが、ゆとり教育の影響を受けなかった30代、40代と心理的、思考的に違う心情を抱かせた教育だったからである。

警察官が警察官まで撃ち殺してしまう団塊世代の孫達の心理面とは?

団塊世代は、奴隷層となる就職氷河期の世代には・・・

「詰め込み教育」と言われるブラック企業体制に必要な大衆迎合教育を徹底的に施した。なんと就職氷河期世代は生まれた時から奴隷と人生が決められた。

先の世代が後の世代を政治コントロールによって奴隷化するのがこの国の真実ではなかろうか。そして、自分達の孫には自分達の後を継いで欲しいと願い、「思考型」教育を徹底した。

思考型教育と詰め込み型教育。

今、世代が違うだけで2つのタイプの日本人がいることになる。全ては団塊世代の歪んだ政治コントロールにより狂わされた、屈折した人々である、大事なのはどの部分が屈折したかだ。

団塊世代の孫となるゆとり世代。ゆとり教育が提唱された1980年代〜2010年までとすると幅広い。ゆとり世代のゆとり教育が他の世代と異なる思考回路を持つ様になったのは、1996年に提唱されたゆとり教育の一部「生きる力」が影響した可能性である。

2018年〜1996年を差し引く22年前だ。この時代から冒頭で挙げた容疑者らの年齢から差し引きすれば学校教育の小〜中までに影響を受けた可能性は理解しやすい。

まずは、ゆとり世代と言われる中で現在の2018年から考えた22年前からを本当のゆとり世代と呼ぶ事にしよう。

生きる力が殺す力になりうる理由
「生きる力」の三本柱に、政府は知・徳・体を定めた。ここで大事なのは、この知・徳・体が「何をもって」「誰にとって」「干渉的になる」の3つである。

例えば、徳は道徳を意味し、犯罪行為の抑止的な働きを念頭にしたといえば誰からも分かりやすい。しかし、現実にこの生きる力の徳が重大な犯罪者を生み出している可能性がある。


ゆとり教育の徳の定義とは、豊かな人間性と前置きし、『自らを律しつつも、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性』とある。

この文章には特筆すべき矛盾点がある。

自らを律しとあり、次に他人とともに協調するは適当な部分がある。何を基準に自分を律し、自律と協調のどちらを優先するかが抜けている。

自分の精神状態により自律など、ある時は利を優先し、ある時は美徳を優先する。どちらを優先するかを子供らに任せている。自律は大切かもしれないが、案外、自分を律する自分などたかがしれていたりする。

第1に自分とは不変的なものではなく、環境による影響を受けやすい。

第2に、いかに強い信念を持っていても、それが自らの思い込みであり、他者の考え方を理解しようとしなければ自律など不可能だ。それは自律ではなく、自己中心だ。

第3に、美徳とコモンセンスがこの国は明確に切り分けできずにいる。痛みの経験や感覚の無い子供に人を思いやるなどは美徳である。この国は、美徳を優先している。

自律で重要なのは、自らの基本的欲求を知ることである。でなければ不必要な干渉、情報の収集、出来すぎた自己尊大が生まれる。

そのような教育下では、悪魔に魅入られた子供が出来やすい。

精神的に健全性がある子供に大衆的な徳は有効だが、不健全的な環境で成長した子供には反大衆的な徳がルールになる。

反大衆的な徳、それは子供が持って生まれたであろう基本的欲求とこの大衆的な徳が矛盾した関係にあるときだ。

その時に、その子は自らの人生を呪い、社会に対して怒りを覚え、運命に対して憎しみを持つ子供になる。

これに団塊世代特有のモラルハラスメント的な社会心理が融合すると、自己中心的な犯罪者を作り上げる可能性がある。

他人を思いやるとはこの国においては迎合の強要であ。自らを律するとは対極にある。そもそも社会で他人を思いやる事など、例えば、それが自分の親なら分かる。それが恋人でも同じ、そして子供でもそうなる。

