goo blog サービス終了のお知らせ 

航 海 日 誌 ~Log Book~

仕事や旅行で訪れた国や街の思い出、日々の小さなできごとをつづります。

入籍前日

2007年06月25日 | 心の整理・整頓



家中ピカピカにしてくれたプロのお掃除屋さん


ヒジョーに突然だが、明日入籍することになった

来月のイギリス行きを前に、双方の両親が「入籍して行け!」と騒ぎたてるからだ。こっちもそのつもりだったのに。まったく親って・・・。

入籍するってことは、一緒に住むってこと?完全引越しは息子が夏休みに帰ってきてからの予定だったので、なんの準備もしていない!当座、彼の家に住めるように、衣類や身の回りのものを慌ただしく箱詰めして送る。

当然、送ったものはしまわなければならず、ここ数週間、私は金曜の夜から彼の家にカンヅメになり、月曜の朝に出勤するまで、ひたすら掃除、片付けをしている。

週末彼の家に泊まっていると話すと、”ムフフ”な顔をする友人がたくさんだ。でも現実のところ、とてもムフフどころではない。夜になると疲労困憊で、新しく購入したシングル・ベッドがふたつぴったりと並ぶ寝室で、私達は枕に頭を付けた瞬間に寝入っている。いつ、なんどき、人が寝室に入ってきても、なんの心配もいらない。

ここへきて、おじちゃまもさすがにマズイと思ったようで、先週末プロのお掃除屋さんを頼んでくれた。最初の写真がその時の様子。

日曜日の朝9:30に、大の男3人が掃除用具一式を携えて現れた。その様子を見ていて”さすがはプロ!”と思う。エアコン、浴室など、時間がかかる部分から始め、窓ガラス、サッシ、電気の傘、床へと会話も交わさずに進んでいく。

男性1人暮らし6年のマンションは、私には想像もつかないところが汚れている。お部屋だって、窓だって、物がなくて見た目はきれいに見えた。だから私がプロのお掃除屋さんを頼んだら、きっと台所の換気扇とか、窓のサッシなどを重点的にお願いするだろう。でもこの日、浴室のお掃除に入った男性には、結局お掃除が終わるまで一度もお会いしなかった。見た目はそれほど汚れていなくても、プロ意識を刺激する何かを彼は浴室で見つけたのだろう・・・。お疲れ様。

夕方になってもお掃除は終わる気配がなく、午後4時になって、応援の男性がもう1人現れた!結局男性4人で夜の18:30まで、9時間かけてきれいにしてくれたことになる。どうりで私がお掃除しても満足しないハズだ。


そして平日、昼間はいつもどおりに仕事をし、家に帰るとまた、ひたすら片付けと物の仕分けだ。学校から帰って来た息子が”僕のいない間に母が引っ越した”と、怒ることのないように、見た目には荷物が減っていることに気付かれないような片づけをしている。母親としては当然の配慮だろう・・・。

ところで、片付けているのは部屋だけではない。トランク・ルームにも手を付けた。すると、奥のほうから出てきたのが・・・、最初の結婚の時に着たウエディング・ドレスだ



すさまじい量のチュール・レース


最初の結婚はバブル時代。日本でレンタルするよりも、イギリスで作ったほうが安い、という理由でロンドンでオーダーしたものだ。アイボリーのレースとシルク・タフタが美しい、大好きなドレスだった。でもまさか、ウエディング・ドレスのリサイクルはありえない。レース部分だけ袋物に加工しようとパニエ(ペチコート)部分を切り離しにかかった。

恐ろしい量のチュール・レース・・・・。

上の写真がそのパニエ。切り離すのに3晩かかった・・・。無駄な時間を使ったかも。

引越しもそこそこに、明日はふたりが出勤する前に、区役所へ婚姻届と養子縁組届を出しにいく。そして私達は夫婦となる。普通とは順序が逆。ふつうは付き合うようになり、周囲に認知され、結婚の話が出て、日取りを決めつつ挙式などの準備をする。でも私達は式も、パーティも、まだ何も決まっていない。

