
泉岳寺、四十七士の墓。
過越祭に東京のシナゴーグへ初めて行った。祭祀はヘブライ語で行なわれるが、若いラバイ(聖職者)が英語で時々通訳する。英語でも理解するのが難しい内容なんだけど、歌は簡単、サビは同じ単語の繰り返し、数人の男の人は手を打って、ノリノリになってる。私も調子に乗って大声でにこやかに歌った。一晩目が終わった後で聞いたら、「私達は十分です。これで十分満足です。」という意味だったので、二晩目は真面目に力強く歌った。ワインを最低四杯は飲み干さねばならない、と言われたのはちょっと嬉しかった。イスラエルの若いワインはかなり美味しい。だが飲んでばかりでは、だんだんお腹が空いて悲しくなる。先祖の気持ちを実感しつつ、祈祷する事が肝心なのである。刻んだホースラディッシュは、奴隷であったユダヤ人の苦難の苦味を忘れぬ為、セロリを浸して食べる塩水はその汗や涙、焼いたゆで卵は焼かれ落ちた神殿の象徴という風に、テーブルに盛られた食物は、日本人の考える祭のご馳走とは全く違う。迫害された人々は歴史の中でその苦難を糧に逞しく賢く助け合うようになるのだ。言いたくはないが、迫害した方の民族は、嫌な過去を忘れがちになるのは事実だと思う。迫害された側に立つことを、より豊かな歴史を築けるチャンス、と考えるべきだ。目の前にあるゆで卵をいつになったら食べられるのだろう、と切なく見つめながら、私は村上春樹さんがイスラエルで行なった「卵と壁」のスピーチを思い出していた。
「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ。そう、壁がどんな正しかろうとも、その卵がどんな間違っていようとも、私の立ち位置は常に卵の側にあります。何が正しくて何が間違っているか、何かがそれを決めなければならないとしても、それはおそらく時間とか歴史とかいった類のものです。どんな理由があるにせよ、もし壁の側に立って書く作家がいたとしたら、その仕事にどんな価値があるというのでしょう。」BY村上春樹