共通しているのは愛着である。

人生において、本当の思いやりとは愛着の有無でしかない。愛着があるから自然界では、愛する者の為に命を張って守るという事が起きる。

そう考えると、政府が定めた徳は美徳である。

それは、あたかも日大の悪質タックル問題での監督の思考回路と似る。日本女子レスリングのパワハラ問題での監督に見られる団塊世代の特有の考え方だ。

上司、部下、先輩、後輩、仕事仲間、同級生、幼馴染みなども一括りにすれば他人である。

愛着がなければ他人なのだ。美徳を利用して迎合を煽る縦社会。

構築した日本に他人を思いやるなど自殺やハラスメント行為の根源にまでなる。この国の定めた徳には、常に犠牲者が存在した。

徳を利用して人を支配してきた団塊世代。大衆迎合教育の根幹となる部分は、皆同じが前提である。皆同じという社会主義的な発想。

その考え方から日本は多様的な生き方があるという視点は矛盾している。しかし、メディアや広告は多様的な生き方があるという嘘を流す。

もし、そういう社会があるならば1人でも生きれる仕組みがあるはずである。しかし、現実的にはどこかの組織に属して、迎合しなければ生きれない。

なんとツマラナイ世界だろうか。


皆同じと言いながら、実は同じではない。そんな分かりにくい教育を全員に施すのだから。日本とは、なんとも分かりにくい生きづらさに満ち溢れている。

団塊世代とモラハラ
団塊世代の孫世代が、凶悪犯になりやすい仕組みを説明する前に順を追って、団塊世代とモラハラについても説明する必要があると思った。


連合軍のWGIP教育は、日本人に自らを悪く思えという暗示を施した。これは今までの説明で一貫している。今回は、この自責の念とモラハラとの関連を説明したい。

団塊世代は、その台頭であり、そのような暗示を受け続けた世代だ。自責という自己否定的な心理作用が動物的心理としてどう働くか。

就職氷河期の奴隷層の製造も、WGIPの心理的な効果によって団塊世代から生み出された。

太平洋戦争で、日本が悪い悪いと言い続ける団塊世代。日本が悪いと自らに言い続けると、脳にどのような効果が生まれるだろう。

これは、生まれてくる子供に「なんで生まれてきたの?悪いと思わないの?生きている事に罪を感じないの?」と言っているのと同じである。

否定する人もいるだろうが、自己否定感を教育に組み込まれた日本の教育は、この時点でアイデンティティの獲得を否定された事になる。

なぜなら、人間の脳は主語が分からないからである。

体系的に理解する、日本が悪いのであって自分は悪くないと思うとする。アイデンティティとは自己肯定感とセットである、他人がどうであっても自分は自分という肯定感だ。

本来ならアイデンティティを否定されれば、怒りが発生する。しかし、真珠湾攻撃を否定しても、原爆投下を肯定する思考回路は、洗脳以外の何者でも無い。

日本人というアイデンティティを獲得しようとする過程で、その事がよぎるたびに自己否定の暗示がかけられる。

自己否定された人格は、暴力や暴言に対して強い自己主張ができない人、つまり「何も言えない」人になる。

その最も顕著な例が『言い訳をするな』ではなかろうか?就職氷河期の世代の台頭的な教育が『言い訳をするな』である。

これは、団塊世代が自分達に都合のいい世代を作ろうとし、日本を滅ぼした言葉の代表である。

言い訳をするな

たとえ団塊世代に非があっても、結局は年下のお前が悪いとなる。なぜ、団塊世代はこんなヤクザ的な言葉を使ったのか?

これは年功序列による文化的な背景でなく、年功序列による、人権や未来さえ否定可能な日本独自のシステムだ。自己否定された団塊世代の人格は、お前は悪いと思わないか?と言われた方は何も言えない。

美徳で相手を縛るとは、そんなに迷惑をかけて、お前は私に罪悪感は無いのか?それなら世間にお前がいかに酷い人間かを言いふらす。

陰口好きは、こうして美徳で相手を縛る。

だから団塊世代はアメリカに本音では言いたい事があっても抑圧してきた。WGIPの洗脳により、アメリカに迎合して抑圧されたものは反動形成となる。

その反動形成がイジメである。

心底まで自己否定に追い込まれた団塊世代は自殺に追い込まれる。アメリカに楯突かず迎合する事を本能的に植えつけられた団塊世代は、イジメの対象を探す。

就職氷河期世代をイジメたい世代として、教育的な洗脳を施すことは無意識に団塊世代はそうしているとは言え、WGIPの毒としてはしっかりと機能している。

自分の否定を教育に植え込まれ、さらに美徳的な周囲が気になる目で見られた団塊世代は自分自身の否定。つまり、自殺という行動をとる。

このような社会は良い人はいなくなる社会ではなかろうか?気づけば幸せな人が一人、また一人といなくなるのが、このご時世ではなかろうか?