別にしなくてもよいのだが、双方の親がそれでは黙っていないだろう。加えて息子。以前、駆け落ちして出産した姪の世話をした友人がこう言っていた。

「きちんと祝福を受けていない身内の”性”は受け入れがたい」と。

きっと、思春期の息子も、私がなしくずし的に彼と暮らし始めることは受け入れられないだろう。彼のためにもけじめとして結婚式か、小さな披露宴をしなければいけないと思っている。

今、とりあえずプチ・引越しの準備をしても、結局は実家と行ったり来たりになるのだろう。まぁ、それもよし。明日は早いので、今夜は彼が私の実家で食事をした後、私は彼のマンションに泊まる。独身最後の夜というわけね。ということは、両親にも挨拶をしなければ・・・。

”今までありがとう。もう2度と帰ってきません。”

なんだかヘンだけど、それが私の本音だもの。























入籍前の物思い・・・

2007年06月21日 | 心の整理・整頓




書類の記入は簡単なようで難しい・・・


2月に彼と再会してから4ヶ月で、来週、入籍することになった。自分が再び誰かの”奥様”になるなんて、信じられない。

こんなに早く入籍することになったのは7月のイギリス行きのため。2週間前に彼が急に「7月に1週間休暇を取れるから、夏休みに入る時Rを迎えに行って、学校に挨拶をしてこよう」と言い出したからだ。

入籍は息子が夏休み、日本に帰って来ている間にと思っていた。でも古風な私は、入籍していない男性と一緒には息子の学校には行かれないと思った。別に学校にいつ入籍するか(もしくはしたか)、そこまで報告する必要はないのだから、夫婦のような顔をして行ってしまえばかまわないのだが、それができないのが私の不器用なところだと思う。

私は息子と一緒に旧姓を名乗っている。なので、息子は私の父の養子に入っていて、戸籍上は私の弟となっていると思っている人が多い。でも本当はそうではない。私が戸籍の筆頭者で、息子が同じ戸籍に入っている。

離婚して元夫の戸籍から一旦父親の戸籍に戻った時点で、子供を祖父の養子とする人が多い。ひとつには跡継ぎの問題。私のように一人娘の場合、跡取り息子ができたといって孫を喜んで養子にする。でも、もうひとつの理由はちょっと私には理解しがたい。娘が再婚しやすいように、戸籍上子供がいないことにするために祖父の養子にするという考えだ。

実際、私の離婚後にあったお見合いでも「Rを祖父の養子にしてくれたら結婚してほしい」とか、「男の子はもう自分の息子がいるから、祖父の養子にしてほしい」というものがいくつかあった。これは特に資産家に多い。女の子なら養女にしても、いずれ結婚すれば籍が抜けるけれど、男の子だったらずっとその姓を名乗り、財産も受け継いでいくことになる。

ようするに、血のつながらない子に、自分達の財産はやりたくない・・・ということだ。

”子供を祖父の養子にして、いなかったことにする”なんて考えの人は、こちらから願い下げだ 私と息子はセット、あるいは運命共同体。私と結婚したいのなら息子も自分の子供にしてくれる人でなければ。

でも現実にはそんな男性はなかなかいない。いつかもう一度自分の家庭を持ちたいと夢を見つつ、”そんな人とめぐり会えることはない”、とあきらめていた。



学校へ帰る息子の後姿。いつの間にか大きくなり、再婚にも賛成してくれたけれど内心は複雑なはず・・・。


ところが私のおじちゃま、3年前に紹介された時はRの父親になる心の準備が出来ていなかったからキミと距離をおいた、と前置きをした上で「今になると、自分にお嫁さんと子供が一度に出来て、幸せが2倍だと思えるようになった。キミの子供だからRがかわいいんじゃなくて、R自身がかわいいんだよね。3人セットで恋愛してるみたいだ」と、とぼけた顔で言ってのけた。

こんな考えの人がいたなんて、その時、私はただ呆気にとられて彼の顔を見ていた。これ、決してのろけているのではない。

おじちゃまはもう50代なのだから、中学生の子供がいたっておかしくはない、そう考えることもできる。でも、いくつになっても受け入れられないものは受け入れられないのだ。それは私自身がよくわかっている。逆の立場で、彼に子供がいたとしたら、きっと私は同じように快く受け入れることはできないだろうから。

