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ミセスローゼンの上人坂日記

鹿の子のふりむくまへに駆けにけり

美しい夏休みだったなあ。サガンの小説の登場人物になったみたいな一週間だった。
フェスティバルに出演したソリストたちは、自分の本番がすむとさっさと町を離れる。レズビアンたちもピアソラの四季を弾いた翌日出発した。彼女たちのロッジでビーチに降る雨を見ながら暖炉を焚いてビキニ一枚でワイン飲んだことが遠い昔のよう。
ホストのフィルとお別れするとき、つい泣いてしまう。彼の作ってくれるオムレツやパンケーキが恋しい。
先生はフェスティバルの期間中、完全にドライに過ごした。アル中じゃないだろうかと心配したのが嘘みたい、一滴も飲まない、ほとんど食べない、パーティーにも顔出さない。まるでボクサーの減量を見てるよう。
シューマンのチェロコンチェルトを完璧に弾き終えた夜、先生は初めてパーティーへ出て、サラダをもりもり食べ、ワインをたくさん飲み、社交を楽しんだ。翌日の最終日、昔なじみの友人のドレスリハーサルを見に行く。先生は、シューマンのピアノコンチェルト(in A minor)を聞くといつも泣いてしまうよ、と言う。さらに先生は、お別れを言わないで行こう、と言う。先生の熱烈なファンという(昨夜知り合った)ご婦人の運転する車で空港へ向かう。私はご婦人の飼い犬のルーシーと一緒に後部座席へ乗る。ご婦人は先生の目の前で、「あなたは彼の何なの?」と私に聞く。私は正直に、「ルームメイト」と答える。ご婦人は「恋人じゃないの?」と念を押す。「拾われたのら犬みたいもの」と私が言ったら、ご婦人はちょっと優しい顔になり、「一度拾っちゃった犬なら捨てるわけにはいかないわねえ」と美しい声で言った。よく手入れされた指がいらいらと動く。「そうです。捨てるわけにはまいりません」と先生が言う。「来たときみたいにまたある日ふらっと出て行ってしまったら、どんなに淋しいでしょう」と先生が続けると、ご婦人はさらに美しい声となり、「そんな日は来ませんわ。いつまでもお二人お幸せに」と、完璧な歯並びを見せてほほえんだ。私は、いつか先生と別々に暮らす日のことを想像した。朝もやの浜を先生に連れられて散歩し、先生がスケールを弾く足元で本を読み、先生の借りたレンタカーの助手席から町を眺め、先生の楽屋でおとなしく待ったことなどが、どんなに懐かしく恋しく思いだされるだろう。私はルーシーの黒い背中でまた泣く。
しかし、センチメンタルジャーニーはまさにそこまで。
ポートランド空港に着くと先生は、「さあ飲みましょう」と言い、ドライマルガリータとステラとスパイシーヤキソバを注文、二人でさんざん飲みかつ食う。機内で先生は、シートベルトを締めたかと思うと、すぐにスリーピングピルを出して飲み、次の瞬間寝てしまう。私は気圧の関係で急性アル中みたいになる。客室乗務員三人がかりで看病され、ドクター呼び出しという大ごとになる。幸いぜんぶ吐ききり、ソーダも飲まされ、五時間後には二日酔い地獄、かつてない強烈な悪寒と吐き気と頭痛から開放された。先生は着陸と同時に目を開け、「ああよく寝た。君もよく眠れた?」と聞いた。ファック。
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