WGIPの自己否定を義務的に強要し、多種多様な家庭や背景があるのに皆同じという環境や文化を与える社会は、自分は他と違ってたという受け取り方を否定する。

同じじゃないと不安になる社会だ。

社会全体が、人と違う事で不安に感じ、人と同じで安心する様な社会は不幸な人をより多くする。多かれ少なかれ、人と自分は違うもの。

同じ人間なんて1人としていないのだ。

日本社会は、その真実には目を伏せる。


そうそう。

日本人は試験好きだ。


試験をして何になるか?

日本の試験は、いかに自分を捨て、

他者のためにつくして来たか?

この事を説いている事が多い。


自分を捨てなければ、

試験は合格出来ない様に出来ている。


人間関係、愛、友人、恋人、お金。

それらのいずれかを捨てよと説く。

誰がか?


親である。

何のために試験に頑張るのか?

親の愛情が不足していたからである。


不足していることをWGIPは、また隠す。

本当は、両親から抱きしめられたい。

なのに、自分にも嘘をつく団塊世代がなんと多いのだろう。

嘘をつきながら生きる社会。

大人の世界とは、アメリカに敗戦した時から、そんな社会に成り下がった。

WGIPに洗脳された団塊世代は弱い立場にある人間をイジメ、自分が敵わない相手には徹底的に下手に出る人間である。団塊世代にはこのような人間が自殺をせずに生き残ってきた人口層がとても多い。

⑴職場で何も言えない人間は、家庭で妻や子供を締め上げてきた。

⑵上司にグゥの音もでない人間は、部下を怒号で締め上げる。

⑶生徒や試験を受けるもの、受からせる者などの立場的な権力を利用したハラスメント行為


このように腐った団塊世代の心理を見事についた言葉に魑魅魍魎(ちみもうりょう)という言葉がある。語源は山や川の化け物を意味する。

現在では、会社の中で自由にルールなくやりたい放題やっているブラック企業の独裁者を指したりする。

独裁者は、様々なものを利用する。根底にあるのが刑法だろう。刑法は殺人に対して極刑を定め、殺人以上の犯罪を軽視する。

実際には殺人以上の人生を奪われるような事件がワンサカしている。しかし、美徳を盾にしたモラハラ達の他人の人生を壊したい様な願望。


それは自らの欲求を言葉で表現できないからである。

江戸時代は魑魅魍魎を働けば殿様以外は、その場で首を刎ねられる可能性があった。

また、仇討ちも役所に届ければ合法だった。今よりも人から恨みを買うことがリスクが高い時代だった。一度しかない人生を正直に生きるとは、江戸時代の言葉である。

今の時代は戦争に負け、WGIPの洗脳を受けた団塊世代が大量に生まれ、人生は一度しかないから嘘をたくさんついても良い。そんな魑魅魍魎な人間ご、美徳を利用して自分の家来をたくさん作りたい世代、それが団塊世代の真実の姿ではなかろうか。

まさに、妖怪。化け物だ。

魑魅魍魎の中に、魅力の魅が使われているところ。昔の人間にもモラハラについて知っていたのかとも思えます。

魑魅魍魎な団塊世代が、真っ先に目をつけたのが就職氷河期の奴隷層の創出。政治コントロールや就職面接を厳しくし、この時代の若者の社会進出を阻害。

恐ろしいブラック企業がいくつも建ち並びはじめた時代です。会社ではお仕置き部屋なるものがあり、団塊世代のおぞましいハラスメント行為が多くの企業で見られ始めました。

自分が悪いことをしているという認識がない団塊世代
魑魅魍魎な団塊世代は、自分に悪い事をしているという認識がない。あるのは飢えた自分である。この魑魅魍魎な団塊世代は、部下や生徒などに無理難題を敷いてきた。

○○までにこの仕事を終わらせてね。や、○○ぐらいは全部勉強出来ないとダメだなどである。ある専門学校では、全1000ページ以上ある大辞林にあるような内容を試験範囲とした所もある。

生徒の頑張りを職員室での自分の手柄に変える魑魅魍魎な団塊世代。ブラック企業では自分の仕事をさせて、自分の手柄にする魑魅魍魎な団塊世代は何人いただろう?