だからこそ、彼の心のからくりに胸が熱くなる。

来週、婚姻届を提出する際、同時に養子縁組届も出す。これで全員が同じ姓を名乗り、戸籍上1セットとなる。戸籍の上だけでなく、心の通った本当の家族になれるまでにはまだまだ時間がかかるだろう。お互いを気遣ったり、内心腹をたてたり、まだたくさんの試練があるはず。でもそれは家族になるために必要な、儀式のようなものだと思うことにする。

それはきっと、乗り越えるだけの価値のあるものなはずだから・・・。





















中古、リサイクル、転職、あなたのお好みはどれ?

2007年06月14日 | 心の整理・整頓



ブログ初心者のくせに、このページで爆弾発言してしまった私・・・。でも、なにはともあれみなさんにお話できるだけの気持ちの整理ができたことで、肩の荷がおりたような気分でいる。



今は目の前の霧が晴れたような気持ち


今日も心の整理の続き。これもかなり強烈な内容なので、離婚経験のある方にはちょっと申し訳ない内容かも。

時をさかのぼること25年。当時私はまだ自分の将来に不安を感じることなどない、お気楽な中学生だった。大好きなクラスメイト、大好きな仲間達。毎日学校へ行くのが楽しくてたまらない時代だった。

仲良しグループの中に、私を大好きだった男の子がいた。はっきりそういわれたことはなかったけれど、私も気付いていたし、グループの中でも周知の事実だった。でも彼は直接”好きだ”といってくれたことはなかった。

彼の家はそこそこ名の知られた中堅会社。上場していない、つまり一族ががっちり株を持っているということで、当然そこには後継者争いがあり、彼はその渦中の人だった。中学時代からしょっちゅう、友人として彼の家に遊びに行っていたけれど、なんとなく、感じていた、彼の母親の想い・・・。

息子には会社の跡取りとしてふさわしいお嬢さんを・・・。

庶民の私は当然、”ふさわしい”の範疇には入っていなかった。それはかまわない。だって、私も彼のとこはただの同級生だと思っていたのだから。

大学卒業後、彼は親の会社に入社、2年後MBAを取るためにアメリカへ3年の予定で旅立った。そして1年後、私は息子の父親である最初の夫と出会い、結婚を考えるようになった。

私はアメリカまで彼に会いに行った。なんの約束をしていたわけではない。ただ、彼がずっと私を好きだったということを知っていて、黙って結婚してしまうことはできないという気持ちになったのだ。

でもやはり彼は”待っていてほしい”、とは言わなかった。

言えなかったのだということは、わかっていた。でも無言の想いで長い間私を縛り付けていた彼とはこれで終わったのだと、義務を果たした気分だった。

そして私は結婚し、息子をもうけ、別居した。

1年後、同じ仲間のBFから電話がかかってきた。「明日、アイツがアメリカから帰ってくるけど、成田まで迎えに行かない?」 私達の間にあったいきさつを知らないのだから、この誘いはしょうながい・・・。私は息子がまだ小さいことを理由に断り、帰国する彼に短く手紙を書いた。

別居して実家に戻っていること、お店を始めたこと、そして今後の彼の活躍を期待している、と。すると手紙がついたと思しき日の午後に電話が鳴った。

「今マンションの下まで来てるんだけど、出てこられない?」

手紙を読んだ彼が私に会いに来たのだった。彼はまだ、私のことを想っていたらしい・・・。

その日から、毎晩彼から電話が来るようになった。

”今日も元気だった?”

”なにか嫌なことはなかった?”

”ラーメン食べに行こうよ”


時には昔のような誘いもあったけれど、離婚調停中の身の私はとてもそんな気分にはなれなかった。電話は離婚調停が終わるまでの4ヶ月間、毎晩続いた。

そして調停が成立した後、私達は自然と付き合うようになった。毎週末2人や息子も入れて3人で出かける。近所の人たちは彼こそが私の夫だと思っていた。でも彼は私とつきあっていることを自分の家族には話していなかった。

家族に話せないような間柄なの・・・?