このように言われた人間は、『言えない人』になる。

実は心の世界では燃えたぎる様な憎しみを持っている。自己主張できない人間を作り出す。

それが、その人間の基本的欲求を阻害し、人生を破壊する事にまで繋がるとは考えなかった。魑魅魍魎な団塊世代は、主体は悪魔で自分なのだ。

団塊世代は、決して学問を好きにさせ様だとか、仕事をどうすれば上手くいくかなどを考えてきた人間は少ない。

魑魅魍魎な団塊世代の生き方は、どうすれば環境を酷くでき、酷い環境下で、いかに自分が良い、あるいは優れた人間かを見せる事ばかりに人生を消化した化け物である。

それが、日本は戦争に負けて、自分達のお陰で立ち直ったという言葉になる。何て事はない、日本が経済的に発展できたのは、アメリカがすでにレールをしていたからだ。魑魅魍魎な団塊世代の功績など無いに等しかった。

やがて、団塊世代がメッキをはってきた神戸鉄鋼、東芝、東電などが大災害の働きもあり剥がれ落ちている。

団塊世代の孫と魑魅魍魎
祖父が魑魅魍魎だと、孫はどうなるか?

どれだけ、子供に偽りの良き
父の背中を見せても、
子供は父の背中に眠る
残忍さを知らぬ間に
心の中に取り込んでいる。

これをエディス・コンプレックスという。

心理学の世界では、父親の凶暴性と
母親への愛情が心にやどると
二面性が出て来る。

やがて、母親への愛着形成を
別の形に置き換える事で
エディス・コンプレックスは克服される。

しかし、人の世は文明があり、
教育があり、家族がある。
さらには、異なる家族同士の結婚があり、
段階状に社会がある。

これらが成長期の幼児にどの様な
影響を与えるかを、大人の私達が
評価する尺度を持っていない。

社会で生じる様々な問題に
精神科医であるアドルフ・アドラーは
全ての問題は人間関係にあると説いた。

全ての問題が人間関係にあるならば、
魑魅魍魎な団塊世代の孫達が
どんな風に考え、思い、行動を起こすのか
魑魅魍魎であるが故に見えなかった。


祖父という存在
孫にとって祖父とは、
内孫、外孫で異なるが
ある意味で一家を
まとめるべく主人でもあり、
それは時として安全基地にもなりうる。

母親争奪戦に負ける子供にとって、
父は絶対的な存在に見える。

その父に、魑魅魍魎な祖父がいると
子供は父を越えるためには祖父になる
必要があると思う様になる。

何と、エディス・コンプレックスの
克服のために、祖父の姿を父の代わりとして
投影する訳である。

これが団塊世代なら、
孫は魑魅魍魎な部分を真似して、
父への憎しみを晴らそうとする。

教育と幼児
日本には、個人1人1人の個性を見るよりも、いかに集団で他と同じです。人並ですと見せる事に重点を置いた教育だと気付いた人はどれだけいるのだろうか。

例えば、号令だったり日々の学校生活でも、必ず学校の中に居る必要がある。そして、必ず学校の授業を受ける必要がある。宿題は、全ての生徒が同じ課題を共有し、家庭に帰宅しても、塾や習い事の縛りを受ける。

こういう社会は、他と違う事を不安に感じ易い社会であり、他と違う者に恐怖を感じたり、不安を感じたり、嫌悪感を抱いたりする。

この人は、こんな人と素通りできない社会である。ある者は過干渉になったり、ある者は迎合したりして嘘まやかしの社会になりやすい。

そう言う意味で、生きる力という
ゆとり教育の大変化が教育界になされた。

私達は、この生きる力が社会に何をもたらすかを考えなければならない。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。