私の心の中には常にそんな想いがあった。でも彼は”お見合いの話が来たけど、キミがいるから断った”とか、”お見合いの話が来ても断って。ぼくがいるから。”と言われ続け2年がたった。

ある日、新聞を読んでいた父が言った。

「ここの死亡広告に出ている人、彼のおじさんじゃないの?」

彼の会社の現社長が亡くなった。そして後継者争いが一気に表面化した。もちろん次期社長は亡くなったおじさんの娘婿、彼は社長になるには若すぎた。でも彼の両親が黙っているはずがない。

彼と両親、そして親族の間で何があったのか、私には知る由もない。ただ、お葬式が終わって彼と会ったときにこう言われた。

「なんでぼくみたいに将来会社を背負って立つ人間が、キミみたいな子持ちの”中古の女”と結婚しなくちゃならないの?」

この瞬間、目が覚めた。そして私は気付いた。私はまったく彼のことを愛していなかったのだと。ただ、人生で最も辛い時期にそばにいてくれたから、好きになったつもりでいただけだったと。

こんなことを言われたのは、自業自得?それともお互い様?

中学時代から私のことを想い続けてきた彼は、そんなひどいことを言わなければ私と別れられなかったのだろうということは、察することができた。でも、言っていいことと、悪いことがあるでしょ?

彼は人として言ってはならないことを言ってしまったのだ。そんな風に思われていたのがショックだった。



コンクリートの間から咲いたど根性花。こんな風にたくましく生きてやる!


こうして彼は私の人生から消えたが、彼の言葉はトラウマとなって私の心の中に残った。好意を持ってくれた男性も何人かいたが、この人にもそう思われているのではないかと思うと、踏み出せなかった。

このことを話せるようになったのも、実はここ2年くらいのことだ。

知人で2度離婚している男性がいる。彼は”しょうがないじゃない。就職したけど合わなかったから、転職しましたってことで”と言う。そりゃぁ、男性だったら離婚も2度でも、3度でもいいでしょう。でも女性はそんなワケにはいかない。

また、”大丈夫!今リサイクル、流行ってるから!”と、能天気なことを言って笑わせてくれた人もいる。

でも、受けた傷は、そう簡単に消えるものではない・・・。

では、なぜ”おじちゃま”の時は大丈夫だったのか?私にもわからない。息子から入ったのがよかったのかもしれないと、思ったりする。息子がメインで、私がおまけ。始めからセットだったから、”子持ちで2度目の女性”と考えてくれるのも当然といえば当然だ。

”Rが僕の息子になってくれたら嬉しい”と、なんの迷いもなく、まっすぐに私の目を見て言ってくれた彼。彼のその自信、いったいどんな根拠なのか、聞いたことはないけれど、少なくとも私を決意させるだけの説得力はあったわけだ。

中古、リサイクル、転職。

なんと呼んでもいいけれど、どれもあまりいい印象の言葉ではないように思う。こんな言葉を聞かされるのは私だけで十分だ。

私の大切なお友達、離婚を経験しても前向きに生きていけるような、そんな思いやりの心であふれる世の中であってほしいと、願う。


航海日誌 ~雷雨の中のヨットレース

2007年06月11日 | 航海日誌・国内編



 雷雨なのにみんな楽しそう・・・



こいつら、狂ってる・・・・

鎌倉駅に降り立つと、にわかに雨が降り出した。しかも本降り・・・。

先日このブログで結婚の決意を書いたところ、たくさんの方からメールや書き込みをいただいた。大半の方がお気づきのように、お相手は”ヨットのおじちゃま”だ。あっという間の展開で、”ヨットのおじちゃま”は”私のおじちゃま”になったワケだが、そのお話は後ほど。

この日は前から誘われていた草ヨットレースの日。船酔いするという理由から”船”と名の付くものはすべて避けてきた私だが、彼がこよなく愛するものを頭から拒否するのは申し訳ない。この日は日中の一部の時間帯を除いて雨の予報がでていたが、早朝から渋々逗子まで出かけて行った。その途中での雨だ

逗子マリーナのマンションに着くと総勢8名が集まっていて、私を含む女子4名はまったくやる気がなく「鎌倉まで戻って、美容院にいこうかなぁ」などと言っていた。しかし残りの男子(みんなおじちゃま)4名は雨にもかかわらずヨットレースに出る気まんまん、しかもそのうちの1人は大雨にもかかわらず、すでにレース前の艇長会議に出かけていた・・・。

まで鳴りはじめたよぉ~。

嫌がる女子の手前、おじちゃま達は「とりあえずヨット・ハーバーまで行こうよ。キャプテンを止めなきゃいけないし」などと言いながらもしっかり女子に雨支度をさせて部屋を出た。すると・・・。

船は、すでに海に下ろされていた・・・

仕方なく全員でヨットに乗り込んだ。幸いひどかったのは雨と雷だけ(私に言わせればそれだけでも十分だ)、風と波はほとんどなかったので少なくとも船酔いの心配だけはなさそうに思われた。だけど、船に落雷があったらどうするの?息子が一人前になるまで、私は死ねないよぉ~!

”大丈夫!船に避雷針、ついてるから!”

そういう問題じゃないよぉ~ こいつら、狂ってる!

沖まで出て、レース・スタートの合図を待つ。その間も雨は降り続く。やがてスタート。13艇のヨットがセールを広げて走り出す。ヨットやセールの色も様々で、これで晴れていたらさぞきれいだっただろうと思う。でも海の上での雷雨、視界も悪く、折り返し地点の黄色いマーカーすらも見えそうにない。

雨具を付けて重装備をしていたのに、私は下着までびしょ濡れになってしまった。そのあたりから背筋を寒気がはう。GWにヨットに乗ったあとに私は熱を出した。今回も・・・?ヨットに乗るたびに熱を出して仕事を休んでいたのでは話にならない。

メンバーみんながTシャツやパンツ、トレーナーなど、乾いた服を差し出してくれて、船室で着替えた。あぁ、天国・・・。このあたりから雨がうそのようにあがった。しかし今度は無風状態。ヨットは進まず、レースはノー・レースとなった。まぁ、それなりに面白い経験ではあったけどね。


 
折り返し地点のはずだった黄色いマーカー。くやしいから写真に撮った。


GWにヨットに乗った時は気持ちがよくて”船が好きになれるかも”と思った私だったが、今回のことでまた考え直すハメになった。それでも仲間が集まって、海の上でワイワイ騒いで過ごす時間は楽しい。これが彼の愛するものならば、私もそれを受け入れていこうと思う。


 
夕暮れのマリーナの景色。金色に光ってきれい。


私達が入籍間近ということをヨット仲間は知っているけれど、彼の会社で知っている人はほとんどいないらしい。当の私達も、若いときのように”好き”という気持ちが盛り上がって結婚に向かっている感覚はない。ただ、静かに周囲に認知されて、たどり着くという感じだ。

マンションの部屋に戻ると、みなが思い思いにテレビを見たり、ダーツをしたり、お酒を飲んだりして過ごした。私はソファで横になって昼寝をした。誰かがそっと、毛布をかけてくれた。未だに”結婚”に実感のわかない私にとっては、こういった”仲間”からのさりげない気遣いを受けてあらためて、彼の人生や、仲間に受け入れられるという自覚を持てるようになる。

でも・・・!

やっぱり雷雨の中ではヨットには乗りたくない、と思うのだった・・・。





心の整理・整頓 ~ 私が子供服屋をしている訳

2007年06月01日 | 心の整理・整頓



 昔のお店、小さかったけれど充実し始めた頃


今日、私のブログに新しいカテゴリーを追加した。

”心の整理・整頓”

実はこれ、昨日までブログのタイトルにしようと思っていた。でも私の心の中は、今、整理・整頓しなければならないことが山ほどあり、とても一日では書いて、整理できないということに気付き、カテゴリーに昇格させた。

これからしばらくの間、みなさんには私の心の整理・整頓にお付き合いいただくことになりそうなので、あしからず。

今日のブログは特別長い!覚悟してね。

このブログを読んでくださっている方は、私が心からのお付き合いをさせたいただいていて、私のすべてを知られてもかまわないと思っている親しい方か、もしくは私を全く知らないにもかかわらず、なにかのご縁でこのページにたどり着いた方のどちらかだろう。

そこで、最近私に訪れた大きな転機をここに書き記しても、問題はないと思っている。

私・・・、再婚することにしました。

前夫と別居した時に、私はもう2度と結婚はしないだろうと思った。それほど結婚生活に疲れ、夫婦で苦しい思いをするくらいなら、自分と子供のことで苦労するほうがどれほどマシか・・・、と思ったからだ。

あの日のことは生涯忘れないだろう。

腹立ち紛れにガスコンロをごしごしと磨きながら、心の準備をした。そして夫に告げた。「実家に帰ります」、と。すると夫は言った。

「実家に帰るんならRを連れて行って」

その言い方がまるで「出がけにゴミを捨てて行って」というのと同じニュアンスだったことに愕然とした。もはやこの男に未練はない!と心の底から思ったのもこの瞬間だった。

夫に車で送られ、実家のマンションの駐車場に着くと、私が息子と車を降りる間に彼は荷物をトランクから降ろし、1回だけ息子を抱くとさっと帰っていった。彼にしてみれば、私の決意がもはや動かし難いものと知り、未練を残したくなかったのかもしれない。

なんとあっさりとした幕切れだったのろう。離婚調停が始まるまでに夫と息子と3人で2回、公園に遊びに行った。だが息子はそれ以来、父親に会ったことはない。アイツに2度と会わなくて済む!調停が成立した日の空の青さは生涯忘れない・・・。

でもある時、私のBFが言った。

「君にはよかったかもしれないけど、Rにはかわいそうなことだね。父親を知らないんだから」

これには唸るしかなかった。別の、つまり息子の視点からはそういう見方も出来るのだ。

ちょうどこの頃だ。仕事で頻繁に海外に出ていた私の父が、行く度に大量の子供服を息子に買ってくるようになった。幼くして父親と別れた孫が不憫だったのだろう。

「こんなにたくさんの洋服、着きれないよ!いっそのこと売っちゃおうか!」

ほんの冗談のつもりで発したこの言葉が、お店を始めるきっかけとなった。人生とは、なにがきっかけで思いもよらぬ方向に向かうか、わかったものではない・・・。

商売のことは右も左もわからず、夫と別居して、ただなにかすがるものが欲しくて始めたようなものだ。だとしたら本来の目的はとうの昔に果たされたはずだが、やがてお店は息子同様、私の生きがいとなった。

そして今、私の生きがいにもうひとり、新しい人が加わろうとしている。

ずっとひとりで生きてきた私にとって、これはとてつもなく大きな決断だった。そしてこれを機に、息子との関係性、お店をやっていく意義、これから人生を共に過ごそうとしている人との関わりなど、すべてが大きく変わってしまう。


 またこんな幸せをつかめる?


私も、息子も、これだけの大きな変化に対応できる?何度も自分に問いかけた。きっとそれは幸せな変化であるはず。支えるだけでなく、私達をも支えてくれる人ができるのだから。

そう信じられなければ、その人と結婚する意味がない・・・。

悩んだけれど、実のところ、それを受け入れるのは難しくなかった。自分でも気付かないうちに、心の底ではとっくに決まっていたようなのだ!

彼はとても穏やかな人だ。

生きがいがひとつ、増えたからといって、なにかひとつを減らす必要はないと言ってくれた。

子供服屋の醍醐味は、当然のことだけど子供の成長を見られることだ。妊娠中のママにご来店いただき、その後赤ちゃんから子供へ、そしてお店では取り扱っていないサイズまで成長した後も、時々立ち寄ってくださる。

自分の息子を育てる時は精一杯で、見逃してしまったこと、目をかけてあげられなかったことなど、悔やむことはたくさんある。だったら気持ちに余裕ができた今こそ、自分のことだけでなく、周りにも気を配って生きていくべきなのだと思う。成長を見続けているお客様の子供達だって、ある意味私にかかわりのある子供達なのだから。

そうするように気付かせてくれて、うながしてくれた彼にも感謝しなければ・・・。

ようやく決意するに至ったが、正直なところ、まだ実感がわかない。それに超・心配性な私は、密かに最後まで何が起きるかわからない・・・、とまで思っている。でもそこは年の功、自然体でやっていければいいと思っている。

どうかみなさん、 Wish me good luck!